第六十四話
「では、十四年前の悲劇はヴィルヘルムの裏切りによって起きたと? お前はそれを知った上で隠蔽していたと言うのか?」
「…その通りだ」
審問官の尋問にハインリヒは素直に頷いた。
ハインリヒの答えに審問官の眉間に皺が寄る。
立場上、冷静であろうと堪えているが、内心では怒り狂っていた。
教区長と言う立場にありながら、悪党を庇うなど信じられない。
「…それは何故だ?」
「戦力の為だ。ヴィルヘルムは残忍な殺人鬼だが、魔女にも通じる実力を持っていた。それに奴も狂ってはいるが、馬鹿ではない。合法的に欲求が満たせる立場を与える限り、大人しくしていた」
「その為に、無実の人間を犠牲にしたのか? 殺人鬼の餌とする為に…」
「私が異端認定した者の中に無実の人間など居ない。全ての者に裁かれる理由があった」
何の迷いもない眼でハインリヒは断言する。
己の所業に何の後悔も抱いていない表情だった。
「…聖墓を暴こうとしたのは何故だ?」
「アルベドの杖を得る為だ。あの魔女共を殺すには、ヴィルヘルムだけでは不足だったからな」
「…白き聖女が持っていたと言う伝説の杖か」
記録を取りながら審問官の男は訝し気な顔をした。
「今まで実在すら疑われていた伝説の杖が、どうして聖墓にあると信じた?」
「千年前の記録を独自に見つけ出した。白き聖女の手記だ」
「…何だと?」
審問官の動きが止まる。
千年前の記録。しかも、白き聖女の手記。
そんな物が本当に見つかったとするなら、歴史的な価値がどれだけあるか分からない。
「…それは今、どこにある?」
「ここだ」
そう言ってハインリヒは懐から古ぼけた一冊の本を取り出した。
それが机の上に置かれた瞬間、審問官の男は目を見開いた。
その一冊の本に込められたマナが尋常では無いのだ。
一ページごとに魔法を込めたかのような密度。
生半可な攻撃ではこの本を傷付けることすら出来ないだろう。
それが白き聖女に作られた物かどうかは別として、現代の魔道士に生み出せる物ではないことだけは確かだった。
「この中にアルベドの杖について書かれていた。だから私はそれが実在すると確信した」
「…その本は、こちらに提供してもらうぞ」
「構わん。もう私には必要のない物だ」
ハインリヒは静かに息を吐く。
審問官は出来るだけ平静を保ちながら、白き聖女の手記へ手を伸ばす。
「はーい、残念」
その時、手記は横から伸びた手によって奪われた。
「お前…は…?」
審問官の男が呆然と呟く。
いつの間にかハインリヒ達の傍に、道化師のような恰好をした女が立っていた。
女は馬鹿にするような笑みを浮かべながら白き聖女の手記を握り締める。
「コレは、返して貰うから」
瞬間、女の手の中で手記がぐにゃりと歪む。
歪んだ空間に引き摺り込まれるように、手記は手の中から消えていった。
「種も仕掛けもございませーん。なんてね!」
「何者だ! どうやってここへ入った…!」
「名前はザミエル。巷では寵愛の魔女、なんて呼ばれちゃってるよ」
「魔女…!」
審問官の男は杖を握り締め、ザミエルへ向ける。
赤いマナが審問官の身体から噴き出し、杖の先端に炎が集まっていく。
「ちょっとちょっと! やめた方がいいと思うよ? きっと後悔するよー? 本当だよー? 魔女、嘘つかないからさー!」
「『イグニス・サギタ』」
煽るようなザミエルの声に、審問官の男は魔法を放つ。
杖から炎の矢が放たれ、そしてそれはザミエルではなく、審問官自身を焼き尽くした。
「が、ああああああ! な、何故…! 何故だ…あああ…!」
「アハッ! あはははははは! 笑える! だから忠告してあげたのにね」
火達磨になった審問官の男は力なく崩れ落ちた。
息絶えた審問官を見下ろしながらザミエルは心から愉しそうに嘲笑を浮かべた。
「寵愛の魔女、か」
「およ? 目の前で人が焼け死んだのに、随分と冷静だね?」
「人の死には、慣れている」
そう言いながらハインリヒは審問官の死体から杖を拾う。
「そんなの拾ってどうするの? キミ、魔法が使えないんでしょ?」
「…よく知っているな」
「そりゃ知って……アレ? もしかして気付いていない?」
ザミエルは子供のように首を傾げ、続けて口元を愉快そうに歪めた。
「ねえ、ボクのこと、もう忘れちゃったんですか?」
顔を手で覆いながら、ザミエルは呟く。
目の前に立つ道化染みた魔女に見覚えは無くとも、その声には聞き覚えがある筈だ。
「………まさか、お前は」
「そう! カスパール君だよ! キミに白き聖女の手記を渡して! アルベドの杖について教えて! キミが聖墓を暴くように唆したカスパール君だよ!」
けらけら、と子供のようにザミエルは嗤う。
無邪気に残酷に、無慈悲に純粋に。
「ねえ、今どんな気持ちかな? 魔女を嫌って! 女も嫌って! 周りの何もかも切り捨てて頑張ってきたと思ってた自分が! 全部魔女の思い通りに操られてたって知って、どんな気持ちかなぁ!」
「…ッ」
ギリッ、とハインリヒは手にした杖を握り締めた。
それを見て、ザミエルはますます愉快そうに口元を歪める。
「アハッ! 笑える! 笑えるね! キミの人生って何だったんだろうね? 魔女に騙されて父親を失って! 復讐の為に頑張った末に、魔女に騙されて死ぬなんてねぇ! 親子共々、本当に喜劇だよねぇ! アハッ! あはははははははははは!」
「この、魔女が…!」
ハインリヒは感情のままに杖を投げた。
魔法を使うことなど最初から出来ない。
ただ、手にした物を相手に投げつけただけだ。
「アハッ! 何それ」
嘲笑を浮かべながらも、ザミエルは手を前に翳した。
こんな杖をぶつけられた所で痛くも痒くもないが、よりハインリヒの心を嬲るべく魔法を使う。
ザミエルの目の前の空間が歪み、杖はその中に引き摺り込まれていった。
「残念でしたー! 魔女は見ての通り無敵なのでーす! どんな魔法でも攻撃でもボクは…」
「…転送することで、防ぐことが出来る、か?」
「……は?」
ハインリヒに言葉を遮られ、ザミエルは呆気に取られる。
冷静な言葉だった。
先程まで、ザミエルの挑発に乗って怒り狂っていたのが嘘のように。
「どんな物でも転送する魔法。それは確かに防御の上で、無敵だろう。だが…」
そう、演技だったのだ。
ハインリヒは最初から怒り狂ってなどいない。
挑発に乗ったふりをしつつ、冷静に目の前の敵の魔法を分析していた。
「それは、どの範囲まで転送できるんだ?」
「!」
ハインリヒの目が、ザミエルの後方を見る。
期待と苛立ちを滲ませたような目で、ザミエルの後ろに立つ人物を見つめていた。
「『エクスオルキスムス』」
瞬間、ザミエルの背後から光の槍が放たれた。
前に突き出したザミエルの手とは逆方向。
ザミエルの完全な死角から魔女の天敵である白魔法が放たれる。
「『マレフィクス・マレフィキウム』」
だが、光の槍がザミエルを貫くことは無かった。
ザミエルの周囲の空間が歪み、光の槍を呑み込む。
そしてそれはハインリヒの背後の空間から出現し、その背中を貫いた。
「チッ…」
舌打ちをするハインリヒの顔に苦痛の色は無い。
光の槍は黒魔法だけを焼く白魔法である為、人間には無害なのだ。
「この程度で、ボクを出し抜いたつもりかい?」
ザミエルはハインリヒと、光の槍を放ったアンネリーゼを睨みながら呟く。
余裕そうな言葉とは裏腹に、その顔は不快そうに歪んでいた。
ダメージこそ無かったが、自分がまんまとハインリヒに騙されたことが気に食わないのだろう。
そして、このままハインリヒを殺せずに撤退しなければならないことも。
「次に会う時はもっと、笑える悲劇を用意してあげるよ」
そう告げ、ザミエルはその場から姿を消した。




