第六十三話
『貴女には色々と迷惑を掛けましたね』
「私が勝手にやったことよ。気にすることはありません」
魔女狩り隊との戦いから三日後。
全てが終わった後、イレーネはアンネリーゼと連絡を取っていた。
互いに報告をしながらも、イレーネの顔には安堵が浮かぶ。
色々あったが、アンネリーゼが無事に目覚めたことを喜んでいるのだ。
『ハインリヒはこちらの牢に拘束してあります。魔女狩り隊は全てそちらですか?』
「ええ、殆どはブルハの牢に閉じ込めてあるわ。だけど…」
そこでイレーネは僅かに顔を歪めた。
「一人だけ、見つかっていないの」
『…それは?』
「カスパール、と言う男よ」
眉を動かしながらイレーネはその名を呟く。
一度だけしか会ったことの無い人物だが、それだけで性格の悪さが分かるような男だった。
他人を苦しめることに悦びを見出すような悪党。
エルフリーデの炎を浴びて倒された筈だったが、いつの間にか行方を晦ましていた。
「ハインリヒは捕まったし、彼一人では何も出来ないとは思いますけど」
『少し不安ですね。ハインリヒを尋問してカスパールのことを聞きだしてみます』
「ありがとう」
エルフリーデの攻撃から逃げ延びたと言うのなら何らかの魔法だろう。
ハインリヒならカスパールの魔法について知っているかもしれない。
『ヴィルヘルムの方はどうしていますか?』
「生きてはいるわ。両腕を失ったことがショックだったのか、随分と大人しいです」
ハインリヒとはまた違った方向に危険思想の持ち主だったヴィルヘルム。
あの男も不安と言えば不安だが、今は牢で大人しくしていた。
腕を失って心に傷を負った、と言うよりは殺人が出来なくなったことにショックを受けているようなのだから救いようがない。
「十四年前の件も含めて、彼には重い罰が下るでしょうね」
「君達には礼を言うべきだろうな」
同じ頃、マギサへと戻ったエリーゼ達はテオドールに会っていた。
テオドールとヴィルヘルムの因縁については既に聞いていた。
十四年前の時からテオドールはずっとヴィルヘルムを憎み続けていたことを。
「別に要らん。お前の為に戦った訳じゃないからな」
「それでもだ。ありがとう、感謝している」
長年の復讐から解放され、テオドールは穏やかな表情を浮かべていた。
それを不機嫌そうに睨みながらエルケーニヒは息を吐く。
「…殺さなくて良かったのか?」
エルケーニヒはテオドールの目を見ながら呟いた。
ヴィルヘルムを倒したのはエルケーニヒだが、テオドールにも殺すチャンスはあった筈だ。
家族と故郷を滅ぼした仇敵。
自分の手で殺したいと思うのが普通ではないか。
「あれは君達の戦いだった。最後に少し手を貸しただけの俺が、勝手なことは出来ないだろう」
「律義な奴だな。別に俺は、お前がアイツをどうしようと気にしないが」
「エルケー、ちょっと」
あっけらかんと告げるエルケーニヒを諫めるように呟くエリーゼだったが、内心では同じ気持ちだった。
ヴィルヘルムは魔女では無いが、それと変わらない外道だった。
改心などする筈も無く、殺してしまった方が世の為とさえ思う。
「…いいさ。生きていること自体が苦痛になる人間もいる」
テオドールは目を細めながら告げた。
人を殺すことを何よりも快楽とするあの殺人鬼にとって、両腕を失うことはどれほどの苦痛か。
自由を奪われ、誰も殺すことも出来ず、ただただ生き続ける日々はどれほどの地獄か。
因果応報だ。
あの男は、出来るだけ苦しんでから死ぬべきだ。
「――――――」
都市ブルハの地下深く。
地上の音も光も届かぬ暗闇の中、ヴィルヘルムは鎖に繋がれていた。
その顔には表情が無く、死人のようにぴくりとも動かない。
だらんと垂れ下がった両肩は、その先が存在しなかった。
杖代わりの腕を失ったヴィルヘルムは無力だ。
何の魔法も込められていない錆びた鎖さえ壊せず、牢からも出られない。
呼吸はしており、心臓も動いている。
しかし、最早生きているとすら言えない状態だった。
「アハッ!」
暗闇の中、場違いな程に明るい笑い声が聞こえた。
「あはははははは! 笑えるね、隊長! 何そのゾンビみたいな顔! 絶望しちゃってるの?」
「………カスパール、か?」
声の主を見て、ヴィルヘルムは呟いた。
顔には困惑が浮かんでいた。
何故なら目の前に立っていた人物は、女だったからだ。
「いやぁ、苦労したよ。ハインリヒが女嫌いだったせいで、わざわざ男に変装する羽目になるなんて」
声はカスパールと同じ物。
しかし、髪の色も目の色も違う。
赤と青の異なる色の眼。
黒と白のダイヤチェックの衣装を始めとした左右非対称な道化風の風貌。
「ボクは寵愛の魔女ザミエルだ。改めて、よろしく」
「魔女、だと…?」
ヴィルヘルムは呆然と呟いた。
カスパールは魔女の変装だった。
そんなことは有り得ない。
あの用心深いハインリヒが、魔女の変装を見抜けない筈がない。
魔女には共通して黒い手の痣がある。
どんな魔法を使っても、それだけは隠すことが出来ず、魔女を見抜く根拠となっていた筈だ。
「あ、もしかしてボクの身体のことで色々と妄想膨らませちゃってる? いやん、エッチ! そんなに見たいんだったら、裸になってじっくり調べさせてあげるのも嫌じゃないよ?」
ニヤニヤと馬鹿にするような笑みを浮かべながらザミエルは言う。
「それでも何も見つからないと思うけどね! 色々と事情があって、ボクの身体には魔女の印が無いんだよねぇ!」
「………」
「まあ、そんな話は置いておいて。そろそろ本題に入ろうか」
パチン、と指を鳴らしながらザミエルは告げる。
薄暗い牢の外から鎖で繋がれたヴィルヘルムを見下ろす。
「キミさ、魔女になる気は無い?」
「…は」
ザミエルの言葉に、ヴィルヘルムは笑みを浮かべた。
「最近は男でも魔女になれるのか? それは知らなかったな」
「お? 調子が出てきたみたいだね。興味が湧いて来たんじゃない?」
「スカート履いて、化粧をしろって言うんならお断りだぜ?」
「アハッ! それはそれで見たい気もするね!」
ザミエルは愉し気に笑う。
珍しく嘲りを含まない笑い声だった。
「魔女と言うのは言葉の綾だよ。ただボクら、ワルプルギスの夜の仲間になって貰いたいんだ」
「…メリットは?」
「キミをここから解放し、ついでに腕も治してあげよう」
あっさりとザミエルは告げた。
白魔道士ですら治すことが不可能な四肢の欠損を、いとも簡単に元に戻すと。
「キミは新しい腕でまた殺しを愉しめる。どうかな?」
「…魅力的な相談だな」
鎖で繋がれたまま、ヴィルヘルムは愉し気な笑みを浮かべた。
「だが、一つ教えろ。お前達は何を目的としている? 仲間になるのなら、教えてくれ」
「ボクらの目的は一つさ」
ニコリ、と童女のような笑みを浮かべてザミエルは告げる。
「『死者の復活』だよ」
死人形ではない、完全なる復活。
失われた生命の蘇生。
黒魔道士共通の悲願だった。
「は…はははははははは! 死者の復活か…! 死人を蘇らせる、なんて今時ガキも口にしないようなことを何百年も生きた魔女達は本気で願っていやがるのか! はははは! コレは傑作だ!」
「それで? 答えは?」
「勿論、イエスだ! 死者の復活とか、サイコーじゃねーか! 実現可能かどうかは別として、それくらいぶっ飛んだことを目的に掲げた方が面白くなりそーだ!」
「アハッ。キミとは仲良くやれそうだよ」
ヴィルヘルムの答えに満足したようにザミエルは頷く。
「でも、他の魔女達の前では嗤わないようにね。ワルプルギスの魔女達は皆、本気で取り戻したい誰かの為に頑張ってるからさ」
「ああ、俺も無駄にトラブルを作るつもりはねーよ」
口元を愉快そうに歪めながらヴィルヘルムは言う。
「…だが、お前は別に死者の復活になんて興味ないんだろう?」
ヴィルヘルムは同類を見るような目でザミエルの顔を見つめた。
「お前も俺と同じで目的なんて無く、ただ自分が愉しければそれで良いんだろう?」
「あはははは! ボク、キミのことが好きになりそうだよ!」
ザミエルもまた、同胞を見るような目でヴィルヘルムを見ていた。
人の心など欠片も持たない邪悪。
人から外れた殺人鬼は、人ならざる魔女の手を取った。
そして一時間後、
見回りの男が牢を覗いた時には、ヴィルヘルムの姿はどこにも無かった。




