第六十二話
「さあ、次だ!」
笑みを浮かべながらヴィルヘルムはナイフを投擲した。
(ナイフ…! また爆弾か…?)
飛んでくるナイフを前に、エルケーニヒの顔に迷いが浮かぶ。
ナイフを防ぐのは簡単だが、もし爆弾化されていればダメージは避けられない。
だが、同じ手を二度も使うだろうか。
いや、そう考えること自体がヴィルヘルムの罠…
「イムプルスス!」
「ッ…!」
ヴィルヘルムの叫び声を聞き、エルケーニヒの顔が歪む。
やはり、このナイフは爆弾…
「ブラフだ! エルケー!」
「な…」
突然の声に思わず硬直したエルケーニヒの腕をナイフが掠める。
ナイフは爆発することなく、地面を転がった。
「ヒハハハ!」
間髪入れずに両手を広げたヴィルヘルムが襲い掛かる。
大袈裟なくらい広げられた両手を躱すべく、エルケーニヒは僅かに身を屈めた。
「違う…! その場から退がって!」
「!」
エルケーニヒは声に従い、その場から飛び退く。
合わせるようにヴィルヘルムも急に身を退いた。
「イムプルスス!」
瞬間、エルケーニヒがさっきまで立っていた地面が爆発した。
起爆したのは地面に散らばる金貨の欠片に紛れていた一枚の銀貨。
飛び掛かる様に見せかけてヴィルヘルムがひそかに転がしていた本命の爆弾だった。
「エリーゼ、お前…」
エルケーニヒはエリーゼの隣まで下がり、声を掛けた。
柄だけになった剣を握ったエリーゼは真剣な目でヴィルヘルムを見つめている。
「…見えるのか?」
「私、目だけは良いのよ」
自慢するようにエリーゼは告げた。
エリーゼのその眼には、全てのマナの色が見えていた。
大気中を漂うマナも、ヴィルヘルムから放たれるマナも。
「爆弾化、と言うよりは見えない爆弾を寄生させるような魔法ね」
ヴィルヘルムが触れた物には赤と青の入り混じるマナが宿っていた。
それが見えるのなら、どれが爆弾になっているのか見分けるのは容易い。
「生憎、私の剣はこんな状態だわ。爆弾の位置は教えるから、貴方が奴を倒して」
「ああ、位置さえ分かればこっちのものだ。サポートを頼むぞ」
「ッ…俺、は…」
「立たない方が良いわ。応急手当はしたけれど、血を流し過ぎました」
目を覚ましたテオドールに、イレーネはそう声を掛けた。
包帯が巻かれた頭を抑え、眩暈を振り払う。
どうやら、ヴィルヘルムの攻撃で気絶していたようだ。
「ヴィルヘルムは…?」
「………」
テオドールの言葉にイレーネは視線で答えた。
視線の先では、エルケーニヒとエリーゼの二人がヴィルヘルムと戦っていた。
「今はあの二人に任せましょう。私はマナ切れですし、あなたは攻撃魔法が使えないのでしょう?」
「…そう、だね」
今のテオドールに出来ることは無い。
テオドールの魔法は音を操るだけ。
即死級の魔法を撃ち合うあの戦いに入り込むことすら出来ない。
それは頭では理解していた。
だが、
「………」
地面に座り込んだまま、テオドールは仇である男を睨んでいた。
「そらそらそらァ!」
ヴィルヘルムは両手で握ったナイフを全て同時に投擲する。
右手と左手にそれぞれ三本ずつ、合わせて六本のナイフが放たれた。
「あの中に爆弾は無い!」
「よし…! それなら!」
エルケーニヒは大気を薙ぐように腕を振るい、ナイフを全て払い落とす。
「『ダエモン・オース』」
呪文の完成と共にヴィルヘルムの背後の空間がひび割れ、中から巨大な口が出現する。
血に濡れた鋭い歯は、ギロチンのようにヴィルヘルムへ振り下ろされた。
「チッ!」
咄嗟に身を屈めたヴィルヘルムの頭上で歯が打ち鳴らされる。
ガチガチと悔し気に歯を鳴らした後、目も鼻も持たない口は消えた。
「エルケー! 凄い魔法だけど、ちょっと悪趣味ね!」
「昔取った杵柄だ! 気にするな!」
軽口を叩きながらエルケーニヒは手を止めない。
それに対し、ヴィルヘルムは懐から新たなナイフを取り出した。
「…ッ! あのナイフは爆弾だわ!」
「………さっきから、ネタバレするんじゃねーよ!」
イラついた様にヴィルヘルムは爆弾化したナイフをエリーゼに向かって投擲した。
「ショーの最中にネタをバラされることほど、萎えることはねーぜ」
「エリーゼ!」
今のエリーゼは武器を持っていない。
ナイフの爆発からエリーゼを守るべく、エルケーニヒは地を蹴った。
「駄目…!」
「ほーら、隙だらけ」
ヴィルヘルムはエルケーニヒに追い付き、その背に手で触れた。
「『ピュロボルス・パラシートゥス』」
その手から溢れ出す赤と青のマナがエルケーニヒの身に流れ込む。
目には見えない爆弾が、エルケーニヒの体内に寄生する。
「なあ、人間が内側から弾ける光景って見たことあるか?」
「ッ!」
「ヒハハハ! もう遅ェよ!」
振り返ったエルケーニヒが腕を振るうが、ヴィルヘルムは嗤いながら回避する。
既に爆弾は寄生した。
今更何をした所でもう手遅れなのだ、と。
「ああ、この瞬間だ。この瞬間の為に、俺は生きているんだ…! 皮が内側から弾けて血が噴き出す! 肉と骨がポップコーンみてーに飛び散る! 人の命が燃え尽きる瞬間…! 堪らねーな!」
「『フィールム・インテルフィケレ』」
エルケーニヒの指先から鋭利な黒い糸が放たれる。
だが、遅い。
その糸が届くよりも、ヴィルヘルムが一言告げる方が速い。
「イムプルスス!」
起爆の言葉が告げられる。
エルケーニヒの体内に寄生した爆弾が起動し、その血肉が内側から弾け飛ぶ。
再生などさせるものか。
体内の臓器と骨の全てを塵に変えれば、流石に蘇ることは出来ないだろう。
ヴィルヘルムは残忍な笑みを浮かべてエルケーニヒを見つめた。
「…………?」
ヴィルヘルムの笑みが消える。
爆発しない。
爆弾を起動させた筈なのに、エルケーニヒの身体が爆発しない。
「爆弾の起動キーは声。人の声も、音の一つだ」
「…テオドール」
傷を負った頭を抑えながら、テオドールはステッキ状の杖をエルケーニヒへ向けていた。
杖を向けられたエルケーニヒの身体は、半透明の白い膜のような物に包まれていた。
「音を遮断した。お前の声は、そいつに仕掛けた爆弾には届かない…!」
「お、前…! 邪魔を…!」
怒りに顔を歪め、ヴィルヘルムは両手をテオドールへ向けた。
殺す。己の快楽の邪魔をする者はこの手で爆殺する。
殺意と敵意を滲ませてヴィルヘルムは手を振るう。
その手の、肩から先が切断された。
「な…あ…!」
ヴィルヘルムの魔法の要。
触れた物全てを爆弾に変える両手が、鋭利な糸に斬り飛ばされた。
「…お、おい、嘘だろ…まさか、この俺が…」
両手を失い、ヴィルヘルムは呆然と呟く。
ヴィルヘルムは人間だ。
魔女や魔王のような再生能力は持たない。
白魔法を極めたアンネリーゼでも、失われた四肢を再生することは出来ない。
斬り落とされた両手がもう戻ることは無い。
ヴィルヘルムは殺しを愉しむ腕を、失ったのだ。
「負けを認めろ、ヴィルヘルム。もうお前は、誰も殺せない…!」
「…チクショウ」
悔し気にそう吐き捨て、ヴィルヘルムは崩れ落ちた。




