第六十話
あの時の光景を忘れたことは無い。
血と涙を流しながら逃げ惑う人々。
疑心暗鬼に陥り、住人を虐殺する魔道士達。
燃え上がる建物。町中に漂う死臭。
人の悪性。醜悪さの極み。
正しく地獄絵図。
『はははははははは…!』
俺は生涯、この光景を忘れることは無いだろう。
「英雄らしく振る舞うのは、今日で終わりだ!」
残忍な笑みを浮かべながらヴィルヘルムは右手に付けられた手袋を掴む。
白い手袋が外され、隠されていた手が露わになった。
「アレは…」
剥き出しとなったヴィルヘルムの手の甲には、魔石が埋め込まれていた。
右手に直接埋め込まれている赤い魔石。
それを見せびらかせる様にヴィルヘルムの右手を掲げる。
「コレが、俺様の本当の杖だ…!」
ヴィルヘルムは叩き付けるように右手を地面に当てた。
凶悪な笑みと共に告げる。
「『ピュロボルス・パラシートゥス』」
「ッ…!」
「全員消し飛べ!…イムプルスス!」
瞬間、地面に無数の亀裂が走った。
それはエルケーニヒ達の足下にも広がり、強い光を放つ。
直後、大地が爆発し、光と熱の嵐がエルケーニヒ達を襲った。
「イヒ、ヒヒヒヒ…! はははははは! コレだよ…! この爽快感…! 堪らねーな!」
爆風に吹き飛ばされるエルケーニヒ達を眺めながらヴィルヘルムは笑う。
興奮に身を震わせ、狂気に満ちた笑みで口元を歪める。
「ヴィルヘルム…!」
「…あァ?」
巻き上がる黒煙を吹き飛ばすような突風が吹いた。
一歩身を退いたヴィルヘルムの眼前を、銀の刃が奔る。
「『シュタルカー・ヴィント』」
「速ェな…!」
続けて放たれた風の刃を躱しながらヴィルヘルムはエリーゼを見つめる。
その俊足で爆破から逃れてから反撃を仕掛けてきたのだろう。
「だが、まだまだ遅ェよ!」
エリーゼの放った一閃を左腕に付けた銀の籠手で弾き、ヴィルヘルムは逆にエリーゼの懐に入り込む。
驚くエリーゼの顔を掴むように、右手を伸ばした。
「『ヒエムス』」
「おお…?」
だが、その手はエリーゼに触れる前に凍り付いた。
エリーゼの背後から放たれた冷気を受け、ヴィルヘルムの右手は氷に包まれる。
「『シュトゥルムヴィント』」
それを好機と見たエリーゼが両手で剣を振るう。
ヴィルヘルムは凍結した右手を庇いながら、身を退いてそれを躱した。
「駄目じゃねーか、ゲルダちゃん。ここはもっと殺傷力高い魔法を撃つ場面だぜ?」
氷を砕きつつ、ヴィルヘルムは呆れたように言う。
氷柱の魔法を撃っていれば手傷くらいは負わせることが出来たのに、冷気の魔法を放つゲルダの甘さに呆れ果てる。
「…全部、嘘だったんですか?」
「まだその話か? 言うべきことはもう全部言った筈だぜ?」
「…十四年前の虐殺の時、魔道隊から裏切り者が出たと言う話も?」
「………」
ゲルダの言葉にヴィルヘルムは笑みを止めた。
十四年前、ヴィルヘルム達はヘクセの住人を助ける為に送られてきた。
しかし、魔道隊の中から裏切り者が出たことで魔女側に作戦が漏れてしまい、結果的に大虐殺が起きてしまったと。
それも全て嘘だったのか。
魔道隊は初めから魔女ごとヘクセの住人を殺す為に送られてきたのか。
「………それは嘘じゃない」
神妙な顔で、ヴィルヘルムは告げた。
「何故なら魔道隊の情報を魔女側に流していた裏切り者…アレ、俺様だからな! ははははは!」
「…な!」
今度こそ、ゲルダは言葉を失う。
意味が分からなかった。
魔女を倒す為に現れた魔道隊が、どうして裏切ったのか。
そしてその果てに寝返った筈の魔女さえ、その手に掛けたのか。
「私には、分かりません…! そんなことをして、あなたに何の得があったと…!」
「得ならあったさ」
ニタリ、とヴィルヘルムは醜悪な笑みを浮かべる。
「ただ思うままに人を殺せる。これ以上の贅沢が他にあるか?」
殺戮、ただそれだけだった。
一つの都市で起きた悲劇。
魔道協会と魔女を巻き込んだ大虐殺は、一人の殺人鬼の欲望によって起きたのだ。
「魔女狩り隊での日々も最高だった! 女も子供も! 殺して殺して殺し続けた! ハインリヒの野郎は良い主人だったよ。俺の本性を理解した上で、上手く使ってくれた。感謝しねーとバチが当たるぜ」
「もう喋るな、殺人鬼…!」
顔を怒りで歪めて、エリーゼは地面を蹴る。
それに笑みを浮かべながら、ヴィルヘルムは右手をエリーゼへ向けた。
(…あの右手)
エリーゼの目がヴィルヘルムの右手に向けられる。
魔石を埋め込んだ手。
地面を爆破したのもあの右手だった。
最初に大地を割る程の威力を放っておきながら、ヴィルヘルムは先程から右手を振るうだけだ。
(恐らく、あの爆破魔法は攻撃範囲が狭い)
そうでなければ、わざわざ敵の懐に飛び込む必要は無い。
爆破できるのは直接手で掴んだ物だけ。
爆撃を飛び道具のように放つことは出来ないのだろう。
(気を付けるべきなのは右手だけ。アレを躱して急所を撃ち抜く…!)
振るわれた右手を潜り抜けるように身を低くし、エリーゼは右手を退く。
「『ヴィントシュトース』」
狙うのは心臓。
一突きで命を終わらせるべく、渾身の突きを放った。
「…だから、遅ェんだよ!」
しかし、ヴィルヘルムの反応の方が速い。
心臓を庇うように左腕を前に突き出す。
エリーゼの剣はヴィルヘルムの左腕を銀の籠手ごと貫いたが、そこで止まってしまう。
心臓までは届かなかった。
「ははは…!」
(しまっ…)
ヴィルヘルムは手が傷付くことも躊躇わず、右手でエリーゼの剣を握り締める。
剣を爆破される、とエリーゼは慌てて剣を退いた。
そのままヴィルヘルムの腹に蹴りを放ち、距離を取る。
(…爆破しなかった?)
エリーゼは訝し気な顔でヴィルヘルムを見た。
何故ヴィルヘルムは剣を爆破しなかった?
エリーゼの武器を奪う絶好の機会だった筈だ。
爆破しないのではなく、出来なかった?
ヴィルヘルムの魔法には右手で触れる以外にも何か条件が…
「カチカチカチ…スリー、ツー、ワン」
様子を窺うエリーゼの前でヴィルヘルムはふざける様に呟く。
「ゼロ! イムプルスス!」
「―――ッ」
瞬間、エリーゼの握る剣が音を立てて爆発した。
至近距離からそれを受けてしまったエリーゼの身体が紙のように吹き飛び、地面を転がる。
「え、エリーゼさん…!」
「はははははは! 俺様の魔法が単なる爆破魔法だとでも思ったか?」
地面に横たわるエリーゼを見下ろしながらヴィルヘルムは嘲笑を浮かべた。
「違うぜ? 全ッ然違う! 教えて欲しいか? 教えてやろうか? 俺様の魔法はな…!」
「…触れた物を爆破する魔法ではなく、触れた物を爆弾に作り変える魔法だな」
上機嫌に叫ぶヴィルヘルムに水を差すように、エルケーニヒは告げた。
「…何だ。連れの女がやられている間に、俺の魔法の分析か? 俺が言うのも何だが、極悪人だな?」
「当然だろう、俺は魔王だぞ」
平然とそう答えつつ、エルケーニヒの目はヴィルヘルムの手に向けられる。
右手ではなく、エリーゼの一撃で籠手を破壊された左手に。
「ただ敵を爆破するだけの魔法なら赤魔法だが、爆弾に作り変える魔法となれば別だ」
壊れた籠手の間から覗くヴィルヘルムの左手。
その手の甲にも魔石が埋め込まれていた。
赤ではなく、青の魔石が。
「お前、赤魔道士ではなく、赤と青の複合魔道士だったのか」
「…ははは」
嘘で塗り固められた殺人鬼は、悪戯がバレた悪童のように笑った。




