第五十六話
「『カリドゥス・クルクス』」
「チッ…!」
先手はヴィルヘルムだった。
銀十字の杖から燃え盛る炎の十字架が放たれる。
それは回避したエルケーニヒの背後で爆発し、建物を吹き飛ばした。
(攻撃特化の破壊魔法……赤魔道士らしいな)
その威力に驚きながら、エルケーニヒは油断なく構える。
応用性を捨てた攻撃特化。それが赤魔法の特徴だ。
そして、ヴィルヘルムはその赤魔法を極めている。
「『カリドゥス・クルクス』」
もう一度、ヴィルヘルムは同じ魔法を呟く。
しかし、その数は先程と同じではない。
一本でも建物を吹き飛ばす威力を持った炎の十字架が五本、ヴィルヘルムの頭上に浮かんでいた。
「避けきれるか!」
振り下ろす腕と共に、全ての十字架がエルケーニヒへ襲い掛かった。
「…避ける必要は、ない」
それを見て、エルケーニヒは両手を地面に付けた。
「地の底に眠る死者よ。大地に染み付いた怨念よ。この声を聞き、その意志に従え…!」
「…!」
「起きろ!『レムレース・フルクトゥス』」
エルケーニヒの立っていた地面から黒い影が大量に溢れ出す。
目も鼻も無い、人の形をした影。
それは無数の怨霊だった。
「たまには魔王らしく行こうか! 俺は元々こう言う魔法の方が得意なんでね!」
以前より力を取り戻したからこそ使える魔法。
魔王エルケーニヒが生前得意とした黒魔法。
死者を使役する外道の力だ。
「周りにエリーゼ達が居なくて良かった。巻き込んだら悪いからな…!」
怨霊は周囲と溶け合いながら津波となって炎の十字架を呑み込む。
それは炎だけではなく、ヴィルヘルムをも呑み込まんと迫った。
「『カリドゥス・クルクス』」
ヴィルヘルムは杖を振るい、今度は目の前に炎の十字架を生み出す。
「燃えろ…!」
段々と炎の勢いが増し、十字架が大きくなっていく。
(数を一本に絞り、分散していたマナを注ぎ込んでいるのか…!)
膨大なマナを注がれ、十字架はヴィルヘルムを覆い隠す程に巨大化する。
やがてそれは巨大な炎の壁となり、怨霊の津波を全て焼き尽くした。
「どうした魔王…! この程度か!」
「ハッ! これからが魔王の本領よ!」
「シャルフリヒターが壊滅だと…! ヴィルヘルムは何をしていた…!」
マギサの教区長室にて、ハインリヒは通信機を片手に叫ぶ。
有り得ない。
シャルフリヒターが、ハインリヒ直属の魔女狩り隊が、イレーネ如きに負ける筈が無い。
エリーゼとエルケーニヒの実力は未知数だが、それでもシャルフリヒターの奇襲に対応できる筈がない。
何かの間違いだ、と思いたいが、事実としてカスパールを含む魔女狩り隊から連絡が途絶えた。
「………」
怒りを抑えるようにハインリヒは息を吐く。
まだだ。まだヴィルヘルムは無事だ。
あの男さえ生きていれば、計画に失敗は無い。
だが、
「…念には念を入れておくか」
万が一にも有り得ないことだが、ヴィルヘルムが倒された時のことを考え、ハインリヒは通信機を握る。
イレーネの性格上、他のシャルフリヒターも殺されてはいないだろう。
ブルハを滅ぼし、捕えられたシャルフリヒターを解放するべくマギサに残した部下を呼ぼうとする。
「…?」
その時、戸が開く音が聞こえた。
通信機を握ったまま、ハインリヒは顔をそちらへ向ける。
「これ以上、マギサはあなたの思い通りには動きませんよ」
それは、女だった。
雪のように美しい銀髪の女。
重たそうな法衣に身を包み、白い蛇が巻き付いた杖を握る魔道士。
「馬鹿、な…!」
「教区長アンネリーゼ。ただいま戻りました」
アンネリーゼは真剣な表情でそう告げた。
その顔には黒い手のような痣は浮かんでおらず、呪いから解放されたことを表していた。
「私が寝ている間に、随分と勝手なことをしてくれたようですね」
「………」
「教区長ハインリヒ。すぐに魔女狩り隊を退かせなさい。これは命令です」
「………は」
アンネリーゼの言葉に、ハインリヒの口元に笑みが浮かんだ。
その眼にドロリとした憎悪と敵意が宿る。
「はは。はははははははは! 命令だと? お前がこの私に? ふざけるな、アンネリーゼ! お前はもう、教区長じゃない! この私が魔道協会のトップだ!」
「…なら仕方ありません。実力行使です」
説得は不可能と判断し、アンネリーゼは杖を向けた。
「強がるなよ。呪いを浄化したとは言え、マナの消耗は激しかった筈だ」
「確かに万全とは言えませんが、あなたに遅れは取りません」
アンネリーゼはその眼でハインリヒを睨む。
「覚えていますよ。あなたは、魔法が使えない」
「………」
アンネリーゼの指摘にハインリヒは何も答えなかった。
その手には、魔道士なら持っている筈の杖が握られていない。
「生まれつきマナの量が少ないあなたは、体質的に魔法を一切使うことが出来ない」
ハインリヒはエリーゼと同じく、マナを殆ど持たない人間なのだ。
それでいながら魔道協会に所属し、教区長にまで上り詰めた政治手腕は恐ろしいが、魔法が使えないと言う事実は変わらない。
部下がいなければ、ハインリヒは戦うことが出来ない人間なのだ。
「…はは。はははは」
アンネリーゼを見つめながら、ハインリヒは笑った。
全てを諦めた笑いではない。
その眼に、並々ならぬ憎悪を宿らせていた。
「…舐めるなよ!」
「な…!」
瞬間、ハインリヒの指先から閃光が放たれた。
それはアンネリーゼの頬を掠め、背後の壁に大穴を空ける。
「魔法が使えない? 何十年前の話をしているのだ?」
「…!」
「丁度良い。お前から直接聖墓の在り処を聞き出せば全て済む話だ」
酷薄な笑みを浮かべながらハインリヒは告げた。




