第五十話
「ヴィルヘルムについて、ですか?」
イレーネに敵意が無いことが分かった後、エルケーニヒはあの男についてイレーネに訊ねた。
今後も戦うことがあるだろう魔女狩り隊の隊長について、何か知っていることは無いかと。
「…ヘクセの大虐殺を知っていますか?」
「知っている。大図書館で読んだだけだが」
聖暦986年に起きたと言われる悲劇。
詳細までは知らないが、ヘクセの街で大勢の人間が死んだことは大図書館の本で読んでいる。
「アレは魔女がきっかけで起きた悲劇なの」
「…魔女」
「情愛の魔女、と呼ばれていました」
その名の魔女は今のワルプルギスには存在しない。
既に討伐された過去の魔女の一人だ。
「この魔女は特別に戦闘能力が高かった訳では無いけれど、厄介な能力を持っていました」
「厄介な能力…?」
「…洗脳、です」
「!」
エルケーニヒ達は目を見開く。
その一言だけで、情愛の魔女がどれだけ危険な存在か理解できた。
人の心を操る魔法。
残忍な魔女がそれをどう使うかなど、想像するだけで背筋が寒くなる。
「…人間の精神に干渉する魔法は難度が高い。制限があるとは思うが」
得意とする黒魔法以外の知識も豊富なエルケーニヒが呟く。
他人の心を好き勝手に変える魔法など存在しない。
一つの感情を植え付ける、特定の記憶だけを削除する、などある程度の制限を作らなければ魔法として成立しない筈だ。
「情愛の魔女の洗脳は、相手を自分に惚れさせる魔法だったそうです」
「魅了魔法か。まあ、ありがちと言えばありがちだな」
自分に対する恋慕を強制的に植え付ける魔法。
一度魅了されたら敵意や害意を保つことさえ難しくなる。
強力な術者の場合、魅了が解けるまで相手の奴隷同然となってしまうこともあると言う。
「…だから、情愛の魔女」
エリーゼは顔を歪めて呟いた。
相手を洗脳しておきながら情愛とは皮肉が効いている。
或いはそれこそが魔女の愛なのだろうか。
相手の心など考えず、己の愛だけを優先しようとする醜い愛こそが。
「十四年前、情愛の魔女はヘクセを掌握した。住人は人質に取られ、魔道協会は住人を解放する為に魔道士の部隊を派遣した」
「…それがヴィルヘルムか」
「ええ、当時のヴィルヘルムはまだ十六歳の若者でしたが、豊富な戦闘経験と才能を評価されて部隊に入れられた」
「………」
「…結果だけを言うなら、その判断は正しかった。ヴィルヘルムは情愛の魔女を討伐したのだから」
口ではそう言いながらも、イレーネは苦々しい顔をしていた。
若き天才魔道士が魔女を討伐して都市を救った。
そんな単純な話では無いのだろう。
「…何があったんですか?」
恐る恐るゲルダが呟いた。
数日の間とは言え、ヴィルヘルムと共に行動したゲルダは誰よりも彼の過去が気になっていた。
「大虐殺よ。協会から派遣された魔道隊は、ヘクセの住人を無差別に殺害したのです」
瞬間、ゲルダ達の呼吸が止まった。
ヘクセの大虐殺。
その物騒な言葉を聞いた時、魔女による虐殺と思っていたが、違った。
ヘクセの住人を虐殺したのは、魔女ではなく魔道隊の方だった。
「…ど、どうして?」
「魔女の戦いの巻き添えになった、と言われていますが。当時の生き残りは少なく、どこまで本当か分かりません」
だからこそ、この悲劇は協会でも殆ど語られない。
魔女を討伐した偉業でありながら、救うべき住人も殺害してしまった悲劇だから。
「血濡れの英雄、か」
住人の返り血を浴びながら魔女を倒した英雄。
だからヴィルヘルムはそう呼ばれる。
血で穢れた英雄と。
「………」
イレーネの話が終わった後、ゲルダは一人で街を歩いていた。
頭の中を整理したい気分だった。
魔道協会は魔道士を管理する為に作られた組織だ。
今では魔女の脅威から人々を守る為に存在する。
正義の味方、と信じる程にゲルダは幼くないが、それでも正しい組織であると信じていた。
その魔道協会から派遣された魔道隊が、ヘクセで虐殺を行った。
それは魔道隊が暴走した結果だろうか、それとも協会の…
「…あ」
その時、ぼんやりと辺りを眺めていたゲルダの視線が止まった。
前方からゆっくりと男がこちらへ歩いてくる。
「ヴィルヘルム、さん…どうして」
「…エリーゼを捕らえるなとは言われたが、都市に入るなとは言われてないのでな」
ヴィルヘルムは仏頂面のまま、そう告げた。
「…それより、お前の方こそ何故ここに居る? エリーゼの処刑を止めると言う目的は果たしたのだから、マギサへ戻れば良いだろう」
「まだ、戻れません。きっとヴィルヘルムさん達はまたエリーゼさんを殺そうとするだろうから」
「…そうだな」
ゲルダの言葉にヴィルヘルムは小さく頷いた。
その眼がゲルダの顔を見つめる。
「だが、それでもお前はもう戻るべきだ。お前はエリーゼやイレーネと違って、シャルフリヒターの標的ではない」
「…イレーネさんも?」
ヴィルヘルムの言葉に、ゲルダは眉を動かす。
エリーゼだけではなく、イレーネも魔女狩り隊の標的になったと言うのか。
その指摘に、ヴィルヘルムは舌打ちをした。
「…要らぬことまで言った。やはり俺は饒舌にならん方が良いな」
「答えて下さい。あなた達はイレーネさんに何をするつもりですか」
ゲルダはヴィルヘルムを睨みながら告げる。
「五日後、シャルフリヒターがこの都市を攻撃する。死にたくなければ、それまでにお前は逃げろ」
「い、嫌です」
「………」
即答するゲルダにヴィルヘルムはため息をついた。
それ以上は何も言わず、ゲルダに背を向ける。
「…好きにしろ」
「ま、待って下さい」
遠ざかっていく背中にゲルダは声を掛けた。
「どうしてあなたは、十四年前にヘクセの人々を殺したのですか?」
ゲルダは思わず疑問を口に出していた。
ゲルダから見たヴィルヘルムは、悪い人間には見えなかった。
今だって、命令に逆らってまでゲルダに逃げるように警告してくれた。
本当は人間なんて殺したくないのではないか。
それならどうして、十四年前に虐殺を行ったのか。
「…俺の過去を聞いたのか」
ヴィルヘルムは苦々しい表情で振り返った。
「…今も昔も俺は変わらない。必要だったから、殺しただけだ」
「必要だった…?」
「ヘクセの住人は魔女に洗脳されていた」
吐き捨てるように、ヴィルヘルムは言った。
「それだけじゃない。魔道隊の中にさえ、魔女に洗脳された魔道士がいた。人質を解放する為に奇襲は全て裏切り者によって魔女に密告され、俺達は助ける筈の住人と殺し合うことになった」
「そんな…」
「誰が敵で、誰が味方かも分からない疑心暗鬼。俺は、目に映る全てを殺すしかなかった」
血を吐くように、ヴィルヘルムは告げた。
誰も信じられず、目に映る全てを殺し続けた地獄。
あの時の光景は、今でもヴィルヘルムの眼に焼き付いている。
「英雄だなんだと言われても、俺はそう言う人間だ。敵と判断すれば、武器を持たない子供でも殺すような外道だよ」
そう告げると、ヴィルヘルムは今度こそ去っていった。




