第四十七話
「………」
燃えるような赤い髪を揺らし、ヴィルヘルムは視線をエリーゼへ向けた。
その顔には何の感情も無く、無表情のまま殺意だけが向けられている。
それを見て、エリーゼも警戒した表情を浮かべた。
「ま、待って下さい! ヴィルヘルムさん!」
張り詰めた空気を破るように、ゲルダが声を上げる。
「エリーゼさんが魔女では無いことはあなただって分かって…」
「…言った筈だ。最早、そう言う問題ではないと」
ヴィルヘルムは腰に差していた細い銀の十字架を抜いた。
魔女かどうかは関係ないのだ。
魔女になる可能性がある。
それだけで、魔女狩りの対象となる。
「お前に恨みは無いが、俺の邪魔をするならお前も敵だ」
ヴィルヘルムの殺意がゲルダにも向けられた。
思わず身を震わせるゲルダを庇うように、エリーゼが前に出る。
「貴方は私に用があったのでは?」
「…そうだな」
剣のように十字架を握りながら、ヴィルヘルムは呟いた。
「では、行くぞ」
そう告げ、ヴィルヘルムは僅かに腰を落とした構えを取る。
瞬間、ヴィルヘルムの姿が消えた。
「ッ!」
咄嗟に動かしたエリーゼの剣に衝撃が伝わり、火花が散った。
今の一瞬でヴィルヘルムはエリーゼへ肉薄し、手にした十字架を剣のように振るったのだ。
鎧を身に着けているとは思えない速度だった。
咄嗟に反応できたのは奇跡に近かった。
しかも…
(魔法を、使っていない…!)
今の一撃にマナの動きは無かった。
つまり今の動きはヴィルヘルムの純粋な身体能力と技術。
魔法も使わずにエリーゼと同等以上に動くことが出来るのだ。
「今のに反応するとは、中々やるな」
「…舐めるな!」
感心するようなヴィルヘルムの言葉に、エリーゼは顔を怒りで歪めた。
剣を両手で握り締め、足で地面を踏み締める構えを取る。
「『シュトゥルムヴィント』」
エリーゼの持つ技の中で、最も威力が高い技だ。
足を止め、速度を捨てる代わりに渾身の力で敵を薙ぎ払う一撃。
それはヴィルヘルムの十字架を弾き返し、押し退けることに成功した。
「ハッ。女の力とは思えんな」
力負けした不安定な体勢のまま、十字架で刺突を放つ。
銀の十字架に刃は付いていないが、その先端は鉄杭のように鋭い。
人体など、骨ごと貫通する威力があった。
「…フッ!」
しかし、それを見てもエリーゼは退かなかった。
むしろ、このチャンスを逃すまいと最小限の動きで刺突を躱し、剣を振り被る。
「『イグニス』」
「!」
囁くような声に、エリーゼの表情が固まった。
ヴィルヘルムの十字架は武器ではない。
魔石が埋め込まれたこの十字架は、武器ではなく杖である。
攻撃を回避したと思い込んでいたエリーゼの隙を突くように、十字架から炎が放たれた。
「………」
熱を帯びた十字架を握りながら、ヴィルヘルムは前を睨む。
そこにエリーゼの姿は無い。
十字架が焼き払ったのは地面だけで、エリーゼは攻撃から逃れていた。
「…ありがとう。助かったわ」
エリーゼは息を吐きながら、エルケーニヒに礼を言う。
エルケーニヒの指先から細長い糸が伸び、それはエリーゼの肩に触れていた。
炎がエリーゼを焼き尽くす寸前にエルケーニヒが糸を放ち、エリーゼを引き寄せたのだ。
(それにしても…)
エリーゼは警戒した目でヴィルヘルムを見ながら思考する。
剣技に魔法を入り交ぜてきた技術もそうだが、今の魔法は単一魔法だった。
『イグニス』は赤魔法の基本中の基本。
相手に火傷を負わせることは出来るだろうが、焼死させる程の威力は無い筈だった。
それだけでも、ヴィルヘルムの魔道士としての才能がよく分かる。
「…お前は、カスパールの報告にあった無所属の魔道士だな」
「エルケーだ。所属ならあるぜ。魔王やってます」
「…協会に所属せずに魔法を行使することは重罪だ。纏めて処刑する」
「は。分かり易くて良いな…!」
好戦的な笑みを浮かべ、エルケーニヒは指をヴィルヘルムへ向けた。
「『ユグルム・フーニス』」
カッ、とヴィルヘルムの指先が光る。
ヴィルヘルムは身構えるが、何も起こらなかった。
不発か、と訝し気な顔をするヴィルヘルムを前に、エルケーニヒは両手を広げた。
「『フィールム・リガートゥル』」
エルケーニヒの全身から無数の糸が放たれる。
空を埋め尽くす程の糸の雨を見て、ヴィルヘルムは己の杖を握り締めた。
回避することは困難だが、一本一本はただの糸だ。
全て焼き捨てて、そのままヴィルヘルムも焼き殺す。
そう考え、口を開いた。
「―――ッ!」
そして、その顔を驚愕に歪めた。
声が、出ない。
見えない何かに喉を締め付けられているように、声を発することが出来なかった。
(最初の魔法は、コレか…!)
ヴィルヘルムはエルケーニヒの狙いに気付く。
不発などでは無かった。
あの魔法は敵の声を封じる魔法。
呪文を言えなくすることで、魔法すら封じる強力な魔法だったのだ。
「………」
(…この違和感。封じられたのは喉、か)
糸の雨が降り注ぐ。
躱すことの出来ない攻撃を前に、ヴィルヘルムは懐からナイフを取り出し、躊躇いなく自分の喉を掻き切った。
皮と肉が裂け、ヴィルヘルムの喉から血が零れ出る。
「『カリドゥス・インベル』
血を流しながらも自由となった喉が呪文を紡ぐ。
ヴィルヘルムの頭上から炎の矢が放たれた。
雨の如く放たれる無数の炎の矢は全ての糸を焼き切り、消滅させた。
「な…」
「『イグニス・サギタ』」
驚愕するエルケーニヒへ、続けて魔法を放つ。
十字架の先端から放たれた一本の矢がエルケーニヒの左腕を貫き、焼き焦がした。
「ぐあッ…! マジかよ、お前…!」
火傷を負った腕を抑えながらエルケーニヒは吐き捨てる。
エルケーニヒの魔法『ユグルム・フーニス』は見えない糸で喉を縛り、声を封じる魔法だ。
だから糸さえ切れば、声は出るようになる。
喉を切ったヴィルヘルムの判断は間違いではない。間違いではない、が。
あの状況で、突然声が出なくなりながら、慌てることなく自分の喉を切ることが出来るのか。
糸と共に自分の喉も傷付けながらも、すぐに魔法を放って攻撃を相殺し、更には反撃までしてきた。
「………」
この男は強い。
魔法や剣の才能があると言う話では無い。
ただ純粋に、戦うことが得意なのだ。




