第四十六話
「『魔道協会の歴史』……違うな…『異端について』……コレも違う」
手にした本に目を通しながらエルケーニヒは呟く。
適当に本を取っては数秒で読み終え、また元の位置へ戻すと言う行為を繰り返している。
傍から見ればパラパラとページを流しているようにしか見えないが、それだけでエルケーニヒは本の内容を全て理解していた。
「次は……む」
「エルケー? 何か見つかった?」
ある本を取って手を止めたエルケーニヒを見て、エリーゼは首を傾げた。
「いや…」
顔を顰めながらエルケーニヒは持っていた本をエリーゼへ投げる。
その本のタイトルは『四聖人の伝説』だった。
「自分が殺された話など、面白い筈も無いだろう」
「…まあ、気持ちは分かるわ」
苦笑を浮かべてエリーゼは本を棚に戻した。
大陸では有名な話だが、当事者からすれば面白くないだろう。
敵役として描かれているのなら尚更だ。
「あ、コレなんてどう?」
エリーゼは手に取った本をエルケーニヒへ渡した。
「『ワルプルギスの脅威』…か」
受け取ったエルケーニヒはすぐに中身に目を通す。
どうやら、内容は魔女が起こした過去の事件について纏めた物のようだ。
「聖暦605年、マギサ大火。聖暦760年、ストレガの大洪水…」
かつて都市を襲った天災の如き事件の数々。
それらは全てワルプルギスの魔女によって起こされた悲劇であると書かれていた。
興味がないことも無いが、今知りたい情報では無かった。
パラパラとエルケーニヒはページを捲る手を早める。
「…聖暦986年、ヘクセの大虐殺…」
そして、最新の事件が書かれたページで手を止めた。
「ヘクセ…?」
それを聞いていたエリーゼは訝し気な顔をする。
ヘクセと言えば、エリーゼを魔女認定したハインリヒが治める都市だ。
魔女狩り隊の本拠地でもある。
「聖暦986年って言ったら…」
「…今から十四年前だな」
「………」
十四年前。
何か、引っ掛かる。
確か、前にどこかでその言葉を聞かなかっただろうか。
十四年前にあった出来事と言えば…
「あ! 思い出した! 確か、魔女が討伐されたのは十四年前ってアンネリーゼが言ってたわ!」
「…そのようだな。ここに全部書いてあるぞ」
エルケーニヒは本を開き、その中身をエリーゼにも見せた。
「魔女の策略によって地獄絵図となった都市。混乱と虐殺の果てに、元凶の魔女を討伐した英雄…」
指で文字をなぞりながらエルケーニヒは告げる。
「血濡れの英雄、ヴィルヘルム…か」
魔女討伐と言う偉業を成し遂げながらも、拭いきれぬ血と共に語られる英雄の名を。
「結局、何の参考にもならなかったわね」
大図書館を出てからエリーゼは呟く。
ワルプルギスの魔女については多少分かったが、居場所まで突き止められた訳では無い。
実際に魔女を討伐したヴィルヘルムの事例を参考するにしても、暴れている魔女の下へヴィルヘルムが討伐に向かっただけのようだった。
結局、魔女が行動を起こすまで待つしか無いのだろうか。
「………」
エリーゼはゆっくりと自身の手を見つめた。
仮に、魔女がこの都市を襲ったとして、エリーゼは戦えるだろうか。
ドロテーアを倒した力は、確かに強力だ。
だが、あの黒魔法をもう一度使うことが自分に出来るのか。
あの時はただ必死だった。
アンネリーゼを、ゲルダを、皆を守らなければと無我夢中だった。
あの時と同じ事がもう一度出来ると、自信を持つことが出来ない。
(…ゲルダ)
ふと、エリーゼはマギサへ残して来た少女を思い出す。
友人と呼べるほど、親しいとは思っていない。
でも、彼女はエリーゼを馬鹿にすることは無かった。
魔法も使えないエリーゼを、心から慕ってくれた。
それなのにエリーゼは、あの少女を傷付けた。
許されることでは無い。
「エリーゼさん!」
「ッ…!」
その時、聞こえる筈の無い声が聞こえた。
まさか、と言う期待と、有り得ない、と言う失意が入り混じる。
肩を震わせながらエリーゼは声の方を向いた。
「や、やっと追い付いた!」
そこには、見覚えのある少女が息を切らせながら立っていた。
「…ゲ、ルダ?」
「はい! 私です! お久しぶりですね、エリーゼさん」
ニコニコと見慣れた笑みを浮かべながらゲルダはそう言う。
対照的に、エリーゼの顔が青褪めていく。
「あ、髪の色変えたんですね? 前の髪も綺麗でしたけど、今の色も似合って…」
「…どうして」
ゲルダの言葉を遮り、エリーゼは言った。
「どうして、そんないつも通りに振る舞えるの? 私は、貴女を傷付けたのよ?」
「………」
「貴女の背に、傷を負わせた。死ぬかもしれない傷を負わせた…! それなのに、どうして…!」
「…エリーゼさんは、私を殺したいんですか?」
「違う! そんな訳ない! でも、私は…!」
「…だったら、それでいいです」
心から否定するエリーゼを見て、ゲルダは満面の笑みを浮かべた。
アレが事故だったことはゲルダもよく分かっている。
そのことで、エリーゼが心を痛めていることも。
でも、ゲルダにとってそれは大したことでは無いのだ。
「エリーゼさんは私の憧れなんです。私はエリーゼさんが大好きなんです。エリーゼは私のこと、嫌いですか?」
「…嫌いになる筈がない。誰からも嫌われていた私に、普通に接してくれた貴女を」
「だったら、それでいいんですよ」
ギュッ、とゲルダはエリーゼの手を握った。
まるで幼い頃からの友達のように、力強く。
「何があっても、私がエリーゼさんを嫌いになることはありませんから!」
「ッ……」
エリーゼはゲルダの眼を見ることが出来ず、俯いた。
嬉しかった。
もう会うことも無いと思っていた相手が、まだ自分のことを慕ってくれていた。
それが、こんなにも嬉しいなんて。
「人間ってのはつくづく自分勝手な生き物だが、それが他の誰かを救うこともあるものだ」
ニヤニヤとした笑みを浮かべながらエルケーニヒは呟いた。
「ええと、エリーゼさんのお友達ですか?」
「そんな所だ。俺はエルケー、よろしくな」
「私はゲルダと言います。よろしくお願いします、エルケーさん」
ペコリ、と丁寧に頭を下げながらゲルダは言った。
「…それで、アンタはエリーゼを追い掛けて一人でこんな所まで来たのか?」
「いえ、ここに来るまではあの人に……」
そこまで言って、ゲルダは何かを思い出したようにハッとなった。
「そうだった! エリーゼさん、大変なんです! あの人があなたを…」
「そろそろ良いだろうか」
その時、ゲルダの言葉を遮り、男の声が聞こえた。
コツコツと靴を鳴らしながら、男が現れる。
魔女狩り隊の隊長。
かつて魔女を討伐した男。
「俺はヴィルヘルム。お前を、殺しに来た」
血濡れの英雄が、そこに立っていた。




