第四話
魔道都市マギサ。
邪教団との戦闘から一夜が明け、エリーゼは自分の住んでいる都市へ帰ってきた。
「任務達成、ご苦労様でした。報酬はこちらになります」
「…ありがとう」
事務的な言葉に軽く礼を言いながら、エリーゼは金貨の入った袋を受け取った。
いつもより多めに入った袋を持って、そのまま立ち去っていく。
「あの女、確か…無色の…」
「そうだそうだ、無色のエリーゼだ」
どこからか誰かの声が響く。
嘲りを含んだ視線がエリーゼの背に向けられていた。
「単一魔法も使えない落ちこぼれ」
「何でそんな奴が協会に入ることが出来たんだ?」
「さあな。女の武器でも使ったんじゃねえの?」
げらげらと下品な笑い声が響く。
苛立ちを必死に抑えながら、エリーゼは荒々しく扉を開けて出ていった。
大陸には多くの魔道士が存在する。
その中には、昨夜エリーゼが戦ったような質の悪い外道も居る。
故に人々は魔道士を管理する一つの組織を結成した。
それが魔道協会。
個人で凄まじい力を操る魔道士に秩序を与える為の組織だ。
大陸に生きる全ての魔道士は魔道協会に所属することが義務付けられている。
魔道協会に所属することなく、魔法を行使すればいずれ協会から『異端』と認定され、厳罰が下されることになる。
エリーゼが戦ったあの邪教団も協会から隠れて魔法を使って凶行を続けていた為、異端として処理されることになったのだ。
そうすることで魔王が滅んでから約千年、この大陸は秩序を保ってきた。
「…はぁ」
やや古びた自宅の扉を開けながら、エリーゼは息を吐く。
白い仮面を外し、鎧を脱ぎ、ラフな格好に着替えた。
考えるのは昨夜の出来事。
意気揚々と邪教団の討伐に向かい、返り討ちに遭った。
魔王の出現と言う予想外の出来事がなければ、エリーゼはあのまま死んでいただろう。
「…ッ」
協会で聞こえてきた男達の嘲笑を思い出す。
どれだけ実力を付けても、魔法が使えないエリーゼの協会での地位は低い。
異端狩りを続けることで何とか所属を認めて貰っているが、嘲笑が止むことは無い。
だが、それでも…
「………」
どれだけ笑われても協会から追い出される訳にはいかないのだ。
エリーゼの目的の為には、今の立場が必要だ。
「………」
もっと、力が必要だ。
異端狩りもまともに行えないと判断されたら、地位を剥奪されてしまう。
魔法は使えない。
だからこそ、エリーゼは魔法に頼らない戦い方を極めた。
人体を一撃で殺傷する殺人剣、魔法を使われる前に距離を詰める走法。
全て魔道士を殺す為に身に着けた技術だ。
「…ふう」
エリーゼはそこまで考えてまた息を吐いた。
あまり考えすぎてもろくな考えは浮かばない。
気分転換に風呂に入ろうか、と服を脱ぎ始める。
「おっと、ストップ! 今まで黙って見ていたが、この先も黙って見ているのは男としてどうかと思うので俺はストップをかけるぜ、お嬢さん」
「……………は?」
その時、どこかで聞いた声が聞こえた。
脱ごうとした服を掴んだまま、エリーゼは振り返る。
「俺は極悪非道な魔王様だが、魔王にも超えてはならない一線ってやつはあると思うのよ。姿を隠して黙って女の着替えを覗くってのは、紳士的にナシだ。うん、ダメよね」
そこにはべらべらと饒舌に語る骸骨が一人。
魔王エルケーニヒが当然のようにそこに立っていた。
「それにしても、昨日は気付かなかったが、アンタって意外と良い身体してるな。おっと、失礼。セクハラだったかな? 気を悪くしたのなら…」
「ちょ、ちょっと黙れ! 私の頭をこれ以上混乱させるなー!」
放っておくとまだ喋りそうだった魔王を遮り、エリーゼは叫んだ。
「貴方、死んだ筈でしょ! どうしてここに居るのよ!」
「死んだかどうかと言えば、元々死んでいるよ。見ての通り」
ひらひらと骨だけの手を揺らしながらエルケーニヒは言う。
馬鹿にしているようにしか見えない態度に、エリーゼの眉が吊り上がった。
「そうじゃなくて! 私の前で消滅したじゃない!」
エルケーニヒの肉体は昨夜、エリーゼの目の前で砕け散った。
邪教団の儀式が不完全だったのか、元々魔王を復活させたこと自体に無理があったのか、理由は不明だがエルケーニヒは再び滅んだ筈だった。
「確かに、昨日のアレはクソヤバかったな。俺の人生の中でもベストスリーに入る危機的状況だ。ああ、ここで言う人生って言うのは勿論、生前の…」
「いいから! さっさと本題を話せ!」
どうやら無駄話が大好きらしい、この魔王は。
イライラしながらエリーゼは続きを促した。
「あの儀式で作られた肉体が砕け、俺は魂だけとなった。このままでは俺の存在は霧散し、元いた虚無へと帰っちまう」
「………」
「だがそこはご存知、天才魔道士の俺様だ。魔法で魂を固定し、依り代に定着させることで何とか現世に留めることに成功した」
「依り代…?」
「あの場に在った物の中で俺の魂を憑依させるのに最も相応しい物体だ」
そう言ってエルケーニヒは蒼く燃える目をエリーゼへ向けた。
「率直に言って、お前のことだ」
「私、ですって…!」
ゾクッと悪寒を感じ、エリーゼはエルケーニヒから距離を取った。
憑依。依り代。
どちらも不穏な響きの言葉だ。
この男は、エリーゼの肉体を乗っ取る為に現れたのではないだろうか。
「待て待て、誤解しないでくれ。俺はお前に危害を加える気はねえよ。依り代とは言ったが、別にお前に害はない筈だ。俺がこの世に存在する為の楔になっただけで」
「………」
「おっと、その眼は信じてませんね。いいさいいさ、誤解されるのには慣れてるよ。だって魔王だもの。目が合って攻撃されなかったことの方が少ないよ。うん」
何だかショックを受けたようにエルケーニヒはその場に座り込む。
恐ろしい骸骨が拗ねたように俯いている光景は、かなりシュールだ。
「あ、そうだ。ならこう言うのはどうだ?」
「…何よ」
警戒した目でエルケーニヒを睨みながらエリーゼは言った。
「お前が依り代になった以上、これから俺はお前の傍を離れることが出来なくなり、共に生活するしかない訳だが」
「…ちょっと待て。初めて聞いたんだけど、それ」
「その宿代の代わりに、お前に力を与えてやろう!」
名案とばかりにエルケーニヒは人差し指を立てる。
「魔王エルケーニヒの名の下に告げる。娘よ。お前が望む力を、望むだけ与えよう」
それは、悪魔の誘惑のように甘い囁きだった。




