第三十九話
「服が多少汚れているが、怪我は無さそうだな。顔色は悪いが、それは精神的な物だろう」
カスパール達から逃れた後、白髪の男はエリーゼをジロジロと見ながら告げた。
「さて、はじめましてだな、お嬢さん! 私は通りすがりの紳士! 名前は…」
「…エルケーニヒ、でしょ」
騒がしく叫ぶ男を冷めた目で見つめ、エリーゼは言う。
白髪の男は、笑みを浮かべたまま固まった。
「………何だ、気付いていたのか。つまらんな」
そう呟く男の残念そうな表情は、エリーゼの言葉通りエルケーニヒと同じだった。
「その姿、どうしたの?」
「魔女を倒した後からどうもマナの調子が良くてな。肉体を新調してみた」
新しい服を買ったような気軽な口調だった。
生身となった身体の具合を試すように、エルケーニヒは手足を伸ばしている。
「生前の肉体を再現してみたのだがな。どうだ? 骨の時とはまた違う魅力があるとは思わないか?」
整った渋い顔立ちにアンバランスな子供染みた笑みを浮かべるエルケーニヒ。
黙っていれば知的な印象を受ける顔立ちをしているのに、言葉と表情はどこか馬鹿っぽい。
「………」
エルケーニヒなりの冗談を受けながらもエリーゼの表情は暗いままだった。
そんなエリーゼを見て、エルケーニヒは深いため息をつく
「…思ったよりダメージが大きいようだ。繊細だな、意外と」
エルケーニヒは黄金の杖を弄りながら言った。
「魔女だと言われたから何だ? お前は魔女では無いのだろう? なら、他人がどう思おうと関係ないだろうに」
「…そんな訳、無いでしょう」
あまりにも無遠慮な言葉に、エリーゼは思わず呟く。
その顔には僅かな苛立ちが浮かんでいた。
「この都市に住む人が、みんな私を魔女と蔑んだのよ! 協会も、都市も、私の居場所は全部失われた…! 私はまた、一人ぼっちになったのよ…!」
眼に涙を浮かべながらエリーゼは叫ぶ。
もう限界だった。
無能と蔑まれていた時とは違う。
誰もが自分を魔女と恐れた。魔女と蔑んだ。
もうこの街には居られない。
もう協会にも居られない。
アンネリーゼにも、ゲルダにも、もう会うことは出来ない。
魔女に両親を殺された時と同じだ。
エリーゼの世界はまた壊され、一人ぼっちになってしまったのだ。
「…ッ」
もう無理だ。
今度は耐えられない。
このまま皆に魔女と呼ばれながら一人で生きていくくらいなら、いっそ…
「それは違うな。協会と都市は知らんが、少なくともお前は一人ではない」
エルケーニヒは表情を変えないまま、軽い調子で告げた。
「そんなこと…!」
「俺がいる」
一切の迷いなくエルケーニヒは断言した。
眼に涙を浮かべたままエリーゼは言葉を止める。
「お前が誰に何と言われようと、俺はお前の傍を離れるつもりは無い。そう言う契約だからな」
エルケーニヒの言葉に希望を抱いたように、エリーゼは眼を見開く。
「…本当に? 本当に私から離れないの…?」
「無論だ」
「もし世界中の人が私を魔女と呼んでも…?」
「俺を誰だと思っている?」
ニヤリ、とエルケーニヒは笑った。
魔女だの黒魔法だのと下らない。
「世界中を敵に回す? そんなことは今更だ。俺は最強最悪の魔王様だぞ?」
何も恐れる必要などない、とエルケーニヒは笑みを浮かべる。
傲慢で大胆不敵な言葉だった。
「………」
しかし、その言葉がエリーゼにとっては救いとなった。
人々の悪意を向けられたエリーゼにとって、エルケーニヒはただ一人の味方だった。
「ッ…」
エリーゼは思わずエルケーニヒの胸に縋りつく。
エルケーニヒの胸に顔を押し付け、声を殺して泣いた。
「…やれやれ、意外と泣き虫だな……まあ、十八の娘ならこれが普通か?」
その頭を軽く叩きながら、エルケーニヒは苦笑を浮かべた。
「魔女はこの先に逃げた! 急げ! 逃がすな!」
フードの下で険しい表情を浮かべながら、シャルフリヒターの男達は走っていた。
身体強化の魔法を使い、段々と加速しながらエリーゼ達を追う。
一度見失ったが、まだそう時間は経っていない。
都市の外までは逃げていない筈だ。
都市を抜ける前に追い付き、今度こそ魔女を処刑する。
「…何だ?」
走りながらシャルフリヒターの一人が呟いた。
風を切る音と共に、何かパチパチと言う音が聞こえた。
首を傾げ、音のする頭上を見上げた男は……次の瞬間、炎に包まれた。
「な…!」
横を走っていた男が空から落ちてきた火球に吹き飛ばされ、男達は慌てて足を止める。
吹き飛ばされた男は辛うじて生きているが、完全に意識を失っていた。
何者かの攻撃だ。
しかも、気配すら感じないほど遠くからの攻撃。
「チッ…」
何者かは分からないが、今は構っている時間は無い。
「………ッ!…ッ!」
頭上に注意しながら先を急げ、と叫ぼうとして男は自身の喉を抑えた。
声が出ない。
周りの者達も同じなのか、困惑した表情で喉を抑え、口を動かしている。
いや、消えたのは自分の声だけでは無かった。
周囲の音すらも、いつの間にか何も聞こえなくなっていた。
(…マズイ!)
すぐに、その状況が危険であることに男は気付いた。
だが、それを周りの者達に伝えることは出来なかった。
「――――ッ」
直後、音も無く頭上に現れた火球の大群に男達は残らず気絶した。
「意外だったな、君がエリーゼを助けるなんて」
屋根の上からシャルフリヒターを見下ろすテオドールは隣で火球を放っていたエルフリーデに言った。
エリーゼを追うシャルフリヒターに対する火球の妨害。
それは明らかにエリーゼを守る行動だった。
エルフリーデはエリーゼを嫌っていた筈だったが、何か心境が変化したのだろうか。
「あの連中はエリーゼどころか、アンネリーゼさんまで魔女扱いしたわ。だから許せないだけよ」
「なるほど、そう言う理由か」
それなら納得、とテオドールは頷いた。
「それに……あの女が魔女の筈がないでしょう。あんな、出来損ないの魔女がいる筈がない」
エルフリーデは吐き捨てるように言う。
今の都市ではシャルフリヒターの暗躍でエリーゼを魔女と信じる者ばかりだが、エルフリーデはそうではないようだ。
エリーゼのことは嫌いだが、それ故にそんな根も葉もない虚言には騙されないのだろう。
「…大体、私のことを言う前に、自分はどうなのよ」
エルフリーデはテオドールの手に握られたステッキ状の杖を見つめた。
「小心者のアンタに、魔女狩り隊に向かって魔法を放つ度胸があるとは思わなかったわ」
エルフリーデが放った魔法は火球だけだ。
シャルフリヒターを混乱させた音を消す魔法は、エルフリーデではなく、テオドールの魔法である。
エルフリーデに合わせるように、テオドールもシャルフリヒターに向かって魔法を放っていたのだ。
エルフリーデがエリーゼを助けることが意外と言うのなら、テオドールの方が意外だろう。
「…俺もエリーゼの為って訳じゃないさ。ただ、個人的に…魔女狩り隊は大嫌いでね」
「…へえ。アンタ、そんな顔も出来たのね」
嫌悪と憎悪を滲ませたテオドールの表情に、エルフリーデは少しだけ見直したように呟いた。
「俺が来るまで攻撃するな、と言った筈だが?」
「攻撃ではありませんよ。あの魔女から市民を守っただけです」
カスパールは合流したヴィルヘルムに対し、笑みを浮かべながら告げる。
シャルフリヒターの隊長であるヴィルヘルムは、カスパールの態度に険しい表情を浮かべた。
「まずは生け捕りと言っただろう。何故攻撃した」
「相手は魔女ですよ? いずれ処刑するのに、何故生け捕りなど」
「罪人を刑の執行まで守ることも処刑人の務めだ。罪人には必ず罰が下されなければならない。私刑で死ぬことがあってはならないのだ」
「それはそれは、ご立派なお考えですねェ」
カスパールは皮肉気な笑みを浮かべた。
「…まあ、いい。問題行動についてはハインリヒが来てからだ。それより」
そこで言葉を切り、ヴィルヘルムは地面に視線を向ける。
背中の傷から血を流すゲルダへと。
「…そこの娘を手当てしろ」
「何故です? 言ったように、魔女を庇った娘ですよ? 魔女を庇う者は同罪の筈では?」
「それを決めるのはハインリヒだ。まだ魔女認定されていない以上、死なせる訳にはいかない」
「…それで、手当てした後に魔女認定されたらどうするのです?」
「その時は改めて俺が処刑する」
ヴィルヘルムは表情を変えることなく告げた。
何の迷いも、躊躇いも無かった。
恐らく、その言葉には何の嘘も無い。
例え自らの手で治療した相手であろうとも、魔女認定されたら一切の迷いなく殺害するのだろう。
善も悪も無く、罪人を殺すだけの処刑人。
ヴィルヘルムは処刑人に最も相応しい男だった。




