第三十七話
魔女の襲撃から一週間が経過した。
殺された人々の葬儀が終わり、壊された街も少しずつ元の形へと戻りつつあった。
「………」
しかし、アンネリーゼは眠り続けたままだった。
協会の所属する様々な魔道士が手を尽くしたが、意味は無かった。
アンネリーゼの全身に浮かぶ黒い痣。
それが原因であることは一目で分かったが、どんな魔法を使ってもその呪いを解くことは出来なかった。
黒魔法による呪いには白魔法の浄化が最も効果的だが、協会に所属している白魔道士は希少で数が少ない。
そもそも稀代の白魔道士であるアンネリーゼが自身の呪いを解けない時点で、他の白魔道士を何人連れて来ても意味がないかもしれない。
「魔女…ッ!」
ギリッ、とエリーゼは拳を握り締めた。
エリーゼは魔女を倒した。
都市を襲ったあの恐ろしい魔女を滅ぼし、都市を守り抜いた。
だが、本当に大事な相手を守ることが出来なかった。
この世でたった一人の、家族と呼べる相手が苦しんでいた時、エリーゼは眠っているだけだった。
仕方なかった、と誰かが言うだろう。
魔女を倒しただけでも良くやった、と誰かは称えるだろう。
しかし、エリーゼ自身は少しも自分を許すことが出来なかった。
自分に対する怒りと後悔を魔女への憎悪に変え、ただ我武者羅に剣を振り続けていた。
「全く、気が滅入るね」
テオドールは深いため息をついた。
耳聡いテオドールは一週間前の事の次第を全て把握していた。
マギサを突如『渇愛の魔女』が襲撃し、多くの犠牲者が出た。
そしてその魔女はアンネリーゼとエリーゼ、あのよく分からない骸骨男によって討伐された。
それで終わればめでたしめでたしだが、その後に現れた存在が最悪だった。
「寵愛の魔女、か」
その名は協会で有名だ。
少なくとも二百年前から存在が確認されているワルプルギスの古株。
ワルプルギスの夜が結成されてから四百年。
その間に何人もの魔女が討伐され、その度に補充されてきたが、二百年以上魔女として生き続けてきた存在は『始まりの魔女』を除けば、この寵愛の魔女だけだろう。
その存在は神出鬼没で、大陸のあちこちで目撃されている。
性格は残虐非道で、特に悲劇を好むと言われる。
一般的に魔女が悲劇を好むと言われるのは、あまりにもこの魔女による被害が多過ぎる為である。
「…相手が悪すぎた。教区長が倒れたのも無理はない」
実力不足、だとは思わない。
何せ相手は協会が二百年以上も倒せなかった最悪の魔女だ。
一命を取り留めただけ、まだマシだろう。
しかし、このままではいけないだろう。
ここは魔道協会の本部がある魔道都市マギサだ。
そこを守る教区長が眠り続けたままでは他の教区長が黙っていないだろう。
「…面倒なことになりそうだ」
「随分と、憂鬱そうだな」
「…?」
ぼんやりと空を眺めていたテオドールは背後から聞こえた声に首を傾げた。
一人で呟いていた愚痴を誰かに聞かれているとは思わなかった。
訝し気な顔をしながら声の主へと振り返る。
「な…!」
背後に立っていた男を見て、テオドールは全身が総毛立った。
「………」
それは、燃えるような赤い髪と瞳を持つ男だった。
年齢は三十歳くらいだろうか、あまり感情が読めない仏頂面のせいでやや老けて見える。
背中に黒い十字架が描かれた白い法衣を纏い、その上から銀の胸甲を付けている。
左腕だけ銀の籠手を着け、右手には代わりに白い手袋を付けていた。
そして杖代わりなのか、腰には細い剣のようにも見える銀の十字架を下げている。
法衣と鎧を合わせたような聖職者と騎士の中間のような恰好の男だった。
「久しいな、テオドール」
「ヴィルヘルム…! 何でお前がここに…!」
どこか懐かしさを感じるようなヴィルヘルムに対し、テオドールは敵を見るような目で睨んだ。
あの夜の森で敵と戦っていた時でさえ、ここまで警戒した表情はしていなかっただろう。
「それは、俺が言うべきことか?」
「…ッ!」
テオドールは小さく舌打ちをしながらヴィルヘルムから距離を取る。
「…ヘクセの教区長ハインリヒか。教区長アンネリーゼが昏睡しているから、そのポジションを狙っているんだな」
都市を仕切る教区長の地位は基本的に同じだが、本部のあるこの都市だけは違う。
だからアンネリーゼが眠っている間にマギサを奪い取ろうと考える野心家が出ても不思議ではない。
そしてヘクセの教区長ハインリヒはそう言うことを平然と行う男だった。
「それもある。が、俺が呼ばれたのはそれではない」
あまり口数が多い方ではないのか、ヴィルヘルムは淡々と答えた。
「…まさか、お前」
「俺はシャルフリヒターを率いる隊長だ。魔女狩り隊が動く理由など、一つしかあるまい」
ヴィルヘルムは口元に薄い笑みを浮かべて、そう告げた。




