第三十六話
「エリーゼ…」
アンネリーゼは黒い剣を手にしたエリーゼを見つめる。
エリーゼは魔女を倒した。
あの凶暴な魔女を斬り、その命を絶った。
それは称賛されることなのに、アンネリーゼは素直に喜ぶことが出来なかった。
「………」
あまりにも、禍々しい力だった。
心臓を貫いても止まらなかった魔女が、あの剣に触れただけで死滅した。
手足が腐り落ち、瞬く間に死体となった。
あの黒い剣は呪いだ。
魔女を殺す毒であり、エリーゼの憎悪が形となった呪いである。
相手が生きることを許さず、触れるだけで敵を呪い殺す死の魔法。
それは皮肉にも、魔女の魔法によく似ていた。
そしてそれを証明するように、エリーゼの顔には魔女の印が浮かんでいた。
「ッ…」
「エリーゼ…!」
その時、エリーゼの身体が糸が切れた人形のように倒れた。
禍々しい黒い風が消え、エリーゼは意識を失って倒れ込む。
「…心配するな。生きている」
駆け寄り、状態を確認したエルケーニヒは答えた。
それを聞き、アンネリーゼは安堵の息を吐く。
「慣れない魔法を使った反動か? それとも、あの魔法自体が何らかの代償が必要なのか?」
気絶したエリーゼを観察しながらエルケーニヒは口元に手を当てた。
エリーゼの身を心配していない訳では無いが、それよりもあの魔法の方が気になっていた。
「…俺が見た所、あの魔法は黒魔法だったぞ」
アンネリーゼに視線を向けながら自分の考えを口にするエルケーニヒ。
「俺のマナを吸収して発動したこともそうだが、あの剣からは黒魔法特有の『死を操る感覚』がした。黒魔法を極めた魔王の俺が断言するが…エリーゼの魔法は黒魔法だ」
「………」
アンネリーゼは複雑そうな顔で黙り込む。
その苦悩が理解できるのか、エルケーニヒも小さく息を吐いた。
「…コレ、面倒なことになりそうじゃないか?」
「…大丈夫です。この子は、私が守ります」
エルケーニヒの言葉にアンネリーゼは眠るエリーゼを見つめながら答えた。
その眼は、我が子を見つめる母親のような温かな物だった。
血の繋がりは無くとも、アンネリーゼはエリーゼを心から愛しているのだと理解できた。
「ええー、それはちょっと困るなぁ」
その穏やかな雰囲気を壊すように、剽軽な声が響いた。
壊れたままの瓦礫を踏み締めながら、道化師のような化粧をした女が歩いてくる。
「…誰だ?」
「寵愛の魔女。名前はザミエル」
ニコリ、と作り笑みを浮かべながらザミエルは答えた。
それを聞き、エルケーニヒとアンネリーゼの顔に警戒が浮かぶ。
「アハッ! いいね、その顔。警戒しつつも、少しも恐怖していない。疲弊した所に新たな魔女が現れたのに、絶望していない。場数、踏んでるねぇー」
二人の顔を眺めながらザミエルは愉し気に笑う。
「…今更何をしにきた? あの魔女が死ぬまで出てこなかった所を見る限り、敵討ちに現れた訳では無いのだろう?」
エルケーニヒは冷静な表情で告げた。
この魔女に敵意や戦意が無いことは既に理解していた。
「鋭いね、その通りだよ。ボクはドロテーアが死のうが生きようがどうでもいい。そもそも魔女ってそう言うものだよ。ワルプルギスは魔女の集会だけど、仲間じゃないからね」
ドライなことを口にしつつ、ザミエルは懐から黒い球体を取り出す。
「ボクの目的はコレさ」
「…何だそれは」
エルケーニヒは観察するようにザミエルの握る物を見つめる。
傷一つ無い黒い水晶玉に見えるが、それが何なのか分からない。
「魔石って知っているかい? 流し込んだマナを溜め込む不思議な鉱物さ。それと同じ事が出来ないかなって、前から実験していたんだ」
「実験…?」
「ボク達のマナを結晶化して保存したり、砕いた一部を人間に飲ませたり、色々だよ」
「!」
エルケーニヒの脳裏に、以前襲ってきた黒衣の男が過ぎる。
あの男は追い詰められた時、赤黒い丸薬を口にしていた。
自身の身体に黒いマナを移植する劇薬。
あの薬は、この魔女が作った物だったのだ。
「結晶化した魔女のマナを取り込んだ者は、魔女になると思わない? あの信奉者達では失敗したけど、マナに適合しやすい人間なら…ねえ?」
ザミエルは笑みを浮かべながら眠るエリーゼを見下ろした。
自分の物ではない黒いマナを吸収し、魔法を発動した存在。
実験台としてこれほど相応しい者は居ない。
ザミエルはニヤリと嗤って、その黒い水晶を地面に叩きつけた。
「…ッ!」
地面にぶつかった水晶が砕け、そこから大量の黒いマナが噴き出す。
それは無数の黒い手となって、エリーゼへと伸びていく。
「チッ…!」
「エリーゼ…!」
エルケーニヒとアンネリーゼが弾かれたように動き出す。
今のエリーゼは完全に意識を失っている。
大量の黒いマナなど、呪いと変わらない。
あんな物を浴びせられたらどうなるか分からない。
エルケーニヒは指先から糸を伸ばし、アンネリーゼは杖を振るってエリーゼを防壁で護ろうとする。
「アハッ!」
その時、悪魔のような笑い声が聞こえた。
エリーゼへと伸びる無数の黒い手。
それが急に向きを変え、アンネリーゼへと襲い掛かったのだ。
「…な」
突然のことでアンネリーゼは反応できなかった。
「バーカ! 初めから狙いはそっちだよーん!」
無防備なアンネリーゼの全身を黒い手が容赦なく貫く。
毒々しい黒い手はアンネリーゼの体内に溶けるように沈んでいった。
「う…ぐ…!」
アンネリーゼは痛みを堪えるように自分の身体を抱き締めながら倒れ込む。
その全身には不気味な黒い痣のような物が浮かんでいた。
「自分より他人の方が大切、なんて良い子ぶってるから早死にするんだよ! あははは! 笑える!」
「『フィールム・インテルフィケレ』」
げらげらと笑うザミエルの喉を切り裂くように鋭利な糸が放たれた。
しかしそれはザミエルに触れる前に空間に呑み込まれて消える。
「残念! 効かないんだよねー、そんな魔法!」
「………」
「怒ってる? もしかして怒ってるの? アハッ! あはははははははは!」
指先から糸を垂らしながら睨むエルケーニヒをザミエルは嘲笑する。
耳障りな笑い声と共にその姿が歪み、捻れた空間に呑み込まれるように消えていった。
ザミエルの気配すら完全に消えた。
もうザミエルはこの近くに居ないのだろう。
「…チッ」
エルケーニヒは倒れるエリーゼとアンネリーゼを見下ろし、大きく舌打ちをしたのだった。




