第三十二話
「そこまでよ! 魔女!」
燃え盛る街の中、エルフリーデは叫んだ。
目の前に居るのは、幼く見える少女。
一見、逃げ遅れた子供にも見えるが、炎の中を歩きながらも火傷一つ負っていない。
こうして対峙すればハッキリと分かる。
この少女が、人間ではないことが。
「また魔道士? 本当に人間が群れるのが好きだよね」
魔女ドロテーアはうんざりしたように呟く。
これで何度目の魔道士だろうか。
「まあ、いいや。あなたが協会の魔道士なら、一つ聞きたいのだけど」
警戒するエルフリーデを余所に、ドロテーアはマイペースに告げる。
「アンネリーゼ、とか言う人間がどこにいるか知らない?」
「………」
ぴくり、とエルフリーデの眉が動いた。
それには気付かず、ドロテーアはのんびりと話を続ける。
「その人間がこの都市の教区長なんでしょう? だったら、きっと四聖人の遺体の隠し場所も知っていると思ってね。わざわざ探すよりもその人間を拷問して吐かせた方が楽でしょう? だから居場所を教えてくれないかな?」
「『イグニス・カウダ』」
返答は、燃え上がる炎の尻尾だった。
横薙ぎに振るわれた尾による一撃がドロテーアを吹き飛ばす。
小柄なドロテーアの身体は紙のように飛び、焼けた建物の中に突っ込んだ。
「舐めるな、魔女!」
怒りと殺意を燃やしながらエルフリーデは叫ぶ。
この魔女はアンネリーゼを傷付けると言ったのだ。
よりによって、自分の前で。
「この悪党が! 私の魔法で焼き尽くしてやる!」
エルフリーデは焼けた瓦礫の中に埋もれたドロテーアを睨む。
この女は敵だ。人々を虐殺した悪党だ。
何よりもアンネリーゼを狙っている。
許せない。絶対にこの手で倒す。
「…悪党?」
ガラガラと瓦礫が崩れ、その下からドロテーアが表れる。
身体に負った火傷は焼け焦げた服ごと復元されていく。
「自分達は正義だとでも? 魔女を裁く? 悪を滅ぼす? ただ数が多いと言うだけで、あなた達は神にでもなったつもり? 」
憎悪で燃えるドロテーアの眼が赤く染まる。
攻撃が来る、とエルフリーデは身構えた。
油断なく、どんな攻撃にも対処できるようにドロテーアから目を離さない。
「『フラムモー・ラクリマ』」
その判断は戦う上で正しかったが、この場に於いては悪手だった。
ドロテーアの眼が赤く光ると同時に、エルフリーデの眼も赤く変色する。
瞬間、エルフリーデの身体が内側から燃え上がった。
「あ、ああああ…!」
エルフリーデの口から掠れるような悲鳴が上がる。
眼が、頭が、全身が熱い。
生きたまま臓腑を焼かれるような苦しみ。
全身の血が沸騰するような痛み。
開いた口からも炎を吐きながら、エルフリーデは悶え苦しむ。
「燃えて死ね。人間」
ドロテーアは酷薄に告げる。
勝敗は一瞬で決した。
最早、エルフリーデに出来ることは無く、ただ苦しみながら死に絶えるのみ。
「『シュタルカー・ヴィント』」
その時、炎を吹き消すような突風が吹いた。
風の刃がドロテーアを切り裂く。
それにより魔法が中断されたのか、エルフリーデの身体から炎が消えた。
「エルケー! エルフリーデの治療を!」
炎は消えてもエルフリーデは火傷を負ったままだ。
このままでは命に関わる、とエリーゼは魔女と対峙しながら叫ぶ。
「馬鹿言うな、俺は魔王だぞ! 回復魔法なんて使えねえよ!」
「ああ、もう役立たず!」
「何ィ! 魔王にだって出来ないことくらいあるわ!」
苛立ちながら叫ぶエルケーニヒ。
そもそもエルケーニヒが得意とする黒魔法と回復の白魔法は相性が悪いのだ。
様々な魔法を習得しているエルケーニヒだが、掠り傷を治す魔法すら使えない。
「では、こちらは私が」
「アンネリーゼ…!」
二人の会話に割り込むように、アンネリーゼが告げた。
白蛇の杖を掲げ、既にエルフリーデの治療を始めているようだった。
「治療が終わり次第、私も戦います。それまでは…」
「ハッ、要らねえよ!」
エルケーニヒは両手を広げ、獰猛な笑みを浮かべる。
「…あなた、何? その姿…」
魔女であるドロテーアから見ても、全身骸骨姿のエルケーニヒは不可解なのか、訝し気な表情を浮かべている。
それに対し、エルケーニヒは少し嬉しそうな表情を浮かべていた。
「魔女か。以前は封印のせいでまともに戦えなかったが、今回は違うぜ!」
その全身から黒いマナが放出される。
息が止まるような重圧にドロテーアは眼を見開いた。
「そのマナは…あなたは、一体…?」
「俺は魔王エルケーニヒ様だ!」
黒いマナを纏ったままエルケーニヒはドロテーアへ襲い掛かる。
「『アールデンス・クレマーティオ』」
ドロテーアの手元に小さな炎が出現する。
それはみるみる内に大きくなり、炎の津波となってエルケーニヒへ襲い掛かった。
「『スクートゥム』」
身に迫る炎の波を前に、エルケーニヒは片手を突き出した。
骨の腕を軸にして、黒い結晶のような巨大な盾が出現する。
それは炎を全て弾き、ドロテーアの攻撃を防ぎ切った。
「次はこっちの…」
「『フラムモー・ラクリマ』」
「おっと…!」
反撃しようとしたエルケーニヒは、ドロテーアの言葉に再び盾を展開した。
この魔法は既に見ている。
眼から炎を放ち、敵を焼き尽くす魔法だ。
だが、エルケーニヒの生み出した盾の魔法は一切の炎と熱を遮断する。
攻撃する瞬間さえ気を付けていれば問題ない。
「さあ、今度こそ…ッ!」
瞬間、エルケーニヒは身体から熱を感じた。
肉も皮も無い己の身体が、焼けるように熱い。
「エルケー!」
エリーゼは悲鳴に近い声を上げた。
エルケーニヒの骨の手が、足が、頭が、内側から噴き出す炎に焼かれていく。
その勢いはエルフリーデの時以上で、瞬く間にエルケーニヒの手足が炭化した。
(しまった! この魔法は…!)
「『オプスクーリタース』」
ドロテーアの魔法の正体を悟り、エルケーニヒは口から暗い煙を放った。
ダメージも無い、ただの煙幕でしかない魔法。
しかし、その煙がドロテーアを覆い隠した瞬間、エルケーニヒの身体から炎が消えた。
「チッ…!」
忌々し気に舌打ちをしながらドロテーアから距離を取るエルケーニヒ。
「エルケー! 怪我は!」
「問題ない。この体は所詮、マナの塊だ。一度や二度壊された程度、何とも無い」
炭化した手足を睨みながらエルケーニヒは吐き捨てる。
「…厄介だな。実力がある魔道士ほど、不利になる魔法か」
「魔法の正体が分かったのですか?」
「ああ」
アンネリーゼの言葉に、エルケーニヒは頷いた。
「アイツの炎は奴自身のマナではなく、敵のマナを燃やしている」
「…どう言うこと?」
「俺は奴が目から炎を放っているのかと思ったが、違った。あの赤く染まった眼から放たれているのはただの火種。全身を焼き尽くす炎は敵のマナから発生しているんだ」
敵のマナを燃料とし、そこに着火するような魔法だ。
だからこそ炎は敵の内側から噴き出す。
当然だろう、燃えているのは敵自身のマナなのだから。
防御することは難しい。
ただドロテーアの眼を見ただけで、自身の眼に火種を移される。
眼を逸らせば火は消えるようだが、根本的な解決にはならないだろう。
「眼が合っただけでアウトだ。どれだけ魔法で防御を固めても、そのマナごと根こそぎ焼かれる。俺も、次は耐えられないだろう」
エルケーニヒだろうと、アンネリーゼだろうと、変わらない。
膨大なマナを持っていること自体が致命傷となる相手だ。
「だが」
そこで言葉を切り、エルケーニヒは視線をエリーゼへ向けた。
「お前は例外だ。エリーゼ」
「…あ」
言われて、エリーゼは気付いた。
ドロテーアの魔法は敵のマナを焼き尽くす魔法だ。
敵のマナが多ければ多い程、強力になる魔法。
逆に言えば、敵のマナが無ければ無力だ。
元よりマナを持たない相手ならば。
「…俺はサポートに徹する。エリーゼ、お前があの魔女をやれ」
「魔女を…」
エリーゼは周囲に目を向けた。
焼けた死体が転がり、嫌な臭いが周囲に漂っている。
この地獄を作り出したのはあの魔女だ。
あの魔女は、人類の敵だ。
エリーゼが憎む、魔女と同じ。
「最初から、そのつもりよ!」
一度は負けた。
森で出会った魔女相手に、エリーゼは敗北した。
だが、今回は負けない。
今度こそ、魔女を倒すのだ。




