第三十話
「エリーゼさんはやっぱり凄いなぁ…」
協会の用事でマギサを離れていたゲルダは、久しぶりに戻ってきて驚いた。
ゲルダが離れている間にあった合同任務でエリーゼが大活躍したらしい。
二十五人もの魔道士を相手に傷一つなく倒したと言うのだ。
普段エリーゼのことを陰で馬鹿にしていた者達は虚言だと言っていたが、共に任務から生還したエルフリーデと言う魔道士が認めたことで否定する者は居なくなった。
おまけにエルフリーデはエリーゼが独自の魔法を使っていたと告げ、協会の魔道士達は言葉を失った。
今ではエリーゼを嘲笑する者は誰も居ない。
ようやくエリーゼが協会の一員と認められたようで、ゲルダは自分のことのように嬉しかった。
「そう言えばエリーゼさん、今はどこに住んでいるんでしょう? 直接会ってお祝いしたいのに」
街を歩きながらゲルダは呟く。
こんなことなら前に会った時に聞いておくべきだった。
「…?」
トボトボとエリーゼを探して歩いていると、ゲルダの耳に心地よい音が聞こえた。
楽器の音色のようだ。
今日は祭りでも何でもない筈なのに。
その音に興味を惹かれ、ゲルダは誘われるように音の方へと歩いていく。
「………」
そこには、一人の男が居た。
ピアノの鍵盤を彷彿させる、白地に黒の縦模様が入った服の男だ。
立ったまま、パントマイムのように何もない空間に指を走らせる。
すると、不思議なことに薄い透明のピアノの鍵盤が現れ、指の動きに合わせて音を奏でた。
「………」
男は瞼を閉じ、演奏に集中している。
周囲には音に誘われたのか、小鳥や野良猫が集まってきていた。
「…ふう。こんな物か」
演奏を終え、男は息を吐いた。
ゆっくりと瞼を開け、そこでようやくゲルダの存在に気付いた。
「うん? 君は?」
「あ、私はゲルダと言います! 今の演奏、素晴らしかったです!」
「あはは、ありがとう。俺はテオドールって言うんだ。よろしく」
その男、テオドールは笑みを浮かべ、ゲルダに視線を向けた。
そして腰に下がっている杖を見つける。
「…君も魔道士なのかい?」
「はい、そうですけど」
「…まさかとは思うけど、君も一人で何人もの黒魔道士を焼き殺せるとか言わないよね?」
「うええっ!? そ、そんなこと出来ませんよ! 私はまだ、半人前ですから!」
「そうか。良かった…」
先日の合同任務で出会った二人の女魔道士を思い出し、テオドールは息を吐いた。
自分の知らない間に協会の魔道士は化物揃いになってしまったのかと思ったが、こういう普通の女の子も残っていたようだ。
とは言え、ゲルダもゲルダで凶悪な魔女を氷漬けにした経験があるのだが、テオドールは知らなかった。
「あの、そのピアノは…」
「ああ、コレかい?」
そう言ってテオドールは指先で半透明のピアノを叩く。
「『ルードゥス・オルガヌム』って言うんだ。俺のオリジナル魔法だよ」
テオドールの扱えるマナの色は青と緑だ。
割とありふれた色の組み合わせであり、多くの魔道士がいる分、生み出される魔法も千差万別だ。
「コレは聞く者の心に少しだけ喜びを与えるだけの楽器。ただそれだけの魔法なのさ」
楽器を生み出し、それを奏でるだけの魔法。
聞いた者に僅かな高揚感を与える効果はあるが、戦闘能力に変化を与える程ではない。
戦いに於いて何の役にも立たない魔法だ。
大陸広しと言えど、こんな魔法を考える魔道士はテオドールぐらいだろう。
「す…」
テオドールの話を聞いたゲルダはぷるぷると震えだした。
様子がおかしいゲルダに、テオドールは首を傾げる。
「素晴らしい魔法じゃないですか! 私、感動しましたよ!」
「おや?」
テオドールの手を掴み、感動のあまり目を潤ませながらゲルダは叫んだ。
「こんな優しい魔法があるなんて…私、知りませんでした! 誰も傷付けず、人々の心を温かくするだけの魔法なんて」
「…君は良い子だね」
笑みを浮かべてテオドールは言った。
魔道協会で評価されるのは戦いで役に立つ魔法だけだ。
魔女の脅威から人々を護ると言う組織の成り立ち上、当然のことであり、魔女や黒魔道士を殺す魔法ばかりが高く評価される。
極端な話、より多く人間を殺せる魔法を生み出した者が出世できる場所だ。
都市を任せられた教区長など、一体どれだけ強大で凶悪な魔法を生み出したか。
例外は白魔法を極めたアンネリーゼくらいだろう。
「………」
魔法なんて夢も希望も無い、と悲観していたが、この少女のように純粋に魔法に感動する魔道士もまだ居たようだ。
「…俺、暇な時はいつもここで演奏しているから、良かったらまた聞きに来るかい?」
「いいんですか! ぜひ、お願いします!」
ゲルダは笑顔で大きく頷いた。
魔石、と呼ばれる鉱物がある。
マナを流し易い性質を持つ石であり、杖の材料にも使われる物だ。
魔石は流し込まれたマナによって色が変わる為、見習い魔道士の素質を見る為に使われることもある。
「………」
そして、魔石にはもう一つ性質がある。
それは流し込まれたマナを保存することだ。
色が変わる程に注ぎ込まれたマナは魔石の中に蓄積し、保存される。
それを応用すれば、組み合わせた魔法をマナとして魔石に保存しておくことも出来る。
例えば、熟達した魔道士による攻撃魔法を魔石に保存することで、都市の侵入者を即座に抹殺する結界とすることも出来るのだ。
大陸の主要都市には必ずこの結界が用意されている。
マギサの場合はアンネリーゼによる浄化魔法を保存した巨大な魔石が都市の中心に設置されていた。
「アハッ、笑える。人間は面白いことを考えるね」
マギサを守る結界の要である大魔石の前で、ザミエルは嗤った。
結界は発動していない。
魔女であるザミエルは、結界を反応させることなく、都市の中心に出現したのだ。
「でもでもでも、ムダなんだよね! そう言う努力って全部ムダ!」
ザミエルは嘲笑しながら大魔石へ手を翳す。
その努力、その行動の全てを嘲笑いながら。
「キミ達如きが考え付く魔法なんて、本当の魔法じゃないんだよ。魔法ってのはもっと理不尽で、不条理で、残酷なんだよ」
ギチギチと空間が歪む。
捻れた空間に引き摺り込まれるように、大魔石は消えてしまった。
「さあ、これで準備は整った。新たな悲劇を始めようじゃないか、魔道協会」
舞台役者のように両手を広げ、ザミエルは告げた。




