第三話
エリーゼの生きるこの大陸には、子供でも知っている御伽噺がある。
かつて、大陸を支配した魔王の話だ。
膨大なマナを持つ魔王は強大な黒魔法を操り、暴虐の限りを尽くした。
数多の死者を操る魔王を前に、人々はただ震えて過ごすことしか出来なかった。
しかし、その支配は長く続かなかった。
強大な魔法の力を持った四人の英雄が、魔王に立ち向かった。
『赤き騎士』
『青き賢者』
『緑の薬師』
そして、彼らを纏めていた『白き聖女』
後に『四聖人』と称えられる英雄達の力によって魔王は滅ぼされ、人々は平和を取り戻した。
傷を負った四聖人は、戦いが終わると共に眠りについた。
だが、その眠りは永遠ではない。
いずれ魔王が再び現れる時、四聖人もまた蘇り、この世界を救うのだ。
(…その魔王の名は、エルケーニヒ)
エリーゼは死人形に拘束されたまま、髑髏の男を見上げる。
大昔に四聖人によって滅ぼされた御伽噺の魔王。
それが自分の名だと、アレは告げたのだ。
(…でたらめだ、と言いたいけれど)
ただの虚言と言うには、その魔王…エルケーニヒが放つマナは膨大だ。
色は混じりけの無い黒。
他の魔道士達のマナには黒の中に赤や青が僅かに混ざっているが、エルケーニヒには全くない。
恐ろしい程に純粋な黒一色だ。
「…エルケーニヒ」
魔王を見つめながら司祭は呟く。
「お前が…いや、貴方が真の魔王だと言うのなら、その復活は我々にとっても喜ばしい」
司祭は敬意を表すように頭を下げた。
強大な黒魔法を操った魔王は、黒魔道士達にとって信仰の対象だ。
この場で行われた殺戮は元々、魔王に贄を捧げると言う儀式だった。
魔王に対する歪んだ信仰心を示すことで、自らのマナを高めようと考えていた。
『…なるほど。良く見ればこの魔法陣、あちこちに俺の名が書かれているな』
本来ならただ自分達を強化するだけの儀式の筈が、有り得ないことに魔王へ届いてしまったのだ。
『肉体が不完全なのもそのせいか。マナの方も本調子とは言い難いな』
「貴方が望むのなら、もっと多くの贄を捧げよう」
『贄、か』
司祭の言葉にエルケーニヒは周囲を見渡した。
腹を裂かれて死んだ者達や、死人形に抑え付けられたエリーゼを見つめる。
『じゃあ、遠慮なく…』
パチン、とエルケーニヒは骨の指を鳴らした。
指先から放たれた僅かな光が洞窟内に走る。
「…な、に…?」
瞬間、司祭は背中に衝撃を感じた。
その背中に、死人形の腕が突き刺さっている。
司祭が使役する死人形の一体が、司祭自身に牙を剥いていた。
こんなことが出来る者は一人しか居ない。
「ま、魔王よ! 一体何を…!」
『マナを補給する為の贄は、良質なマナを持つ魔道士の方が良い』
カタン、とエルケーニヒは骨を鳴らした。
『だから、お前達も贄となれ。散々殺して来たんだ。自分も殺される覚悟くらいあるだろ?』
「―――ッ!」
司祭の全身から冷や汗が吹き出す。
見誤っていた。
甘く見過ぎていた。
利用できると考えたことが間違いだった。
この男は紛れもない魔王。
かつて一人で大陸を支配した存在なのだ。
「し、司祭様!」
「大丈夫ですか、司祭様!」
背中を貫かれた司祭の下に他の魔道士達が駆け寄る。
それを見て、司祭は手にした杖を彼らに向けた。
「吸魔の杖よ!」
「え…」
司祭の持つ杖が赤黒く輝く。
その光を目にした魔道士達が糸が切れた人形のようにバタバタと倒れていく。
事切れた死体からマナが溢れ出し、その全てが司祭の持つ杖に吸収された。
『へえ、他者の命をマナに変換する杖か。珍しい道具を持っているな』
「…調子に乗るなよ。腐りかけの死体如きが」
司祭が杖を振ると、たった今死んだ魔道士達の死体が起き上がる。
エルケーニヒに奪われていた死人形達も主導権を奪い返し、死者の群れに加わった。
「『モルス・ギガース』」
司祭の呪文と共に、死者達の身体がドロドロと溶け出し、混ざり合う。
重なり合い、融け合い、肉塊は一体の巨人となった。
(腐肉の、巨人…?)
死人形の拘束から解放されたエリーゼは、起き上がることも忘れてそれを見上げた。
幾つもの死体を掻き集めて作られた死者の集合体。
小さな町くらいなら、これだけで滅ぼしてしまいそうな魔法だった。
『複合魔法か。黒と緑の掛け合わせだな』
腐肉の巨人を見上げながらエルケーニヒは興味深そうに笑った。
余裕を崩さないその態度に司祭は舌打ちをする。
「これを受けても、余裕のままでいられるか!」
巨人は腐り果てた腕を振り上げた。
足下に存在する小さな蟻を潰すかの如く、巨人の一撃が放たれる。
『…中々面白い発想だが、相手が悪い』
エルケーニヒは笑みを浮かべて両手を広げた。
『フィールム・インテルフィケレ』
言葉と共に、十本の指から無数の糸が放出される。
それは蜘蛛の巣のように広がり、巨人の全身を絡め取った。
『切り裂け』
鋭利な糸は撫でるように巨人の肉体を切断する。
一瞬で巨人の全身はバラバラになり、肉塊の山となった。
「…馬鹿、な」
『格の違いを知れ。俺を誰だと思ってやがる』
エルケーニヒが指を振ると切り刻まれた肉塊が浮かび上がり、巨大な腕となる。
それは愕然とする司祭の身体を掴み、渾身の力で握り締めた。
ミシミシと、ゴキゴキと、骨と肉の潰れる音が司祭の身体から響く。
「エル、ケーニヒ…!」
『死ね』
ぐちゃり、と音を立てて司祭の身体は完全に握り潰された。
絶命した司祭には見向きもせず、エルケーニヒは視線をまだ生きている者に向ける。
『災難だったなぁ、そこの娘。もう行っていいぞ』
「…私のことは、殺さないの?」
『今必要なのはマナの補充だ。マナのないお前は必要ない』
巨人の腕を従えたまま、エルケーニヒはエリーゼに背を向ける。
『外に出て魔道士の死体を集めるとしよう。完全に力を取り戻すまでにどれだけ掛かることやら』
「ッ…!」
それを聞き、エリーゼはエルケーニヒの前に出た。
白銀の剣をエルケーニヒに向け、その前に立ち塞がる。
『何をしている? 見逃してやると言ったのが聞こえなかったのか?』
「これから外で人を殺すと言われて、黙って通すと思うの!」
『…格の違いを理解していないのか? 俺の邪魔したところで、お前が死ぬだけだぞ』
「だとしても!」
それでも、黙っていることなど出来なかった。
魔道士が嫌いだからじゃない。
黒魔道士を憎んでいるからじゃない。
ここで何もしなければ、もうエリーゼは生きている意味が無いから。
『真っ直ぐだな。その眼、昔の知り合いを思い出すぜ』
「………」
『ハッ………癪に障る』
エルケーニヒから放たれるマナと殺意が膨れ上がる。
司祭を殺した巨人の腕が、エリーゼへ放たれた。
咄嗟に地面を蹴って回避しようとしたエリーゼだったが、その腕から逃れることは出来なかった。
瞬く間にその身体は巨人の腕に包まれ、拘束される。
抵抗などもう出来ない。
そのままエリーゼの身体は骨も肉も諸共に握り潰される…
筈だった。
『…あ?』
エリーゼを掴んでいた腕がボロボロと崩れ、塵となる。
それと同時に、エルケーニヒから放たれていたマナが消えていく。
『何だ、コレは? まさか、儀式が不完全だったせいか…!』
崩れているのは巨人の腕だけではない。
エルケーニヒ自身の肉体も、跡形も無く崩れていく。
『くそ、くそくそくそッ! ようやく巡ってきたチャンスが、こんなところで…!』
悔し気に叫ぶが、崩壊は止まらない。
やがて崩壊は頭蓋骨まで到達し、エルケーニヒは砂の山となった。
「………」
そして誰もいなくなった洞窟には、エリーゼだけが取り残された。




