第二十九話
「ん?」
「げ…」
ある日、マギサの街を歩いていたエリーゼはあまり会いたくない人物に遭遇してしまった。
首を傾げながらこちらに視線を向けるのは、竜角を身に着けた女魔道士。
エルフリーデだった。
「誰かと思えば、アンタか」
どこか機嫌悪そうに鼻を鳴らすエルフリーデ。
この出会いが好ましくないのはあちらも同様らしい。
エリーゼは軽く頭を下げ、その場から逃げるように立ち去る。
「………」
「………」
(…コイツ、何で付いてくるの?)
歩きながらエリーゼは心の中で呟く。
何故か、先程からエルフリーデが無言でついてくるのだ。
自分のことが嫌いなのでは無かったのか。
「…私に何か用?」
「いや…」
エリーゼに言われ、エルフリーデは口籠る。
普段ハキハキとしている彼女らしくない態度だ。
「…例の一件、どう噂されているか知っている?」
話を変えるように、エルフリーデは呟いた。
「例の一件、と言うとあの襲撃者達の?」
「そうよ。二十五人の魔道士による襲撃。アレは私とアンタの二人で全て倒したってことになっているらしいわ」
「二人?」
エルフリーデの言葉にエリーゼは首を傾げた。
エルケーニヒの話が出ていないことは当然だが、あの場にはテオドールも居た筈だ。
彼のことは話に入っていないのだろうか。
「あの臆病者は…自分から私とアンタの二人だけが戦ったと触れ回り、自分がその場にいたことは隠したみたいね」
「………」
まあ、らしいと言えばらしい。
荒事を嫌う彼からすれば、魔道士達と戦ったことなど誰にも知られたくないのだろう。
ならそもそも任務を受けなければ良かったのでは、と思わなくも無いが。
「これでアンタを無色と蔑む者も減る。良かったわね」
(良かったと言うのなら、もう少し嬉しそうな顔しなさいよ)
欠片も自分を祝う気が無いエルフリーデに呆れつつ、エリーゼは息を吐く。
「それで…一つ聞きたいのだけど」
「何?」
「あ、アンネリーゼさんは、私について何か言っていた?」
「………」
本当に、この女はアンネリーゼが関わると態度が変わるようだ。
先程までの自信満々の態度が嘘のように、まるで恋する乙女だ。
「…自分で直接聞いたらいいじゃない」
「馬鹿を言わないで。あの人がどれだけ多忙だと思っているの。そんなつまらない理由であの人の時間を使う訳にはいかない」
「…結構暇だと思うけど。私がいつ会いに行っても時間は作ってくれるし」
親子関係にあるエリーゼは素直な意見を口にする。
忙しいことは忙しいのだろうが、誰にも会えない程に忙しいようには思えなかった。
「それは自慢!? 自慢なんでしょう!? 自分がアンネリーゼさんに愛されていると言っているの!?」
「うぐぐ…」
急にヒステリックに叫んだエルフリーデがエリーゼの首を絞める。
「私だってあの人ともっと話したいのに! アンタばっかり羨ましいのよ! 無能のくせに! 私より才能ないくせにぃぃぃ!」
「く、苦しい…」
首を絞められながらエリーゼは思った。
随分と質の悪い女に好かれたものだ、アンネリーゼも。
「ど、どうしてそんなにアンネリーゼが好きなの?」
何とか腕から逃れながら、エリーゼは呟く。
優秀な魔道士ではあると思うが、距離が近すぎる為か、エリーゼにはアンネリーゼを尊敬する気持ちがよく分からなかった。
「そんなことも分からないなんて、これだから無能は」
ハッ、とエルフリーデは鼻を鳴らした。
「いい? あの人は白き聖女と同じ白魔法を使える白魔道士なのよ」
「それは知っているけど」
「ただ魔法が使えると言うだけじゃない。そもそも白いマナを持つ者は非常に珍しくて、白一色のマナを持つ魔道士は白き聖女以来生まれていないと言われる程よ」
「………」
言われてみれば、マギサには多くの魔道士が居るが、アンネリーゼ以外に白いマナの持ち主を見たことが無い気がする。
白魔道士はそれだけ希少な存在だったのか。
「あの人は希少な白魔道士であり、その上で教区長に上り詰める程の才能を持つ。しかも、四聖人の遺体が安置されていると言うこの魔道都市マギサの教区長よ!」
「四聖人の遺体?」
「…そんなことも知らないの? 魔道協会は四聖人の死と共に始まった。その遺体は協会の地下に安置されていると言う話よ」
「………」
それは、初めて聞いた話だった。
このマギサの地下に四聖人の遺体が。
「…まあ、これはあくまで伝説よ。本当に遺体があるかどうかなんて誰も確かめていない。肝心なのはそれだけ重要な都市を任せられているのがアンネリーゼさんと言うことよ」
魔道協会にとってマギサは特別な場所なのだ。
それ故にその場所を担当する教区長は、他の教区長よりも上の地位を持つ。
「アンネリーゼさんはいつも魔女に殺される人々に涙し、世界を呪う魔女達を嘆いているのよ」
「…いやー」
そこまで高潔な人間では無いと思うけど。
まあ、底抜けの善人であること自体は否定しないが。
「…ふう」
同じ頃、二人に噂されていることなんて知りもしないアンネリーゼは自室で休んでいた。
仕事が一段落した為、休憩をしていたのだ。
「『クラーウィス』」
伸びをしながら杖を振り、扉に魔法で鍵をかける。
これで誰も入って来れないだろう。
「…頭を使うと甘い物が欲しくなりますね」
そう言いながら、アンネリーゼは机の上にお菓子を並べる。
ケーキにクッキー、たっぷりと砂糖を塗したパン。
明らかに一人で食べる量ではない菓子の数々を鼻歌交じりで口にする。
「うふふ。白魔法で肉体を固定しているからいくら食べても太らない。魔法って最高ですね♪」
上機嫌でお菓子を食べながらアンネリーゼは笑みを浮かべた。
世の女性に喧嘩を売るような発言だった。
と言うか、才能の無駄遣いだった。
「白魔法で体重維持か。白き聖女も思いつかなかったような使い方だなぁ」
「………」
ピシッ、とアンネリーゼの動きが止まった。
ギギギ…と石のようにゆっくりと声が聞こえた方を向く。
そこには、魔法でロックした扉ではなく、壁を擦り抜けて現れたエルケーニヒが居た。
「な、何故ここに…? エリーゼは街に出かけた筈…」
「いや、封印が弱まったせいかエリーゼの許可を取ればある程度離れて行動できるようになったんだ。具体的にはこの都市内だったらどこでも行けるな」
「………」
「それはそうと、魔法で年齢を誤魔化したり、体重を誤魔化したり、アンタって意外と俗物的だな。俺的にはそう言うの良いと思うぞ? 白き聖女みたいにお上品な奴よりは好ましい。ははははは!」
「………」
アンネリーゼは頬に菓子の欠片をつけたまま、置いてあった杖を取る。
顔に笑みを貼り付け、杖をエルケーニヒへ向けた。
「今見たことは全て忘れなさーい!『エクスオルキスムス』」
「ちょっ!?」
眩い光がエルケーニヒを包み込んだ。




