第二話
それは風だった。
狭く暗い洞窟の中に吹き荒ぶ死の風。
顔に被った白い面を返り血で濡らしながら、エリーゼは殺戮を続ける。
簡素とは言え、鎧を纏っているとは思えない速度。
魔道士達は反撃どころか、ろくに反応すら出来ずに殺されていく。
実力差は明らかだった。
「馬鹿な…! 魔法も使えない女一人に…!」
地面に転がる死体の山を見て、魔道士の一人が叫ぶ。
既に半分を超える魔道士が息絶えた。
だが、それを成したエリーゼの身体には傷一つ無い。
「お、お助け下さい…! 司祭様! お助け下さい…!」
(司祭…?)
生き残った魔道士達は、縋るように一人の男へ近付いていく。
その男は、他の魔道士達よりも上等なローブを身に纏った初老の男だった。
(あの男が、この邪教組織のリーダーか)
「………」
エリーゼの視線に気付いたのか、司祭と呼ばれた男は無言で手にした杖を掲げる。
司祭の身体から放たれる黒いマナが杖へ注ぎ込まれ、杖の先端に付けられた宝石が輝いた。
「『モルス・セルウス』」
言葉と共に杖から放たれた光が、息絶えた魔道士達を貫いた。
首を断たれ、致命傷を負ったその骸がゆっくりと起き上がる。
瞬く間に肉が腐り落ち、洞窟内を悪臭が漂う。
「『黒魔法』を見るのは初めてかい、お嬢ちゃん」
皺だらけの顔を醜悪に歪め、司祭は笑った。
腐り落ちた肉のまま動く死体を見て、エリーゼは面の下で顔を歪めた。
魔法とは、注いだマナの色によって起きる現象が変わる。
赤いマナを注げば敵を焼き尽くす炎など、物を破壊する現象が起きる。
黒いマナの場合は死体の使役など、死に干渉する現象が起きる。
既に死んだ人間の肉体や魂を弄ぶ外法。
黒魔法が忌み嫌われる理由である。
「さあ、人形共! 取り押さえろ!」
死した人形達が一斉にエリーゼへ襲い掛かった。
「生憎、こんな物に悲鳴を上げる程、可愛い女じゃないわよ!」
わらわらと集まってくる死人形をエリーゼは全て切り伏せる。
見た目こそ不気味だが、操られているのは魔道士達の肉体だ。
先程までと何も変わらない。
「くっくっく、まだ分からんか? 死者を操ると言うことの恐ろしさが」
「…何」
不気味に笑う司祭の声に反応すると同時に、エリーゼの背後から死人形が腕を振り下ろした。
振り向きながら剣を振るい、その死人形の首を断つ。
(おかしい。コイツはもう倒した筈………いや、違う)
エリーゼの目の前でたった今倒された死人形が再び起き上がる。
斬られた首が、千切れた手足が、グチャグチャと音を立てて復元されていく。
「既に死体だ。何をしようと、こいつらは止まらんのだよ!」
この動く死体達は、脳も心臓も動いていない。
既に死んでいるのだから、急所など存在しない。
司祭が操る限り、この死体達は踊り続けるのだ。
(この男…)
エリーゼは剣を強く握り、司祭を見た。
今までに死体を操る黒魔道士は何人か見てきたが、この男はその中でも上位に位置するだろう。
多くの死体を同時に操ることもそうだが、一度壊された死体を復元することも相応のマナを持たなければ出来ない筈だ。
「なら、お前を殺せば…!」
地を蹴り、エリーゼは真っ直ぐ司祭を狙った。
死人形をどれだけ壊しても意味はない。
こいつらは無視して、司祭から仕留める。
「実力はあるが、戦術は苦手なようだな。動きが素直すぎて、読み易い」
「な…」
エリーゼの狙いを読んでいたのか、司祭を守るように死人形達が壁を作った。
いきなり目の前に現れた死人形へ向かって、エリーゼは咄嗟に剣を振るう。
だが、剣に触れた死人形はドロドロと溶けて、沼のように剣を呑み込んでしまった。
「捕まえたぞ」
「ッ!」
直後、背後から現れた死人形がエリーゼの身体を抑え込んだ。
体重を掛けた抑え込みに、エリーゼは完全に動きを封じられてしまった。
「どれだけ剣の技術が優れていようと、武器を失えば無意味だ」
「………」
「そして、どれだけ速く動けようと、こうして抑え込んでしまえば、もう何も出来まい」
老獪に笑いながら司祭は告げる。
己の勝利を確信し、捕らわれた獲物を嘲笑った。
「離しなさい…!」
「くっくっく、惨めだな。魔法も使えない身で、儂に勝てると思ったか?」
「私は…!」
「今までに何人か魔道士を殺して来たのだろう? それは見れば分かる」
エリーゼを見下ろしながら司祭は告げる。
司祭から見ても、エリーゼの剣の技術は優れていた。
人体の構造に理解があり、人を殺すことにも慣れていた。
このような襲撃は一度や二度では無いのだろう。
「だが、無駄だ。無駄なのだよ」
「…ッ!」
「お前の努力も、お前の想いも、何もかも無駄なのだ」
司祭は懐から捻れたナイフを取り出す。
死人形を操ってエリーゼの身体を仰向けにする。
「本当の魔道士の前では、才能無き者は無力に過ぎん!」
(…無力)
ゆっくりと振り上げられるナイフを見つめながら、エリーゼは思う。
無力。その通りだ。
剣の技術を磨き、何人かの魔道士を殺し、自信を付けていた。
だが、そんな物はこんなにも簡単に砕け散った。
魔法の前には、エリーゼの努力は無意味だった。
「さあ、魔王よ! 偉大なる死の魔王よ! また新たな贄をアナタに捧げよう!」
(…私は)
ここで死ぬのだろうか。
こんな所で。
まだ何も果たせていないのに。
(…死にたくない!)
振り下ろされるナイフを睨みながら、エリーゼは心の中で叫んだ。
その時だった。
「………何だ?」
突然、空気の重さが増大したような気がした。
海の底の様に息苦しい。
どす黒いマナが嵐のように、洞窟内に吹き荒れる。
「コレは…!」
膨大なマナが収束する。
黒く昏いマナが集まり、形を成す。
『――――』
最初に見えたのは、青白く燃える炎。
黒い嵐の中で蒼く燃え盛る炎の眼球。
ひび割れた白い骨の身体を包むのは、ボロボロの黒いローブ。
頭には朽ちた王冠を被り、両手の指には錆びた金の指輪を付けている。
『――――』
それは、黒い死神だった。
物語の中から現れたかのような、現実感の無い存在だった。
『…アア』
カタリ、と音を立てて白骨の頭部が揺れる。
蒼い炎の瞳が己の身体を見下ろした。
『復活したのは魂と骨の身体だけか……まあ、贅沢は言うまい。一度死んだ身にやり直す機会があるだけ僥倖と言うものだ』
やや不満そうにしながらもそれは告げた。
『礼を言おう。それで? この俺を呼び戻したのはどいつだ?』
不気味な風貌の割には人間臭い仕草でそれは指を動かす。
そして死人形達に取り押さえられたエリーゼに気付いた。
『んん? お前、ゾンビで女を抑え付けて何がしたいんだ?…もしかして、当世ではそう言うのが流行りなのか? 身体を穢されても心までは…! とか?』
「…お前は、何者だ」
べらべらとお喋りなその不気味な存在に、司祭は告げた。
その声は、僅かに震えていた。
見えているのだ。
飄々としているその存在から放たれる異常な程の黒いマナが。
『俺の名前を知らないで呼び戻したの? お前、チャレンジ精神が強すぎじゃね?』
「………」
『…俺はエルケーニヒ』
軽い調子のままで、死神は己の名を告げる。
『魔王エルケーニヒ、と言う方が通りがいいかもな』




