第十八話
「………」
教区長アンネリーゼは、魔道協会の塔の最上階で報告書を読んでいた。
内容は東の森を調査した魔道士達の調査結果だ。
「…クリーチャーの死骸も見つからず。魔女の痕跡は一切なし、か」
アンネリーゼは報告書に目を通しながら呟く。
これで三度目の調査隊だが、やはり結果は変わらなかった。
「………」
エリーゼが魔女と遭遇した日から一週間が経過していた。
その報告を受けてすぐに調査隊を送ったアンネリーゼだったが、氷漬けになっていた筈の魔女は跡形も無く消えていた。
魔女が生み出したクリーチャーも含め、あの森に魔女が居たと言う痕跡は全て無くなっていた。
調査隊の中にはエリーゼ達の虚言では無いか、と疑う者も居る程だ。
エリーゼが嘘をついたとは思えない。
だとすれば、やはり魔女は生きていたのか。
エリーゼの話では首を斬られても平然と攻撃してきたと言う不死の怪物。
全身を氷漬けにした程度で殺せる筈も無かったか。
「魔女、か」
「アレは化物だな。どう考えても人間じゃない」
「…女性の部屋に入る時は、ノックするのがマナーですよ」
突然聞こえた声に驚きながら、アンネリーゼは視線を背後に向ける。
いつから居たのか、そこにはエルケーニヒが立っていた。
「エリーゼはどうしました?」
「アイツなら二階の談話室でゲルダと話しているぞ」
依り代の影響でエリーゼからあまり離れられないエルケーニヒだが、それくらいの距離なら自由に行動できるようだ。
エルケーニヒは空いていた椅子に勝手に座りながら、アンネリーゼへ視線を向ける。
「それで? あの魔女は死んでなかったのか?」
「報告を見る限り、そのようですね」
机の上に報告書を置き、アンネリーゼは答えた。
「やっぱりか」
ニヤリ、とエルケーニヒの顔に笑みが浮かぶ。
(…顔と言っても、肉も皮も無いのだけれど。骨しか無い顔なのに、随分と表情豊かね)
どうでもいいことを思いつつ、アンネリーゼは口を開く。
「やっぱり、とは?」
「あの魔女とか言う生き物は、俺から見ても化物そのものだ。あの程度では死なないと思っていた」
ポリポリと顔を掻きながらエルケーニヒは呟いた。
「本当に何がどうなってあんな物が生まれたんだ?」
「…一説によれば、魔女は魔王の子孫と言われてますよ」
アンネリーゼは薄い笑みを浮かべ、そう告げる。
魔王も魔女も強大な黒魔道士であることは変わらない。
それ故に、その二つを結びつける者も少なくない。
何の根拠もなく憶測だが。
「は。俺の子孫? アレが?」
「伝承によると、魔王には百人の愛人がいたようですね。身に覚えがあるのでは?」
「あると思うか? それに、百人は誇張が過ぎる」
「そうですか。まあ、私も信じては…」
「せいぜい、九十人ってところだ」
「………」
九十人は居たのか、愛人が。
何となく、エルケーニヒを見るアンネリーゼの視線が冷たくなる。
「冗談だ。本気にするなよ」
ひらひらと手を振りながらエルケーニヒは言う。
「…話を戻しますが、魔女が生きていたとすれば、少し心配ですね」
「あの魔女がエリーゼを狙うかもしれないからか?」
「はい。それに他の魔女の反応も気になります」
「…他の魔女? 魔女は一人じゃないのか?」
アンネリーゼの言葉に、エルケーニヒは訝し気な顔をする。
「エリーゼから聞いてませんか? 魔女は全部で五人いますよ」
「五人…」
膨大なマナと強大な魔法を、感情のままに振るう災害のような女。
エルケーニヒから見ても化物と呼べる不死身の存在。
アレが五人も居る。
(…よく滅びないな、人類)
エルケーニヒは少しだけ今を生きる人間達に同情した。
「最初に魔女が現れたのは今から八百年前。聖暦二百年のことです」
「俺が死んで二百年後か」
二百年。
気が付くと千年が経過していたエルケーニヒからすれば短いような気もするが、人間にとっては途方もない時間である。
(…俺を殺した四聖人は、流石に全員死んでいるだろうな)
四聖人は魔王を倒した英雄だが、紛れもない人間だった。
どれだけ偉大な人間だろうと、百年もすれば寿命で死ぬ。
その頃には四聖人も過去の人物となっていたことだろう。
そんな時に現れた強大な力を持った魔女。
英雄を失った人々がどれほど苦しめられたか。
「最初の魔女は一人でした。それでも十分高い実力を持っていましたが、その時はまだ被害を抑えることが出来た」
「………」
「次に魔女が現れたのは、四百年後の聖暦六百年。人類の前に再び姿を現した魔女は、仲間を引き連れていました」
四百年の間、魔女が何をしていたのか知る者は居ない。
しかし、人類の前から姿を消していた四百年の間に魔女は数を増やしていた。
単体でも強大な力を持つ魔女が五人も現れた。
「それ以降、人類と魔女の戦いは始まりました。時に人類が魔女の一人を滅ぼすこともありましたが、数十年もすれば新たな魔女が補充される。戦いは今でも続いています」
どんな手段を使っているのか、魔女が失われても、いずれ次の魔女が補充される。
同じように、魔女の力でも大陸中の人類を全て殺し尽くすことは出来ない。
人類は魔女を滅ぼせず、魔女は人類を滅ぼせない。
堂々巡りだ。戦いはいつまでも終わらない。
「………」
エルケーニヒは考え込むように口元に手を当てた。
魔女の力は強大だ。
それは実際に見たエルケーニヒも良く理解している。
人類が魔女に苦しめられることもよく分かる。
しかし、
(何故だ?)
エルケーニヒの頭に疑問が浮かぶ。
何故、人類はまだ滅びていないのか。
エルケーニヒの見る限り、戦力差は明らかだ。
魔女達がその気になれば、人類など何百年も前に滅びているだろう。
(人類を滅ぼすことが目的ではない? 何か別の目的があるのか?)
情報が足りなすぎて答えが出ない。
考え込むエルケーニヒに対し、アンネリーゼは首を傾げた。
「何か気になることでも?」
「…いや、その魔女達に…名前は無いのかと思ってな」
考えを中断し、エルケーニヒはそう答えた。
「名前ならありますよ。聖暦六百年に現れた時から彼女達は自分達のことをこう呼んでいます…」
アンネリーゼは真剣な表情で告げる。
「『ワルプルギスの夜』…と」




