第百九話
その魔女は『家族』と言う関係に執着した女だった。
孤児を拾っては自分を母と呼ばせ、愛情を注いで育てていた。
だが、その愛は人の愛とは異なる物だった。
保護と称し、子供の全てを管理し、あらゆる自由を奪った。
愛を免罪符に子供を虐げ、自分だけを信じるように教育した。
女にとって子供とは、自分を慕い、称えるだけの愛玩動物。
母性と言う言葉を履き違えた醜悪な魔女。
その魔女は『寵愛の魔女』と呼ばれていた。
「『シュタルカー・ヴィント』」
「『マレフィクス・マレフィキウム』」
エリーゼが放った風の斬撃をザミエルは余裕の笑みで防ぐ。
斬撃は歪んだ空間に呑み込まれ、消え失せた。
「ほら、お返しだ!」
「ぐっ…!」
瞬間、消えた斬撃がエリーゼの背後から現れた。
回避し損ねた斬撃が肩を掠め、エリーゼは苦悶の声を上げる。
「アハッ! 油断さえしなければ、ボクがキミに負けることなんて無いんだよ」
「………」
ザミエルの嘲笑を無視し、エリーゼは剣を握り締めた。
「だから無駄だって」
ザミエルは指を鳴らす。
すると、エリーゼの手の中から剣が消えた。
「剣が…!」
「ハハハ! 武器が無くなっちゃった! 大変だ大変だ!」
嗤いながらザミエルは片手を空へ掲げる。
「墜ちろ」
空間が歪む。
そこから現れるのは周囲から掻き集められた街の残骸。
エリーゼの頭上へ転送されたそれは、石の雨となって地上へ降り注いだ。
「…ッ」
(回避は、間に合わない…!)
自身に迫る残骸を前に、エリーゼは拳を握り締めた。
「『ヴィントシュティレ』」
無手のまま、拳を振るうエリーゼ。
それは大気中のマナを掻き混ぜ、突風となって残骸を吹き飛ばした。
「…はぁ…はぁ…!」
「へえ。剣が無くても風を操ること出来たんだね」
呼吸を荒げるエリーゼを眺めながらザミエルは呟く。
「まあ、考えて見ればそうか。そもそもキミは杖無しで魔法を使っていた訳だし、剣があっても無くても関係ないか」
余裕そうな表情を浮かべながらも、ザミエルはエリーゼと距離を保ったままだ。
以前、エリーゼに接近戦で敗北したことを忘れていないのだろう。
馬鹿にするような態度を取りつつも決して慢心はしていない。
(…こんなことを、している場合じゃないのに)
エリーゼは視線を空へ向けた。
マナが集中している方向から戦闘音が聞こえてくる。
もう戦いは始まっているのだ。
エルケーニヒは今、あの恐ろしい魔女と戦っている。
一刻も早く、合流しなければ…
「ボクを無視して余所見とは余裕じゃん」
笑みを浮かべながらザミエルは片手をエリーゼへ向けた。
「それじゃあ次はもっとキツイのを………」
「…?」
(止まった…?)
突然ザミエルの動きが止まったことにエリーゼは首を傾げる。
訝し気な顔をするエリーゼには何も言わず、ザミエルは僅かに俯いた。
「…そんな簡単に死なないでよ………友達だって、言ったくせに」
ここには居ない誰かに対し、ザミエルは吐き捨てる。
「………………はぁ」
顔を上げたザミエルは小さくため息をついた。
じろり、とその眼がエリーゼへ向けられる。
「キミはさ、愛とか信じるタイプ? 自分よりも他人が大切に思うとか。それを愛情とか友情とか、そんな物が本当にこの世にあると思う?」
「…私の両親は私を愛してくれた。アンネリーゼも、こんな私を本当の娘のように愛してくれた」
エリーゼは真っ直ぐザミエルの目を見つめ返しながら告げた。
「愛は確かに存在する。ここに私が立っていることが、その証明よ」
「…親が子に向ける愛、か」
複雑そうな表情でザミエルは呟いた。
「ボクの母は、その愛がどれだけ醜悪か思い知らせてくれたけどね」
「…貴女の、母親?」
「魔女さ。寵愛の魔女………先代のね」
先代寵愛の魔女。
ザミエルと同じ名を持つ魔女こそが、人間だった頃のザミエルの母親だと言うのだ。
「寵愛とは、平等ではない愛を表す言葉だ。その名を与えられた魔女は、大陸中から集めてきた子を家畜のように扱った」
狂った母親を体現したような魔女だった。
子を支配すると言う欲望を満たす為だけに、集めた子を虐げる悪女だった。
「与えられた物以外を口にすることを禁じられ、決められた範囲の外に出ることを禁じられ、言われた言葉に反論することを禁じられ、外の世界について考えることを禁じられた! 足を切られ、片目を潰され、ただあの狂った女に媚びる日々…!」
「――――」
エリーゼは言葉が出なかった。
それは地獄と言う言葉すら生温い日々。
理不尽が形を成したような魔女に飼育されるなど、いつ殺されてもおかしくは無かった。
いっそ殺された方が幸せだったのかもしれない。
エリーゼには、その苦痛を想像することすら出来なかった。
「毎日毎日祈ったよ! 誰か助けて! ここから助け出して! ってさァ! 誰かって誰なんだろうね? 物心ついた時から地獄に閉じ込められて、大人なんて母親しか見たことなかったのにさ!」
「…ッ!」
「…そしてある夜、ボクはナイフを盗み出した。誰も助けてはくれない。自分を救えるのは自分だけ。だからボクは………寝ているあの魔女の喉にナイフを突き立てたんだ」
自殺行為だと言うことは理解していた。
むしろ、死にたかったのかもしれない。
だが己の命すら諦めたザミエルには、躊躇いが無かった。
「何度も何度も突き刺した。何度も何度も何度も何度も! 返り血がボクの服を真っ赤に染め、口の中も血の味でいっぱいになった。その時に、血と一緒にマナも呑み込んだんだろうね」
「…まさか、貴女はそうやって魔女に」
「歴代でもボクくらいだろうね。魔女を喰うことで魔女になった人間はさァ!」
マルガに選ばれた訳では無い。
そもそもザミエルには黒魔法の才能は無かった。
しかし、ザミエルは先代魔女を殺して取り込み、人間を超えたのだ。
「ボクはボク自身の手で運命を変えた! 理不尽に殺されるだけの立場から、理不尽を与える立場へと成り上がった!」
「………」
「キミにも教えてあげるよ! 愛情とか友情とか、そんな言葉には何の意味も無いってことをさァ!」




