第百三話
白き聖女。
千年前、聖典教会は英雄を求めた。
魔王と戦う御伽噺の英雄。
それは欺瞞と虚栄に満ちた紛い物だった。
ただ教会の威信を守る為だけの道具でしか無かった。
そんなことは、初めから分かっていた。
『………』
それでも、誰かを救いたいと願った。
一人でも多くの人を救いたいと思った。
あの時までは、そう願っていた。
『聖女バンザイ! 四聖人バンザイ!』
『魔王が倒された! 平和が訪れたんだ!』
魔王の討伐後、人々はマルガ達を四聖人と称えた。
もう魔王に怯えることは無い。
もう誰も死ぬことは無い。
人々は笑い合い、訪れた平和に歓喜した。
『………』
しかし、マルガ達の表情は暗かった。
平和の代償は重かった。
誰よりも勇敢に戦った赤き騎士ゲオルクはもう居ない。
『…大丈夫? 聖女ちゃん』
緑の薬師ヘレネはマルガを気遣っていた。
ゲオルクとマルガが恋仲だったことは知っていた。
ヘレネ自身もゲオルクが死んだことは悲しいが、マルガはそれ以上に苦しんでいると。
歳の近い姉のような存在だったヘレネは、人々に作り笑顔を向けるマルガを心配していた。
『…聖女よ。私達ではアイツの代わりになることは出来ないと思うが、それでも私達は貴女の仲間だ。どうか苦しい時は頼ってくれ』
青き賢者ヴァレンティンはそう言った。
厳格でやや高圧的な所もある男だったが、彼は自分より幼いマルガの考えに心から共感し、何度も助けてくれた人物だった。
『…ありがとう。二人共』
優しい人達だった。
ゲオルクだけではない。皆、かけがえのない仲間だった。
かけがえのない宝物だった。
『………』
人々の熱狂は予想以上だった。
四聖人と魔王の戦いを神話のように謳い、四人を模した銅像を作り上げた。
まるで神のように崇める人々の姿に、段々と教会の態度も変化していった。
元々、白き聖女など建前に過ぎなかった。
聖典教会は魔道士を異端とする宗教組織だ。
彼らにとって、白き聖女も魔王も同じ異端に過ぎなかったのだ。
『………』
最初に、ヘレネが殺された。
彼女は自身の魔法を役立てるべく、聖典教会と行動を共にしていた。
その中で彼女は見てしまったのだ。
聖典教会が魔道士の生き残りを虐殺する光景を。
『…あの人達は、人間だった。攻撃魔法すら使えない子供を…教会は…!』
面倒見が良く、子供好きだった彼女にとって、それは許せないことだった。
そして教会の虐殺を止めようとした彼女は、裏切り者として処刑された。
『…悪は、我々の方だったのかもしれない』
『ヴァレンティン…』
『元々魔道士を迫害していたのは、教会の方だった。エルケーニヒは、ただ迫害される彼らを守ろうとしていただけだったじゃないか…』
ヘレネの死によって発覚した事実。
発端は、聖典教会の方だった。
人ならざる力を持った魔道士を聖典教会は恐れ、迫害した。
彼らは強者だが、少数だった。
魔王とは、迫害の中から生まれた存在だったのだ。
『教えてくれ、聖女。私は…私達は…本当に、正しかったのか…?』
『………』
マルガは答えられなかった。
高潔で生真面目だったヴァレンティンは、苦悩の末に自殺した。
そしてマルガは、全ての仲間を失った。
『…私は』
何の為に、戦ってきたのだろう。
何が欲しくて、今まで生きてきたのだろう。
ただ、人を救いたかった。
自分が得た力を、人の為に役立てたかった。
『………』
しかし、人とは何だろう?
こんなにも醜悪で、こんなにも邪悪な生き物が、本当に人なのだろうか。
『…は』
外では愚民が四聖人を称えている。
ゲオルク達の死も知らず、馬鹿のように熱狂している。
『白き聖女…! お前には異端の容疑が…』
扉を蹴破り、剣を構えた男達がなだれ込む。
ため息が出るような大義名分を掲げ、容赦なく剣を振り下ろした。
『テンプス・レナトゥス・アエテルタニス』
無数の剣が突き立てられると同時に、マルガの杖が光る。
瞬間、剣がまるで岩壁にぶつかったように弾かれ、砕け散った。
『もう、どうでもいい…』
怒りも悲しみも喜びも恨みも憎しみも。
全て全て、消えてなくなれ。
時が止まった肉体は、何者にも傷つけられることは無い。
時が止まった心は、何者にも動かされることは無い。
『――――』
だが、一つだけ。
マルガの心には残された物があった。
『…ゲオルク』
それは偏愛。
あらゆる感情を失った果てに残った愛。
『…取り戻す。何を犠牲にしてでも、どれだけ時間を掛けても…』
希望とも狂気とも言える妄執。
しかし、マルガにはもうそれしか残されていなかった。
『必ず、あの幸福だった時間を…』
「恐らく、あの魔女の不死の秘密はお前と同じだ」
「私と?」
エルケーニヒはエリーゼの顔を見つめながら告げる。
「白き聖女は大気中のマナを操ることが出来た。千年前は、そこまで強力では無かったがな」
「それは、どうして…?」
「簡単な話だ。千年前は今ほど大気中のマナが濃くなかったからな」
エルケーニヒがこの技術を身に着けようと思わなかった理由がそれだ。
当時、大気中のマナは今とは比べ物にならない程に薄かった。
どれだけ必死に掻き集めても、自分のマナを使った方が早い程に。
「アイツはあれだけの大魔法を使えたのは、大気中のマナが濃くなったことも無関係じゃない」
マナが濃ければ、それだけ集められるマナも増える。
この技術は過去よりも、今の方が強力になる。
単純な理屈だ。
「アイツは大気中のマナを吸収することで、時を止める魔法を維持している。その規模は、この都市……いや、この大陸全てかも知れない」
「そんな…」
それは、何十、何百人分のマナなのだろうか。
同じ技術とは言え、エリーゼとは文字通り桁が違う。
それだけのマナがあれば、時間さえ操ることが出来ても不思議ではない。
「…大気中のマナ。まさか、その為に?」
「気付いたか、アンネリーゼ」
エルケーニヒはアンネリーゼに視線を向ける。
「俺がこの時代に復活して最初に驚いたのは、魔道士の数だ。千年前は、百人に一人も居なかった魔道士が大陸中に居るなんてな」
「…魔道士が増えれば、当然、大気中のマナも増えるでしょうね」
「千年前から、自身の力を高める為に暗躍していたって言うのか?」
エルフリーデとテオドールも理解する。
この大陸が魔道士で溢れたのは偶然ではない。
ある一人の魔女の長大な計画だったのだ。
「魔女を生み出したのは魔道士を生贄にする為だ。魔法で殺された魔道士の遺体はマナを生む。そうして大気中を満たしたマナを吸った人間が、魔道士の子を産む」
「まるで、家畜みたいに…!」
魔道協会が結成されたのもマルガにとっては好都合だったのだろう。
魔女討伐の為に多くの魔道士が死に、より強力な魔道士が生まれる。
魔女が殺されても、新しい魔女を用意すればいい。
魔道士同士が殺し合う度、大気中のマナが増えていくのだから。
「そんな相手を、どうやって倒せばいいの…?」
「…打つ手がない訳では無い」
エルケーニヒは視線をまたエリーゼへ向ける。
「お前と奴の力は同じだ。ぶつかり合えば、奴のマナ操作を乱すことが出来るだろう」
「…あの時のことね」
「ただ、アレは不意打ちだったから成功しただけだ。次も上手く行くとは限らない」
そもそも操れるマナの量が桁違いなのだ。
エリーゼが操るマナを強引に奪われてしまうかもしれない。
(…エリーゼだけでは弱い。あと一つ、何か手があれば)




