第百話
「『レナトゥス』」
マルガは自身の頬に触れ、囁くように告げる。
魔法が発動し、頬の小さな亀裂が修復された。
(治癒魔法…? コイツ、魔女のくせに白魔法を…)
本来、エルケーニヒの黒いマナを宿す魔女と、白魔法は相性が悪い。
だが、マルガの身体からは二色のマナが放出されていた。
白と黒。
相反するマナが反発することなく混ざり合っている。
(…白魔法は生命の保存や維持を得意とする。時間停止の魔法も、白魔法を強化したものか)
外敵から生命を守るのが白魔法。
その解釈を拡大し、この世全てから己を切り離す魔法。
この魔法に守られている間、使用者は傷付けられることも、老いることも無く同じ形で保存される。
マルガの魔法はそう言う魔法だ。
魔女達の持つ再生能力も、マルガの魔法の劣化版だろう。
致命傷からも瞬く間に再生する不死性も、本来は不完全。
オリジナルであるマルガは、そもそも傷を負うことも無い。
(だが、だとすればさっきのひび割れが気になる。エリーゼに触れた瞬間にダメージを受けたのはどうしてなんだ?)
「………」
思考するエルケーニヒと同じく、無言で考え込むようにマルガはエリーゼを見つめた。
冷え切った灰のような目がエリーゼを射抜く。
「…そう言うことか。お前、周囲のマナを取り込んでいるのか」
どこか不快そうに、マルガは呟いた。
エリーゼの持つ周囲のマナを操る技術。
自身のマナを封印されていたエリーゼが生み出した戦う為の技術。
「…よりによって、私の前にお前のような人間が現れるとはな」
「…?」
「…まあ、千年も経つのだからそう言うことがあっても不思議ではない、か」
一人納得したようにマルガは頷き、杖を握った手を振り上げる。
「魔粒具現化」
瞬間、マルガの周囲に様々な色の粒が浮かび上がった。
赤や青、白に緑。
あらゆる色の粒が川のように流れ、マルガの周囲に集まっていく。
「これは…! 周囲のマナを…」
エリーゼと同じ、大気中のマナを操っている。
だが、その規模はエリーゼの比ではない。
マギサの大気に満ちるマナ。
都市に住む魔道士達が無意識に発するマナ。
この都市に存在するあらゆるマナを支配し、己の物としている。
「ハッ! 確かに俺の時代にも、使う奴はいたがな」
既に失伝したとは言え、かつては技術として確立していたものだ。
長い時を生きるマルガが習得していてもおかしくはない。
「だが、効率が悪くて、どいつもこいつも使いこなせなかった」
数多のマナを操り、杖の先に収束させるマルガ。
それを眺めながらエルケーニヒは言葉を続ける。
「まともに、使えたのは………」
「………エルケー?」
突然黙り込んだエルケーニヒに、エリーゼは首を傾げた。
その言葉に応えず、エルケーニヒは呆然とマルガを見つめている。
より正確には、マルガの握る杖を。
(…あの杖)
エリーゼもつられてマルガの杖に目を向ける。
マルガの持つ先端に時計が付いた仰々しい杖は、大量のマナを操る影響か、少し形を変えていた。
古びた木は白樺のような純白に変わり、先端の時計もどこかへ消えた。
長さも短くなり、マルガの手に相応しいサイズとなっていた。
「…アルベドの杖」
「…え? 今、何て?」
「………おい、嘘だろ! お前が、そんな…!」
エルケーニヒの顔が青褪める。
今までに見たことが無いくらい、エルケーニヒは余裕を失っていた。
悪夢を見た子供のように、心を乱している。
信じられない。
信じたくない。
そんな言葉が顔に浮かんでいる。
「…そう言えば、最期まで本名を名乗ったことはありませんでしたね」
マルガは三角帽子を取り、その灰のような目を細める。
帽子の下から現れたその顔は、エルケーニヒにとって忘れ難い女の顔だった。
「私は、白き聖女マルガレーテ」
「…馬鹿な」
「久しぶり。そして、さようなら」
かつて、世界を救った女は無慈悲に杖を振り下ろした。




