第十話
「…チッ」
大きな舌打ちが聞こえた。
糸で縛られたままのエリーゼをを庇うように、エルケーニヒは立っていた。
「………」
天使の放った矢を受けた為か、エルケーニヒの左腕は炭のように焼け焦げていた。
グズグズと崩れていく腕を眺めてからエルケーニヒは攻撃を放った相手を睨む。
「このイカレ野郎。躊躇いもなく攻撃しやがって」
「ご安心を。私の白魔法は人間には無害です。例えあなたが庇わなくても、エリーゼが傷付くことはありませんでしたよ」
「…は。なるほど、俺をハメた訳か。イカレ野郎ではなく、腹黒野郎だったか」
「腹黒は否定しませんが、野郎ではありません。見ての通り、女性ですよ」
アンネリーゼは微笑を浮かべた。
「勝負あり、ですね」
天使達が重傷を負ったエルケーニヒを取り囲む。
それぞれの手には弓が構えられており、合図一つでエルケーニヒを消滅させるだろう。
「アンネリーゼ、どう言うこと…?」
「ごめんなさい、エリーゼ。効かないとは言え、あなたに魔法を撃ってしまって」
「いや、そっちは別に構わないのだけど」
アンネリーゼの謝罪にエリーゼは首を振った。
少しだけ驚いたが、それが作戦だったのなら特に文句はない。
「どうして、この男が私を庇ったの?」
「あなたが死ぬと、この方も困るからでしょう」
そう言ってアンネリーゼは視線をエルケーニヒへ向けた。
「人質、なんて言っていましたが、あなたがエリーゼを殺せる筈がない」
「………」
「あなたの魂とエリーゼの魂は繋がっている。だからエリーゼが死んで魂が現世を離れたら、あなたも現世に留まることは出来なくなる」
アンネリーゼの眼は二人の状態を見破っていた。
憑りつかれた、なんて次元の話じゃない。
これでは魂の融合だ。
「…あなたの魂を無理やり引き剥がすことも出来ますが、そうすればエリーゼの魂にも影響が出てしまう」
苦い表情を浮かべ、アンネリーゼは告げる。
「そうだな。俺とエリーゼは、今や運命共同体だ。俺が死ぬ時はエリーゼが死ぬ時だ」
「…こいつ」
へらへらと余裕そうに笑うエルケーニヒに、エリーゼは睨み付けた。
これでは人質と変わらない。
エリーゼがいるせいで、アンネリーゼはこの魔王を滅ぼすことが出来ない。
「…仕方ありませんね」
ふう、と小さくため息をつき、アンネリーゼは杖をエルケーニヒへ向けた。
「『ケーラ』」
瞬間、杖から赤い刻印のような物が放たれ、エルケーニヒの胸を貫いた。
それを見て、エルケーニヒの顔色が変わる。
「封印術…!」
「一目で見破りますか、流石ですね」
エルケーニヒの胸に赤い刻印が浮かび上がる。
それと共に、エルケーニヒから放出されていた黒いマナが減少していく。
「あなたのマナを封印させてもらいました。もう好き勝手に暴れることは出来ませんよ」
アンネリーゼは告げる。
どれだけ強力な魔法が使えたとしても、そのマナを封じてしまえば無力だ。
神話の時代の魔王であろうと、何も出来ない。
「謙虚に生きることです。第二の人生を」
「…ッ」
忌々しげに歯を噛み締め、エルケーニヒは姿を消した。
「…アンネリーゼ、アイツは?」
「遠くまで離れることは出来ない筈です。どこかに隠れているのでしょう」
アンネリーゼに敗北し、マナを封じられたことが余程屈辱だったのだろう。
あの饒舌な魔王が何も言わずに姿を消したのだから。
「流石ね、アンネリーゼ。あの魔王をあんな一方的に倒すなんて」
エリーゼは素直にその実力を称賛した。
あの強大な魔王を相手に、傷一つ負わずに倒した。
教区長の実力を疑ったことは無かったが、想像以上だった。
「…いや、あの方は本来の実力ではありませんでした」
「え?」
「理由は分かりませんが、随分と弱っていたように感じました。恐らく、本調子だったなら私の封印術も効かなかったと思います」
アンネリーゼの眼には嘘はなかった。
本気でエルケーニヒの底知れない力を恐れていた。
「あの方とエリーゼの魂を分離させる方法は必ず見つけます。だからそれまでは、決して油断しないように」




