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ミステリー短編

王国の令嬢が帝国に嫁入りするのは、戦争回避のため

作者: 白澤 睡蓮

 帝国からの使者が訪れたその日、王国には激震が走った。


 帝国の使者がもたらした書状の内容は、両国間の和平条約を破棄し、帝国は速やかに王国を侵攻するというものだった。ただし戦争を回避する方法も、書状にはあわせて書かれていた。王国のある侯爵令嬢を皇太子の妃として、帝国側に差し出すこと。


 帝国と王国の力関係は明白で、戦争すればどちらが勝つかは明らかだった。周辺諸国が束になったとしても、帝国に勝つことは不可能だろう。


 そして侯爵令嬢ソフェナは、問答無用に帝国へと連れてこられた。あまりに急すぎたため、世話役のほとんどは帝国の人間だ。帝国の帝城に着いたソフェナはあれよあれよという間に、レグランと顔合わせのお茶会をすることになった。ソフェナが帝城についてから、まだ数時間しか経っていない。


 ソフェナが正装したのは、二年前の仮面舞踏会以来だった。ソフェナに用意されていたドレスはその時と同じようなデザインで、胸元が大きく開いている。胸元の三連の黒子が見えてしまうのが恥ずかしいが、ソフェナに文句を言う権利は無い。


 王国においても将来は、賢帝あるいは暴君となるだろうと言われていた、帝国の皇太子レグラン。人によってレグランの評価は真二つだ。屋敷を出て帝城に来るまで、ソフェナは様々な声を聞いた。


 ある人はレグランが私利私欲に走ったのだと言い、将来帝国が世界を恐怖に突き落とすのだと打ち震えた。またある人は何か深い事情があるのだと語った。聡明たる次期皇帝が無益な行いなどするはずがないと。


 ただ、レグランがなりふり構わず是が非でも手に入れたかった令嬢は、本当にソフェナなのか? 将来の賢帝か暴君かレグランへの評価が一致しなくとも、レグランがソフェナを求めたことに、首を傾げたのは誰もが同じだった。


 ソフェナは整った顔立ちではあるが、貴族の令嬢ならばよくいる程度だ。またソフェナはほとんどひきこもって過ごしていたため、王国内でもソフェナの存在を知らない貴族がいる程だった。そんな令嬢を何故? 謎ばかりが深まっていく。ソフェナとて隣国の皇太子から熱望される心当たりはまるで無い。


 ソフェナは自身の目で全てを見極めようと、レグランが待つ部屋の中へと足を踏み入れた。


「お初にお目にかかります」


 顔を伏せたソフェナに、レグランの声がかかった。


「楽にするといい。この場には私とそなたしかいない」


 顔を上げたソフェナは、話に聞いていた以上のレグランの美男子ぶりに、目を奪われた。レグランに勧められるがままに、テーブルについたソフェナ。普段病的なまでにソフェナの白い肌は、珍しく人間らしい色合いを保っている。


「遠路はるばるよく来たな。そなたを歓迎しよう」

「歓迎感謝いたします」


 室内には侍女の一人もいないため、レグラン自らが紅茶を淹れた。漂う紅茶の良い香りが、ソフェナの心を多少落ち着かせる。


「皇太子殿下自らありがとうございます」

「皇太子たる者、紅茶の一つぐらい美味しく淹れられねばな」


 レグランは自分で淹れた紅茶を躊躇いなく飲んだ。


 それを見たソフェナは瞬時に最悪の事態を想定する。紅茶には毒が入っており、飲んだレグランがもがき苦しむ様だ。室内にはソフェナとレグランの二人しかおらず、レグランがソフェナに濡れ衣を着せるには、最適な状況となっている。


 しかしソフェナの考えは外れた。


「そなたも飲むといい」


 レグランの行動は、毒が入っていないことの証明のつもりだったようだ。ソフェナはレグランに対する予測と実際の齟齬を、すぐさま分析した。今後の思考の精度を上げていくために。


 ソフェナは屋敷を出た直後からずっと、罠にはめられている可能性を考え続けていた。しかしその兆候は今のところ見受けられない。そもそもソフェナに罠にかける程の価値は無い。


 ソフェナは決定的な質問をすることに決めた。


「私を妃にと本気でお考えなのでしょうか? 私はこの通り何の面白味も無い女です。この度のお話はあまりに寝耳に水の出来事でありましたので、私が得心いくように、理由をお訊かせいただきたく存じます」

「何故かだと? そなたがそれを知る必要はない」


 それを聞いたソフェナの顔色は変わらない。レグランがソフェナに教える気が無いことは、ソフェナの想定の範囲内だ。ソフェナは頭の回転は人より多少良いと自負している。教えてもらえないのなら、自分で真相に辿り着けば良いだけの話だ。


 ソフェナは人質としての価値を求められていない。これは明らかだった。王国には王女がいる。人質にするならそちらの方が相応しい。またソフェナの扱いは、明らかに人質のそれではない。今着せられているドレスは、着替える前に一目見ただけで高価だと分かった。


 ソフェナは砂糖を入れずに、紅茶を一口飲む。バカバカしい質問だと思いながら、ソフェナはレグランに尋ねた。


「私と貴方は幼いころに会っていた、とかでしょうか?」

「それは違う」


 レグランからすぐさま否定が返ってきた。ソフェナも違うと分かっていて質問をした。ソフェナが本当に知りたかったのは、レグランがこちらの質問に答える気があるのかどうかだ。


 ソフェナはそのまましばし黙り込む。ちらちらとレグランの顔色を確認しながら、思考を走らせる。なぜレグランがソフェナを求めたのか。浮かび上がる答えに不備を見つけては、自分自身で否定していった。


 そしてソフェナは気付いた。皇太子相手に黙ったままでいるのは、得策ではないことに。ソフェナは社交に不慣れなことが、こういう所に出てしまう。


「申し訳ありません。少々考え込んでしまいました」

「構わん。気にするな。そなたの好きなだけ考えるといい」


 レグランは怒らない。むしろソフェナの行動を、レグランは予期していたようだ。そして熟考を勧めてくる始末。レグランはソフェナを考えさせたがっている?


 そこでソフェナの求める答えが出た。


「分かりました。貴方が私を求めたのは、私のこの頭脳が理由です。この場は私が貴方の期待にそえているかの、腕試しも兼ねています。私が真実にたどり着いて満足ですか?」

「想定より早い。やはりそなたは聡いな。私が見込んだだけのことはある」

「お褒めに預かり光栄です。質問を一つ宜しいでしょうか?」


 レグランが頷くのを見届けてから、ソフェナは言葉を続けた。


「王国が戦争を選ぶはずがないのは明白です。でももしも戦争になっていたら、貴方はどうするつもりでしたか? 情報が不足していますので、私には推測しかねます」


 ソフェナは先手を打って、推理は不可能なのだとレグランに告げた。


「もし戦争になったとしても、王国には帝国の密偵が多く潜んでいる。開戦と同時に王の首をとって終わりだ」


 密偵の存在をあっけなく明かされ、レグランが決してソフェナを手放す気がないことを悟った。ソフェナは一旦紅茶で喉を潤す。


「貴方の目的が私の頭脳だとして、私と貴方は今が初対面のはずですが」

「それでは第二回戦といこうか」


 レグランにそう言われれば、ソフェナは従うしかない。ソフェナは糖分補給のために、紅茶に砂糖を足してから、再び口に運ぶ。テーブル上にはお茶菓子としてケーキも置かれているものの、口を動かす気にはならなかったからだ。


 ソフェナはレグランの美しい顔を正面から凝視する。やはりレグランの顔に見覚えはない。しかしレグランはソフェナのことを知っていた。


 王国にいたソフェナは、ほとんど引きこもりに近い生活だった。外は得られる情報が多すぎて、どうにも苦手だったせいだ。


 故にレグランがソフェナを知る方法はかなり限られる。唯一にして最大の可能性は、二年前に開かれた仮面舞踏会だ。ソフェナなら仮面舞踏会中でも、誰がどこの誰なのかを判別できた。なのでやり手な両親と兄弟が有益な情報を得るために、ソフェナは仮面舞踏会に無理やり連れて行かれた。


 ソフェナの記憶が正しければ、あの仮面舞踏会の参加者には、王国の誰でもない人物が三名ほどいた。その中の一人がレグランだったのだろう。


「仮面舞踏会……」


 ソフェナはぼそりと呟き、レグランの顔色をうかがう。見出されたタイミングは、やはりそこで間違いない。


 次はそこからソフェナにどう辿り着いたかだ。王国には帝国の密偵が多くいると、レグランは先程言っていた。また仮面舞踏会があったのは二年前だ。今日まで不自然に時間が空き過ぎている。


 考えること数秒、ソフェナは至った結論に思わず両手で顔を覆った。


「はぁ~」


 ソフェナの口から深い溜息が漏れる。


「こんなの推理も何もあったものではありません。王国内の令嬢の胸元を、一人一人確認して回りましたね? 貴方は帝国の皇太子で密偵を動かせる立場にあり、仮面舞踏会からは二年も時が経っています。人海戦術に加えて時間をかければ、黒子という情報だけから私を見つけることは、決して不可能ではありません」


 決め手は胸元の黒子だった。胸元の三連の黒子だけを手掛かりに、ソフェナは探し当てられたのだ。こんなドレスが用意されたのも、レグラン自身の目で黒子を確かめたかったからに違いない。


 また王国の国防がざるではないかと、ソフェナはだいぶ心配になった。


「あの仮面舞踏会には戯れに参加したのだが、そなたは思わぬ掘り出しものであった。参加者各々の正体を、連れの者に教えていたであろう?」


 舞踏会の喧騒の中、小声で話していたのに耳聡く聞かれていたとは。普段外に出ていなかったことで、そこまでの配慮が欠けていた。ソフェナは内心舌打ちをする。


「その聡明さ故に、そなたを手元に欲しいと思った。しかし隣国の者を私の侍女にするには、周囲の説得で骨が折れる。ならばそなたを妃にと考えたまでだ」


 レグランの今の話を聞いて、ソフェナはふと思いついたことをそのまま口に出した。


「もしかして帝国内の令嬢には、ことごとく婚約者から逃げられましたか? 話がかみ合わないから無理だとかで」

「どう推察した? 判断材料は与えていないはずだ」


 レグランの顔色が変わった。どうやら図星だったらしい。帝国全体がレグランの暴走に乗ったのも、このままではレグランが一生結婚できなさそうだったからだろう。


「いえ、今のはただの直感です」


 言うなれば、女の勘というやつだ。ここまでレグランと話していて、ソフェナはレグランの残念な一面に気付き始めていた。


 殺される可能性は低いはずだが、あまりレグランの機嫌を損ねるわけにはいかない。レグランに婚約者がなかなかできなかった件について、ソフェナはこれ以上突っ込まないことにした。


「そういうことでしたら、戦争をちらつかせる以外にも、いくらでも方法はあったように思います」

「そなたを必ず手に入れたかったのでな。王国では誰であろうと、帝国との戦争は嫌なものであろう? 王国内の全てがそなたの枷となり、王国は喜んでそなたを差し出すだろうと踏んでいた。そなたを助けると思えば、悪くない選択肢だった」


 ソフェナはレグランの言葉に引っ掛かりを覚えた。それではまるで、ソフェナが劣悪な環境にいたようではないか。ソフェナは実家の屋敷で、好きに過ごさせてもらっていただけだ。


「貴方は思い違いをしています。私が屋敷に引きこもっていたのは私の希望であり、家族に閉じ込められていたのではありません」

「そうだったのか?」


 レグランは理解に苦しんでいるようだ。 


「領地にいた私は、ろくな説明も受けないままに屋敷を連れ出され、休む間もない強行軍でこちらに参りました。率直に申し上げて、傍迷惑以外の何物でもありませんでした。お言葉ですが殿下、貴方はもっと他人の心を推し量れるようになるべきではないかと」

「聡いそなたが言うのだ、忠言感謝しよう。だが王国でそなたは救国の令嬢だ。周囲に持ち上げられるのは、悪くなかったのではないか?」


 食い下がるレグランは、やはり人の心の機微に疎すぎる。


 これがレグランの評価が真二つに割れる原因だ。人の心を考慮できないまたは間違って考慮する結果、時にレグランはおかしな選択をする。ソフェナを手に入れるための宣戦布告然り、国内の令嬢に悉く逃げられること然り、まともならこんなことになるはずがない。


 ソフェナとてやられっぱなしは、性に合わない。せめてレグランに一矢報いておこう。


「残念ながら、そういうのは私の好みではありません。どうせなら嘘でも一目ぼれしたからと、言っていただきたかったです」

「なぜだ?」

「仮面舞踏会で偶然出会った隣国の令嬢を、皇太子はどうしてもと求めた。ほら物語のようで、ロマンティックではありませんか? そちらの方が私好みでした。さて今までの話を踏まえて、貴方に一つお伝えしておきます」


 ソフェナはもったいぶって、一度言葉を切った。


「私は今日貴方に初めてお会いして、一目惚れしてしまいました」

「それは嘘か? 真か?」

「さあどちらでしょう? 貴方はどちらだと思いますか?」


 ソフェナが妖艶な笑みを浮かべる。


「ふっ、そうくるか。そなたがますます気に入った」


 心底愉快そうに、レグランは笑った。



 後の世でレグランとソフェナは、国境を越えた大恋愛の末結婚したとされている。それが真実かどうかを知るのは、賢帝レグランと皇妃ソフェナの二人だけだ。またソフェナの心に比べれば、他人の心を推し量るなどあまりに容易いと、後にレグランは語るようになったとか。

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