プロローグ(後編)
人に良くして
プロローグ後半
おにぎりを持っていかれ仕方なくついていった先は一軒の飲食店だった。私が小さかった頃に確かできて、家族で何度か訪れたことがある。
「ここ…?」
「あっ、来たことある?そこそこ繁盛してるんだ。休みの日は手伝わされるけどな。」
そう彼は言いながらお店の引き戸を開けた。
「今日はもう閉店してるから気にしなくていいよ。」
いわれて気が付いたが、暖簾はお店の中にかけてあり閉店していることを示していた。
「虫入るから、早く。」
そういわれて慌ててお店の中に入った。
久しぶりに入った店内は昔の記憶のままだった。正確には少し汚れたり配置が違ったりするかもしれないが。それでも懐かしい感覚につつまれる。
右側にはカウンターと調理場があり、正面にはテーブル席が4つ。奥のほうには階段があり、そのわきにトイレがある。壁にはメニューが貼ってあり、中には季節限定のものもあるようだ。
記憶と照らし合わせるように店内を見回していたら、彼から声をかけられた。
「せっかくだしさ、何か食べていかない?驚かせたみたいだし…」
ちょっとばつが悪そうに最後のほうは声が小さくなりながらそう問いかけられた。最初驚いたのは違いないがそこまでしてもらうのは流石に気が引ける。それにそろそろ部屋で一人になりたい。直接言うのは少し申し訳なく思い控えめに断ることにした。
「もうお店しまったんでしょ?大変だろうからいいよ。袋だけもらって帰るね。」
そう答えると彼は慌てて返事をした。
「いや全然!むしろ練習中だったから食べてほしいんだ!」
「練習?」
「お店継ぎたくてさ。時々料理の練習してんだけど。たまには誰かに食べてほしいというか、感想を聞きたいというか。むしろ俺なんかの料理で申し訳ないくらいで。ど素人の料理なんか食べたくないならそうはっきり言ってくれていいから。でも、一応普段から親父にも味見してもらってるし。変なもんはださないから。そこは安心してほしいというか。とにかく食べてくれない?」
そう一気に彼が行った後、私は思わず声を出して笑ってしまった。そして、こう答えたのだった。
「うん、いいよ。」
「マジで!?ってかなんで笑うだよ!」
「いや、なんかすっごい一生懸命でさ。なんかいいなぁって。」
「俺バカにされてる?」
「ううん。してないしてない。」
「どうだか。じゃあすぐ作るから適当に座ってまっててくれ。」
そう彼は言いつつ厨房の中に入っていった。その時に私のおにぎりはカウンターに置かれたので、その横の席に座ることにした。
初めてカウンターに座ったが、厨房の中が意外と見えることに驚いた。テーブル席にしか座ったことがないためとても新鮮な光景だ。厨房尾をのぞき込むとまな板や包丁などの調理器具が並べられていた。まな板の横には切ったネギが入ったお皿が置いてある。後ろの棚には大小さまざまなお鍋やお皿が所狭しと並んでいた。
彼はコンロの前に立つと蓋を取り鍋の中を混ぜ始めた。
「温めるだけだから。」
もうすでに作ってあったらしい。蓋を開けたことでふわりとやさしい香りが立ち込める。彼はそう言いながらちょっと大きめのお椀を2つ用意した。お玉ですくいあげるとお椀に注いだ。最後にまな板のわきにおいてあったネギを軽く散らす。お椀をお盆に移してお箸を添えてカウンターの上に置いた。
「ほらよ。熱いから気を付けて。」
出されたお椀の中には先ほど散らされたネギ以外に、大根や人参、玉ねぎや豚肉がみえる。
「豚汁?」
「おう。最近夜が涼しくなってきたからな。体冷やさないように作ったんだ。ただ思ったより量が多くなってさ。正直食べてくれて助かる。」
彼ははにかみながらそう答えた。
再びお椀に視線を移す。先ほどから味噌の優しい香りが広がっている。お椀を手に持ち一口すすってみる。すると口の中に豚肉、煮込まれた野菜の出汁、そしてそれらをまとめ上げる味噌の風味が広がる。次にお箸をとって具材をいくつか口に運ぶ。豚肉とたまねぎ。大根、油揚げと人参、ときどきこんにゃく。一通りの具材を味わったところで再びお椀を口につけすする。
「ふぅ。」
体が温まり一息入れた。その時にカウンターのわきに置いてあった調味料に気づく。七味の入った瓶をとり軽く一振りする。優しい豚汁に薬味のピリリとした香りが追加される。また軽く一口すすってみる。少し満たされていたと思っていたお腹はたちまち食欲をよみがえらせる。それぞれの具材の旨味を感じつつ、その旨味を逃がすことなくお互いに出し合い高めあっていることに喜びを感じながら一口、また一口と箸をすすめる。気が付くとお椀の中はすっかりと空になっていた。
「はぁ…。ごちそうさま。」
いつの間にか隣の席に座って食べていた彼のほうを見る。彼は私のほうをぼうっと見ている。
「どうしたの?気持ち悪い。」
「あっ…。いや表田が旨そうに食ってくれるのがうれしくってさ。」
「う、うるさい!」
彼は食べるのを思い出したようでようやく食べるのを再開し始めた。そして私は彼が次にしたことに驚いた。横に置いていたバターをひとかけら取り出すと豚汁の上に乗せたのだ。だが、そこからさらに驚かされることになる。味噌の優しい香りにバターの香りが追加され、なんとも芳醇で奥深い香りになったのだ。
「ね、ねぇ。それって…」
「バターだよ。この間知ってさ。やってみたかったんだ。」
ジワリと解けたバターをかるく箸で混ぜ彼はそれをすすりこんだ。
「うん!うまっ!」
最初の一杯で満足したつもりになっていたが、豚汁にバター、試したい。
そう思っている間にも彼はどんどん食べ進めあっという間に完食してしまった。
「もう一杯食うか。たくさん作っちまったし。」
「ま、まって!」
「どうした?」
「わ、私も、おかわりしていい?あとバターも…」
「もちろん。」
おかわりをお願いしたのが恥ずかしくなり急に顔があつくなる。お椀を渡すときに彼を直視できずに下を向いたまま渡した。
「ほらよ。おかわり。」
「ありがとう…」
「あとバターな。」
先ほどと同じお椀に気持ち少なめに盛られた豚汁。そして、わきに添えられた小皿にはバターがひとかけ乗せられていた。小皿に乗っていたバターをさっそく豚汁の上に乗せる。先ほど彼が食べていた豚汁と同じく芳醇で奥深い香りが立ち込める。
バターが豚汁の熱で溶けるのを眺めながらまだかまだかと待ち焦がれる。そしてある程度溶けバターと豚汁がいい感じに混ざり合ったところを見て箸で軽く混ぜて一口すする。バターでくどくなるかと思いきやまろやかなうまみとコクが加わった。すでに二杯目にもかかわらず箸が止まらない。そして半分ほど食べたところで先ほどと同じく七味を加える。箸は動き続けあっという間に二杯目も空になった。
「やっぱり表田って、うまそうに食ってくれるよな。」
「だから、うるさいって。」
二杯も食べておきながら恥ずかしくなる。
「なぁ、週末いつも練習してるからさ、また食いに来てくれない?」
「なんで私なの?」
「どうせなら旨そうに食ってくれる人がいいじゃん。」
「…考えとく。」
「よろしく!土曜日が8時で閉店でそのあとやってるから。」
「だから、考えとくって。」
彼はお盆ごとお椀を厨房にもっていくと嬉しそうな顔をしながら食器を洗い始めた。
食べさせてもらったのだから私が片付けるといったが客を厨房に入れるわけにはいかないといわれてしまってはどうしようもない。
仕方なく彼が洗っているのを眺めていた。
「この後お店の片付けもするからもう帰っていいよ。って、忘れてた!」
彼は一言そういって厨房の奥のほうへと引っ込んでしまった。どうしたのかと少し待っていると彼は手にビニール袋を持って帰ってきた。
「ほらよビニール袋。」
おにぎりとコーヒー牛乳のことなどすっかり忘れていた。
「いらない。この後も片付けするんでしょ?夜食にでも食べてよ。
「いいの?ありがとう。」
「こっちこそ豚汁ありがとう。」
そういってお店から出るときに振り返って彼に一言告げた。
「また来週。」
これが私と彼との交流のはじまり…
何とか1話分書けた…