お嬢様のレッスン
「あら、部屋数が多くて分からないですね・・・お嬢様、何号室ですか?」
「はい、五号室ですね」
無事に乗船を果たした私たちは、一度部屋に荷物を置き、ある程度落ち着いたら甲板で落ち合うことになった。男性陣もそれぞれ客室へと向かうことになり、私とケイトも両手にトランクを持って人通りの多い廊下を進む。
ちら、と目に入った部屋番号を見ればまだ百番台だった。一応私が貴族ということと、王宮で働く兄のおかげもあって一等客室を用意してもらったようだが、重たい荷物を両手に持って人混みの中を歩くくらいなら手ごろな部屋でもいいと思ってしまう。
何回か人にぶつかり頭を下げながら前へと進む。皆旅行ということもあって着飾っている。特に女性はひらひらなドレスを着ているから道が余計に狭くなる。
そのドレスの裾を踏まないように気をつけながら進んでいくと、一等客室に近づけば近づくほど人が減っていく。部屋数も少なくなり、廊下の壁が大きく見えてきた。
私は一部屋一部屋番号を確認しながら進む。だけど私よりもすたすた歩くのが得意なケイトが早足で歩いて行く。そして『五号室』と書かれた札を見つけたのか、嬉しそうにこちらを振り返る。
「こちらですっ、お嬢様、鍵を貸してください!」
「はい、どうぞ」
「どんなお部屋かしら・・・・・まぁっ!」
「おぉ・・・・・」
ドアを開けたケイトがトランクを床にどんっと置いて頬に両手を添える。私も気になって中を覗き込むと、廊下を進んだ先に屋敷のリビングと同じくらいの大きな部屋があった。
さらに視線を奥へ向ければ、壁は全て一面硝子張りで、海が一望できる。その手前には背の低い大きな丸テーブルがあって、それを囲むようにソファがいくつも並べられていた。
寝室は別で用意されているようで、リビングの横にはドアのない部屋があった。ケイトとうきうきしながらそちらへと向かえば、クイーンサイズのベッドが二つ大きく寝そべっている。シーツは海を連想させるヒトデやタツノオトシゴの刺繍が施されていてとても可愛らしい。
それだけでなく壁は深海に光が差し込むような紺色と白色で、飾られている絵画も難破船と宝箱という『これぞ海を渡る豪華客船です』というようなものばかりに私とケイトは頬に手を添えて思わずうっとりと眺めた。
「幸せですねぇお嬢様・・・・」
「そうですね・・・・」
「リビングも広いですし、夜はここでウィリアム様たちと晩酌なんていかがでしょうか?」
「え、え・・・・?で、でもウィリアム様たちは一つ上の階ですし・・・・」
公爵家のご子息ともなれば船長自ら部屋を用意してくれるようで、その招待客であるブライトさんとオルトゥー君も『貴族の中の貴族』しか使えない特別客室に案内してもらっていた。たとえ子爵の娘が王宮に務める兄に船を用意してもらったとしても、やはり格差というものはあるらしい。
とにかく、男性陣はこの階にはいないのだ。わざわざここで晩酌なんてしなくてもこの船にはバーラウンジもあるようだし、来ていただく必要はないのでは。
そう思うのは私だけのようで、ケイトは最近自分の中で流行っているのか口元を手で隠しながらにしし、と笑う。その表情は片方の口角を上げるウィリアム様と同類のようで、良からぬことを考えている合図だと私は最近気づいた。
「だぁってぇ、この船他にも女性がわんさか乗っているんですよぉ?ウィリアム様がバーでカクテルを飲んでみてくださいよ、確実に声かけられちゃいますよ」
「ゔ・・・・」
「酔った勢いでウィリアム様が食べられちゃうかもしれませんしぃ、そんな状況彼女であるお嬢様が放っておいていいんですか?」
「ケイト・・・・!」
「今までお嬢様はあのヴァアヴァラとかエリザヴェッタとか言う女狐を前にしてもウィリアム様にやきもち一つ焼かなかったですね。でももう今は彼女なんですしぃ?なのにいつまで経ってもそんなんじゃすぐにウィリアム様を誰かに取られちゃうかもしれませんねぇ?」
「・・・・・」
バーバラさんとエリザベッタさんをわざとねちっこく呼ぶケイトに頬を引きつらせる。余程根に持っているようだ。今でも思い出すだけで腸が煮えくり返るのか、ケイトは主人よりも先にソファにどかっと座るとテーブルの上に置かれていたグラスを手にとってそこにブランデーを入れて行く。おい、昼間から飲むつもりか。
「ケイト・・・もう飲むんですか」
「いいじゃないですかっ、今は旅行中なんですし!」
「・・・・・・・」
「それで、本当によろしいんですか?ウィリアム様を誰かに奪われても」
「・・・・・・」
「(まぁウィリアム様ならご自分のことはうまく回避するでしょうけど・・・)」
むしろお嬢様に余計な虫がつかないように悪魔の微笑みで牽制するだろう、とケイトは思いながらも、これもお嬢様を育てるためと私に『嫉妬しろ』と言ってくる。
私はリビングの端でワンピースを握りしめる。いや、もうウィリアム様を好きだという気持ちでいっぱいいっぱいなのにこれ以上他のお嬢様にまで気を回せない。脳の処理が追いつかなくて逆に真っ白になりそうだ。
「・・・・・・」
だけど、なんとなくウィリアム様の腕に絡みついてうっとりと目を細めるお嬢様を見ていたら胸が痛くなりそうな気もする。そんなお嬢様にウィリアム様も柔らかい笑みを浮かべると想像するだけでーーー
さぁぁと顔を青ざめ、胸を押さえて黙り込む。私のその表情を見てケイトが急に心配になったのか慌てて立ち上がると私の肩に手を置き顔を覗き込んだ。
「お嬢様・・・・・?」
「・・・ケ、ケイト・・・・」
「(あらやだ、虐めすぎたかしら)」
「私・・・どうしちゃったんでしょうか・・・」
「あらまぁ」
ウィリアム様の横に知らないお嬢様の顔を思い浮かべたらぞっとした。好きな人が誰かに取られると思ったら怖くなった。いつも屋敷まで迎えに来てくれるウィリアム様がいなくなる。ブライトさんのお店でお茶を飲みながら会話をする相手が私ではなくなる。その間私は再び研究室に入り浸るようになって、代わり映えのしない毎日を送る。
それって、私幸せなのかな。
思ったよりもウィリアム様の存在が私の中で大きくなっていて、消そうとしても拭っても払ってもなくならないものになっていて驚いた。ウィリアム様の言葉が、仕草が、あの深緑の瞳が私の頭の中に刻まれている。
『私が君のものになっていくよ』
あの言葉が、あの神聖な儀式のような行為が刺さってはいけないところに食い込んでいる。
ぐにゅりと『あいつ』が現れる。ウィリアム様を意識する感情そのものである『あいつ』が久しぶりと言いながら私の心臓の中でぐぷぐぷと動く。なんでお前がここにいるの。もう好きになったと気づいたのにどうしてまだ存在しているの。
好きって、何なの。
「お、お嬢様・・・・ま、まぁウィリアム様なら他の女性に靡くような方ではありませんよ」
「・・・・・・」
「・・・・バーならこの部屋よりたくさんお酒の種類もあるでしょうし、ね?やっぱり飲みに行きましょう」
「・・・・・・」
「・・・・あ、あーらぁ!お嬢様っ、島が見えますよっ!陸が近いのかしら!オホホホ!」
「・・・・・・」
「(まずい・・・やりすぎたわ・・・・)」
意気消沈している私をケイトが励まそうとしているが、私が悩んでいるのはもうウィリアム様を他のお嬢様に取られることを懸念しているからではない。
なにかまずいものに触れてしまった気がする。
何と表現すればいいのか分からない。でもウィリアム様が離れていくかもしれないと考えるだけで『あいつ』がきゃっきゃと暴れる。ウィリアム様の言葉が頭に響く。
ウィリアム様の言葉は、毒だ。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・ん?」
私がぼんやりと絨毯を眺めていると、誰かがドアをノックする。それに気づいたケイトが雰囲気を変えようと思ったのか、そそくさドアへと向かう。もしかしたらなかなか甲板に来ないからとウィリアム様かオルトゥー君が来たのかもしれない。
できれば今はウィリアム様の顔を見たくない。そう思っても、どうしてもドアへと視線を向けてしまう。だけど私が予想していた方の姿はなく、むしろ意表を突かれるような人の姿があった。
「げ・・・・嫌味男・・・・」
「なぁによ、人の顔見て『げ』って。しかも嫌味男ってなに!?あたし女だけどぉ!」
「ヴェートマンさん・・・・」
ケイトがヴェートマンさんとドアの前で顔を合わせた途端暴言を吐く。余程嫌いなのだろう。ケイトは嫌いなものは嫌いなタイプだ。そのケイトの言葉にヴェートマンさんも二倍三倍の文句で返事をしていた。
私は自分の使用人が失言をしていると気付き、『あいつ』のことを無視して駆け寄る。するとヴェートマンさんと目が合う。まだドアまでは距離があるが、しっかりとヴェートマンさんは私を爪先から頭までじっくり見ると、はんっと鼻で笑った。
「なぁにその格好、おばちゃんみたい」
「おばっ・・・お嬢様のどこがおばちゃんなのよ!」
「そんな服どこで買ったのかしら、あたしなら恥ずかしくて出歩けないわよ」
「あんたじゃ入らないでしょ!」
「あんたさっきから失礼なのよ!」
「ケイト、もうそれ以上失礼な言葉を吐かないでください」
どうしても反りが合わないらしいケイトとヴェートマンさんがドアの前で喧嘩をしている。一等客室の付近は人も少ないので見られることもないだろうが、これだけ大声で話していればそのうち喧しいと文句を言われてしまうかもしれない。
私はケイトの腕を引くと自分の後ろに隠す。そしてワンピースの裾を掴み、膝を曲げゆっくりと会釈をする。その様子を顎に手を添えてじっとヴェートマンさんが眺める。な、なんか品定めされているような気がして嫌だな。
そう思いながらも最後まで綺麗に挨拶を済ませ、ヴェートマンさんを見上げる。心は女性でもしっかりと男性の服を着込んでいるヴェートマンさんは船旅に似合いそうな薄茶のパンツに茶色のベルト、そして白シャツというシンプルな格好だけど一つ一つの素材が良いということと、骨格にフィットしたサイズであるということも合わさってとても綺麗だった。
ヴェートマンさんの『品定めタイム』が終わったようで、徐に部屋へと足を一歩入れる。それをケイトが嫌そうに眺めながらも、私が貴族らしくお出迎えの挨拶をした手前何も言えないようだった。
「・・・ちょっと話しましょうか」
「はい」
ヴェートマンさんがリビングへと向かい、そのまま一人掛けのソファに座る。私とケイトもリビングへと戻るとそのまま二人掛けのソファに座った。
だけどそれが意外だと思ったみたいで、ヴェートマンさんは目を見張ると私をじっと見た。
「あら、あんたとそこのじゃじゃ馬は主人と使用人の関係なんじゃないの?」
「誰がじゃじゃ馬よ!こんのお尻うねうね男!」
「じゃじゃ馬で反応してるんだからあんたなんでしょうね!っていうかお尻うねうねって何!」
「歩くとき腰振ってるじゃない!」
「癖なのよ!あとあたし女だから!・・・・っもう、あんたと話してると馬鹿になるわ」
「なんだとぉ・・・・!」
「ケイト・・・・・・」
反りは合わないけれど、なんとなくこの二人は性格が似ているからうまくいけば仲良くなるような気がする。それはウィリアム様と魔術師のコンフィアンス様を見ているから、そう思ったのかもしれない。あの二人も言い合いはするけど、結局仲良いみたいだし。男友達って不思議だ。
私が「もうやめなさい」と目で訴えたことでケイトが静かになる。ヴェートマンさんも大きくため息をつくと再び私へ視線を向ける。なので私もしっかりとヴェートマンさんを見てから口を開いた。
「先ほどの問いですが、私とケイトは確かに主人と使用人という関係です」
「その割には随分仲良いみたいじゃない。この前もあたしの店でそのじゃじゃ馬庇っていたし」
「・・・・ケイトにはよくしてもらっているので、当然だと思います」
「ふぅん・・・・だから同じ席に座らせるのね」
「・・・・はい」
「・・・・あんた甘ちゃんよねぇ・・・ねぇ?箱入り娘ちゃん」
その挑発するような呼び方に思わずぴく、と眉を動かす。だけどここで私もケイトのように文句を言っていては話が進まない。以前ヴェートマンさんの店で失礼をしたこともあるし、できるだけ穏便に済ませたい。
私がぐっと拳を握り堪えていることに気づいているヴェートマンさんが片眉を上げながら微笑む。それから足を組むとご自分の頭の後ろに腕を回して薄い唇を開いた。
「あんた分かってる?ウィリアム様ってとってもお嬢様に人気なのよ?」
「・・・・・・」
「以前ウィリアム様に晩餐会へご招待いただいたの。二年前だったかしら・・・その時もウィリアム様ったらどこを歩いていてもお嬢様に声かけられちゃって、断るのに苦労されている様子だったわ」
「・・・・・・」
ヴェートマンさんの言葉に先ほどケイトから言われた『ウィリアム様が誰かに取られちゃう』という言葉を思い出してしまう。そうするとどうしても『あいつ』が動き出そうとするので必死に胸を押さえる。
その仕草を見てヴェートマンさんがくすくすと笑う。お見通しというわけか?嫌な笑い方だ。
それでもヴェートマンさんは愉快だと微笑む。そしてテーブルに置かれたグラスを一つ取るとそこにブランデーを注ぐ。どうやらヴェートマンさんも昼から飲める口らしい。
ブランデーを口に含み、グラスを外さないままこちらを見る。うっそりと半月のように目を細めて笑う姿はまるで男性には見えなかった。
「どのお嬢様もお綺麗だったわ・・・公爵家のお嬢様もいたんじゃないかしら。普通だったらウィリアム様も尊いお立場だし、そのままゴールインとなるのが筋よね」
「・・・・・」
「でもウィリアム様ったらこんな地味でお洒落の意味も知らないような子を連れて来たのよ」
「・・・・・」
「・・・・初めてお嬢様を連れて来たのよ」
「え・・・・・」
まさか。と私とケイトが目を見張る。その表情にヴェートマンさんは苦虫を噛み潰したように顔を歪めてグラスをテーブルに置く。それから足を組み直すと、ソファに腕を乗せて窓へと視線を向ける。
どこまでも続く水平線に白波が立つ。どの波も夏の日差しを受けてキラキラと輝いていた。
それを眺めるヴェートマンさんの横顔はどこか憂いを帯びている。その憂いの意味が『地味なお嬢様なんか連れて来るなんて最悪』というもののような気がして、私は声を掛けることができない。
ヴェートマンさんがこちらをちら、と見る。そして私の服を眺めると大きなため息をついた。
「・・・ウィリアム様は私のお気に入りなの。何度モデルになってとお願いしたことか。専属デザイナーにしてと泣きついたこともあるわ。だけどその度に『自分のことは自分でやりたいし、誰かに見せびらかしたいわけでもない』って言うのよ」
「・・・・・・」
「分かる?あんたみたいに誰かに頼って生きていくことを嫌ってるのよ。だからこそ尊いの、だからこそ私が世界一美しくしたいと思うの」
「・・・・・・」
「あれだけのセンスを持っていながら、より一層ご自分を磨こうとするのよ」
「・・・・・」
そこまで言われ、私はウィリアム様が屋敷にいらっしゃる時の服装を思い出す。一度だって同じ服を着ているところを見たことがない。今までまるで気づかなかったけれど、季節に合わせて髪の長さも整えていらっしゃるようだし、髪型にも気を遣っているようだった。
その間私は何をしていたのだろうか。
何もしていない。ケイトの服選びのセンスに甘えて、一度も雑誌を開いたことさえなかった。そんなものがこの世にあることさえ知らなかった。
ヴェートマンさんの言葉に私もケイトも黙ってしまう。だけどまだヴェートマンさんは言い足りないようで組んでいた足を外すと、そのまま立ち上がって私の前に立つ。
それから腕を組んで、弱々しく眉を下げた。
「・・・あんたちゃんと分かってるの?全部あんたのためじゃない」
「え・・・・・」
「はぁ・・・やっぱり気づいていないのね・・・ウィリアム様かわいそう・・・・」
信じらんない。と口元を手で隠してヴェートマンさんがソファの横で蹲る。
それから私の太腿を片手で掴むとふにふにと握る。私が驚いてバッと意味もなく両手を胸の前まで上げる。ケイトも顔を青ざめて見ているが、私もケイトも動かないのはヴェートマンさんが見た目は男性でも心は乙女だと分かっているからだ。
だけどそのリアクションが気に入らなかったようで、ヴェートマンさんがじとっとした目を向ける。
「・・・・どうすんのよ、あたしが女も男もいけたら」
「えっ」
「『えっ』じゃないわよ!危機感ないわねぇ!あたしは女よっ、これはただ肉質を確認しただけ!」
「・・・そ、そうですか・・・・」
「・・・あぁもう!あんたらと喋ってると話が進まないわっ」
「す、すみません」
ぺこぺこと頭を下げる。そうすると忙しないと思われたのか頭を片手で掴まれた。ああ、心は乙女でも手はとても大きいですねと他所で思った。口に出そうなどは一生思わない。
ぎりぎりと頭を掴まれる。せ、せっかく詰め込んだ魔術の知識が消えてしまう。私は慌ててヴェートマンさんの手に触れる。だけど離すつもりはないのかさらに力を込めて握りこまれ、そのまま鬼のような形相で覗き込まれた。
「あんたとウィリアム様が出会ったのはいつごろなのよっ」
「い、いたっ・・・・・」
「いつ!」
「い、一年くらい前です・・・・」
「・・・・やっぱり」
「・・・・・・な、なん・・・い、いたっ」
「・・・その頃からよ!ウィリアム様があたしの店によく通われるようになったのは!」
「・・・・・っ」
「その前も定期的にいらっしゃってたけど、今のような頻度じゃなかったわ!この前なんて青色系のシャツばっかり買ってらして・・・・!」
「あ、青・・・・・?」
「気になって聞いてみたら『彼女が好きみたいで』って天使のようにはにかむのよ?血が滲むほど歯を食いしばったんだから!ウィリアム様をそのまま怒り狂って襲わなかったあたしを褒めてあげたいわ!」
「・・・・・・」
ヴェートマンさんの言葉に私は以前、中央司令部で魔力を使い過ぎてしまい倒れた日のことを思い出す。
あの時、なんとなく同じ色のシャツを着ているウィリアム様を見ていたらそれだけで嬉しくなった。お揃いだなぁなんて意味もなく考えて、熱に浮かされたまま伝えてしまった。
あの日のことをウィリアム様が覚えていて、だからシャツを買ったのか。『彼女』がそういう意味で使われたのだとしたら、時系列で考えるとそうなる。
かぁぁぁと顔に熱が集まる。ケイトはその時その場に居合わせなかったので首を傾げているが、私は熱に浮かされてもその時のことをよく覚えているから余計に恥ずかしくなった。
ウィリアム様の私に対する感情があまりにも優しくて声が出ない。ぷるぷると震えながら眉を下げる。するとその表情を見ていたヴェートマンさんが『そんな顔できるならもっとあの人の前でしなさいよ』と思っていたらしいが知る由もない。
「その彼女を連れて来たウィリアム様の顔をあんたは見てなかったでしょうけど悶え死ぬほど可愛かったのよ!『私の彼女見てください』みたいな顔するんだから!」
「・・・・・」
「だからどんな女なのよって、ブスなら刺し殺してやろうと思ってあんたを見たの」
「ブ、ブス・・・・・」
「・・・・そしたら服のセンスはまぁまぁでスタイルもまぁまぁのあんたがいたわけ」
「(・・・つまり平凡なのか・・・)」
「まぁまぁすぎて殺せるものも殺せないのよ、生殺しよこっちがぁ!」
「いっ・・・いだだだ・・・・」
「お、お嬢様ぁ・・・・!」
思い出すだけで憎悪が生まれるわぁとヴェートマンさんが私の頭を掴む手に力を込める。もう男とか女とかの性別を超えて魔力でも込められているのではないかという激痛に私は頭を押さえる。ケイトも顔を真っ青にしながらヴェートマンさんの肩をぽかぽかと叩くがまるで効いていないようだった。
そんな私たちを見てヴェートマンさんが眉を顰める。ぬるま湯に浸かって甘い生活を送っている私とケイトを見る目は冷たい。
だけど、なぜか冷たい目を向けながらもヴェートマンさんが微笑んだ。それと同時に頭を押さえる手の力も消えていく。半ば涙を流しながら私とケイトがヴェートマンさんを見上げる。
その諦めたような表情に、言葉が出なくなった。
「・・・・まぁまぁすぎて殺せなかったけど、まぁまぁなら磨けばなんとかなるわ」
「え・・・・・」
「・・・ウィリアム様があたしの店にお嬢様を連れて来た。そしてあんたを見せた」
「・・・・・」
「あたしのお気に入りのお気に入りなんだったら、あたしが着飾らなきゃだめ」
「・・・・ヴェートマンさん」
「ウィリアム様のためにも、今度はあんたがセンスを磨く番でしょ」
「・・・・・・」
そう言ってため息をつくヴェートマンさんを見ていたら、ああこの方は本当にウィリアム様が好きなんだなぁと思った。ウィリアム様が突然足繁く店に現れるようになって、彼女のために青色のシャツばかり買うのなら、その手伝いをしたいとヴェートマンさんは考えている。
大好きなウィリアム様のためだから、ヴェートマンさんは私も含めてウィリアム様をより一層デザイナーとして手伝いたいと、そういうことなのだろう。
ただセンスのない地味なお嬢様だから服を選んでやるなんてこと、ヴェートマンさんは考えていない。そこにウィリアム様への愛があるからなのだ。
ただ嫌われているから、見返してやりたいと思っていた自分が恥ずかしくなる。ヴェートマンさんはもっと別の視点で私を見ていたのだ。
「・・・・・・」
私はスッと立ち上がる。そして屈み込んだままのヴェートマンさんも立たせると、今までの無礼な態度も感情もお詫びしたいと頭を下げた。
そうするとヴェートマンさんが目を見張る。ケイトも急に私が一流デザイナーとはいえ領民であるヴェートマンさんに頭を深々と下げたからかぎょっとしてこちらを凝視した。
「・・・・ヴェートマンさん」
「・・・・なによ。言っておくけど謝らないわよ、あたし思ったことは口にするって決めーーーー」
「申し訳ありませんでした」
「・・・・・・」
「私はただ地味だからと、そんな地味な女が店に来るんじゃないと思われているとばかり考えていました」
「・・・・・」
「・・・・ヴェートマンさんは、本当にウィリアム様がお好きなんですね」
そう言って、頭を上げる。先ほどケイトにウィリアム様をお嬢様に取られてしまうと言われた時のように『あいつ』が現れることはない。もしヴェートマンさんにウィリアム様を取られてしまっても、これだけウィリアム様を理解し、サポートができる方なら仕方ないと思えてしまうから。
でも、私もウィリアム様をす、好きだと気づいたから。
「どうか、私に服選びのコツを教えていただきたく」
「・・・・・・・」
「私も、ウィリアム様のことを・・・その、・・・す、す・・・・好きなので」
「(好きって言うだけでどんだけ時間かかるのよ・・・)」
「だからどうか、教えてください。ウィリアム様をす、・・きなもの同士、ウィリアム様を喜ばせるためにも・・・よ、よろしくお願いします」
「・・・・・・・」
もう一度頭を下げる。その真剣な表情と言葉に、ケイトがじっとヴェートマンさんを見上げた。
『絶対に断らないで』とケイトが目で訴える。その甘やかすような視線にヴェートマンさんは大きくため息をついて目を覆う。ーーーだけどそれもいい。とヴェートマンさんは笑う。
「あたしの指導はきっついわよぉ?」
「・・・・はい」
「途中で逃げ出したり投げ出したらウィリアム様襲うから」
「ゔ・・・・絶対に逃げ出しません」
「絶対よ?絶対に逃げ出さないのよ。逃げ出さないし、やりきるって誓いなさい」
「や、やりきります・・・・!」
「・・・・ふふ、いい返事じゃない」
「あ、ありがとうございます」
真っ赤な顔で叫ぶ私にヴェートマンさんがやれやれ、と手を上げながら足をドアへと向けた。
あれ、帰るの?と私とケイトがぽかんとする。その視線を背中に受けたからか、ヴェートマンさんは喧しそうに眉を顰めながらこちらを振り返る。
「その服じゃ外出歩かせられないわよ、新しい服持ってきてあげるから着なさい」
「・・・・ありがとうございます」
「あと、あたしが持ってきた雑誌を船に乗っている間に全部読みなさい!」
「は、はい!」
「エスプリに着いたらあたしの荷物持ち兼付き添いもするのよ!あんたに服選びが何たるかを教えてあげるから!」
「はい!・・・・あ、でも私お姫様に魔術の指導を・・・・」
「だったら他の時間は全部あたしに捧げなさい!」
「はい!先生!」
思わずヴェートマンさんを先生と呼んでしまう。そうするとヴェートマンさんは一瞬きょとんとしたあと、吹き出すように笑って部屋を出て行く。
「・・・・・・」
「・・・・・・・」
まるで嵐のような人だ。とケイトと顔を見合わせる。お互いに今の状況を処理しようと意味もなく黙って手を握り合う。だけどすぐに服を持って戻ってきたヴェートマンさんにその場を見られて『できてんの』と言われすぐに離れた。
それからばさっと服をソファに何着か並べる。素材が一級品の袖なしワンピースがきらきらと輝いている。服に興味のあるケイトはまるで宝物を見るような目でワンピースを眺めているが、私はただただ高そうだなと思ってしまう。なのですぐに顔をぶんぶんと振ると、ケイトと一緒に服に触れてみたり、体にあててみる。
その中に、先ほどヴェートマンさんとの会話に出た色のワンピースを見つける。青空色のワンピースは裾と腰の部分に金色の縄のような刺繍がされていて、ベルトをつけなくてもアクセントになっていると思った。
それを体に当てる。ケイトもソファに並べられたワンピースから視線を外すとこくこく頷く。なので私はヴェートマンさんへと青空色のワンピースを見せる。するとなぜかため息をつかれた。
「あんた分かりやすすぎ。さっきのさっきでその色のワンピース選ぶなんて」
「・・・・・す、すみません」
「まぁ、私もあんたならこれ選びそうと思って持ってきたんだけど」
「(すごい・・・もう私がどの服を選ぶか分かってるんだ・・・さすがだな)」
「・・・・それ、くびれを強調するために少し詰めてるの。分かる?」
「あ・・・・本当だ」
「気付きなさいよ。・・・・女性らしいラインを引き立たせるために腰は詰めて、逆に裾の部分は少し体を揺らせばスカートも揺れるように作ってるのよ」
「す、すごい・・・・」
「首元も詰まらせてるのよ。鎖骨が見えない分色気は減るけど、可憐さは引き立つから。あんたあんまり肌見せるの好きじゃないみたいだし。地味だから」
「ゔ・・・・」
「あと、その色選ぶなら口紅塗り直しなさい。もっと淡い色よ。・・・じゃじゃ馬用意しなさい」
「じゃっ・・・・わ、分かったわっ」
ケイトがヴェートマンさんの言葉に反応しそうになりながらもトランクから化粧道具が入っているポーチを取り出す。その中から淡いピンクの口紅を手に持ちこちらへと戻ってくる。だけどヴェートマンさんは気に食わないようでケイトからポーチを奪うとばらばらテーブルの上に並べた。
「口紅は一つだけ使ってもいいけど、二色混ぜたっていいのよ」
「なるほど・・・勉強になります」
「はい、これで拭って」
「は、はい」
「・・・・取れたら全体に淡い色を塗って。それから真ん中にとんとん、って濃い色を乗せるの」
「はい・・・・」
言われた通りハンカチで口紅を拭う。そして手鏡を持ってピンクの口紅を全体に塗って行く。口紅だけは前にケイトから塗り方を教えてもらったので自分で塗れる。
一度確認をしてヴェートマンさんに見せる。すると眉を顰めながら近くにあったメモ帳を破り、私に手渡す。
「はい、んーま」
「んーまっ」
「次は濃い色塗って」
「はい」
「ばっかじゃないのっ、乗せるだけよ!塗るんじゃないの!」
「え・・・・でも今塗るって・・・・」
「っあぁもう!いいから貸しなさい!」
要領を得ない私についに切れたヴェートマンさんが口紅を引ったくって唇にとんとん、と乗せて行く。それから薬指で私の唇を叩くと、それで終わったのか鏡を見ろと言われる。
そうすると、唇がいつもより血色が良く見える。すごい、たったこれだけの一手間でこうも変わるのか。
ケイトもすごいと思ったのかぱちぱちと拍手をしながら「可愛いですよ」と言ってくれる。だけどヴェートマンさんはこんなことも一人でできないのかと言いたげな瞳を向けた。
それからドアへと再び歩き出す。これでレッスンは終わりなのだろうか。そう思いケイトと一緒にその場から見送る。
しかしそういうことではなかったようで、ヴェートマンさんが苛々したようにこちらを振り返ると私の腕を引っ張った。
「ほら、さっさとウィリアム様に見せに行きなさいよ!そのためにやったんだから!」
「あ、は、はい・・・・!」
「じゃじゃ馬も!」
三人で部屋を出る。鍵を閉め、すっかり人がいなくなった廊下を駆け足で進む。
その時、先を歩くヴェートマンさんの横顔が少しだけ見えたのだけど、どこか楽しげだった。これからウィリアム様に会えるからだろうか。
あ、やばい。ウィリアム様にこれから会うと思ったら急に緊張してきた。
「(ま、待って・・・どんな顔でウィリアム様に会えばいいんだろ・・・・・)」
だけど私の気持ちなど全く気にも留めていないヴェートマンさんがすたすたと甲板へと出る。私の手を引いたまま、きょろきょろとあたりを見回すとウィリアム様の姿を見つけたのか腰をくねくねとさせて今まで以上に早足で向かう。
「ウィリアム様っ」
「あ・・・・あぁ、ヴェートマンさん」
「会いたかったわぁっ・・・!ウィリアム様もあたしに会いたかったですかぁ?」
「はは・・・・そうですね」
「やだぁん!あたしもですよぉ」
「・・・・・」
先ほどの鬼の形相をしていた方と同一人物だと思えない。きらきらと顔を輝かせてウィリアム様を見ているヴェートマンさんは本当に乙女のようだ。
そのヴェートマンさんの熱意にウィリアム様が頬を引きつかせている。一緒に待機をしていたブライトさんとオルトゥー君も、初めて顔を合わせたヴェートマンさんに驚いて言葉を失っているようだ。
その中、ウィリアム様が私を見つける。ヴェートマンさんの後ろでどうウィリアム様に声をかけようかと緊張している姿に、幸せそうな表情を浮かべる。その微笑みにヴェートマンさんが胸を押さえて甲板の手すりを強く握り締めた。
ウィリアム様が私へと歩み寄る。そしてワンピースの色が変わっていることに気づくと、眉を上げて柔らかく目を細めた。
「着替えたんだ」
「あ・・・その、・・・はい」
「ヴェートマンさんが作ったワンピースかな」
「・・・・・そうです」
「可愛いよ」
「・・・あ、・・・ありがとうございます・・・」
ヴェートマンさんが作ったワンピースを褒められる。ウィリアム様はそのワンピースを着ている私を見て『可愛い』と言ったらしいが、それに気づかない私は服選びを褒められた!と思わず手すりにしがみついているヴェートマンさんへと視線を向ける。
するとその視線に気づいたのか、ヴェートマンさんがこちらを向く。そして眉を下げて微笑む。その微笑みに、ウィリアム様を好きだからこそあんたを着飾ってあげているのよ、という声が聞こえた気がした。
「・・・・・・」
ワンピースに皺がついてしまいそう、と思いながらもぎゅうと握りしめる。せっかくヴェートマンさんが選んでくれたワンピースでウィリアム様の前に立っているのなら、もっと頑張らないと。そうじゃなきゃヴェートマンさんは心から喜べない。ケイトだって、私を応援してくれている。
ケイトが選んで買ってきてくれた口紅をつけた唇がちゃんとウィリアム様に見えるように顔を上げる。そして少しだけ体を揺らすとヴェートマンさんの言っていた通りワンピースがひらり、と揺れた。
私の仕草にウィリアム様が目を見張る。その眠たげな瞼の下に転がる宝石のような深緑の瞳を見ていると恥ずかしくて緊張してしまって口から心臓が飛び出そうだ。
だけど、頑張るって決めたから。
「・・・あ、あの・・・・」
「うん?」
「ウィリアム様は・・・・その、・・・」
「なに?言ってごらん」
「・・・・・・」
ウィリアム様が私へと一歩歩み寄り、頬に手を添える。すり、と親指の腹で頬を撫でられる。そうされるとこそばゆくて片目を瞑ってしまう。その仕草にウィリアム様がくすくすと微笑みながら目を細めた。
美しい表情にゔ、と言葉を詰まらせる。だめだ、すぐに弱気になる。
私はぐっと拳を握ると、恥ずかしくて真っ赤になりながら視線を海の方へと逃がす。そこには紺色の海が広がっていて、そこに太陽の光が降り注ぎきらきらと輝いていた。
ワンピースは青空色だけど、今の海のように太陽の光りを受けている様子は金色の刺繍を施されたようだった。
「・・・・・・」
もう一度ウィリアム様を見上げた。そして唇を少しだけ噛む。それから血色の良い口紅が見えやすいようにさらに近づく。まさか自分から近づいてくるとは思わなかったウィリアム様が身動ぐ。
逃げちゃうかも。と思い、急いで頬に添えられているウィリアム様の手を掴む。
今日のウィリアム様のシャツは白だ。そのシャツの袖を掴み、眉を下げながら見上げる。ウィリアム様も私の仕草にそわそわするようで、じっとこちらを見下ろしている。
「あの・・・・・・」
「・・・・・・うん」
「ウィ、ウィリアム様は・・・その、青色のシャツを持って来ていらっしゃいますか」
「青?・・・うん、持って来てるよ」
「・・・・・・」
「・・・・ジェニー?」
「・・・・お・・・お揃いにしたいなぁ・・・・と・・・・」
「・・・・・・・」
「だ、だめでしょうか・・・・」
そこまで言って、息を止めていたと気付き顔を背けぜぇ、と浅く息をする。ケイトが近くで口元を両手で隠してぷるぷると震えていた。あれ、ウィリアム様も震えているような。
なんだろう、笑われるのだろうか。そう思いウィリアム様をそろ、と見上げるとケイトと同じように口を手で覆って必死に何か飛び出しそうなものを必死に堪えているようだった。
やっぱりおかしかったかな。と急に恥ずかしくなる。私はウィリアム様に意味もなく手を伸ばすとそれ以上こちらを見るな、と訴えた。手が訴えた。
「・・・・笑うなら早く笑ってください」
「・・・・・・・」
「・・・・・あの、ウィリアム様?」
「・・・・笑うわけないよ」
「うっ・・・・」
制止の意味を込めて伸ばしていた手をウィリアム様が引っ張る。そしてそのまま私を抱きしめると背中に腕を回してぎゅう、と力を込めた。
はぁ、とウィリアム様が大きなため息をつく。それに驚いて肩を跳ねさせるとウィリアム様に届いたのか顔を離してこちらを見下ろされた。
間近にあるウィリアム様の眉が下がっている。だけど口元は微笑んでいた。いつものようにくっきりと微笑むのではなく、弱々しく上げていた。
なんだろう、その微笑み方好きだ。と意味もなく思って死にそうになった。
「ジェニファーは私をどうするつもりなのかな」
「は・・・・どうするとは」
「・・・初めてだよ、ここまで誰かを思って幸せだと感じるのは」
「・・・・・・」
「可愛いの上を行く言葉はあるのかな」
「や・・・お、おやめください」
「やめないよ、むしろやめられないようにしているのはジェニファーだろう」
「わ、私は何も・・・・」
「したよ。ジェニファーはずるい」
抱きしめられたまま頬に手を添えられる。少しムッとしているように見えるのは幻覚だろうか。
あまりにも近い顔にわなわなと唇を震わせる。その唇を頬に添えていた手で触れると、そっと下唇の上に指を乗せる。ふにふに、と触られてどうしようもなく恥ずかしくなる。い、いやもうこっちを見ないでくれ。
「ずるいな・・・どうして私ばかりこうも好きだと思わせられるんだろうか」
「・・・・ウィリアム様、あの」
「・・・このまま部屋に連れて帰りたいな」
「だっ・・・だめです!」
急に雰囲気を変えたウィリアム様が生温かい瞳をこちらへ向ける。それから片方の口角だけ上げ、ゆっくりと顔を近づける。傍で様子をうかがっていたオルトゥー君が騒ぎ出す。それをブライトさんが止めるとそのまま遠くへ連れ去った。
それが横目に映った私がおろおろとウィリアム様を見上げる。だけど潮風を受けて前髪をふわふわとさせているウィリアム様は私以外見るつもりはないのか、より一層顔を近づけると間近でにっこりと微笑んだ。
「そこまで時間はかからないよ、服も皺がつかないように気を付けるから」
「おやめくださいっ・・・」
「・・・・もうそろそろいいんじゃないかな」
「だっ、なっ・・・・待っ・・・・」
「口紅は取れちゃうかもしれないけど」
「・・・・っ〜・・・ウィリアム様!」
「はは・・・・分かったよ、ごめんね。恥ずかしかったね」
ぽんぽんと背中を叩かれる。それからゆっくりと私から離れるとウィリアム様はそのまま甲板から去るようで歩いて行く。それに気づいたヴェートマンさんがウィリアム様の色気に当てられながら鼻を押さえ声をかける。私はその間助かった。と近くにあった手すりにずるずると倒れ込む。
その様子をヴェートマンさんに呼び止められ振り返ったウィリアム様が見る。
先ほどの私の必死な行動に胸を打たれたウィリアム様は、私が項垂れている姿に少しは仕返しができたかなと思ったらしい。それからニッと歯を見せながら私とヴェートマンさんに笑う。
私とヴェートマンさんはその無邪気な笑顔に『か、可愛い』と思った。
「少しお待ちいただけますか、ヴェートマンさん」
「あ、ええ・・・・でもどちらに?」
「私の可愛い彼女が着替えてほしいようなので、部屋に戻ります」
「(やだあたしも言われたい・・・・・!好き・・・・!)」
「お人形さんも待ってて。お揃いにしようね」
「・・・・・っ」
甲板から去ったウィリアム様をぼんやりと私とヴェートマンさんが眺める。そして黙ったままお互い顔を見合わせると、堰を切ったように手を握り締めあった。
「あんたっ、やればできるじゃない!」
「ヴェ、ヴェートマンさんのおかげです・・・・」
「ウィリアム様のあの可愛い笑顔見たぁ?!何よもう死ぬかと思ったわよ!」
「はい・・・・はい・・・・」
こくこくとヴェートマンさんの言葉に頷く。お互いウィリアム様を好きな者同士、ウィリアム様の一挙一動に反応してしまう。そして私はこういうのなんかいいなと、ヴェートマンさんも友達ではなくもう『仲間』だなと思った。
ヴェートマンさんが興奮したように腰に手を置いて私を見下ろす。それから片眉を下げながらため息をつく。その表情は初めて店で顔を合わせた時よりも優しく見えた。
「まだまだだけど、・・・それにまぁまぁだけど、まぁまぁなりに頑張ればできるんじゃない」
「・・・・ありがとうございます」
「これからあんたをウィリアム様に釣り合うだけの女にしてあげるから今後も頑張りなさい!」
「はい、先生!」
ぐっと胸の前で拳を握る。その私の仕草にヴェートマンさんが微笑む。
その笑顔に、どれだけ辛くても絶対に投げ出すもんかと思った。
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