お嬢様の旅行
「えぇと・・・・ウィリアム様、こちらの方は」
「・・・ジェニファーのお兄様だ」
「ラーク・スペンサーだ。よろしく」
「ブライトです・・・ほら、オル君も」
「・・・・オルトゥーです」
「・・・・・・」
き、気まずい。
兄とウィリアム様と共に馬車に乗り込み、ブライトさんのお店『ブランシュ・ネージュ』を訪れた。
いつものように指紋一つないお店のウィンドウから私とウィリアム様が見えたオルトゥー君がこちらへと駆け寄ってくる。その腕を目一杯広げ、私へと抱きつこうとしたのだけど、それに気づいた兄が腕を組んで睨む。
その時のオルトゥー君の引きつった笑顔は一生忘れないと思う。
「・・・・・・」
「・・・・・」
兄が自己紹介をしたところから沈黙が続く。
ブライトさんがお茶を出そうと立ち上がる。オルトゥー君も気まずいのかついていくようだ。私と兄は丸椅子に、そしてウィリアム様は専用の椅子に座っている。だけど誰も何も言おうとしない。
兄よ、あなたは何をしたいのですか。
久しぶりにブライトさんやオルトゥー君に会えたのでご挨拶をしたいが、兄の雰囲気が暗すぎるので気まずい。だけどこのまま私が兄に萎縮していたらいつまで経っても雰囲気は悪いままだ。
私は隣に座る兄へと視線を向けると、愛想笑いを浮かべた。
「お、お兄様」
「なんだいジェニファー」
「ここに来るのは初めてですよね」
「そうだね」
「よかったら、ブライトさんに作品を紹介していただきましょうか。私も久しぶりに訪れたので、新作を見たいと思っています」
「・・・・ほう?その言い方だとここはよく来ているのか」
「・・・・久しぶりに来ました」
「・・・常連客のような話し方だったけどね」
「・・・・・・」
常連客で何が悪いのか。まるで私がここを訪れることを良く思っていないような言い方だった。私は思わずムッとして兄を見る。すると私の表情に兄が言葉を詰まらせる。
今まで父や母は私が外出をすることを快く思っていた。それはウィリアム様との婚約を望んでいるから外出だろうが外泊だろうがいくらでもしてくれという話なのだろうが、それ以上に私が研究室ばかりに入り浸るのではなく、たくさんの経験をしようとしているから喜んでくれていた。
兄はそれを良いと思っていない。それは初めての経験だった。
兄は外出するよりも、研究室にいたほうがいいと思っているのだろう。私も研究室で実験をすることはとても有意義なので好きではあるが、こうやってブライトさんのお店でお茶を飲んだり、オルトゥー君と会話をするのは好きだ。
それを全て否定されると、なんだろう、すごく嫌だ。
「・・・・お兄様」
「・・・・なにジェニファー」
「一緒に作品を見ましょう」
「・・・・・・・」
「私が通う理由が分かると思います」
「ジ、ジェニファー・・・・・」
兄の手をとって椅子から立ち上がる。その私の横顔を見て、ウィリアム様が柔らかく微笑んだ。
何も言わずに手を引かれる兄と新作コーナーへと向かう。そこには夏に似合うような取っ手のない水色のグラスが置かれていた。鮮やかな線がいくつも入っていて、ここにオレンジジュースを入れて飲んだらそれだけで涼める気がする。
そのグラスを手の上に乗せ、兄に見せる。すると兄も綺麗だと思ったのか、そのグラスをじっと眺めた。
「とても美しいですよね、私はブライトさんの腕は街一番、いえ国一番だと思っています」
「確かに目を見張るものがあるな・・・・」
「あの工房で実際に見ることもできるんですよ」
「ふむ・・・客に見せながら作成するのか。その方が客も購買意欲が上がるな。その職人技を見せられたら買いたくもなる」
「・・・・・・」
「・・・っだからって僕は買わないよ!」
「(私は従業員ではないので買ってほしいわけじゃないです)」
なぜそうなる。と思いながら兄をじとっとした目で見上げる。
だけど、兄にもブライトさんの腕の良さは分かるんだ。それを兄に気づいてもらえただけでも私は嬉しくなった。
ブライトさんとはもう一年くらいの付き合いになる。その職人技を見せてもらうだけでなく、いつも何かと声をかけてくれたり、さりげなくサポートをしてくれたりするのでとても頼りにしている。もしブライトさんと会うことがなかったら、私はウィリアム様にも出会えなかった。
私が『普通のお嬢様』であることも、気づくことはなかった。
だから感謝しているのだ。私だって誰かを好きになることができるんだ。母の胎の中に忘れてきたとばかり思っていた感情を、私も持っていたのだと気づくことができた。その感情にまだ私は慣れていないけれど、でも以前の私に戻りたいとは思わない。私の世界はより一層鮮やかなものになっているのだから。
私がそれを、一番望んでいるのだから。
「(まぁ・・・だからってすぐにウィリアム様を好きな気持ちに慣れるわけじゃないんだけど)」
今日だってウィリアム様の顔を見たら挨拶さえできなかった。ウィリアム様は普段通りでけろっとしているけど、私はもうウィリアム様の目も顔も、声を聞くだけでも心臓がはち切れそうだ。それは私とウィリアム様では経験値に大きな差があるからなのだろうけど、いつまでもこうやって避けていてはウィリアム様も良い気持ちにはならないだろう。
ちゃんと、ちゃんと好きだって言わないと。
そう考えれば考えるほど恥ずかしくなる。思わず頭を抱えると、その様子を間近で見ていた兄がグラスをコーナーへと戻しながらため息をつく。
「ブライトさんだったか、その方の腕が良いことは分かった。でもどうしてここを訪れるようになったんだ?兄さんはジェニファーが外出していることさえ知らなかったよ」
「・・・・このお店に来るようになったのは、一年くらい前からです。ブライトさんはとても巧みな技をお持ちですが、そのため目を酷使しすぎてとても疲労されていたんです」
「・・・・・・」
「それをウィリアム様が知られて、私を訪ねて来られたんです」
「ウィリアム殿が・・・・・?」
「はい。ウィリアム様とブライトさんは以前からお知り合いなので、ブライトさんが相談されたんだと思います」
「・・・・それをどうしてジェニファーに話すんだ」
「私が魔術に詳しいとウィリアム様がご存知だったからです」
真っ直ぐな瞳で兄を見上げる。その真剣な眼差しに兄が目を見張る。今まで妹がここまで屋敷の人間ではない誰かの話を真剣にする姿を見たことがなかった兄は、その表情から何かを感じとる。
私がぺらぺらとブライトさんのために行った実験について話す間も、ただただ黙って聞いている。その時兄は『妹を取られる』と実感し拳を握っていたようだが、私は話すことに夢中で気づくことはなかった。
「結果、ブライトさんの視力を良くすることはできませんでしたが、業務に支障が出ないよう虫眼鏡をパンメガス草の煮汁を使って大きくし、サポートをすることはできました。ケイトにもお願いをして目に良いとされている食材を紹介し、ブライトさんも食生活から改善するようになりました」
「・・・・・」
「今は目の調子も良いようで、その巧みな技に磨きがかかっているようです。なので私もこうやって作品を見せていただいています。・・・・身勝手ですが、少しでも私の実験のおかげで磨きがかかっているのだったら、その作品を見たいと思っても良いかと思います」
「・・・・だったらケイトと一緒に行けばいいじゃないか。ウィリアム殿である必要があるか?」
「・・・・・・どうしてだめなんですか?」
「・・・・ジェニファー」
「どうして私がウィリアム様とこのお店に来てはいけないのですか?それをお兄様が止める理由がありますか」
兄の言葉にどうしても反応してしまう。べ、別にウィリアム様と一緒じゃないと嫌だという意味ではない。だけど私の交友関係に口出しをされるとムッとしてしまう。まるでウィリアム様やブライトさんが悪者みたいな言い回しだったから。この店にいる皆は私の大事な『仲間』だ。たくさんの依頼を解決するために協力をしてくれるような方達だ。死ぬかもしれないのに、仲間のために命を懸けることができるような方達だ。
私の仲間を悪く言わないで。
その気持ちを込めて兄を見上げる。その表情に兄は眉を顰めるとぐっと歯を食いしばって顔を背ける。それから私の頭に手を置くと大きなため息をついた。
「ジェニファー、僕はジェニファーが外出することを制限したいんじゃない」
「・・・・・・」
「ただ・・・どうして男性に興味など全くなかったジェニファーが、こんな男性しかいない場所にいるのかと・・・心配なだけだ・・・・」
「お兄様・・・・」
「いいかジェニファー、男は獣だ。いつ何を考えだすか分からない。他の貴族を見ろ、年甲斐もなく十も二十も年下の女性を政略だかただの趣味だか分からないが娶って好き放題する。どうしても男性の方が優位なのだと見せつけ、女性の感情も体も蔑ろにする」
「・・・・・」
「僕は王宮に勤めているからそれをよく知っている。時代がそういうものなのかもしれない。だけどジェニファーは優れたものを持っている。男性に引けを取らない知識も考え方も持っている。それをどこぞの馬の骨か分からないような男にくれてやるのが嫌なんだ」
「・・・・・・」
兄は私をよく見てくれている。私が魔術を好み、その知識を使いたいと思っていることも分かってくれている。だからこそ、誰かの嫁になりただ女性として生きていくことは私のためにならないとも気づいている。そう思ってくれているのはとても嬉しい。私も性別を間違えて生まれたのではないかと思っていたから。
私の身を案じてくれている兄を見上げる。ただ私の交友関係を嫌っていたわけではないと知り、それを嬉しく思いながらも、どうしても兄の言う通りにはできないと感情が反発する。
「わ、私はそれでも・・・みなさんの顔を見たいので、またここを訪れます」
「ジェニファー・・・・」
「お、お兄様だって、もっとウィリアム様やブライトさんと話せば私をそういう目で見ていないと分かります」
「(いや、ウィリアム殿は見ている。猛烈にな・・・・!)」
兄が椅子に座っているウィリアム様へと熱視線を送る。その怒気を含んだ視線にウィリアム様が肩を揺らす。そして兄を振り返ると、愛想の良い笑みを浮かべた。
すぐにぷい、と顔を背ける兄の姿に『兄妹って似るな』と思っていたそうな。
私へと視線を戻した兄が頭を押さえながらため息をつく。そして私の背に手を添えると再び椅子へと足を向けた。その仕草にちゃんと分かってくれたのか不安になりながらも兄と共にウィリアム様へと戻ると、ウィリアム様が柔らかい笑みで迎えてくれた。
「どうだった?」
「ブライトさんの職人技はすごいという話になりました」
「そうか。・・・・よかったね」
「はい・・・・」
にこりとウィリアム様が目を細める。その優しい顔に私は赤くなりながらもこくん、と頷く。少し顔を見合わせただけでおろおろと顔を赤くする私にウィリアム様が何を考えているかは分からないが長い腕を伸ばして私の手を握る。そうされるとどうしても胸が苦しくなる。
「ウィ、ウィリアム様」
「ん?」
「お、お手を・・・・・」
「うん」
「・・・・お手を・・・・」
「うん」
「(離す気ないですよね・・・!)」
全く離れていかない手に私がかぁぁぁと顔を赤くする。ああ!いったい私はいつまでこうやってウィリアム様の一挙一動に動揺しなければいけないのか。今までだって手を握られることはあったのに、どうして好きだと自覚してからというもの、ここまで動揺するのか。
それを分かっていてウィリアム様がにこにこ笑っている。嬉しそうにほんのり頬を赤らめ、口元で弧を描く姿に『か、可愛い』と思ってしまう私がいる。
眉を下げ、真っ赤な顔でわなわなと唇を震わせる私を生温かい深緑の瞳がうっとりと見つめる。親指の腹で手の甲を撫でられるだけで死にそうになる。
わ、私は一体どうしてしまったのか。
「(死ぬ・・・この方の傍にいたら心臓がもたない・・・・)」
「はははウィリアム殿そんなに握手をしたいなら僕にもそうしてくれると嬉しいよ」
「・・・・ラーク殿」
私とウィリアム様が兄にとったらいちゃいちゃしている雰囲気に見えたらしく、私と同じように顔を赤くしながらウィリアム様の手をとってぶんぶん振っている。その兄に邪魔をされたと思ったウィリアム様が愛想笑いを浮かべる。目は笑っていなかった。
最後にぶんっとウィリアム様の手を払うと、兄がこちらを見る。そして真っ赤な顔で眉を顰める私の姿に『そういう顔をするから相手がつけあがるんだ』と内心呟く。そして妹の庇護欲と支配欲をそそる色気に顔を背けながら咳払いをする。
それからもう何度目になるか分からない盛大なため息をつくと、スッと立ち上がる。
「ジェニファーがこの店を大事にしていることはよく分かった。僕はジェニファーの兄ではあるが、父ではない。だからジェニファーの外出に制限を設けることはできない。ただ父さんに助言をするだけだ。・・・きっと僕の話は受け入れてもらえないだろうけど」
「・・・・お兄様」
「だからジェニファー、もしこのどこぞの馬の骨とも知らない男たちに何かされたらすぐに言うんだ」
「(どこぞのって・・・公爵家のご子息という尊いお立場ですが・・・)」
「すぐに駆けつける。兄さんがお前を守ってやるからな」
「・・・・・・」
兄の言葉に賛同はできないが、私を思ってくれていることは分かった。話の脈絡的にも頷いていたほうが良さそうだと思い、私はこくこくと頷く。そうすると理解してくれたと思ったのか、久しぶりに兄が微笑んだ。父や母と同じ髪色や瞳の色に、私もどこか安堵を覚える。
お茶を持って戻ってきたブライトさんとオルトゥー君は、その兄の姿に『妹好きすぎるだろ』と思ったらしいが知る由もない。
ブライトさんがトレーに乗ったカップを兄に差し出す。だけど兄はもう屋敷に戻るようで椅子から立ち上がるとこちらを振り返った。
「先に帰るよ。ジェニファーも遅くならないようにね、門限は夕暮れだ」
「(さっき制限はかけないって言っていたよね・・・)」
「ああ、あと屋敷に戻ってから言おうと思ってたんだけど、そのまま自室で仕事を片付けるから時間もないし今伝えておく」
「・・・・・・」
「さっき、ジェニファーの話の感じだとブライトだとか言う男の視力を戻すために魔術を調べていたみたいだね」
「・・・・ブライトさんです。だとかではないです」
「そ、それは今はいい。・・・以前、王宮の図書館を訪れた時も精霊について調べていたよな。あれも誰かに頼まれたと記憶しているけど、間違いないかい?」
「・・・・そうですが」
まさか依頼を受けるなとでも言うのだろうか。それはウィリアム様は関係ない。私の魔術好きが転じてそうなっただけだ。むしろ依頼を受けるのを最近は趣味にしているから、それまで制限をかけられたら私は流石に兄を嫌いになってしまうかもしれない。
そう思いムッとした表情を兄に向ける。その表情を見た兄はぎょっとして店のドアへと向けていた足を再び戻して私の前に立つ。
「違う、違うよ。兄さんはジェニファーの魔術に対する熱意をよく分かっている。この店にいる誰よりもな!兄さんが一番ジェニファーを分かってるよ!」
「・・・・・・」
「だからこそ、ジェニファーに頼みたいことがあるんだ」
「・・・頼みたいこと?」
「ああ」
兄の言葉に男性陣が『いちいち牽制するな』と思っているとも知らず、私は兄の話に耳を傾ける。兄から頼まれごとなんてされたことがない。今の話の感じだと魔術に関することのようだし、ぜひとも聞いてみたい。
私は身を乗り出して兄の言葉を待つ。妹のうきうきする仕草に兄が嬉しそうに顔を綻ばせる。男性陣はその表情に乾いた笑みを浮かべた。
「実は、仕事の関係で隣国の姫と知り合ったんだ。ここから西にあるエスプリと呼ばれる国を知っているかい?」
「エスプリ・・・・はい、存じています」
エスプリはこの国から西へいくらか進んだ先にある、砂漠に覆われた国だ。周囲一帯どこまでも続く砂漠があって、非常に暑い国だとされている。暑いというか灼熱だ。
大河の横に面しているので水に困ることはないそうだが、それでも砂漠に覆われているということで、エスプリを訪ねる別国の人間は少ない。
その国の姫と知り合いとは、兄の交友関係が気になる。魔術を抜きにしても兄から仕事の話を聞けるのは大変貴重だ。私はカバンからノートとペンを取り出すと、忘れないようにエスプリと綴る。
「エスプリは僕たちのように聖魔女を信仰しておらず、青竜を神としている。全身が翡翠色の水属性の竜だ。竜というか、精霊だな」
「青竜・・・・・」
「その青竜を王族は眷属し、大きく繁栄しているらしい。エスプリはこの国よりも魔術について理解が多く、学術的に見ても確実に上を行っている」
「なんと!」
なんて素晴らしい国なのだろうか!もっと地理に詳しければ私は確実にエスプリへ行っていただろう。いや、行くだけでは足りないので住んでいたかもしれない。
思わず胸の前で手を合わせきらきらと目を輝かせる。その様子に兄もにこにこと微笑むと、さらに妹を喜ばせようと素晴らしい話を聞かせた。
「エスプリの姫、その方はアシデュさんと言うんだけど、以前王族の晩餐会か何かに出席されたらしくてね。その時に王へ相談事を持ちかけたらしいんだ」
「(すごいな・・・王とか姫とか次元が違う・・・)」
「アシデュさんは元々体が弱く、魔力の量も少ないらしい。そのせいで他の女性のように学校へ行って勉強ができないから、魔術についても疎いんだと。あと本を読むのは好きだけど、算数とか数字に弱いらしい。だから僕に声がかかった。ああ、王からじゃないけどね」
「・・・・・・」
兄は本当に数字に強い。頭の回転も早いので、若いというのに経理の中でもかなり位が高いと聞いている。その実力を知っている面々が、姫の役に立てるのではないかと大抜擢したということだ。やはりこういう話を聞かされると、女に生まれてしまったことを後悔する。私も兄のように男として生まれたのなら、今頃王宮で働いていたんじゃないだろうか。
まぁ、そうなるとウィリアム様を好きになることもなかったんだけど。
それはそれで困る。と思うと意識してしまうのでやめておく。兄の言葉では、おそらく兄はそのエスプリに行くか何かして姫の指南役をするのだろう。だけどそれを私に言う理由とは何だろうか。
兄を見上げる。その私に似た表情が笑顔を見せる。
「僕は数字に強いけど、魔術についてはジェニファーの方が強いだろ?だから一緒にどうかなって」
「・・・・一緒にというのは」
「一緒にエスプリまで行こうって意味だよ。そのために僕は長期休暇をとって屋敷に戻ったんだ」
「なんと・・・・!」
い、いいんですか?と期待の目で兄を見上げる。兄も嬉しそうにうんうんと頷く。
なんという僥倖!エスプリの盛んな魔術状況を確認するだけでなく、魔術について誰かへぺらぺら話してもいい機会をいただけるなんて。これが夢なら私は心底楽しい夢を見ているはずだ。夢であってほしくない。
ぎゅう、と頬を抓る。痛いので現実だ。う、嬉しすぎる。
「三日後にここを立つよ。ジェニファーも一緒に行こう」
「はい!はい!ぜひお供させていただきたく!」
「あまり長く滞在はできないから、五日間くらいかな。さくっと教えてしまえば、街を観光することもできると思う」
「(ああっ・・・幸せすぎる!)」
「向こうも知らない人間より僕の妹なら安心するだろうし。・・・・あ、確かその時晩餐会もあるらしいからそれは参加してもらうけど」
「ば、晩餐会・・・・・」
一気に私の気持ちが落ちる。晩餐会なんて知らない人ばかりではないか。い、いやでも魔術が盛んなんだったら私がぺらぺら魔術について話しても皆に引かれなくて済むかもしれない。
ここで断ってしまったら機会を逃してしまう。私はぐっと拳を握ると兄へ熱視線を送る。
「い、行きます・・・・!」
「よかったよ。僕もジェニファーが一緒なら安心する」
こいつらと会わせなくて済むからな。と思っているとも知らず、兄の提案に喜ぶ私が顔を綻ばせる。
しかし、今まで黙って話を聞いていたウィリアム様が急に顎に手をおいて考え込む。それが横目に見えた私はウィリアム様を見る。そこで今まで依頼を受ける際は必ずウィリアム様が傍にいたことを思い出した。今回は屋敷どころか国さえ飛び越えて依頼を受けるので、さすがにお忙しいウィリアム様と一緒に行くことはできないだろう。
な、なんか寂しい。と思ってしまいぶんぶんと顔を振る。その様子に気づいたウィリアム様がくすくす笑いながら私へと手を伸ばし、頭を撫でる。それからなぜか兄を見上げた。
「ラーク殿、その晩餐会とはドミナシオン様が開かれますか?」
「・・・な、なんでそれを知っている・・・・」
「私にもその晩餐会の招待状が届いているので。父の仕事でお世話になったんです」
「なっ・・・・・!」
にこりと柔らかく微笑むウィリアム様に兄が絶望の表情を浮かべる。その間私はウィリアム様の交友関係にとてつもない広さがあるのだと知る。こ、この方は一体どれだけの伝手があるのだろうか。
驚いてウィリアム様を見上げる。頭に置かれていた手が頬へと落ちてくる。そして優しい深緑の瞳がぐっと近づく。そのあまりにも近い距離に私はピシッと固まったまま顔を赤くする。
「傍にいるよ。私も行く」
「・・・あ、あ、ありがとうございます」
「け、け、結構だ!今回は僕がジェニファーのサポートをする。ただ勉強を教えるだけだし、君の力は必要ない。た、ただジェニファーの近くにいたいだけだろ!」
ウィリアム様の色気に兄が顔を赤くしながら叫ぶ。ウィリアム様を美しいと認めている兄だが、もろに受けるのは初めてのようで、その姿を見ていると『ああ兄妹なんだな』となんとなく思った。
ウィリアム様が兄を優しい目で見上げる。そして私の手に再び触れると、小さく呟いた。
「・・・・それが何か?」
「・・・・・・!」
「なっ・・・・」
はぁ、もう生きた心地がしない。ウィリアム様どうしてこうもいとも簡単にそういうことを言えてしまうのだろうか。こちらは口に出そうとしても出てこないというのに。
きっとご自身に自信があるからなのだろうけど、だからと言って私と兄の顔を真っ赤にさせるだけの言葉を吐けるウィリアム様が羨ましく思えた。
そのウィリアム様が立ち上がり、私の頭を撫でる。そして前髪の間から覗く深緑の瞳をうっそりと細めた。
「支え合おうと言ったろう?」
「・・・・・・」
「君を一人で国の外に連れて行くのは心配だよ。エスプリは君にとったら魅力的な国だし、あまりにも快適で戻って来ない可能性もある」
「(ば、ばれてる・・・・)」
「離れるなんて嫌だ。ずっと傍にいる」
まるで子どもが大事な玩具を取られそうだから癇癪を起こすような口ぶりに、私はウィリアム様が急に年相応の男の子に見えた。いつもの婀娜やかな表情じゃなくて、眉を顰める姿に『か、可愛い』と思ってしまう。
だめだ、重症だ私。
ウィリアム様の一言一言に感情が揺れる。な、なんてものを普通のお嬢様は心に宿しているのだろうか。こんな気持ちと一生付き合っていくなんて私はできない。処理が追いつかない。どうにかして自分の気持ちと折り合いをつけないと心労で倒れる。
わなわなと唇を震わせたままの私にクスリとウィリアム様が微笑む。そして前髪にキスを落とすと兄を見下ろした。
「ラーク殿」
「・・・・・・」
「今までの依頼では私やブライトも参加していましたし、その度にジェニファーを支えてきました。今回も支えることができます。晩餐会には行くつもりはありませんでしたが、ジェニファーが行くなら参加します」
「・・・・だ、だが君にも仕事があるだろう。仕事を放棄して旅行なんてできるのか」
私としてもウィリアム様がいらっしゃるなら気兼ねなく自由奔放にできるような、いやむしろどきどきして辛いかもしれないような。で、でも今までだって依頼のたびにウィリアム様が助けてくれた。
ブライトさんの時も研究室にいては解決の糸口が見えないからと店まで案内してくれた。オルトゥー君の時も晩餐会を利用してロレーヌ様に会える機会を与えてくれた。フォーさんの時なんか囮にまでなってくれた。
いつだって手伝ってくれた。いつだって助けてくれた。
そんなウィリアム様が一緒に来てくれるなら、私も心強い。だけど兄が言うようにウィリアム様は多忙だ。五日間も屋敷を離れるなんてできるのだろうか。無理をさせてしまうのではないだろうか。
そう思いながらウィリアム様を見上げる。するとウィリアム様は兄の言葉を聞いて何か考えるように顎へ手をおいてぼんやりとどこか上を眺める。きっと仕事内容を思い出し、そこから必要な情報と結果を導き出しているのだろう。とても賢い方だ、その頭の中には全ての業務が入っていると思われる。
「・・・・・・」
そして眠たげな瞼を細め、口角を上げると顔を上げたまま兄を見下ろす。その表情は、まさに自信満々だというようなものだった。
「なんとでも。五日だろうが十日だろうが、いくらでも調整できますよ」
「ウィリアム様・・・・」
「・・・〜っ・・・・そうか、分かった。ついて来たらいい。金は自分で負担しろよ!」
「はい、ありがとうございます」
「・・・・ジェニファー!僕は先に帰るから!門限ちゃんと守るんだよ!」
「は、はい・・・・・」
バタンと大きな音を立てて兄が店から出て行く。その様子をいつもの面々がぽかんと見たあと、それぞれ椅子に座る。そして一番最初に椅子に深く座ったウィリアム様が前髪を掻き上げながら上を向く。大きなため息をつくとそれだけで綺麗だから死ぬかと思った。
でも、お礼を言わないと。
仕事の調整までしてついて来てくれるのだから。私は膝の上に手を乗せると、ウィリアム様に向かって深々と頭を下げる。
「ウィリアム様、ありがとうございます」
「ああ・・・いいんだよ、私もたまには休暇を取りたいし。それにドミナシオン様にはお世話になったからね。直接礼を言える私としてもありがたい」
「・・・・・・」
物事の一手二手先を進むウィリアム様には感心してしまう。私を安心させるためか、背もたれに頭を乗せながら前髪が乱れたことも後回しにしてウィリアム様が優雅に微笑む。
なんとなく、その表情に『大事にされているんだな』と身勝手にも思ってしまった。
「いつもありがとうございます」
「君のことだから勉強を教えるだけじゃ済まないよ。きっと青竜についても調べようと思ってるんだろう?」
「・・・・わ、分かりますか」
「分かるよ、君のことなら何でも」
「・・・・・・」
「はは、何だか見ない間にウィリアム様とお嬢様の距離が縮まったようですね」
今まで黙っていたブライトさんが兄もいなくなったし、と声をかける。その内容に私はどきっと肩を跳ねさせ、ウィリアム様は嬉しそうににんまりと微笑んだ。
ブライトさんがウィリアム様の表情に眉を上げる。そしてにやにやと微笑むと私へ視線を向ける。私はその視線に顔をかぁぁぁと赤くすると、気づかれたくなくて隣に座っているオルトゥー君へと顔を向ける。向けるというか逃げた。
しかしオルトゥー君も子どもにしては感情を読み取る力がある。私の表情を見るやいなや眉を顰めて真っ青になった。
「ま、待ってジェニファーお姉さん、まだ挨拶もちゃんとできないのに今から爆弾発言するつもり?」
「ご、ごきげんようオルトゥー君」
「いやいやいや、そこから始めなくていいから・・・待って、俺まだ心の準備ができてないから」
「・・・・・・」
「オル、私から伝えるよ」
「や、やだ!ウィリアムさんからも聞きたくない!俺聞かない!やだ!」
「オル、私とジェニファーはーーーー」
「いやだぁぁぁ・・・・!俺もう部屋戻る!誰も入って来ないで!」
そう叫んだオルトゥー君が店の奥へと消えて行く。その様子をウィリアム様とブライトさんがケラケラと笑って見送る。私はといえば顔を真っ赤にしたまま固まっていた。
だけどブライトさんがケラケラ笑いながら私へと視線を戻す。そしてこほんと咳払いをすると自分のことのように嬉しそうな笑顔を見せる。
「ウィリアム様、ついに婚約されたんですか?」
「ああ、いやまだだよ。でもジェニファーも前向きに考えてくれるようになった」
「へぇ・・・あのお嬢様が・・・・。ウィリアム様、おめでとうございます」
「ありがとう」
二人の会話を聞いていると恥ずかしすぎて息ができない。
もう顔が見られないと顔を手で隠すとそのまま俯いた。その姿をウィリアム様とブライトさんがのほほんと眺めた。とても幸せそうだった。
ウィリアム様を好きだと自覚したばかりで婚約なんて気が早すぎる。こ、婚約って結婚予定の二人という意味だろう。こんな凶器のような美しさを持つウィリアム様と毎日同じ屋敷で生活するなんて考えただけで胸が苦しい。も、もう三日に一度くらいにしてくれないと。
そんなことを考えている私に気づいているウィリアム様が片方の口角だけ上げる。そして顔を隠している私の腕を掴むと、そっと力を入れて真っ赤な顔を覗き込んだ。
「ほら、ちゃんと報告しないとブライトも分からないよ」
「・・・・わ、分かっていらっしゃるように見えます」
「そうか?ブライト」
「いいえ、私はウィリアム様が何をおっしゃりたいのか分かりません」
「(嘘つけぇ・・・・!)」
「お嬢様、教えてください。どうしてウィリアム様とそんなに仲が良くなったんですか?」
「・・・や、・・・あの・・・・それは・・・・」
「はい、『それは』・・・・何ですか?」
「それは・・・・わ、私が・・・・・私が・・・」
そこまで言って、『好き』の二文字を意識してしまう。美しい二つの顔がこちらを眺める。意地悪だ。どうして分かっているのに言わないといけないのか。私は顔を真っ赤にしながら眉を顰めて俯く。
今にも泣き出しそうな私にウィリアム様が眉を下げながら私の腕を引いて抱きしめる。そしてぽんぽんと背中を叩くと首元に顔を埋めた。
「ああごめんね、っごめんジェニファー。恥ずかしかったね」
「・・・うぅ・・・」
「・・・いいよゆっくりで、ゆっくり言葉にしていけばいいから」
「・・・・もうからかうのはおやめください・・・」
「うん。できるだけ気を付ける」
「できるだけでなく今後しないでください・・・・」
「はは・・・・できないよ、そんなこと」
あやすようにウィリアム様が体を少しだけ左右に揺らす。私は赤子ではないのでそうされても眠くなったりしないが、ウィリアム様の優しさに泣きそうになる。なんで優しくされると泣きたくなるんだろうか。
私とウィリアム様を眺めてブライトさんがにっこりと微笑む。そして邪魔をしないようにと工房へ向かおうとする。しかし何を思ったか、ウィリアム様が私の首元から顔を上げるとご機嫌良さそうにブライトさんへと顔を向けた。
「ブライト、お前にも世話になっているからついてこないか?」
「え・・・・エスプリにですか?」
「ああ。たまには休暇を取ればいい。オルも連れて行っていいから」
「ですが・・・・・」
「金なら気にしないでいいよ」
遠出をするなら気の知れた仲間がいたほうがいい、そうウィリアム様が思ったようでブライトさんへと伝える。その提案に申し訳なさそうに呟いたブライトさんだったけれど、ご厚意に甘えることにしたのか胸に手をあててウィリアム様にお辞儀をした。
「・・・・それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「オルにも伝えてくれるか、しばらく私と口を聞いてくれないだろうから」
「ふふ、・・・・はい。ラーク様の話だと三日後には出発するんですよね?」
「そうみたいだね。ジェニファー、屋敷に戻ったらラーク殿に詳細を聞いてくれるかな」
どんどん話が進んでいく状況に私がきょとんとする。
だけどブライトさんやオルトゥー君と一緒に旅行に行けるならそれはきっと楽しいと思う。
仲間とまた旅に出られるんだ。
そう思ったら嬉しくなった。フォーさんの家に行く時のような気分だ。きっと仲間がいれば、この旅はもっとずっと楽しいものになる。
私は自然と笑みを零す。その恥じらってなかなか咲かない花が花弁を開いたような笑顔に、ウィリアム様とブライトさんも優しい目を向ける。
「は、はい・・・・あの、ケイトも連れて行って良いでしょうか」
「もちろんだよ、あの子ほど君の世話ができる人はいないだろうから」
「ありがとうございます・・・・屋敷に戻ったらケイトに伝えてみます」
「うん。・・・・ふふ・・・・楽しみだね?」
ウィリアム様こそ楽しみにしていそうな表情で言う。なので私はこくこくと頷く。
それから私たちはエスプリに着いてからのスケジュールを考える。もちろん兄からの依頼なのでしっかりと姫に勉強を教えるが、それ以外にも時間はあるはずだからその時間を使って皆で遊びに行こうとなった。
三日後か。楽しみだな。
まだその目で見ぬ地に足を踏み入れる。それはすごく貴重な経験だと思う。
私はぼんやりとブライトさんのお店から街の外を眺める。その表情を見ていたウィリアム様も、優雅にティーカップを口に運ぶと目を細めた。
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