お嬢様の呟き
王宮の警備をしているのは軍に所属する騎士ということだった。
ベティーヌさんが根回しをし、ティミッドさんのことを事前に話していたので、快く騎士がベティーヌさんの自室へと手紙を届けてくれる。今頃モディリーさんがその手紙を騎士から受け取っているはずだろう。
私たちは配置につき、今か今かとモディリーさんが現れるのを待つ。その時、司令部を出て王宮へと向かう通りから小さな光が空に浮かぶ。エナマティさんの合図だ。
ついに来た。
私は急いで丈詰めしたローブを翻し、フードを被りながらティミッドさんへと歩み寄る。すでに戻って来ていたベティーヌさんと待機をしていたコンフィアンス様も歩み寄る。だけどその面々を見てティミッドさんが顔を青ざめる。やはりどうしても緊張してしまうらしい。
「・・・・・・・」
終いには指をつんつんと突っつきあい始めた。照れ屋なティミッドさんを思えば、そうなってしまうのは仕方ないと思う。ティミッドさん自身もそう思っているのか、表情は暗い。
ティミッドの様子にベティーヌさんがため息をつく。そしてふわふわと静電気が走る髪を揺らすと勢いよくティミッドさんの背中を叩く。それはもう豪快に。瞬間、ティミッドさんが背筋を正して眉を顰めた。
「い”っ・・・・・」
「いい加減覚悟決めろ!モディリーさん来るぞ!」
「で、でも・・・・・」
「お前の愛はそんなもんか?モディリーさんに告白するチャンスなんだぞ!」
いつも以上にベティーヌさんがふわふわと静電気で髪を揺らす。ふわふわというよりツンツン動いていた。まるで生き物のようにティミッドさんへと角を向けている。その様子に器用だな、と他所で私は思った。
ティミッドさんがベティーヌさんの言葉にゔ、と詰まらせる。それから一度俯くと、肩をふるふると震わせ一気に顔を上る。そして胸の前で両手をぐっと握るとベティーヌさんを睨んだ。
「俺の愛はでっかい!」
「そうだ!お前の愛はでっかい!」
「俺はやればできる男だ!」
「そうだ!できる男だ!」
「ウィリアム兄さんのようにどろっどろにモディリーさんを愛するんだ!」
「そうだ!どろっどろのずっぶずぶになぁ!お前には合わねぇけどぉ!」
「ティミッドとベティーヌの会話っていつ聞いても幼稚だよな・・・・」
つうかずっぶずぶってなんだよ。とコンフィアンス様が頭を抱える。しかしその意味が分かっている面々はちら、とウィリアム様を見る。その視線を受け、ウィリアム様はこてんと首を傾げた。
あざとい、と男性陣は思ったそうな。
男同士の会話はよく分からない。と私は会話の中身を右から左へと流す。それからティミッドさんの前に一歩歩み寄る。ティミッドさんも私に気付き、そのフードの大きさにケラケラと笑った。
ティミッドさんが笑えるまでに気持ちを回復させていることに私も自然と笑みを零す。ティミッドさんも私の表情にニッと笑ってくれる。そして徐に手を差し出すと握手を求めてきた。決意の握手だ。私はすぐにその手を握りしめるとこくん、と頷く。
「俺、やってやります!」
「はい、全力で応援します」
握手をしたままお互いのほほんと微笑みあう。まるでその場だけ青空が広がる草原のようだった。
その光景に『初心の集い』が生まれる瞬間を見てしまったようだと皆が思ったらしいが、私とティミッドさんが気付くわけもない。
そうこうしていると、王宮側の庭を誰かが歩いているような音がする。慌てて皆は配置に戻ると、モディリーさんかどうかを確認する。ベティーヌさんが門の間からそっと顔を出し、まだ遠く、米粒ほどにしか見えないがモディリーさんだと分かるとこくん、と頷いた。
「うっし、やったるかぁ」
コンフィアンス様が首の骨を鳴らしながら両手をわきわきと動かす。
コンフィアンス様には幻想的な光景を作ってもらうため、月属性の魔術を庭一帯に施してもらう。以前、ウィリアム様の屋敷で影を動かす瞬間を目の当たりにしたが、その他の魔術を見るのは初めてだ。
私はついコンフィアンス様をじっと見つめる。そのコンフィアンス様は右手を地面に、左手を王宮と司令部を隔てる門へと向ける。一度目を閉じ、魔力を集中させるようだ。月属性はまだ未解明の部分も多い。それを得意属性としているとのことだが、おそらく通常の魔術を施すよりも集中力が必要になるのだろう。
ふわりとコンフィアンス様の銀色の髪が揺れる。ウィリアム様と同じように魔力の質がいいのかあたりに魔力の欠片がきらきらと輝く。もうその光景だけでも幻想的に見える私はぐっと拳を握って食い入るように見つめる。
コンフィアンス様が目を開ける。魔力の揺れが瞳にまで浮かぶ。瞬間、ぶわっと強い風が吹いた。その風と共に魔力が伝わってくる。心地よい風に私はうっとりとコンフィアンス様を見つめる。
先ほどアントリューについて説明をした際、コンフィアンス様が私との魔力の相性がいいとか何とか言っていたような、言っていないような。とにかく、その心地よい風を受けて私もなんとなくそう思った。
東洋の言葉で『花鳥風月』というものがあるそうだが、その言葉の中に風と月がある。昔から風情のある光景を東洋ではそう呼ぶそうだが、連想されるものに私とコンフィアンス様の得意属性があるので、もしかしたらコンフィアンス様の言うことは正しいのかもしれない。
「(まぁ、だからどうしたってコンフィアンス様なら言いそう・・・・)」
むしろ言えば心底喜ぶのだと気づいていない私はぼんやりとコンフィアンス様を眺める。そうしていると、ふと背筋に鋭い棘に触れてしまったような、だけどまるで痛みのない違和感を感じる。恐る恐る後ろを振り返ると、役割のために待機をしているウィリアム様と目があった。
「・・・・・・・」
「・・・・・・」
にこり、とウィリアム様は微笑む。だけどその美しいお顔は夜のせいか影が落ちている。ここからでは深緑の瞳が光のない暗闇のように見える。私はその冷え冷えとした瞳にぐっと息を詰まらせる。
その瞳を見ていると、馬車での出来事を思い出す。心と体が欲しいと言われたことよりも、『ちゃんと見て』と言いながら瞳の色を若紫に変える光景を見せつけられたことを思い出す。
思わず顔を背ける。そして魔力を込められた瞼に触れる。もうそこにウィリアム様の魔力はないのに、今も孕んでいるように感じる。ぐちり、と瞳が若紫に変わる。それを嬉しそうにうっとりと頬を赤らめながら微笑みウィリアム様が私を受け入れる。
『私が君のものになっていくよ』という言葉が頭に響く。
「・・・・・・・・」
ぐぷ、と『あいつ』が今までにない動きを見せる。まるで心臓に入り込むような動きにローブの上から心臓を押さえる。だけどそれは止められない。侵食される。まるでウィリアム様が私の唇を食むようにずぶずぶと心臓に入り込んでくる。
ーーーー『堕ちろ』
そう、心臓の中に全て体を挿入し終わった『あいつ』が笑いながら言った。
「ジェニファーちゃん、魔術終わったから・・・・」
「・・・っ・・・・」
「・・・・ジェニファーちゃん?」
準備完了を伝えるためにコンフィアンス様が私に歩み寄る。だけど私の青ざめた表情を見ると驚いたように眉を下げた。そのまま私の顔を覗き込む。私はコンフィアンス様を見たままわなわなと唇を震わせる。その表情にコンフィアンス様も不安そうに手をおろおろと動かしている。
「な、なに?お腹でも下した?」
「い・・・いえ・・・・」
「え、じゃあ何、緊張してる?大丈夫だって、俺たちがついてるから」
「いえ・・・・そうでは・・・」
「・・・・ウィリアム君?」
「・・・、・・・」
ウィリアム様の名前を言われ、私が分かりやすく反応する。その様子にコンフィアンス様が眉を顰める。
私の見えないところで一度ウィリアム様を睨む。それから私へと視線を戻すと、アントリューの事件について気付くのが遅れたことへの詫びとして触れることはせず、もう一度顔を覗き込む。
「ウィリアム君になんか言われた?」
「い、いいえ」
「じゃあなんか聞かれた?」
「いいえ」
「・・・・・何を思わされた?」
ウィリアム様の私に対する感情を知っているコンフィアンス様が、いくらか考えを巡らせた後に呟く。首を横に振るばかりだった私がぴたりと動きを止める。コンフィアンス様は私の仕草に頭をぽりと掻くと『今回だけだからな』と内心吐き捨てながらため息をつく。
「言葉じゃないもの見せられたか」
「・・・・・」
「言われても聞かれてもないんだろ?もっとずっとジェニファーちゃんに響くこと見せられたんでしょ。ウィリアム君ならやりそうなことだよ。・・・くそ、熟知してる感じむかつく」
「・・・・・・」
「・・・・そんでジェニファーちゃんはどう感じた?何を思った?」
「わ、私は・・・・」
「吐き出したほうがいい。溜め込むとあいつの思う壺だ」
「・・・・・・」
「ほら、言ってみ。今なら話し聞いてあげる。次はもうない」
「・・・・ぃ・・・・」
「うん?」
「・・・・痛い、です・・・」
胸を押さえてコンフィアンス様を見上げる。その表情にコンフィアンス様がゔ、と言葉を詰まらせ口元を手で覆う。それから横目でこちらを見下ろすと、とても大きなため息を溢した。
「ジェニファーちゃん、それ痛いっていう表現間違ってる」
「・・・・・・」
「何見せられたか知らないし、知りたくもねぇ。つーかこういう話俺がしてんのも癪だ。だからこれ以上はヒントあげないけど、それ痛いんじゃない」
「・・・・・」
「募ってんだよ。・・・・何がとは聞かないで。絶対に教えないから」
あーくそ、と言いながらコンフィアンス様が頭を描き毟る。それからウィリアム様へと視線を向けると、べっと舌を出した。ウィリアム様はただただ暗がりの中綺麗に微笑んでいた。
ベティーヌさんが手を振って合図を送る。それを見たコンフィアンス様が慌てたように私の肩に手を触れる。まだ動揺したままの私ではあるが、すぐそこにモディリーさんが来ているということに気付きバッと顔を上げる。
「ジェニファーちゃん、混乱中悪いけど今から俺が言うこと覚えて」
「は、はい・・・・」
「幻覚を施したけど、魔術は『鍵』がないと発動しない。『鍵』は言葉だ。今から俺が言う言葉をジェニファーちゃんがモディリーちゃんに伝える。分かった?」
「はい、お願いします」
「『むかしむかしあるところに』・・・・これだけ伝えればモディリーちゃんに魔術がかかる」
まるで御伽噺の冒頭のような言葉を私は何度も喉の奥で連呼する。その様子にコンフィアンス様も片眉を上ながらニッと笑う。やはりどうしてもフォーさんに見えた。だからこんなに頼り甲斐のある方だと思うのだろうか。
しかしまさかコンフィアンス様から御伽噺の一文を言われるとは思ってもみなかった。私はきょとんとしながらコンフィアンス様を見上げる。
「・・・・・・・」
「・・・・な、なんだよ・・・・」
「コンフィアンス様ってロマンティストなんですね」
「なっ・・・い、妹がいるんだよ!小さい頃読んでやったから覚えてただけ!」
「そうなんですね・・・・」
「その目いやっ!なんか照れる!・・・ほ、ほら!モディリーちゃん来るから行った行った!」
「は、はい・・・・!」
どんっと背中を押される。もはや放り投げられるように門へと向かう。その門の先にランプを手にしたモディリーさんが見えた。
ーーーさぁ、始めよう。
私はすぐにフードを深く被り直し、掌に火属性の魔力を放出する。そうすると小さな光が灯る。その光に気づいたモディリーさんが門へと歩み寄る。私も門へと歩み寄ると、その冷たい鉄の柵に触れた。
「あ、あの・・・このお手紙はあなたが・・・・?急ぎの用事って何かしら」
「・・・・『むかしむかしあるところに』」
「え・・・・あ、・・・・」
私が『鍵』となる言葉を呟いた瞬間、モディリーさんの体がぐらりと揺れる。呟いた私にもコンフィアンス様の魔力が触れる。すると、司令部と王宮を隔てていた門がみるみるうちに消えていき、目の前に森が広がっていく。
辺り一帯木々に囲まれ、遠くから川のせせらぎと梟の鳴く声が聞こえる。それ以外の音はまるでなく、本当に森の中へ迷い込んでしまったようだ。
モディリーさんが急に景色が変わったことに動揺する。怖がってこのまま逃げられてしまっては作戦が失敗してしまう。私はローブから手を伸ばし、そっとモディリーさんの手首に触れる。さらに体を寄せようとすると見えない何かに行手を阻まれた。そうか、鉄柵が目の前にあるのか。
これ以上は現実では門に邪魔されてモディリーさんに近づけない。私は怖がるモディリーさんに顔を見せるためにフードを少しだけ上げる。そして安心して、と心の中で思いながらにこりと微笑む。するとモディリーさんがきょとんとした。
「え・・・・ジェニファーさん?」
「(あ・・・顔知られてるの忘れてた・・・)」
「どうしてここに・・・というかここは・・・・?」
確実に私だと気づいているモディリーさんが不思議そうに私を見たあと、きょろきょろと辺りを見回す。今まで幻覚に関する文献を読んだことがないので疎いが、おそらくモディリーさんが「これは幻覚だ」と気づいてしまうと術が解除されてしまうと思う。
こ、こうなったら仕方ない。
私は内心わたわたとしながら、モディリーさんにもう一度笑いかけるとフードを被り直し、掴んでいた手首から手を離す。
「モディリーさん、私は魔術師ですよ」
「え・・・魔術師?」
「ええそうです。あなたを塔の中に閉じ込める悪い魔術師です」
「えっ・・・・・」
「・・・っ・・・」
「きゃあ!」
実力行使。と言わんばかりに全身の魔力を掌へと集め、風属性の魔術でモディリーさんを持ち上げる。人を持ち上げるほどの魔力を放出したことのない私は歯を食いしばりながら司令部と王宮を隔てる門の横、人が一人立てるくらいの塀の上へと連れて行く。現実ではそこに分厚い板を置いていて、人が乗ってもいいようにベティーヌさんとエナマティさんが魔力で固定してくれている。
すとん、とモディリーさんがその板の上に足をつける。幻覚の中では塔の中に無理やり閉じ込められたモディリーさんが映っていた。
私はそこでどっと息をつく。こんな大量の魔力を使ったのはいつぶりだろうか。思い返してもなかったと思う。もっと私に魔力があれば人を運ぶことだって簡単なのに、と他所で思った。
塔の中でモディリーさんが困惑している。私は膝についていた両手を上げると、魔力の使いすぎで重たい体を引きずりながら塔の下まで駆け寄る。
「ああモディリー姫、これであなたは一生塔の中から出ることができませんね」
「ジ、ジェニファーさん・・・これは一体何の真似なの・・・・?」
「モディリー姫、私は魔術師です。あなたの夢を叶える為現れた魔術師なのです」
「わ、私の夢・・・・・?」
「そうです。・・・御伽噺は作者が見たものに空想を織り交ぜて作ったもの。つまり現実でもあるんですよ」
「・・・・・現実・・・」
「あなたは今、囚われの姫。そしてあなたを愛する王子がきっと現れるでしょう」
「え・・・・私を・・・・」
私は一度そこで後ろを振り返る。そこにはただ森が広がっているだけだが、現実ではどこかにティミッドさんがいるはずだ。どこにいるのだろうかと視線を動かす。すると近くで足音が聞こえた。
私はモディリーさんに聞こえないようにその足音に声をかける。
「ティミッドさんですか?」
「は、はい・・・・」
「準備はいいですか」
「も、もちろんっす」
その声色は全く『もちろん』ではなかった。きっと緊張しているのだろう。誰だって急に主役として抜擢された役者のような思いをすれば緊張もする。それに、これから愛する人に思いを伝えるのだから。
私は声のした方へと顔を向ける。だけどティミッドさんから見るとぼんやり胸元辺りを見ていたようだった。それが分からない私は声のする方をじっと見つめ、一度目を閉じる。それから深呼吸をし、笑顔を浮かべた。
「ティミッドさん、誰だって緊張します。あとのことは私たちに任せて、演じきりましょう」
「ジェニファー姉さん・・・・」
「大丈夫。私たちがついています」
「・・・・・・うっす」
ティミッドさんが深呼吸をしてから呟く。きっと良い顔をしてモディリーさんを見ているんだろうなと思いながら私は笑みを浮かべたまま見えないティミッドさんを見つめる。そして『鍵』の言葉を呟いた。
「『むかしむかしあるところに』・・・」
「っ・・・・う、わ・・・・すげ・・・」
コンフィアンス様の魔術が発動した途端、そこにマントを肩につけたティミッドさんが現れる。整髪剤でも使ったのかしっかりと髪も整えられているティミッドさんが驚いたように眉を上げる。
服装や髪型は決まっているのに、表情だけ幼いティミッドさんにクスクス笑う。それからやっと覗けるようになった瞳を見上げた。
全力で応援します。
私は分かりやすく胸に手を当てると、大きく体を動かしティミッドさんを睨み付ける。少し照れるが、これもティミッドさんのためだと思えば忘れられる。演劇なんて興味のない私だが、こうなったらもうやけくそである。
「あ、・・・ああ、こんなところに王子が!」
「・・・・・・!」
「私としたことが・・・!これではモディリー姫を閉じ込めたのに連れ去られてしまう!」
我ながら良い演技だと他所で思う。だけどこれを母やケイトに見られていたならば、私はすぐに無表情へと戻りそこらへんの木の役を買って出ただろう。
私の様子にティミッドさんが反応する。そして役者魂に火がついたのか、バッと塔の上にいるモディリーさんへと視線を向けた。
「モ、モディリーさん!」
「え・・・・あなたは・・・・」
「俺・・・、わ、私はティミッドです!」
「は、はい・・・存じております。以前、庭の近くで魔獣を遊ばせているところを見かけました」
ティミッドさんがモディリーさんを見ていたように、モディリーさんも庭でティミッドさんを見たことがあるようだった。顔を見たこともない状況よりはきっと心に響くことだろう。
ティミッドさんもそのことを喜んでいるようで、頬をほんのりと赤らめると塔へと歩み寄る。
「きょ、今日はあなたに私の思いを伝えるべく参りました!」
「え・・・・・」
「その塔は入り口がありません!今からそちらに参ります!」
「・・・・・・」
ティミッドさんがそう言って塔の下から窓枠まで伸びている石階段に足をつける。幻覚の中では宙に浮かぶ石階段ではあるが、現実は磁石を重ね、反発させているだけだ。その反発させた磁石が飛ばされないようにコンフィアンス様とウィリアム様が魔力で固定してくれている。
ぐっと石階段を一段上がる。すると一瞬石階段がぐらつく。しかしそれを支えるようにコンフィアンス様とウィリアム様の魔力が強まったのを感じる。私の体を通り抜ける瞬間、背中を押されるような感覚があったほどだ。
再びティミッドさんが石階段を上る。今度は問題なく進んで行った。たん、たんと足音を立てながらティミッドさんがモディリーさんへと近づいてく。だけどあと一段というところで石階段がなくなってしまう。
それでいいのだ。ティミッドさんが必死に手を伸ばしてモディリーさんを見上げる。その光景にとうとう御伽噺の『告白シーン』だと気づいたモディリーさんが赤い顔を隠すように両頬に手を添えた。
「モディリーさん、どうかこの手を掴んでくださいっ・・・・!」
「・・・・でも、・・・届かないわ・・・・」
「くそっ・・・・あと少しなのに・・・!」
状況を理解したモディリーさんが姫の役を演じる。そしてティミッドさんへと手を差し出すがどうしても届かないと首を横に振った。ティミッドさんが本気で悔しがるように眉を顰める。だけどモディリーさんと目が合うと急にしおらしく腕を降ろしてしまう。モディリーさんもそんなティミッドさんに照れたようで顔を手で覆ってしまう。
だめだ、これじゃあ物語通りにならない。照れ屋と内気同士ではどうしてもうまくいかない。
「・・・っ・・・」
人のことを言えた口ではないが、それでもティミッドさんとモディリーさんが結ばれることを全力で応援すると決めている。私は急いで塔へと駆け寄る。そして塔の上にいるモディリーさんを見上げた。
あなたの夢を叶えるんだ。
「・・・せっかく捕らえたというのに、こうなっては王子に手放すしかないな・・・・」
「ジェニファーさん・・・・」
「・・・・王子!」
「は、はい!なんすか!」
どうしてそこで素に戻る。せっかく演じきっているのだからもう少し緊張感を持ってほしい。というか私もどうしてこんなに必死になって演技をしているのかと素に戻りそうになる。なので人形らしく何者にも染まれと私はムッとしながらティミッドさんへ視線を向けた。
「モ、モディリー姫を王子に取られることが悔しくてたまらない!王子はモディリー姫がどうしてもほしいのか!」
「・・・・っ・・・!」
「お前がいらないと言うのなら、私が貰い受けよう!」
「・・・・・」
「お前は姫を一生大切にすることができるのか!」
「で、できる・・・・!」
「お前はたった一人を、モディリー姫をあ、愛することができるのか!」
愛を知らない私がそう言うとぎこちなく聞こえる。それでも真っ赤になった顔を隠すこともせずティミッドさんを食い入るように見つめる。その視線を受けたティミッドさんが一瞬ぽかんとする、だけどすぐに眉を上げて力強く頷くと、私へ大きく口を開いた。
「愛することができる!私にはモディリーさんしかいない!どんな時だって傍を離れないと誓う!私の一生をかけてモディリーさんを愛すると誓う!」
「ティ、ティミッドさん・・・・」
「たまに見かける笑顔が好きだ。干し終わったシーツを嬉しそうに眺めて太陽の匂いを感じているふにゃけた顔が好きだ。ちょっとおっちょこちょいで洗ったばかりの洗濯物を落とすようなところも、毎日休まず仕事をするところも!」
「・・・・・・」
「全部、全部好きだ!好きな気持ちが溢れるんだ!」
「・・・っ・・・ティミッドさん・・・!」
まるでポエムのような台詞を吐くティミッドさんにモディリーさんだけでなく私までもが照れてしまう。なんだ『好きな気持ちが溢れるんだ』って。あなたは乙女か。
だけどその必死な姿を見ていると格好いいと思ってしまえるから不思議である。
「(あ・・・・・・)」
私は背中に当たるウィリアム様の魔力に突然気づく。それからこの状況でおかしいはずなのに、ウィリアム様から言われた言葉を思い出してしまう。
『君の笑った顔が好きだ』
『支え合おうと言っただろう?』
『ジェニファーはお嬢様だよ』
『私が愛して止まない女の子だよ』
『君を愛しているからだろうね』
「・・・・っ・・・・」
どうしてこんな時に思い出してしまうのか。それでもティミッドさんの本気の告白に感化されて頭から離れていかない。思わず私は頭を押さえる。私がしっかりしないとティミッドさんとモディリーさんだけにしたら物語が進まない。それにこれから石階段を動かさないといけない。
私は頭を押さえたままふら、と歩くと石階段へと近づく。そして真上に見えるティミッドさんとモディリーさんを見上げる。
「・・・・・・・」
「・・・・ジェニファー姉さん・・・?」
「っ・・・・そこまで、言うなら仕方ない・・・姫は王子にあげよう」
ティミッドさんの言葉に我に返る。それから物語通りに話を進めていく。私は石階段に見える磁石に魔力を向ける。だけど先ほどモディリーさんを運ぶためにほとんどの魔力を使ってしまっていたのであまり力が入らない。
それでもぐっと足に力を入れて磁石を動かす。一番上の石階段用に重ねた磁石は八つ。私がうまく動かせなければ、反発し浮かんでいる磁石が離れてしまう。
「・・・・・・」
きっと今コンフィアンス様とウィリアム様が器用に魔力を注いでくれているはず。その証拠に、磁石の近くに行けば行くほどお二人の魔力がぶつかっているのを感じる。フードと前髪が上がってしまうほどだ。
もうほとんど磁石に手をついて体を地面に寄せるように腕で押す。するとやっと磁石が動き始めた。ずずず、と鳴るはずのない石階段が地面に擦れるような音がする。
ゆっくりとティミッドさんがモディリーさんへと近づいていく。必死にティミッドさんが手を伸ばす。それを見ていたモディリーさんが窓枠に手をつく。だけどそこは何もない。幻覚の中であれば窓枠はあるが、現実は何もないのだ。
「あ、」
「モディリーさん!」
ぐら、とモディリーさんの体が揺れる。そのまま足を踏み外して落ちそうになる。慌ててティミッドさんが手を伸ばしてモディリーさんを抱きしめた。モディリーさんは突然のことに言葉も出ないように目を見開いたままティミッドさんの肩に顔を乗せている。
そのことに気づいたティミッドさんがバッと顔を離す。モディリーさんも口元を手で覆って固まっている。微妙な沈黙が続く。だけどその沈黙を破るように、そして真っ赤な顔をさらに真っ赤にさせるとわなわな唇を震わせてモディリーさんの名前を呼んだ。
「モディリーさん!」
「は、はい!」
「お、俺と・・・俺と結婚してください!」
ついに言った!きっと現実で見守っている面々もそう思ったことだろう。私はぜぇぜぇと磁石の横で草原に座り込みながら二人を見上げる。そうか、言ったか。
いや、でも王子と姫は結ばれても現実もそうなるとは限らない。
内気なモディリーさんがティミッドさんの告白を聞いて、もじもじと指を突っつき合う。いやもうそこでやらないでくれ、と私は困惑しながら見上げる。ティミッドさんも告白したはいいがすぐに返事がないので心配そうにおろおろとしている。
「・・・・・・・」
モディリーさんが真っ赤な顔を背けるような仕草をする。そして指を突っつき合いながら、横目でティミッドさんを見る。その仕草になぜかティミッドさんは嬉しそうにぷるぷると震えていた。
「あ、あの・・・・」
「・・・は、はい・・・」
「私・・・まだ男性とお付き合いしたことがなくて・・・」
「・・・・・」
「お、大人にもなってみっともないわよね・・・・」
「そんな!そんなことないっす!」
「・・・・だから、急に結婚って言われても・・・・」
「え・・・・・・」
その言葉にティミッドさんがショックを受ける。振られた、その言葉がティミッドさんから聞こえてきたような気がする。絶望の文字がティミッドさんの顔に浮かんでいる。今にも魂を抜かれて死んでしまいそうなほど白くなっている。
いや、まだ大丈夫なはず。
私は一度モディリーさんと話し、本当に御伽噺が好きなのだと知っている。モディリーさんは今、御伽噺の世界だけだと思っていた白馬の王子様が本当に迎えに来た。それが現実となり困惑しているだけだと思う。
「・・・・っ・・・・・」
とりあえず二人とも黙り込んでしまったので、私は再び立ち上がる。今二人は磁石の上に立っているわけだし、このまま魔力を放出していれば全員が疲労困憊してしまう。特にこの中で一番魔力の少ない私は枯渇寸前だ。確実に屋敷に戻ったら熱が出ると思う。
最後の力を振り絞り、反対側から司令部の方へと向かって磁石を押す。だけどちょろちょろとしか魔力が出ない。こんな時に!と自分の魔力の少なさを悲観しながらも、腕の力も使ってずずずと磁石を押していく。
だけどその時、あまりに体を傾けて押していたからローブの裾を爪先で踏んでしまう。ずる、と嫌な音が足下からした。瞬間、磁石を押していた手が外れてしまう。それも積み重ねていた一番上の磁石もろとも。
「わっ」
「きゃあ!」
反発力が少なくなった磁石がぐらりと揺れる。上から二人の悲鳴が聞こえる。私は慌てて立ち上がると外れてしまった磁石を戻そうとする。だけどそれよりも先に二人が落下してしまう。
間に合わない。私は両頬を掴んだまま顔を青ざめる。
だけど、そんな私の絶望を裏切るように上空でティミッドさんがモディリーさんをしっかり抱きしめながら手を地面を向ける。瞬間、凄まじい風属性の魔力が放出される。私はその風を受けてその場にへたり込む。
そうだ、この場には魔術師がいる。この国の精鋭が。
ゆっくりとティミッドさんがモディリーさんと共に地面へと辿り着く。だけど二人とも足に力が入らないのかそのまま地面に倒れ込んだ。
コンフィアンス様が魔術を解除したようで、辺りが急に司令部へと姿を変える。するとそこにはティミッドさんとモディリーさんに駆け寄る魔術師の面々がいた。
「(あ、足に力が入らない・・・・)」
私もティミッドさんに駆け寄りたいのに、魔力の使いすぎと私のせいで二人を危険に晒してしまった恐怖から動けない。手を前に出して体を持ち上げようとしても、どうしても動かなかった。これが腰が抜けるというものなのか。
その間、ティミッドさんがモディリーさんの無事を確認する。そして傷一つないことを知ると、安心したようにそのか細い体を抱きしめた。抱きしめられたモディリーさんは顔を真っ赤にさせながらも嬉しそうに目を細める。
「よかった・・・よかった無事で・・・よかったっす!」
「・・・あ、ありがとうティミッドさん・・・・」
「い、いえ・・・モディリーさんに何かあったら俺・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・」
また黙り込むのか。顔を真っ赤にしたまま俯く二人に魔術師の面々が困ったように眉を下げて笑いかける。私も地面に座り込んだまま眉を下げて口元を上げる。
コンフィアンス様が雰囲気を変えようとティミッドさんの肩に触れようとする。上司として部下を労おうとしているのだろう。だけどそれよりも前にバッとティミッドさんが顔を上げた。
そして抱きしめていたモディリーさんから顔を離すと、眉を上げながら真剣な表情で、だけど真っ赤な顔でモディリーさんを見つめた。
「あ、あの・・・・!」
「は、はい・・・・」
「俺・・・やっぱりまだモディリーさんを諦められないっす!」
「え・・・・・?」
「だ、だから・・・・・」
「・・・・・・」
「だから、文通から始めさせてください・・・・・!!」
その場にいた全員が「文通?」と首を傾げた。
それでもティミッドさんは本気なのか、モディリーさんの肩を掴んだままじっと見つめる。その熱意のある視線にモディリーさんが顔を真っ赤にさせながら再び指を突っつき合う。そして耳を寄せないと聞こえないほど小さい声で呟いた。
「わ、私すごく嬉しかったの・・・こんな御伽噺みたいな場所で告白されて・・・・」
「・・・・・・」
「私が一番好きなシーンだったの・・・きっと、ジェニファーさんが力を貸してくれたのね」
そう言いながらモディリーさんがこちらを見る。その可愛らしい笑顔に、私はすぐにでも駆け寄りたいが足が動かないのでその場でにこりと笑い返す。そんな私をモディリーさんが目を細めながら眺め、それからティミッドさんへと視線を戻す。
「すごく、すごく嬉しかったのよ・・・・」
「モディリーさん・・・・」
「だけど私、御伽噺ばっかり読んで・・・男性と手を繋いだこともなくて・・・」
「・・・・・・」
「だから・・・・その・・・・わ、私からも・・・文通を申し込ませてくれないかしら」
「え・・・・・」
「だ、だから・・・・やだもうっ・・・二度も言わせないで・・・・!」
顔を手で覆って俯いてしまうモディリーさんにティミッドさんがぽかんとする。他の面々もぽかんと数秒していたが、モディリーさんの言葉にわっと歓声を上げる。
ティミッドさんの肩をコンフィアンス様ががくがくと揺らす。ベティーヌさんも目に涙を浮かべながらティミッドさんの髪をくしゃくしゃ撫でる。デューアさんは感極まったのか腕で泣き顔を隠し、そんなデューアさんの屈強な肩にエナマティさんが手を置いて同じように目頭を押さえた。
よ、よかった。うまく行ったんだ。
物語通りの結果にはならなかったけれど、ティミッドさんとモディリーさんならお似合いなハッピーエンドになったと思う。きっと毎日手紙を送り合って、顔を赤らめながらも幸せな明日を思い浮かべて素敵な言葉を綴るのだろう。
「よかった・・・・・」
私は安堵から地面に手をついたまま項垂れる。なんだかホッとしたら急に疲れが出てきた。あれだけ魔力を放出したのだ、疲れるだろう。額に触れると少し熱っぽい。これは早く宿に戻って寝たほうがいいかもしれない。
だけど、私もおめでとうって言いたいな。
きっとモディリーさんをティミッドさんが王宮まで送ったあと、魔術師の面々は宿舎に戻って宴会をするのだろう。もう真夜中なのでそれには参加できないが、その前にティミッドさんに声をかけたい。
足に力を入れてみる。そうすると少し休んだからか力が戻ってきていた。なので地面に手をつきながらぐっと体を持ち上げる。少しふらふらするが立つことができた。これならティミッドさんに会いに行ける。
「・・・・あ、・・・」
だけど一歩足を踏み出した途端、ぐらと体が揺れる。倒れそうになり両手を広げる。よろよろと右に体が傾く。だめだこのまま倒れ込みそう。そう思い腕に力を入れる。
だけど地面に倒れるよりも前に、腕を掴まれる。驚いてそちらを見れば、困ったように眉を下げながらこちらを見下ろすウィリアム様がいた。
「まだ歩いたらいけないよ、力が入らないんだろう?」
「ウィリアム様・・・・・」
「ほら座って」
「・・・でも・・・ティミッドさんに会いに行きたくて」
「・・・・熱も出ているんじゃないかな、顔が火照ってる」
「あれ、そこまで顔に出ていますか」
ウィリアム様に言われて自分の体調不良に気づく。ウィリアム様の手が額に触れ、熱を計ってくれる。すると思った以上に熱が出ていたのか、眉を顰められた。それから気を遣ってくれたのか、その場に座らせてくれる。ウィリアム様も膝をついて私の顔を覗き込むと、額に水か氷属性の魔力を放出しているようで、優しい手つきで冷やしてくれた。
優しいな。とウィリアム様をぼんやりと見つめる。熱に浮かされたような私の顔にウィリアム様はくすくす笑うと、そっと乱れた前髪にキスを落とした。
「ふふ・・・・どうした?」
「あ、いえ・・・・優しいなぁと・・・」
「・・・・君にそう言われるのは初めてだな」
そうだっただろうか。いつも思っていたのに伝えたことがなかっただろうか。
思い返してみれば、天使だの悪魔だの心の中で呟きはしてもそれをウィリアム様に伝えたことがなかった。ティミッドさんは勇気を出して告白をしたのに、私は感謝の気持ちもウィリアム様に伝えられていないような気がする。
いつも、いつだって傍にいてくれることを感謝しているのに。
それってずるい。ウィリアム様はいつも嬉しい言葉をかけてくれる。なのにその半分もお礼を言えていない。数値化できないから言葉にすると処理が間に合わなくなるとか言い訳をつけて、いつも蔑ろにしてきた。本当は、ずっと感謝してるのに。
「ウィリアム様・・・・」
「うん?」
「私、いつもウィリアム様に感謝しているんです・・・」
「ふふ・・・熱に浮かされてるのかな」
「・・・・・そうかもしれません」
からかうようにウィリアム様がくすくす笑う。それが嫌でウィリアム様の服の袖を掴む。
その仕草にウィリアム様が目を見張る。いつだってウィリアム様から触れなければ届かなかったものが確実に、そして着実にもう目の前にある。そう思ったらしいが、そんなこと知らない。そこまで気が回らない。
「・・・・・・」
私はじっとウィリアム様のシャツを眺める。そのシャツの色は私のワンピースと同じ色だ。以前、ケイトがバーバラさんとエリザベッタさんの別荘で『どうせならウィリアム様と同じ瞳の色のワンピースで』などと言って深緑色のワンピースを着せたことがあったとそこで思い出す。
あの時はどうしてそんなことをするのか意味が分からなかった。でも今は、同じ色の服を着ているというだけでなぜか嬉しくなる。
ぐい、とシャツを引き寄せる。そして自分の腕をウィリアム様の手の横へと持って行く。本当に同じ色だ。とぼんやり考える。
その様子をじっとウィリアム様が眺める。その視線に気づかないまま私もウィリアム様を見る。そして火照った顔のまま、力なくふにゃと微笑んだ。
「っ、ジェニファー・・・・」
「ふふ・・・・同じ色ですね」
「・・・・・シャツがかい?」
「はい。同じ色です」
「・・・・・・」
「お揃いですね」
そこまで言って、再びシャツを眺める。そして、以前は何とも思わなかったことをなぜ急に嬉しく思うのか考える。ああ、でも嬉しいことを母とケイトが知ったら面倒なことになるな。というか、私はいつも母とケイトが言う言葉に毎回うんざりしていた気がする。
ウィリアム様が屋敷を訪れるようになってからというもの、毎回繰り広げられる茶番にげっそりした。どうやったって私ではウィリアム様の婚約者になんてなれないと、そういうものは全て母の胎の中に忘れてきたから期待に応えられないのだと思っていた。
あれ?でも最近って、それだけじゃない。
「・・・・・・」
「・・・・・」
ウィリアム様の前で母とケイトが吐き出す言葉が恥ずかしくて聞いていられなかった。当たり前のように婿においでとか、旦那様と呼びたいとか言うものだから、恥ずかしくなった。ただ諦めてほしいとうんざりしていただけだったのに、そのうちウィリアム様に聞かれると恥ずかしいから、意識してしまうからやめてくれと思うようになった。
「あ、あれ・・・・・?」
「・・・・ジェニファー?」
ウィリアム様が顔を覗き込む。眠たげな瞼の下に転がる宝石のような深緑の瞳と目が合う。そうするとどうしても馬車の中での出来事を思い出してしまう。ウィリアム様が私のものになりたいと自ら望む姿をまざまざと見せつけられた。
『それ痛いっていう表現間違ってる』
コンフィアンス様に言われた言葉を思い出す。痛いという表現が間違っているとはどういうことだろうか。こんなにも胸が痛いのに。これを痛みと言わずに何と表現するのか。ぐるぐると熱で浮かされながら考える。
そのあとコンフィアンス様は何と言ったのか。『思い出せ』と『あいつ』も言う。だめだと理性が叫ぶ。
ーーーだけどもう遅かった。
「・・・・募ってる・・・・」
「・・・・・・」
コンフィアンス様の言葉を呟く。募るって何が?よく分からない。痛いという表現でもういいんじゃないだろうか。だって痛いし。それをどうしてコンフィアンス様は『募る』という表現を使うんだろうか。
募る痛みをじっと押さえ込む。だけどウィリアム様を見ているとその募る痛みはどんどん膨れていく。
ティミッドさんのためと言って自分の気持ちを後回しにしたことを思い出す。あの時なぜかポエムのような発言をしたティミッドさんを見ていたらウィリアム様の言葉が思い浮かんだ。どれも私へ向けられた愛情のようなものだった。それを感じて、私は何と思った。
嬉しいと、思ったんじゃないのか。
「・・・っ・・・・」
「・・・・・」
じっとウィリアム様が私の目を見る。決して何も語らず、ただ私の瞳を見る。何もしていないのにウィリアム様の瞳の色が変わっていくような気がして、思わず顔を逸らす。だけどそうしても募る痛みが消えない。むしろもっと膨らんだ。膨らむって何。何が膨らんでいるんだ。どうして膨らむんだ。
眉を顰める私を見て、何も語らないウィリアム様が少しだけ笑う。その表情を見ているだけで痛みが増す。
『ちょっと笑ったところ見たら急に爆発したんです』
「・・・・・・!」
「・・・・・・」
ど、どうしてこんな時にティミッドさんの言葉を思い出してしまうのか。耳を塞ぎ、これ以上聞きたくないと俯く。ウィリアム様が驚いたように私の両手を掴んで顔を近づける。や、やめてくれ。やめて。こっちを見ないで。
『消えたり薄れたりするどころかどんどん増えます。気になって、その人を意識していた気持ちが一気に爆発するんすよ』
「・・・うぅ・・・・」
「・・・・・・」
私の手をウィリアム様が引く。そうされるともっと顔が近づく。それが嫌で顔を背けようとしても耳を塞ぐ私の手ごと覆って頬に触れる。ぐちぐちと瞳の色が変わっているように見える。だめだ、このままだとウィリアム様が私のものになってしまう。
『男の俺が言うのもおかしいんですけど、誰かを好きだと思う気持ちって急に溢れてくるんだと思います』
「や、・・・め・・・・」
『俺モディリーさんが好きです。最近告白するんだって決意したら余計に好きだって思います』
「・・・・・っ・・・・」
『爆発したら、もう止まらなかったっす』
そう。止まらない。
ぐぷぐぷと心臓の中で『あいつ』が言う。その言葉に理性はもう何も言わない。
ああ、知ってしまった。どうしてコンフィアンス様が痛みを募ると言うのか。どうしてその募るものは膨らんでいくのか。消そうとしても消えない。薄れようともしない。むしろどんどん増えていく。
わなわなと唇を震わせ、ウィリアム様を見上げる。頬を掴むウィリアム様がいつになく真剣な眼差しでこちらを見下ろす。その瞳から逃れることはできない。私はただ熱で浮かされているのか、それとも本当に泣きたいのか分からないまま涙を溜めていく。
ぽろ、と頬を涙が伝う。その様子を見ていたウィリアム様が前髪の間から深緑の瞳を覗かせ、うっそりと微笑んだ。
ーーー捕まえた。
「ジェニファー、言って」
「・・・・・」
「今すぐ言って」
「・・・・ぁ・・・・」
「今すぐ。ほら、言っても怒らないから。何もしないから」
「・・・・わ、・・・・・」
「うん。大丈夫、言っていいんだよ。私が傍にいる」
「・・・・・私・・・」
「大丈夫、ジェニファーは間違ってない。いつも正しいこと言う。間違ってないよ」
間違っていないと言われると、嬉しさを感じると共に恐ろしい言葉だと思った。
先ほどまで一言も喋らなかったのに、ウィリアム様が拍車をかけるようにこちらからの言葉を催促する。それに応えたいのに、言ってしまったら何かが崩れるような気がする。だけどウィリアム様が正しいと言うのなら、この感情は間違っていないのだ。そう思う。それでいいんだと思う。
私、本当は『普通のお嬢様』だったんですね。
「私・・・・・」
「うん、・・・・続きを言ってごらん」
「私は・・・・ウィリアム様を・・・・・」
そこで一度言葉を区切り、ぼろぼろ溢れる涙を鬱陶しく思いながらウィリアム様の深緑の瞳を見上げる。その涙を親指の腹で拭いながらウィリアム様が天使のように微笑む。ああ、その笑顔ーーーー
「好き・・・・・かもしれません・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・好きです・・・・・」
「・・・・・・」
ウィリアム様が急に黙り込む。その美しい顔を地面へと向ける。その様子を熱に浮かされながらぼんやりと眺める。だけどウィリアム様はすぐに顔を上げると、身を乗り出して私の目を見た。
そのウィリアム様の表情は、心から私の言葉を喜ばしく、幸せだと思うようなものだった。
眉を顰め泣くのを堪えているようにも見える。頬に触れる手が少しだけ震えている。ウィリアム様からしたら待ち望んでいた言葉だったのだろう。それだけ私が待たせてしまっていたのだと改めて気づく。
出会った頃からウィリアム様は私を気に入ってくれていた。足を怪我した時に初めて『君の笑った顔が好きだ』と言ってくれた。それから『愛している』とも言ってくれた。その言葉を全て蔑ろにして、私は今までウィリアム様の傍にいたのか。それって、きっと辛かったと思う。
ウィリアム様の頭を撫でたいのに、手を掴まれていてできない。いつも何かあれば頭を撫でてくれるから、そうしたいのに。だから代わりに力なく微笑む。そうするとまた涙がぼろぼろと零れた。
ウィリアム様がそんな私に吹き出す。それから顔を寄せると熱が出ている額にキスを落とした。
「ジェニファー」
「・・・・・はい」
「私も好きだよ」
「・・・・・・」
「愛している。他に何もいらない。ジェニファーがいればいい」
「・・・・・・」
「だから早くジェニファーもそう思って」
「・・・・ウィリアム様」
「・・・・好きだよ。ジェニファーだけが私を好きなんじゃない。私もジェニファーが好きだ」
何度も同じような言葉をウィリアム様が言う。
そうすることでより深く好きなのだと意識するようにウィリアム様が考えているとも知らず、私は「ああ、ウィリアム様も同じ気持ちなんだ」とただただ喜んだ。
だけどもう力が出なくて、ウィリアム様の顔を見ていられなくなる。
ふっと目を閉じた私をウィリアム様が抱え込む。随分と熱が上がっていたようだ。私は朦朧とする意識の中、ウィリアム様が体を持ち上げてコンフィアンス様に何か言っているのをぼんやりと眺める。
「(ティミッドさんに声かけたかったんだけどな・・・・)」
どこかの部屋にウィリアム様が入る。薬品の匂いがしたので、救護室だろうか。ベッドに寝かせられ、ウィリアム様が誰かに何かを指示している。
その間私は何もすることがなくて、ぼんやりと白い天井を見上げる。
そうしているとゆっくりと瞼が落ちてくる。
「ジェニファー、もう寝ていいよ」
「・・・・・・」
「目が覚めたら屋敷まで送る。私から説明する」
「・・・・・」
「・・・・ジェニファー、愛してるよ」
目を閉じる瞬間に見えたウィリアム様の嬉しそうな表情に、私も何か言おうとする。だけど瞼も口も重くて動かない。
そのまま夢の中に落ちてしまう。
「・・・・・・・」
寝息が聞こえ出した私を見下ろし、ウィリアム様がそっと体を寄せる。そして額にキスをするとそのままそこを撫でた。
ーーーーーーー
ーーーーー
ーーーー
翌日、救護室で目を覚ました私はけろっとしていたが、なぜかウィリアム様は嬉しそうににこにこと微笑み、コンフィアンス様はティミッドさんの肩に腕を置いて暗い顔をしていた。
そのティミッドさんの手には、きっとモディリーさんへの手紙だろうものがある。それを見つけて私は自然と笑みを零す。よかった、うまく行っているんだ。
よかったなぁ、と思いながらウィリアム様へと視線を移す。するとズキッと胸が痛んだ。あれ、これってなんだろう。なんだっけ。あれ、痛いって言っちゃいけなかった気がする。コンフィアンス様は何と言ったっけ。
「・・・・・・・・」
「・・・・ジェニファーちゃん?どうしたの?」
「・・・・っ・・・・・」
昨日のことを思い出し、かぁぁぁと顔を赤くする。あれ、私熱に浮かされてとんでもないことをウィリアム様に伝えて気がする。ま、待って。待って待って待って。私何言ったっけ。待って。
頭を押さえ、顔を青ざめる私のその表情に全てを知っている面々がそれぞれの反応を示す。コンフィアンス様だけが絶望したように両頬をぐっと手で掴んだ。
「俺のジェニファーちゃんがぁぁ・・・・なんで俺後押ししてんだよぉぉ・・・・・!」
「兄貴!さすがっすよ!恋敵を応援するなんて誰でもできることじゃないっす!」
「ティミッド、それ以上兄貴に言うなって。今日仕事できなくなるぞこの人」
「彼女できたからっていい気になるなよ」
「あ、でもまだ文通相手だよな」
「痛いところ突くなよ!」
両頬を掴んで私は顔を赤らめ、コンフィアンス様は青ざめる。その様子を魔術師の面々がケラケラと笑いながら眺める。ティミッドさんもからかわれたからか、私と同じくらい真っ赤になっていた。
その中、ウィリアム様はただただ幸せそうに目を細め顔を綻ばせた。
「(だめだ・・・しばらく顔が見られない・・・無理だ!)」
ど、どうしよう?
初夏の風が救護室の窓から入り込む。その風を受けても全く心地よいなんて感じない。
私は自分から告げた言葉に、今後のスペンサー家の反応を予想し絶望した。
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ーーーーーー
「・・・・・いやねぇ、誰か邪魔しているのかしら」
廃城の窓から入り込む鬱陶しい風を受け、女が苛ついたように呟く。
その部屋に、女の執事の姿はない。
「『後ろ盾』が何かしたのかしらねぇ・・・つまらないわぁ・・・・」
手にしていたグラスを見つめ、女はくすくすと微笑むとそのグラスを逆さまにする。するとワインが音を立てながら床に広がっていく。
まるで血のようだった。
「早くおいでなさいな。たぁっぷり可愛がってあげるから」
床に広がるその血のようなワインに腕を伸ばし、指をつぷ、と女が入れる。そしてそれを掬い上げると、女は自分の指を口に含んだ。
「きっとあなたの血はあまぁいんでしょうねぇ」
ーーーーねぇ、ジェニファー
そう女が呟いた途端、廃城の窓全てが勢いよく閉まる。そのけたたましい音に女はくすくす微笑むと、空になったグラスを窓に叩きつけた。
もう待っていられない。
「そろそろ動きましょう」
女がそう言い、椅子から立ち上がる。そして後ろに控えていたローブを着ており、その顔をフードで隠す者へと視線を向ける。
「まずはあなたからよ」
「・・・・・承知しました」
顔を隠す者が部屋から出て行く。その様子をぼんやりと眺め、女はくすりと微笑むと赤い口紅がついている唇に触れる。
もう待ってあげないんだから。
その言葉は、再び叩きつけられたワイングラスにかき消された。
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これにて第六章完結です。詳しい後書きは『活動報告』にてまとめますのでよろしければご覧ください。また、『どうにも性別を間違えて生まれたとしか思えないので嫁ぐのはやめます』のシリーズものも更新しております。お時間がありましたらそちらもご覧ください。
それでは、第七章でお会いしましょう。




