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お嬢様と危険





ケイトたちへお土産を買った私とウィリアム様は向かいにある硝子細工工房へと足を向ける。


店前はガラスで一面覆われており、そこには人の指紋が一つもない。店先に申し訳程度に置かれている花壇も毎日水やりを欠かないのか花が美しく咲き誇っている。


まるでブライトさんのお心を映すかのような工房に、私はなんとなく納得する。『ブランシュ・ネージュ』という店名も、どこか美しい響きに聞こえるから不思議である。



「ほら、行くよ。お人形さん」



腰に手を添えそっと私の足が前へ進むよう促すウィリアム様。そんなウィリアム様のもう片方の手には私が買ったお土産が入った袋があるが、どうしても返してくれない。


紳士的で素敵、なんてケイトなら言うだろうか。だが生憎私は身を委ねるより自分のことは自分でやりたいタイプだ。屋敷ではケイトたちがいつも世話を焼いてくれるのでお嬢様らしいかもしれないけれど、もし独り立ちして一人暮らしを始めてもすぐに何でもこなせるようになると思う。


だから婚期を逃すのだと言われようが構わないが、何か文句はあるだろうか。



「いらっしゃいま、・・・・ジェニファーお嬢様!」


「こんにちは、ブライトさん」


「これは驚いたな、まさかお嬢様から出向いていただけるなんて」



店内に入ると、奥の工房で作業をしていた様子のブライトさんと目が合う。すると今にも手に持っていた貴重なグラスを落とさんばかりに立ち上がり、勢いよくこちらに歩み寄ってくれる。


今日も麗しいブライトさん。その白雪のような美しい肌に浮かぶ漆黒の瞳を一心に向ける姿は艶やかだ。きっと女性の常連客も多いのだろうな、と思いながらブライトさんに笑いかけていると不意に腕を引かれる。



「ウィリアム様?」


「ブライト、一応私もいるんだけどね。目に入らなかったかい」



少しだけムッとした表情をしていないでもないウィリアム様が私の横に並ぶ。なぜ私の腕を掴む必要があるのかと思いながらウィリアム様を見上げれば、その眠たげな瞼の下に浮かぶ瞳が揺れる。


どうしたのだろうか、と不思議に思う私と、意味深ににこにこと微笑むウィリアム様。


よくわからないのは私だけのようで、ブライトさんは何か気づいたらしく胸に右手を当てるとウィリアム様に深々と会釈をした。



「ウィリアム様、本日はいつになく外行きの格好でしたのでウィリアム様と気づかず・・・・目のお色も異なりましたので」


「ああ、お人形さんと話してそうすることにしたんだ。ね?」


「はい」



一応、家を出るところまでは変装をしなかったけれど、昨日の話でも上がったので馬車から降りる際、目の色だけはお互い魔術で変えていたのだ。ウィリアム様は栗色、そして私は青空色。


髪色も変えようかとなったが、そこまでする必要はないということになりこれだけに留めたけれどなんとなく居心地が悪いと思った。ブライトさんまで騙すつもりはなかったから。



「私には気づかなかったくせに、ジェニファーは目の色が変わってもすぐわかるんだな」


「はは、痛いところを突かれました」


「隅に置けないからね」


「褒め言葉と思っても?」


「好きにすればいい」


「はは」



お二人の様子をじっと見つめる。まるで昔から気の知れた男友達のような姿だ。ウィリアム様も安心しているようで少し毒のある言葉を吐いているし、そんなウィリアム様に戯けるブライトさんも楽しそうである。


こういうものを、友情と言うのだろうか。


私は気づいたら周りに友人と呼べる人がいなくなっていたので、あまりわからない感情だ。近しいのはケイトと私の関係だろうか。いや、違うか。


私からもし紐が伸びていたとしたら、その紐はケイトに絡むことはない。子爵の娘と、使用人。その紐はたとえ近いところにあったとしても、触れあうことは許されない。


もちろん、それはウィリアム様とブライトさんにも言えたことだ。公爵家のご子息と、領民というお立場がある。


しかし、お二人の紐はその紐の色こそ互いに異なるけれど、一度固結びをされているように思う。固結びがこぶを作り、その数だけ思い出も増える。


ウィリアム様の紐には、いったいどれだけの紐がこぶをつくっているのだろう。ブライトさんだけでなく、色とりどりの紐がこぶをつくり、幾重にも束ねられ、その紐は強靭なものになる。


友人は数ではない、そう私は思っていたけれど、その紐の数だけ強くなれるのならば捨てたものではないのかもしれない。


ケイトに対してもどこか線を引いていたような気がして、申し訳なく思う。自分のことは自分で考えたいからと、相談事をケイトにすることは少なかった。今度してみようか。



「(でも・・・・・何を・・・・・・?)」



まずはそこからなのか、と自分を情けなく思う。


楽しそうに会話を続ける二人に加わる気になれなくて、そっとウィリアム様から離れようと私の腕を掴む長く美しい指に触れる。するとそれに気づいたウィリアム様がこちらを見下ろした。


ああ、話の腰を折るような真似をしてしまった。



「ジェニファー?」


「あ、いえ・・・・ちょ、ちょっとお店の中を見せていただいてもよろしいですか?」


「はい、どうぞご覧ください。ご案内しますよ」


「いえいえ!いいんです。一人で見てまいります」



仲の良い二人の邪魔はしたくない。どうぞ続きを、と伝えた私だけど言葉が足りなかったのだろうか、ウィリアム様とブライトさんが顔を見合わせる。


それから二人は目だけで何か会話をしたらしく、ウィリアム様は工房の中に入っていった。代わりにブライトさんが私の腰に手を添えて店に並ぶ硝子細工の方へと歩き出す。



「ご案内します。いえ、させていただけませんか?」


「ですが、」


「ウィリアム様とはいつも話をしておりますので。それに、店を長く続けるためには、常連のお客様のお相手も大事ですが新規のお客様はもっと丁重に対応させていただくことが重要です。まぁ、お嬢様はお客様ではないのですが」


「・・・・・・・・」



変に気を遣わせてしまったようで申し訳ない。しかしブライトさんは気にしていないのか硝子でつくった白鳥や猫の置物の前まで向かうと、その白鳥を私の手に乗せた。


その白鳥はとても美しく、羽の流れまで丁寧に加工されている。胴体よりも細い首は少し力を入れただけで壊れてしまいそうだ。


ここまでの精巧な硝子細工は見たことがない。つまりそれはブライトさんの仕事が素晴らしいということであり、ウィリアム様が贔屓にする理由だろう。


私は白鳥を落としてしまわないようにブライトさんに返すと、隣に置いてある猫へと目を向ける。目を瞑り、うたた寝をしている猫はとても気持ちよさそうだ。木漏れ日の下、草の上で丸くなり眠っているのか、それとも暖炉の前でクッションの上に乗り眠っているのか。ともかくイメージが湧きやすい。



「可愛らしい猫ですね」


「店の裏によく顔を見せる猫がいるんです。木箱の上で寝ている姿が羨ましかったので作ってみました」


「羨ましい?」


「自由気ままでいいなと。好きなところで自由に過ごす姿が羨ましいと思ったんです」


「なるほど」



確かに、屋敷にもたまに野良猫たちがやってくるけれど、彼らは使用人から食事の残り物をいただくといつの間にかいなくなっている。噂ではジョージさんが餌付けをしているらしいが、猫とジョージさんが戯れている姿は微笑ましい。


のほほん、としている姿を思い浮かべて知らずのうちに笑ってしまったようだ。急に笑い出した私に気づいたブライトさんが眉を下げて微笑まれる。


それから、工房の中で作りかけの作品を眺めているらしいウィリアム様へと視線を向けた。



「猫といえば、ウィリアム様も似ていると思います」


「ウィリアム様ですか?」



ブライトさんの視線に釣られてウィリアム様を見る。そのお姿は変わらず天使のようだ。頭の後ろに輪っかをつけ、街を歩かせたらそれこそ人々から拝まれるような方だ。


そのような方を『猫』とブライトさんは言う。人によって捉え方や見え方は違うと改めて感じた。



「急にふらっと店にいらっしゃったと思えば、世間話をするだけで帰られたり、一度にいくつものグラスを購入されたりします。公爵家のご子息様だというのに気取らず、ただの領民でしかない私を連れ港で買い物をしたと思えば、代わりに舞踏会に参加してこいと言うこともあるんですよ。まるで自由気ままな猫だと思いませんか?」


「確かに、お話を聞くと猫に見えなくもないような・・・・・」



猫の耳がウィリアム様の頭についているように見えるが、幻だろうか。


冗談はさて置いて、私はウィリアム様と出会った時のことを思い出す。あの日もウィリアム様は突然私を訪ねて来られた。その結果、屋敷はいつになくお祭り騒ぎとなり、ケイトや他の女性使用人たちがここぞとばかりに私を飾ったわけだが。


本来、伝統的な流れを好む貴族はまず手紙を出し、長ったらしい挨拶文句を書き連ねたのちに相手に会いたい旨を伝える。その返事を、これまた長ったらしく不必要な話をしてから書くのだ。そうしているうちに、配達人の仕事捌きにもよるが大体3日は間が空いてしまう。


しかしウィリアム様はそうはせず、突然いらっしゃった。捉え方を変れば無礼かつ傲慢な行いだったと思うが、相手が私だったということと、ウィリアム様に有頂天になるような使用人しかいないので特に何も騒ぎにならなかった。


自分の気持ちが向いた時に、やりたいことをやる。こちらから歩み寄れば一線を引く。それはまさに猫のようだ。



「あの方は、基本的に人間嫌いなんだと思います」


「・・・・・・・・」


「あのご容姿です。一線を引きたくなるのもわかります」


「・・・・・・」


「ですが、根本がお優しい。そして聡明であるがゆえに物事に対して好奇心が疼くのでしょう」


「今回の眼鏡についても、それが理由だと」


「はい。猫の前に毛糸の玉を転がせばじゃれつくのと一緒です」



その例えは笑わせにきているだろう、と若干笑いかけながらブライトさんを見れば吹き出す手前だったみたいでクスクスと笑い出した。それに釣られて私も笑う。


しかし、うまい例えでもある。


猫は哺乳類だ。猫は母から生まれ、兄弟と過ごす。その兄弟が例えばブライトさんだとして、目が悪いとなれば手を差し伸べたくなるのが家族だ。自由気ままで、自分の好きなことをし、嫌なことにはツンとした態度をしたとしても、最後には優しさを見せる。


しかしただ行動をしてもおもしろくないので、魔術好きの私の前に猫らしく突然現れた。


そう考えれば考えるほど、猫に見えてくるから不思議である。眠たげな瞼もそれを助長しているように思う。



「私から聞くのは恐縮ですが、実験は進んでいますか?」


「(あ、いけない。忘れてた・・・・・)」



ここに来た理由をすっかり忘れていた。


私は改まってカバンからノートとペンを取り出すと、グイッとブライトさんに近づいた。驚いたようでブライトさんが一歩下がったけれど、こうしている間にも時間はすぎていく。



「よろしければ、ブライトさんの工房を見せていただきたく」


「私の・・・・ですか?」


「はい。実は・・・・思うような結果が出なくて苦戦しているんです。そのことをウィリアム様に相談したところ、現場を見てみてはどうかと」


「なるほど」


「本当ならすぐにでも眼鏡を作りたいのですが・・・・力が及ばず申し訳ありません」


「いえいえ、むしろこちらが無理なお願いをしていますから」


「魔術が好きなくせに、魔力の質が悪いことも原因です。私に素質があれば扱える魔術も多かったはずです・・・・・ウィリアム様にもお力をお借りしようとしたのですが、」



そこまで言って口を閉ざす。


『ごめんね』と協力を断ったウィリアム様の顔を思い出すと、それ以上言うのはよくないと思ったからだ。あの時のウィリアム様は、どこか悲しげだったから。


きっと何かご事情があるのだ。そこに踏み込もうとしたので、ウィリアム様は避けた。ブライトさんならその理由を知っているかもしれないが、ウィリアム様のご事情を又聞きするのは無礼だ。


微妙なタイミングで言葉を止めた私にブライトさんがぴくりと眉を動かす。どうやら私の拙い話でも汲み取ることができたようで言葉を探すように視線を左右に揺らしたあと、その漆黒の瞳を私に向けた。



「私も詳しく聞いたわけではないのですが、ご自身で魔術を使うことを遠ざけているようです」


「・・・・・・・」


「寄宿学校に通われていた頃は講義があったので講義中だけは使用していたとのことですが、それ以外ではご自宅でも使用しないのだとか」


「そうなんですね・・・・・」



やはり、何か過去にあったみたいだ。ブライトさんにも話していないということは、それだけ誰にも知られたくない内容なのだと推測する。


そのような内容に、土足で踏み込んだなど今更ではあるがぞっとする。私は居心地の悪い状態に自然と手に持つペンとノートへと視線を落とす。


その様子を見たブライトさんは、困ったように笑みを浮かべるけれど何も言わなかった。



「(二度とウィリアム様に魔術で協力してもらおうなんて言わない)」



それがいい、それが一番いい。私は一つ息をつくと、パッと顔をあげてブライトさんを見上げた。それからノートとペンをもう一度ブライトさんに向ける。


私が請負った依頼だ。私が責任を持って解決する。



「工房、見せていただけますか?」


「はい、喜んで」



ブライトさんに続き、ウィリアム様がいる工房へと向かう。するとこちらに気づいたウィリアム様が優しげな目で私とブライトさんを見る。


どうやら暇を持て余していたようで、ブライトさんが作りかけていた硝子細工をハンカチ越しに触れて眺めていたらしい。それに驚いたのはブライトさんで、慌てて走り出すとウィリアム様の手から作品を奪い取る。



「ウィリアム様、寿命を縮めるおつもりですか」


「それは置物かい?まだ途中のようで何が出来上がるのか予想がつかないんだ。だから手にとってみようと思ったんだよ」


「・・・・そう言われると教えたくないと思ってしまいました」


「はは、ひどいな」


「なんとでも言ってください」


「嫌われてしまったみたいだ、お人形さん」



悲しいな、とまるで悲しんでいない表情でウィリアム様は言う。


そっと作業場から離れると、私の横に並ぶ。それから私の手にノートとペンがあることに気づいたようで、ようやく楽しいことが始まるとその笑みを濃くした。


ウィリアム様の手が私の背中を押す。私もその勢いを使って、ブライトさんの作業場へと一歩足を踏み入れる。


さあ、ここからが正念場だ。



「ブライトさん、いつもの通りに作業をしてみていただけますか?」


「はい」



ブライトさんは二つ返事で白色のエプロンを首にかけると、その目に眼鏡をつける。座る椅子は足の長い丸椅子で、テーブルはちょうどブライトさんが肘をついて固定しやすい高さとなっている。テーブルの右手側には汚れを落とすためか水の入ったバケツが置かれていて、その付近には磨く時に使うタオルがある。


研磨する機械は足で特殊な板を踏むと空気を送り込み、回るようになっているらしい。一秒に一回くらいのタイミングでブライトさんの右足が板を押す。


研磨機と硝子が触れると、意外にも大きな音が工房に響く。眼鏡越しに硝子を見つめるその目はとても真剣だ。


大変細かい作業が続く。そうなれば自ずと目を酷使することになる。眼鏡をしていても目を細めている姿からして、そうしないとよく見えないのだろう。



「(眼鏡がなければ焦点が合わなくて研磨することもできないんだろうな・・・・)」


「・・・・・・まだ続けた方がよろしいですか?お嬢様」


「あ、いえ十分です。ありがとうございます」



数分ではあったが大変貴重な現場を見ることができたように思う。私は目にしたものをノートにとっていく。丸椅子、テーブル、バケツ、タオル、研磨機。文字で書くだけでなく、その様子を絵にもしてみる。歪ではあるが私が分かればいいので気にしない。



「どうだい、お人形さん」


「そうですね・・・・まだ何も思いつきませんが、勉強になりました」


「それはよかった」


「ウィリアム様の采配が素晴らしいのです。ありがとうございます」



さらさら、とノートにペンを走らせながら伝える。


しかし感謝の気持ちを片手間で伝えるなんて公爵家のご子息にしていい態度ではなかった。私はパッと顔をあげると慌ててウィリアム様の栗色の瞳を見てから頭を下げた。


そんな私の不躾な態度に怒ることはせず、ただただ優しい笑顔を浮かべるウィリアム様。この人は怒りという感情をもしかして知らないのだろうか。いや、優しい人ほど怒ると怖いというから、そちらのタイプかもしれない。


以前読んだ本に書いてあった『仏の顔も三度まで』という異国の言葉を思い出した。



「(でも・・・・何から手を付けるべきだろうか、眼鏡を巨大化させたところで度が強くなるわけではないことは実証されたし・・・・・)」



ヒントを得ても、それを上手に扱えなければ全く意味がない。私は顎に手を添えて唸る。


そもそも、パンメガス草を使おうとしていることが間違っているのだろうか。眼鏡ではなく、ブライトさんの目を作業の間だけ一時的に良くする魔術を調べるべきか。いや、それだと継続的に良質な魔力を扱える治療師が傍に待機しなくてはならない。薬草を使うとなると毎回用意することになるし、精霊の涙など希少価値の高い道具を購入することになる。


今回の依頼は、できるだけコストがかからず、半永久的に使用できるものが必要になる。金をかけてしまえば、高価な眼鏡を購入するのと変わらない。


それではだめなのだ。意味がない。


私は帽子を外し頭を掻き毟りたい衝動に駆られる。だけど、今日はケイトが念入りにヘアセットをしてくれた。長い髪をハーフアップにし、耳の横の毛で三つ編みを作り、それを使って後頭部に花を作るという私では到底できない神業でケイトがせっかくセットしてくれたので無下にはできない。



「ブライトさん、こんちはー」


「(ん・・・・・?)」



困ったな、と項垂れていると、そこにブライトさんでもウィリアム様でもない声が聞こえる。


来客か?と振り返る。するとそこにはハンチング帽を被った少年がいた。


肩から下げている白いカバンにはたくさんの新聞が入っているので、新聞配達途中のようだ。まだ若いのに仕事をしているなんてすごい。私はまだ一人でお金を稼いだことがないというのに。


少年は普段から店の中まで新聞を届けているのか、気前よくブライトさんに帽子をとってニッと笑いながら夕刊だと思われる新聞を渡す。


それから少年は自然な動きでこちらを向いた。そばかすの浮かぶ顔はまだ子どもらしく丸いが、目はすでに世間の厳しさを知っているように鋭い。



「こ、こんにちは?」



じっと見つめられるので居心地が悪くなった私はとりあえず挨拶をしてみる。疑問符が最後についてしまったけれど、平気だろうか。


弟がいない私は、今まで自分より年下の男の子と話したことがないのでそわそわしてしまう。そんな私の様子をやはりじっと見ていた少年は、どこか満足げににんまりと歯を見せずに笑い、ブライトさんにした時と同じようにハンチング帽をとって丁寧にお辞儀をした。



「そんじゃ、お邪魔しましたー」



お辞儀をした少年はそれで気が済んだらしく、くるりと踵を返すと小走りで店を出て行った。


嵐ではないが木枯し程度の速さでさっと現れて去って行った少年に私はぽかんとする。すると、その様子を見ていたらしいウィリアム様が小さく吹き出した。



「はは、鳩が豆鉄砲を食ったようだね」


「あ、い、いえ・・・・・そんなことは」


「愛想がいい子なんですよ、要領がいいのかもしれません。最近どこで覚えたのか毎度帽子をとって挨拶をするようになったんです」


「そうなんですね」



私より年下の少年ではあるものの、私より処世術を心得ていると思う。ぼんやりと少年が出て行った店先を眺めていると、夕刊を渡されたブライトさんがそれを開く。


新聞を読むブライトさんはやはり眼鏡をしているのに目を細めている。どんどんと顔を近づけて、拳一つ分ほどの距離までにしたところで焦点があったらしい。その顔は私が立っているところからでは見えない。



「(新聞か・・・・・・)」



そういえば執事長のジョージさんも新聞を読む時は老眼鏡をかける。だけど昨日は老眼鏡を部屋に忘れて虫眼鏡を使っていたな。


ーーーー待てよ。


眼鏡も虫眼鏡も物体を拡大させて見やすくすることは同じだ。その根本的なところは異なっても、人の目の力を補助するというところでは同じ。


つまり、それは。



「そう、か・・・・・はは、なんで気づかなかったんだろ・・・・・」


「・・・・・ジェニファー?」


「・・・・ああっ、・・・・・やはり私にはあなたが必要です、ジョージさん・・・・・!」


「ジョージ・・・・・・?必要って、・・・・」



興奮するようにぶつぶつと呟く私にウィリアム様が何か声をかけているけれど、ほとんど耳に入らない。


錆びれた歯車が周り出すような、足りなかったピースが見つかった時のような感覚に胸を躍らせる。そうだ、なぜこんな簡単なことに気づかなかったのだろうか。


その全ては昨日のジョージさんのおかげ。偽ウィリアム様に気づくことができたのもジョージさんが本物のウィリアム様の情報を伝えてくれたからだった。



「ジョージさんすごい、すごすぎる。まさに至高の存在。私の神様・・・・・・・!」


「ジェニファー、そのジョージというのは」


「ウィリアム様、聞こえていないみたいです」


「・・・・・・困ったな」


「・・・ブライトさん!申し訳ないのですが、私屋敷に戻ります!」


「え、ええ?今すぐですか?」


「はい!今すぐ!」


「・・・・だそうですが、ウィリアム様」


「・・・・・わかった、行こうか」


「はい!ブライトさん、また会いにまいります!」


「はい、お待ちしていますね。・・・・その時は、ウィリアム様と一緒にいらっしゃってください」


「承知しました!」



まさかブライトさんがウィリアム様の困惑した表情を見て、一緒に店に来るよう一言付け加えたということにも気づかず、私は早く実験を行いたい気持ちでいっぱいでウィリアム様を待たずして店を出る。


お嬢様とは思えない様子にウィリアム様とブライトさんが眉を下げて笑っていたらしい。



「(実験をするなら、いくつか用意しておいたほうがいいよね。文房具屋さんはないかな)」



きょろきょろとあたりを見回すと、少し遠くに羽ペンのマークを店の屋根にかけている文房具屋を見つける。


私は一度ブライトさんとウィリアム様のいる店の中を見る。まだ何か会話をしているようだ。もう少し時間がかかるかもしれないし、その間に買ってきてしまおう。



「ウィリアム様、文房具屋さんに行ってまいりますっ!お待たせはしませんので、そのままこちらにいらしてください!」


「ジェニファー、一人で行ったら危ないよ。私も行くから」


「いいえ、お任せくださいっ」


「お任せって・・・・困った子だな・・・・・」



あと少しで結果を出せるというところまで来ていた私はウィリアム様の言葉を最後まで聞かずに走り出す。お嬢様が走っている姿に街ゆく人々が驚いた表情を見せたけれど、今はそれどころではないのだ。


私は文房具屋に入ると、すぐさま店主に声を掛ける。



「おじさま、虫眼鏡はおいていますか?」


「えっ?あ、え??えっと、おいていますが」


「いくつありますか?」


「店内に出しているのは五つですね」


「出していないものも含めるといくつありますか?」


「ちょっと見てみないとわかりませんけど、おそらく二十くらいかと」


「では全てください」


「全てですか!?」


「はい!全てです!」


「しょ、少々お待ちを!」



なんとも羽振りの良いお嬢様が来たことで店主が慌てて奥に引っ込む。私はその間に店内においてあった虫眼鏡五つを手に持ち、再び会計を済ませるためのテーブルへと向かう。


がたた、と音を立てて店主が奥から現れる。木箱を手に抱えた店主は未だにどぎまぎしているようだけれど、虫眼鏡全てを木箱から取り出しさっそく勘定を始めた。



「いくらですか?」


「ま、待ってくださいお嬢様」


「お金は持ってきていますので」


「待ってくださいって!」



見積もりをする店主の目が血走っている。それでも何度か書き間違えたあと計算が終わったようで、伝票に金額を記す。それを受け取ると私は問題ないと呟いてからお財布からじゃらじゃらと金貨をテーブルに広げた。



「足りますか?」


「今数えますからお待ちください!」


「あ、はい」


「・・・・・はい!お買い上げありがとうございますっ」


「こちらこそありがとうございますっ」


「木箱に全て戻しますけど、持てますか?」


「なんのこれしき」



いつも肥料袋を担いでいる私はグッと腕に力を入れると木箱を持ち上げる。まさかお淑やかなお嬢様がそんなことをするとは思っていなかったのか、店主は先ほどから驚きすぎて言葉が出なくなったらしい。


もちろん私は店主など目に入らないので、よたよたしながら店を出る。多分、そこまで時間はかかっていないのでウィリアム様をお待たせしていないはず。でも早く戻らないと。



「おっと、と」



ふらつく足で戻る。行きよりも道のりが遠いと感じるのは木箱のせいか、それとも気持ちが急いているのか。


早く、早く。息が上がってくるけれど、それでも急ぐのをやめない。


夕暮れということもあり、夕飯の食材を求める人だかりでまっすぐ歩けない。通りの端に寄って、人通りを避ける。



「(早く、早く)」



自然と笑顔が溢れる。やっと結果が出せる。ブライトさんの悩みを解決できる。


見えてきたブライトさんのお店。私は痺れてきた腕に鞭打って向かう。店先にウィリアム様が立っているのが見える。手を振りたいけど今両手が塞がっているので声をかけてみようか。



「ウィリアっ・・・・・・・」



だけど、突然私の体が何かに引っ張られる。


店と店の間にある路地裏から伸びてきた手によって、がしゃんと木箱が地面に落ちる。それを拾おうとするが、何者かの手が邪魔をしてうまくいかない。



「いいから黙ってついてこい」


「は・・・・・・?」


「今腰に当たってるもん、わかるな。動くと刺さっちまうぞ」


「・・・・・・・」



ブライトさんのお店がある通りは家路を急ぐ人か店先の食材を眺めるばかりの人しかおらず、私の姿に気づく様子はない。叫ぼうにも背中に当たる何かのせいで声が出ない。



「・・・・・・」



地面に散らばった虫眼鏡を、無情に見ることしかできなかった。




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