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お嬢様はお嬢様




「・・・・・・・」



目の前の光景に、言葉を失う。


公爵家といえば、王の弟だったり姉だったり、とにかく親戚の位置にあたる。同じ血を引く尊いお立場であり、貴族の中の頂点と言える。その領地も私の父のような子爵と違って広大な土地を有しており、その分領民も多いから徴収できる金も多い。


特にコールマン公爵は貴族の中でも王宮に仕えるエリートな方だ。それだけでなく、貿易や商業など手広くされていると聞いているので、その財産は桁を数えるのに時間がかかるほどだと思われる。


そんな父を持つウィリアム様もコールマン公爵から領地内での新規事業支援業務を一任されているということだし、コールマン公爵と共に遠出をして仕事をすることも多いということなので、ご自身だけで得ている収入も私なんかとは桁違いだ。


そしてあのお美しさである。街ゆくお嬢様や貴族令嬢を、ただ通り過ぎただけで心を掴んでしまうほどの美しさは、もはや人間ではないと私は思う。


そんなウィリアム様が、お忍びで王宮を訪ねるとどういうことになるのか。


私は今その瞬間を垣間見ている。



「まぁっウィリアム様!今日はどうして王宮に?」


「お久しぶりですわウィリアム様!以前晩餐会でご挨拶したのを覚えていらっしゃいますか?」


「ああっ、どんな香水をつけていらっしゃるの?私のこの香り好き・・・・!」



以前、王宮を訪れた際は王宮に住う貴族たちの塔には足を運ばなかった。図書館もあまり使う方がいないのか人の姿はあまりなく、とても静かだったことを覚えている。


しかし今日はモディリーさんに会うため、その塔に入った。途端に可憐なお嬢様に囲まれたウィリアム様の吸引力には舌を巻く。本当に、魔術か何かで吸い寄せたようにわらわらとお嬢様が現れたのだ。


今も後ろからは話を聞きつけたお嬢様や使用人たちが我先にとウィリアム様へと駆け寄っている。この場にいるお嬢様たちは尊いお立場か、もしくはその使用人である。子爵の娘では到底肩を並べて歩くことなどできない。


どうしてこんなにお嬢様が多いのか。なんとなくぼんやりそんなことを考えていれば、使用人たちが後ろでこそこそと話をしているのが目に入る。



「姫が急にお茶会なんて開こうなんて言うから仕事増えて困ってたけど、ウィリアム様に会えたしもう何でもいいわっ」


「(なるほど・・・・お茶会があったのか・・・)」



お茶会があったのならこのお嬢様の数も何となく分かる。私はすっかりウィリアム様から離れて廊下で待機をしているが、誰の目にも入っていないと思う。これだけ気づかれないといっそ清々しい。


私はキョロキョロとそのお嬢様や使用人の中にモディリーさんの姿がないか確認しようとする。しかし今更ではあるがモディリーさんの容姿について知らなかったことに気づく。内気で、優しそうで、洗濯物を干しながら微笑むような可憐な方。それは分かるが、その顔が思い浮かばない。



「(使用人服を着るので焦ってたからティミッドさんに聞くのを忘れていた・・・・)」



思わず頭を抱えて壁に項垂れる。これでは探しようがないではないか。


これはもう、一人ずつ確認をしていくしかない。もしくは使用人に声をかければモディリーさんについて教えてもらえるかもしれない。そう思い、最後尾でウィリアム様の顔を遠くから見つめている使用人へと歩み寄る。



「あの・・・・・」


「何?あら、あなた見ない顔ね。新人?」


「あ、いえ・・・私はウィリアム様の使用人です。本日王宮に行くということだったので、付き添いで参りました」


「はぁ?あんたウィリアム様の使用人なの!?なんて贅沢な・・・・・」



じろじろと顔を見られる。それに引きつった笑みを浮かべながら、私はその使用人へと一歩さらに近づくとお嬢様の歓声にかき消されないように少し大きな声で話しかける。



「モディリーさんはいらっしゃいますか?」


「モディリー・・・ああ、あの子ね。なんであんたがモディリーを知ってるの?」


「・・・昔の馴染みなんです。久しぶりに挨拶をしたいなと」


「ウィリアム様の使用人が・・・・モディリーと昔馴染み・・・・・」


「は、はい」



嘘をついているのを知られたくないので必死ににこにこと微笑む。ケイトの技術のおかげか、少しはまともな顔に見えたらしく、使用人がこほん、と咳払いをしながらも野次馬の中にモディリーさんがいないか確認してくれる。


だけどいなかったようだ。首を横に振られる。そんな簡単にことが運べるわけでもないか。



「そうですか・・・・今日はどちらにいるかご存知でしょうか」


「モディリーなら今日は西塔の掃除をしているはずよ。場所は分かる?」


「いえ、あまり王宮には立ち寄らないのでどこだかさっぱり・・・・」


「ふぅん・・・・・」



顎に手をおいて使用人が黙る。その表情に私はにこにこと愛想笑いを浮かべることしかできない。


できれば早く立ち去りたい。一応ここには私の父もいる。今は仕事中なので顔を合わせることはないだろうが、それでも子爵の娘が使用人の格好をして王宮に潜入しているなど絶対にばれたくない。ばれたら即死だ。


早く行きたいな。と思っていると、何かを思いついたらしい使用人が私の腕を掴んだ。そして顔を綻ばせると、そっと耳元で困ることを言ってくる。



「私が案内してあげるから、ウィリアム様に声かけてよっ」


「え・・・・・・」


「たまにはいいじゃない。いつも厚化粧のお嬢様や姫の相手をしてるのよ?たまには目の保養したいじゃないの」


「・・・・・・」


「ほら、ウィリアム様に声かけてきて。あんたがモディリーに会いに行くならウィリアム様に了承取らないと動けないでしょ?その時横にいさせて。そんで優しい私に案内してもらえることになったって言ってくれるだけでいいから。ね?ちょっとご挨拶するだけよ」


「・・・・分かりました」


「ありがと!あんた名前は?」


「・・・ジェニファーです」


「ジェニファーね、よろしくねぇ?ジェニファー」



にこり、と使用人に微笑まれる。その笑みは私のために見せてくれたものではなく、ウィリアム様を思ってのものだ。使用人にしては強気な態度で公爵子息に挨拶をしたいと言う姿は肝が据わっているとは思うが、この場には貴族のお嬢様もいる。しかも今絶賛ウィリアム様の虜だ。声をかけづらい。


しかし、このまま何もしないままではモディリーさんに会いに行けない。私は背筋を正すと覚悟を決め、きゃっきゃと騒がしいお嬢様の間を抜けてその中心にいらっしゃるウィリアム様へと歩み寄る。


お嬢様の熱意に戸惑いながらも柔らかい表情を浮かべているウィリアム様と目が合う。すると迷える仔羊が助けてくれと目で訴えてきた。その表情に引きつった笑みを返しながらスッと体の前で両手を合わせ、お辞儀をする。


ウィリアム様をうっとりと見つめていたお嬢様たちの視線が刺さった。



「ジェニファー?」


「ウィリアム様、以前私がこの王宮の使用人と昔馴染みだとお伝えしたかと思います。モディリーという女性なのですが、これから挨拶へうかがいたく」


「・・・・・ああ、そうだったね」



私の嘘にうまく話を合わせてくれる。お嬢様に絡められた腕をやんわりと外すと、私にこくんと頷いて柔らかく微笑む。その表情にお嬢様の数人がくぐもった声を出した。まるで母やケイトのようだ。


お嬢様からの視線が背中に刺さっているのを感じながら顔を上げる。そして私の横でにこにことウィリアム様を見上げている使用人を、掌を上にして示す。ウィリアム様がそれに釣られて使用人を見ると、使用人の顔が一気に真っ赤になった。



「こちらの方がモディリーをご存知とのことで、ご案内してくださるそうです。ウィリアム様がよろしければ、今から伺おうかと思うのですがよろしいでしょうか」


「そうか、なら私も行こう。君、世話になるね」


「いっいいえっ、ジェニファーさんが困っているようでしたので」


「ありがとう」


「と、とんでもございません・・・・!」



ありがとうと言われた使用人がとろとろに顔を蕩けさせながらお淑やかにお辞儀をする。その様子にお嬢様たちが分かりやすく嫌そうな顔をした。そして私へとその視線を向ける。


きっと、使用人の分際で公爵子息の予定を奪おうとをしていることに対して怒っているのだろう。まぁ、大体はこの場からウィリアム様を連れ去ろうとしているからだと思うが。


乙女心は分からないが、幼い頃から好奇な目や気味悪がられることには慣れているのでそういう感情には鋭い。そんなもの長所にもならないが、空気を読むことには繋がっていると思う。


私はウィリアム様に深々と頭を下げる。ここまで人に深く頭を下げたことなどない。そのことを特に悔しいなどと思わないが、おかしなことをしているなという自覚はあった。それでも執事長のジョージさんのお辞儀を見ていたので、綺麗にできたと思う。



「ありがとうございます、ウィリアム様」


「・・・・・・」


「まだこちらでお話されるようでしたら先に行って参りまーーーー」


「や、やだジェニファー。ウィリアム様が一緒に行ってくださるんでしょう?」


「・・・・・・」



さっき、挨拶だけでいいと言っていなかったか。私の背中を抓りながらウィリアム様に笑みを浮かべる使用人に言葉をなくす。ぎゅう、と抓られて背中が痛い。思わず顔を顰めそうになれば、使用人がさらに指に力を入れるものだからぴん、と背筋が立った。


その様子に気づいたウィリアム様が目を細める。鋭い視線に、周りのお嬢様がうっとりと感嘆の声を漏らした。



「・・・・ジェニファー?」


「・・・・・恐縮ながら、ご都合がよろしければご一緒に行っていただけないでしょうか。本日はウィリアム様の付き添いで参りましたので、お傍でお世話をさせていただきたく。ご迷惑でしたら私はこの方と先に行って、・・・っ・・・」


「・・・・・・」


「どうして使用人のためにウィリアム様が行かなくちゃいけないのよ」


「何様なのかしら」


「これじゃあウィリアム様が使用人の付き添いみたいじゃない」



ひそひそとお嬢様が話をしているのが耳に届く。全くもってその通りだと思う私は目を閉じてぐっと堪える。ここで使用人にへそを曲げられてしまえばモディリーさんに会いに行くのが遅れる。お嬢様に何を言われようが、今後ここを訪れることもないので忘れてしまえばいい。今はティミッドさんの依頼を解決することの方が重要だ。


もう一度ウィリアム様に頭を下げる。背中が曲がったことで使用人の指が背中から外れる。そうすると痛みと共にじんわりと熱が広がっていくのが分かった。きっと赤くなっていることだろう。ケイトに見られたら何か言われそうなのでシャワーを浴びる時は気をつけないと。


そう考えていると、視界にウィリアム様の靴が見える。ぼんやりとその綺麗な茶色の靴を眺めていると、さらに一歩近づいたのが見えた。だけど今は使用人なので無闇に顔を上げることはできない。


早く一緒に行くか、行かないか言ってもらえないだろうか。そう思いながらウィリアム様の言葉を待つ。だけどいつまで経っても声がかからない。不思議に思って少しだけ顔を上げると、その肩をやんわりと後ろに押した。


そのまま真っ直ぐ立たされる。そこで目に映ったのは、ウィリアム様のムッとした表情だった。


眉を下げ、いつものように口角を上げるのではなく、少し下げるような表情は親に叱られた子どものようだった。そのウィリアム様が私の肩に手を添えたまま近づく。そうするとお嬢様たちが驚くように目を見張る。



「・・・・・・・」


「・・・・・・」


「ジェニファー」


「・・・・・は、はい」


「私が君について行くと迷惑かい?」


「・・・・っ」



ぐっと顔を寄せ、間近でウィリアム様が困ったように眉を下げて呟く。その行動にお嬢様たちが思わずといった具合に声を荒げた。お互いの肩をばしばし叩いている方もいらっしゃる。


た、確かにこの表情はずるい。前髪が深緑の瞳をやんわりと隠しながら、それでもしっかりと見つめられる。私も胸を押さえるほどだった。息が詰まる。吐息が溢れないように私は必死に口を固く閉じる。そうしているとウィリアム様の指がそっと唇に乗る。すり、と撫でられる頃にはお嬢様たちが絶叫した。



「そんなに強く噛んだら血が出るよ」


「・・・・で、出ません」


「そうかな、確かめても?」


「だっ、だめです!」


「困った使用人だな、まるで言うことを聞いてくれない」


「・・・・・・・」



からかっている。多分ウィリアム様はからかっていると思う。


私は出かかった言葉を何とか堪えながらクスクスと笑うウィリアム様を睨む。真っ赤な顔で必死に睨む私にウィリアム様は顎に指を置きながら少しだけ上を向いてにやりと笑う。その表情に、多分ではなく確実にこの状況を楽しんでいることに気づく。


ぷるぷると体を震わせながらウィリアム様に行くのか行かないのかはっきりしてくれと訴える。するとウィリアム様が片方の口角だけ上げ、野次馬と化したお嬢様たちへと視線を向ける。



「これ以上私の使用人の機嫌を損ねないでいただけませんか?」


「・・・っ・・・・」


「この子は一度癇癪を起こすと止められないんです」



そう言いながら私へと歩み寄ったウィリアム様が私の肩に腕を回して後ろから抱きしめるようにする。一応公爵子爵と使用人という設定は守ってくれているのか、抱きしめるわけではなく少しだけ隙間を作ってくれているがあまり意味はないなと他所で思った。


ウィリアム様の美しい顔が私の右頬の近くに寄せられる。そして愛想の良い笑みをお嬢様たちへ向ける。近くでくぐもった声が聞こえた。



「だから、もう二人きりにしてくれないかな」


「・・・・ッ・・・キャーッ!ごめんなさーい!」


「やだもう無理息ができない!」


「・・・・今なら視線だけで妊娠する・・・・!」


「私もウィリアム様の使用人になりたーい!」



物騒なことを言っているお嬢様がその瞳に溢れんばかりの好意を浮かべながらウィリアム様に頷く。その仕草にウィリアム様がやけに愛想よく微笑むと、私の背中を押して歩き出す。私の背中を抓っていた使用人も、まるで何かに引きずられるように着いてくる。


しかし何かを思い出したようにウィリアム様が振り返る。すでにウィリアム様の虜になったお嬢様がたが胸の前で手を握りながらとろとろに蕩けきった表情を向ける。


一度ウィリアム様がこちらを向く。まだ何か企んでいるような顔に私は眉を顰める。やめてくれ、これ以上何も言わないでくれ。私が必死に手を伸ばしてウィリアム様を止めようとするが、その手を掴まれてわざとらしくお嬢様たちへと見せる。


そして、その手の甲にキスをしながらうっそりと微笑んだ。



「私の使用人はこの子だけだから、他はいらないんです」


「・・・・っ・・・・」


「キャーッ!」


「ウィリアム様もっと言ってー!」



母とケイトが量産され所狭しと集められたのかと言うくらい騒がしいお嬢様に私はうんざりする。どこもかしこも脳内お花畑ばかりじゃないか。そんなお嬢様たちをクスクス笑いながら眺めるウィリアム様はとてもご機嫌だ。この方は来世役者にでもなるのだろうか。うまく立ち回る姿には舌を巻く。


ぐったりしながらウィリアム様の後ろを歩く。先ほどから黙ったままの使用人を見れば、胸の前で手を合わせてうっとりとウィリアム様の背中を見つめている。もう放っておこう。


そう思う私を他所に、ウィリアム様がご機嫌な表情でこちらを振り返る。まだ何か言うつもりなのだろうか、と構える私ではなく、ウィリアム様は使用人へと視線を向ける。目があった使用人は今にも気を失いそうになっていた。



「・・・・・君」


「は、はい!何なりとお申し付けくださいっ・・・・!」


「そう。じゃあモディリーさんのいる場所を教えてくれるかい?」


「え・・・・西塔の・・・書庫ですが・・・・・」


「そうか、書庫の場所なら私も分かる。どうぞ、君は仕事に戻ってくれ」


「え・・・・でも・・・・」



先ほどまで頬を赤らめていた使用人が逆に青ざめる。それでもウィリアム様は愛想の良い笑みを浮かべる。そして一歩使用人に歩み寄ると、その顔を覗き込んだ。一瞬だけ使用人が嬉しそうに口角を上げる。だけど言い放たれた言葉と共に、細められた深緑の瞳がぐらりと魔力で揺れるのを確認すると、青ざめるどころか真っ白にした。



()()()()()()とでも?」


「・・・っ・・・・」


「私の使用人に何をしていたのかな」


「・・・わ、私は・・・何も・・・・」


「痛い思いはさせていないかい」


「・・・・・・し、しておりません」


「・・・・そう。ならいいんだ、もし何かしていたのならどうしてくれようかと思ったけど」


「・・・・・」


「もういいよ、あとは私とこの子で行くから。いいね?」


「は、はい・・・・・」


「ありがとう」



ぱたぱたと足音をたてて使用人がいなくなる。


私はウィリアム様の天使のような微笑みには似合わないほど低い声を聞いて戦慄する。やはり優しい方が急に怒り出すと怖いものだ。この方は怒らせてはいけないと固く誓った。


長い廊下にウィリアム様と二人きりになる。先ほどまであれほど騒がしかったというのに、今は誰の声も聞こえない。私はそろり、とウィリアム様へと視線を向ける。するとウィリアム様もこちらを見ていたのか柔らかい笑みを浮かべられる。



「お人形さん」


「・・・・はい」



ウィリアム様はとても優しく微笑んでいるのに、まだ怒っているのか声が少し低い。


ウィリアム様が歩み寄り、私の背中に手を添える。背中を抓られていると気づいていたウィリアム様には驚いたが、私の代わりに言ってくれたのでスカッとしていたところだ。なのでお礼を伝えようかと振り返る。だけどそれを嫌うようにウィリアム様が私の肩を掴む。そして大きくため息をつくと、私の肩に頭を乗せた。


ふわり、とウィリアム様の柔らかい香水の香りが鼻に届く。シャンプーも良いものを使っているのか、香水の香りと重なって甘く感じた。



「君を使用人と言うのが嫌になったよ」


「・・・・・・」


「君が私に頭を下げる姿なんて見たくなかった」


「・・・・・」



私は気にしていなかったけれど、ウィリアム様は嫌だったらしい。別に媚び諂うためでも、忠誠を誓ったわけでもないのだから気にしないでいいのに。それでも『仲間』が自分に頭を下げるのは嫌なようだった。


くる、と体を捻って正面からウィリアム様を見上げる。気にしていない、と笑みを浮かべてみる。その私の表情にウィリアム様は眉を下げながら微笑むと、頬に手を添えて呟いた。



「ジェニファーはお嬢様の姿が一番似合う」


「・・・・・!」



別に、今日初めてウィリアム様から『お嬢様』と呼ばれたわけではない。だけどどうしてもそう言われると驚くほどに気持ちが上向きになるのを感じる。なぜそう思うのかは分からない、だけどウィリアム様からお嬢様と呼ばれるとどうしてか嬉しくなった。


私は無表情な顔を少しだけ綻ばせながらウィリアム様を見上げる。そして今の気持ちを残したまま、無意識に声をかけた。



「ウィ、ウィリアム様・・・・」


「うん?」


「私はお嬢様に見えますか?」


「・・・・・・・・」


「お、お嬢様に見えるのでしょうか」



そこまで伝えてハッとする。ウィリアム様に聞いてどうするのか。私は何と言われたいのか自分でもよく分からなくなる。『仲間』だと認めてもらえているだけでも嬉しいのに、これ以上何を望もうとしているのだろうか。


恥ずかしくなってそっぽを向く。そ、そういえばここは廊下だ。誰かが急に現れてもおかしくない。それに今私はお嬢様ではなく使用人だ。あまりこうやって公爵家のご子息と顔を合わせているのもよろしくない。


すぐにウィリアム様の後ろへと下がる。そして早く進んでくれと念じる。


だけど思いは届かなかったようで、ウィリアム様は振り返ると長い腕を伸ばす。その腕が背中へと回されると、体温を感じるほど強く抱きしめられた。だ、だめだ。こんなところで使用人を抱きしめている姿を誰かに見られたらウィリアム様が悪く言われる。


わたわたと慌てながらウィリアム様の腕を外そうと試みる。だけどしっかり背中に回された手が外れることはない。本気で怖くなってきた私が顔を上げてウィリアム様を見る。そして、目を見張った。


ほんのりと頬を赤らめ、うっとりと微笑むウィリアム様がそこにはいた。いつものような婀娜やかで柔らかい笑みというよりは、年相応の可愛らしい笑顔があった。



「ジェニファー」


「・・・・・・・」


「ジェニファーはお嬢様だよ」


「・・・・・・」


「私が愛して止まない女の子だ」


「・・・・っ・・・・」


「可愛い女の子だよ。細くて、強く抱きしめたら折れてしまいそうな、守りたいと思うような子だよ」


「・・・・・・・」


「いつもの芯のある人形のような君も好きだけど、お嬢様の君も好きだ」



そう言って、ぎゅうと抱きしめられる。


私はウィリアム様の肩に頭を乗せながら背伸びをしてぼんやりとする。ウィリアム様の言葉が頭に響く。ぐにゅりと現れた『あいつ』が忘れさせないと、脳に記憶しろと呼びかける。


私の視界に広がる長い廊下がぼんやりと歪む。それがなぜなのか分かりたくなくて、目を閉じることができなかった。目を閉じればそれが溢れると本当は分かっているから。



「(・・・・嬉しい・・・・)」



誰にでもなく、ウィリアム様にそう言われると嬉しくなった。母の胎の中に忘れてきたものが、本当はすぐ傍にあるのかもしれないと思うから。私も『普通のお嬢様』なんだと思えるから。


そうか、私は普通のお嬢様になりたかったのか。


小さい頃から変わった子だと言われ、魔術好きなお嬢様と呼ばれ育った私は、自然と私自身もそうなのだと思っていた。それが当たり前であり、本当に魔術が好きだから構わないと思っていた。だから普通のお嬢様は別の生き物に見えた。別の生き物なのだから、その心を理解することなどできないと諦めていた。


だけど社交パーティーで顔を合わせた普通のお嬢様を見ていると、どうしても目が離せなかった。ケイトと一緒に街に出て買い物をしている最中、楽しそうに恋愛話をしているお嬢様を見かけると、どうしても目で追ってしまった。


それは目に見えない、数値化もできないものを胸に抱く別の生き物だから気になるのではなく、その心を私も持ってみたいと興味を持っていたからだったんだ。


それが分かってウィリアム様の腕をぎゅう、と掴む。そうするとウィリアム様が身動ぎをして再び強く抱きしめる。その強さが、今は心地よかった。



「・・・・・・・」


「・・・・・・」



ウィリアム様が顔を上げ、私の頬に手を添える。愛しいものを見るような深緑の瞳にどぎまぎしながらも目を離すことができない。ゆっくりと瞳の色が若紫色に変わる。瞼を親指の腹で撫でられると、魔力が込められたのが分かった。


ゆっくりとウィリアム様の美しい顔が近づく。その若紫の瞳を無表情のまま見つめる。いつもなら落ち着いてなどいられないはずなのに、今日はなぜかすんなりとウィリアム様の艶やかな唇を見ていられる。


薄く唇が開く。その唇が目に触れる。それから頬に。頬を軽く食まれるとこそばゆくて変な声が出そうになる。その様子をうっとりと眺めていたウィリアム様が、一度額を寄せてくる。目の前が薄暗くなって、それでもウィリアム様の口角が嬉しそうに上がっているのを見るとどうしても嬉しくなった。


両頬を掴まれ、そのまま唇が触れる。軽く触れ、リップ音と共に離れた唇がまたすぐに戻ってくる。下唇を食まれ、その隙間に熱いものが触れる。上顎にその熱いものが当たるとどうしても口を開いてしまった。そうすると余計に熱いものが奥へ奥へと入ってくる。どちらのものとも言えない吐息が静かな廊下に響く。


ずくん、と下腹部が重くなる。足に力を入れるだけの意識が向かわなくてふらつくとウィリアム様が腰と後頭部に腕を回した。腰に添えられた手がするすると登っていく。そうするとぞわぞわと意味の分からないものが走った。


急にそこで恥ずかしいというか怖くなって目を開ける。すぐそこに若紫の瞳が映る。眠たげな瞼の下に転がるその瞳が私のものとそっくりで、それがたまらなく気味の悪い高揚感を孕んだ。


はぁ、と吐息を零しながらウィリアム様が顔を離す。私の額に触れたことで乱れた前髪が若紫の瞳をやんわりと隠す。その美しい顔にかぁぁぁと熱が走る。私の様子をじっと生温かい瞳で見つめるウィリアム様が婀娜やかに微笑んだ。


そして再び顔を寄せる。も、もう止めてくれ。多分死んでしまう。息ができなくて死ぬ。



「ウィ、ウィリアム様」


「もういいよ、何も言わなくて」


「(無理です言わせてください・・・!)」



これ以上この美しい顔が近くにあると脳細胞がいくつか死滅してしまう。ぐるぐるとどうやったらこの状況を打破できるかと考えるが何も出てこなくて悲しくなった。


もうだめだ。そう私が考えることを止めようとした時、少し遠くから何かが落ちる音が聞こえる。誰か来たのかと慌ててそちらへと視線を向ければ、そこには顔を真っ赤に染め上げ、両頬を掴んで今にも叫び出しそうな使用人がいた。


騒がれたら確実に大ごとになる。そして事情を説明させられ、依頼解決どころか公爵家を揺るがすスキャダルとなってしまう。私は大きな口を開けて叫ばんとする使用人へと急いで駆け寄る。そして初対面なのに失礼ではあるが口を手で塞ぐと、ぜぇと息を吐く。


そしてバッと顔を上げると、真っ赤な顔の使用人を見つめた。



「ただのお戯れです。どうぞこのことはご内密に」


「・・・・・」



私の凄みのある表情に使用人がこくこくと頷く。それを確認してから口を覆っていた手を外す。多分、今年一番全力疾走をしたと思う。この前全力疾走をしたのはいつだっただろうか、ああバーバラさんとエリザベッタさんを探しに森に向かった時だろうか、と意味の分からないことを考えながら冷静を取り戻そうと必死になる。



「あ、・・・わ、私・・・・」


「・・・・・・」



目の前の使用人が真っ赤な顔でぼそぼそと呟く。そして指をつんつんと突くと顔を背け、ぷるぷると震え出す。何だろうか、その仕草どこかで見たことがある気がする。



「わ、私・・・逢瀬を見るのは初めてで・・・は、恥ずかしいわ・・・ごめんなさい」


「・・・・・・」


「だ、大胆なのね・・・・あなた・・・」


「ちっ、違います!」



私も顔を真っ赤にして叫ぶ。すると使用人がびくっと肩を震わせながら、それでも真っ赤な顔でおろおろと視線を泳がせた。その様子に、どうしてもティミッドさんが重なる。


もしかして、もしかするのか。


そう思った私はぐっと身を乗り出して使用人の肩を掴む。遅れてやってきたウィリアム様が「落ち着いて」と私の腰に腕を回して引き寄せる。するとその姿を見ていた使用人が再び両頬に手を添えてぷるぷると震えた。


その様子を見ているとどうしても聞きたくなる。私はウィリアム様の腕を外そうとしながら使用人に歩み寄ろうとするが、こうなると人の言うことを聞かないとウィリアム様は分かっているらしく、頑なにその腕を離そうとしなかった。


仕方なく、そのまま使用人に声をかけようとする。だけど私を怖がるように一歩後ろに下がってしまう。そこでがっつきすぎたと気付き、一度落ち着く。それからできるだけ優しく、ゆっくりと声をかけた。



「あ、あの・・・・・」


「・・・・・・」


「モディリーさんですか?」


「え?・・・・なんで私の名前・・・・」


「(やはり・・・・・)」



内気で御伽噺が好きなモディリーさん。この使用人とそっくりだ。見事的中したので私はホッと胸を撫で下ろす。西塔にいるということだったが、荷物を持っているから掃除が終わったのだろう。その帰宅途中出会したとなれば、それは偶然と呼ばず必然と呼びたい。


ウィリアム様もまさかモディリーさんから来てくれるとは思わなかったのか驚いているようだった。そして私が落ち着いたことに気づくと、そっと腕を外してくれる。


なのでモディリーさんへと歩み寄る。そして使用人らしく丁寧にお辞儀をする。初対面の私が名前を知っていることが不思議なのか、ぷるぷる震えながら首を傾げる姿はとても可愛らしい。モディリーさんに笑みを浮かべると、ゆっくりその手を握る。すぐに引っ込められそうになるが、敵意はないと優しく微笑みかければモディリーさんが目を見張って手を止めてくれた。



「モディリーさん、突然声をかけてすみません。私はジェニファーと申します」


「ジ、ジェニファーさん・・・・見かけない顔ね・・・・新人さん?」


「ああ、いえ私はウィリアム様の使用人です。今日はあなたとお話をさせていただきたく、こちらまで参りました」


「私と・・・・・?」


「はい。・・・・えぇと、私実は御伽噺が好きで。噂でモディリーさんも御伽噺がお好きだと聞いたので、よろしければ一度話をしてみたいなとウィリアム様に無理を言ってこちらまで参りました」


「あら・・・・そうなの・・・・」


「はい。・・・・噂で聞いた通り、モディリーさんは御伽噺がお好きなんでしょうか?」



ここで好きではない、と言われたら結構衝撃を受ける。私はごくり、と唾を飲み込むとモディリーさんを食い入るように見つめる。するとモディリーさんはぽっと頬を赤らめると再び指を突っついてもじもじとし始めた。まるでティミッドさんではないか、と他所で思った。



「そ、そうなの・・・・大人にもなって変よね・・・・」


「いえ、変ではないと思います。私も御伽噺は好きですから」


「そう・・・・あなたとは気が合いそうね」


「(嘘をついていますとは絶対に言えないな・・・・)」


「でも、あなたのように私は大胆にはなれないから、そこは相入れないわ」


「だっ・・・・・!」



やめてくれ!先ほどのことはもう記憶の彼方に追いやっていたのだ。急に引き戻されて私もかぁぁぁと顔を赤くする。顔だけでなく首まで赤い私にモディリーさんが口元を手で隠して「まぁ」と言う。まぁ、ではない。どうして言うのか!まぁで済まされない。


内心でぺらぺらと代弁をしている私に気づいたらしいウィリアム様がクスクスと笑う。全ての元凶のあなたがなぜそう笑うのか私にはよく分かりません。


思わずじとっとした目を向ける。すると、その視線を受けたウィリアム様が堪えきれず笑いながらも憎たらしく片方の口角を上げた。その仕草をする時はだいたい意地悪なことを言うとなんとなく分かってきた私は止めようと歩み寄る。だけどそれよりも前に、ウィリアム様はご自身の唇に指を添えるとどこかを眺めて呟いた。



「君が離してくれないから」


「なっ・・・・・・!」


「物欲しそうに見えたけどね」


「・・・・っ・・・ウィリアム様!」


「はは、ごめん」


「・・・・・・・・」



謝って済む話ではない。ムッとしながらウィリアム様から視線を外す。だけどそれを嫌うようにウィリアム様が私の顔へその美しいお顔を寄せると、耳元でぼそりと吐息まじりに呟く。



「ごめんね、我慢したいんだけどできないようだ」


「・・・・・・」


「君が可愛い女の子だからいけないんだよ」


「・・・・〜っ・・・・!」



耳を押さえてウィリアム様から離れる。その様子をクスクスと笑いながら眺めるウィリアム様はとてもご機嫌そうだ。それが腹立たしい。そしてあの時の私を今すぐ殴ってやりたい。


唸っている私の耳に、ウィリアム様以外の笑い声が聞こえる。控えめで小さな笑い声ではあったものの、その可憐な表情に似合うそれが余計に可愛らしく見せる。



「モディリーさん・・・・」


「ごめんなさい、とても仲が良ろしいようだから・・・・」


「・・・・・・」


「私、まだ誰かを好きになったことがないの。大人にもなってみっともないわよね」


「(いいえ、目の前にあなたと同じ人間がいます・・・・)」


「だからね、御伽噺を読んでいると私もその仲間になれた気がするのよ」


「・・・・・・」


「いつか白馬の王子様が私の手をとって連れ去るの。現実ではそうもいかないけど、でも御伽噺の中だけなら私もお姫様になれるから・・・・・」


「・・・・・・」


「ふふ、おかしいわよね」


「いいえ、おかしいなど」



モディリーさんの言葉に同意はできない。だけど、本当に御伽噺が好きなんだと思う。私だって魔術に関する本や文献が好きだ。それを他人が理解しなかったとしても、好きなものは好きだ。私の場合は白馬の王子様ではなく、陣形や実験方法が王子様のように見えるが、ほとんど同じようなものだろう。いや、違うか。


とにかく、モディリーさんはティミッドさんとお似合いだと思う。


このお二人が結婚したら、とても幸せに暮らすと思う。庭で洗濯物を干すモディリーさんをティミッドさんが優しい目で眺める様子がすぐに思い浮かぶ。



「(・・・・絶対に成功させる・・・・)」


「あ、あらもうこんな時間?ごめんなさいね、私まだ片付けが残ってるの」


「でっ、では最後に一つだけうかがっても?」


「ええ・・・少しだけなら・・・・」


「あなたが一番好きな御伽噺のシーンは何ですか?」


「好きなシーン・・・・・」



そう言うと、なかなか一つに絞れないのかモディリーさんが頬に手を添えて上を見上げる。数秒そのようにぼんやりと天井を見上げたあと、可愛らしい笑顔をこちらに向けながらモディリーさんが言う。



「石階段から王子様が手を伸ばしてね、塔からお姫様が飛び出しちゃうの。その時に王子様が愛の言葉を囁くシーンが一番好きよ。とっても素敵なの」


「ええ、とても素敵ですね・・・・」


「もう行っても平気?」


「ええ、ありがとうございました」


「こちらこそ。お話できてよかったわ」



ぱたぱたと駆け出していくモディリーさんの背中を見送る。そしてぐっと拳を握る。


これで依頼を解決できる。


まだ石階段を浮かせる方法が思いついていないが、それでもモディリーさんが『多分』御伽噺を好きなのではないと分かったことは大きな成果だ。ここまで手の込んだ潜入をしたし、実ってよかった。


ウィリアム様と顔を見合わせ、お互いににこりと笑う。そのウィリアム様の表情を見ているととても達成感を感じる。


そのまま来た道を戻る。もうここに用はないし、早くこの使用人服を脱ぎたい。廊下を進み、エントランスへと向かう。傾き始めた太陽がオレンジ色に空を染めていた。随分と王宮にいたようだ。


門番に挨拶をして外に出る。そうするとどうしてもどっと疲れが出た。大きくため息をつき、胸元に手を添えて落ち着く。ウィリアム様も何かと気苦労があったからか小さくため息をついた。



「よかったね、モディリーさんと話せて」


「はい。これで依頼を遂行することができます」


「うん、図書館はまた今度にしよう。今から着替えて戻ると帰りが遅くなるから」


「・・・・また行けずじまいで申し訳ありません。ウィリアム様は呪いについて調べるために付き添ってくださっているのに」


「また行けばいいよ、図書館は逃げないから」


「・・・・ありがとうございます」



一日スケジュールを空けてもらっておきながらウィリアム様に迷惑ばかりかけてしまっていることに申し訳なくなる。ウィリアム様に向き直ると、お詫びの言葉と共に頭を下げる。だけどそれを困ったように眉を下げながらやんわりと止める。



「もう頭を下げないで。君は使用人じゃないんだから」


「・・・・ですが」


「君と出かけられるならどこだって楽しいよ」


「・・・・・・」



気遣いでそう言ってくれているのだろうが、本当に良いのだろうか。あまり消化の良い状況ではないのでまだ言い足りない。ウィリアム様に一歩歩み寄り、その美しい顔を見上げる。


私が何か言おうと口を開く。しかしウィリアム様は私から視線を逸らすとどこかを見つめ、そして目を細めた。それから私の腕を掴もうと長い腕を伸ばす。


その手が私の腕を掴むより前に、なぜか後ろに引かれる。そのまま誰かの胸元に頭が当たった。慌てて顔を上げると、コンフィアンス様の横顔があった。


コンフィアンス様はウィリアム様へと視線を向けている。そして片眉を上げニッと微笑んだ。



「よぉ、ウィリアム君」


「コンフィアンス様・・・・・」


「はぁいジェニファーちゃん、ちょっと待っててね。ウィリアム君に用があるから」


「・・・・・・・」



コンフィアンス様が笑ったまま怒っているように見える。あまり良い雰囲気ではない状況にウィリアム様へと視線を向ければ、にこにこと微笑んではいるが目は笑っていなかった。



「コンフィアンス殿、ジェニファーを返していただけますか?」


「あぁん?俺のジェニファーちゃん奪ったのウィリアム君だろ?俺が返してもらったんだよ」


「・・・・・・・」


「挨拶も受付に任せてどこ行ってたかと思えばジェニファーちゃんにこんな格好させて何やってたわけ?」


「コンフィアンス様、これはモディリーさんに話を聞くために私が提案したんです」


「ああ、そうだと思ってたよ。ベティーヌのあの言い方じゃジェニファーちゃん納得しないだろうから」


「(気づいていたのか・・・・)」



何を話したわけでもないのに推測で事実までたどり着いてしまうコンフィアンス様に驚く。やはり人の上に立つ方だから、頭も回るのだろう。


ぼんやりとコンフィアンス様の横顔を眺める。するとその視線に気づいたコンフィアンス様が銀色の瞳を細めて顔を寄せる。そしてあろうことか、前髪にキスを落とした。


顔が離れる際にじっと見つめられる。その強い瞳に、私はぽかんと口を開いたまま固まる。



「(え、キスされた・・・・?)」



驚いて言葉にならない。前髪を押さえて固まる。その様子に、ウィリアム様の前なら顔を真っ赤にするくせに顔色一つ変えないとコンフィアンス様が眉を顰めているとも気づかず。


コンフィアンス様がウィリアム様を睨む。そして私の肩を抱くと、ウィリアム様を指差した。



「おうウィリアム君、ちょっくら面貸してくれよ」


「・・・・・・」


「ウィリアム君とは会った時から一度魔力相撲してみたかったんだよね」


「(魔力相撲とは・・・コンフィアンス様は何を言っているんだ?)」


「鍛錬場、来てくれるよな?もう今は誰もいないし、俺偉いから勝手に使用しても何も言われないんだわ」


「・・・・・・・」


「決めようぜ、どっちが上か」


「・・・・分かりました」



よく分からないままウィリアム様が頷く。そしてこちらに歩み寄ると無表情で私へと手を伸ばす。だけどコンフィアンス様が私の肩を抱いて歩き出してしまう。


い、いやどういう状況ですか。


意味が分からないのでコンフィアンス様に説明を求む。コンフィアンス様は私ににこりと笑うと、再び前を向いてしまう。


そのまま司令部へと戻り、受付で許可証を見せるとすぐさま鍛錬場があるらしい場所へと向かう。その間誰も喋らない。夕暮れ色に染まった空に烏が低く飛んでいる。いや、烏を見ている場合ではない。


何か話さなくてはとするが、誰も相手にしてくれない。そうこうしている間に鍛錬場に着くと、なぜかそこにティミッドさんの姿があった。私から離れたコンフィアンス様はウィリアム様を連れてどこかへと行ってしまう。


私はどうしたらいいのかとおろおろしていると、ティミッドさんが慌てて駆け寄って来た。



「ティミッドさん、あ、あのコンフィアンス様は」


「ジェニファーさん・・・・・なんで兄貴に挨拶しなかったんすか?」


「え・・・・・?」


「兄貴、ジェニファーさんに会えるの楽しみにしてたんすよ。俺てっきり挨拶してから来たのかと思ってたんですけど、違ったんですか?」


「・・・・受付の方にお願いをしただけです」


「あちゃー・・・・兄貴すごいご立腹ですわ。あ、でもジェニファーさんじゃなくてウィリアムさんになんで、そこは安心してください」


「(いや、それはそれで困る・・・・)」


「兄貴も無謀なことするよなぁ・・・・何したってジェニファーさんはウィリアムさんのーーーー」


「・・・・・何ですか?」


「いやなんでもないっす。・・・あ、服着替えましょ。俺ウィリアムさんから袋貰って来ます」


「・・・・・・」



ティミッドさんが何かを言わないまま走っていく。その様子を薄暗いエントランスで見送る。


やっぱり、挨拶すべきだったか。


ウィリアム様の様子をうかがいすぎて軽率なことをした。コンフィアンス様は魔術師で隊を率いるような尊いお立場の方だ。たとえお仕事で忙しかったとしても、ウィリアム様が良い顔をしなかったとしても、挨拶くらいはしておくべきだったと後悔する。



「(何でこうなるんだ・・・・)」



くしゃ、と前髪を掴んで毟るように動かす。だけどケイトの顔が浮かんで、すぐに手を止めた。壁に寄りかかって頭を抱える。何をしているんだ、私は。


それからティミッドさんが袋を持って戻って来る。鍛錬場にはシャワールームがあるようで、そこで着替えるように言われた。誰もいない広いシャワールームで使用人服を脱いでいるとどうしても虚しくなってくる。



「・・・・・・・」



あの二人、相当仲が悪いよな。でも相性は悪くないと思う。月は闇属性の一つと呼ばれているが、光と密接な関係だとも言われている。今だって、夕暮れの光で私の影が長く床に伸びている。光がなければ影はできないし、影がなければ光はただ辺りを照らすだけで陰影がない。画家が陰影を作り出すためにキャンバスを真っ黒にしてしまうことがあるくらい、光と影は大事なものなのだ。


できれば仲良くなってほしい。だけどそれをよそ者が思うのはただの傲慢だ。


ケイトが用意をしてくれた洋服に着替え、エントランスへと戻る。そこには頭をぽり、と掻いているティミッドさんがいた。私が戻ってきたことに気づくと、困ったように眉を下げてにこりと笑う。



「ま、ただの遊びなんで気にしないでください。あ、でも危険なんで中には入らないでください」


「・・・魔力相撲とコンフィアンス様はおっしゃっていましたが、魔力相撲とは何なんですか?」


「腕相撲みたいなもんですよ。魔術師の間でよくやるんですけど、どっちの力が強いか競うんです」


「・・・・・・」


「・・・えっと、そ、それよりモディリーさんはどうでした?何か収穫ありました?」


「ああ・・・はい、やはりベティーヌさんの言う通り、モディリーさんは御伽噺が好きでした」


「そ、そうっすか・・・そりゃよかった・・・・へへ・・・・」


「・・・・・・」



私の気を紛らわせようと言ってくれたのだろう。本来のティミッドさんなら、きっとその場で踊り出すくらい喜んだだろうから。気を使わせてしまって申し訳ない。だけど謝る気にはどうしてもならなかった。


鍛錬場に入るための大きなドアに手を添える。中から少しだけ魔力の揺れを感じ、すでに魔力相撲が始まっているのだろうかと考える。



「(悪いことしちゃったな・・・・ウィリアム様何も悪くないのに)」



私が挨拶をしないでいいと係員に言ったのだ。王宮に潜入をしたいと言ったのも私だ。なのにどうしてウィリアム様がコンフィアンス様に怒られなくてはいけないのか。


私が謝るべきだ。


ドアノブに触れる。それをティミッドさんがやんわりと止める。それでもドアノブを回して中へ入ろうとする。だけどその瞬間、とてつもない大きな魔力が体に当たってそのまま尻餅をついた。い、今のは何だと乱れた髪を直すこともなく再びドアに近づく。



「だ、だめですよジェニファーさん!今兄貴が魔力放出してるんで!」


「で、ですが中にはウィリアム様が・・・・」


「ウィリアムさんなら大丈夫っす。俺ら魔術師なんで相手の魔力がどれくらいかある程度分かるんですけど、ウィリアムさんは兄貴と同じくらいの魔力を持ってます」


「・・・・・・」


「今ジェニファーさんが中に入ったら魔力に当てられて体壊します。俺が見てくるんでここで待っててください」


「あ、・・・・ティミッドさん」


「絶対入っちゃだめですよ!」


「・・・・・・」



ドアの奥にティミッドさんが消える。中から鍵まで閉められてしまったので、盗み見ることさえできない。


魔力相撲なんて、絶対に見たら胸が躍るはずなのに、今日は全くそういう気持ちにはならなかった。何もなければいい、できれば仲良くなってほしい。傲慢にもそう考え、ただドアに額を寄せることしかできない。


どん、と魔力が放出されるたびに鍛錬場が揺れる。



「・・・・・・・」



その音を私はただ眉を顰めて受けた。



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