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お嬢様の母




翌日から魔獣使いのティミッドさんの思い人、モディリーさんの『告白シーン』を魔術で作り出すため方法を考え始める。研究室に籠り、祖父が遺した魔術に関するを本を読み漁るが、石階段を均等に並べることに直接的に関与しそうなものは見当たらない。



「(そもそも、ベティーヌさんの話だけじゃイメージが湧かない・・・)」



御伽噺は幼い頃読んでもらったきり、本を開くことさえなかった私は王子と姫の悲恋だかサクセスストーリーだか可憐で儚い夢物語にはまったく興味を持たなかった。むしろ大昔に途絶えたとされる秘術だったり陣形に胸を躍らせたものだ。


とにかく、告白シーンの準備ができたところでモディリーさんが感動するようなシチュエーションにできなければ意味がない。私は研究室から出ると、そのまま屋敷へと戻す。


以前、母や執事長のジョージさんは、私が幼い頃に使っていた玩具を今でも大事に保管していた。玩具を保管しているのであれば、御伽噺の本もあるのではないだろうか。


ちょうどその考えに至っているところへ、母が現れる。手には封筒があるので、もしかしたらウィリアム様にでも愛を綴ったのだろうか。公爵子息と子爵夫人の不倫なんて、世間にバレたら大ごとなスキャンダルだ。頼むからそれだけはやめてほしい、と思いながら母へと歩み寄る。



「・・・・お母様」


「あらジェニファー、今日はウィリアム様はいらっしゃらないの?」


「(出会い頭すぐウィリアム様か・・・)」


「ん?」


「いえ・・・・ウィリアム様は仕事が忙しいので、いらっしゃらないです」


「あらそう・・・てっきりまたジェニファーを連れてどこかに遊びに行くと思ったのに」


「・・・・・・」


「次はいついらっしゃるの?」


「・・・明後日です。また王都に行くことになったので」



今朝早く、ジョージさんから受け取ったウィリアム様の手紙にはそう書かれていた。お忙しい中、一日スケジュールを空けていただくことに申し訳なさを感じながらも、すぐさまお礼の手紙を書き、ジョージさんに手渡す。その時の嬉しそうな顔にはげんなりした。


明後日に会う、と伝えた途端母もジョージさん同様嬉しそうに顔を綻ばせる。まるで乙女のような表情にうんざりしながらもさっそく絵本は残っていないか確認するため重たい口を開く。



「お母様、まだ屋敷には絵本を残していますか?」


「絵本・・・・?なんでまたそんなものを」


「・・・・ちょっと必要になったんです」


「絵本・・・絵本ねぇ・・・ジェニファーに読んであげても全然喜ばないんだもの、まだあるかしら」


「・・・・・・」



母が頬に手を添えて眉を下げる。その様子に、もうないのかなと思っていると母が私の手を引いて自室へと向かった。一応、残っていないか確認してくれるようだ。


母の自室に入る。女性用の香水の匂いが鼻に届く。薔薇だろうか。母は昔から薔薇の香りが好きなようだった。私はと言えばケイトが香水を振りかけない限り自分から使うことはない。ウィリアム様と出かける際にしか使わないので、この世にどれほどの香りがあるのかは分からないが、街でお買い物をするお嬢様の横を通り過ぎる際、薔薇の香りだけは認知できた。



「(お嬢様はみんな香水が好きなんだろうか・・・・)」



今度、一つくらい何か購入してみようかな。と思ったところで、ハッとする。


今まで一度もそんなことを考えた記憶がなかった。香水など汗や体臭を隠すものだと、だから毎日お風呂に入っていればそんなものは必要ないと思っていたのに、どうして買おうなんて考えたのだろうか。


驚いて母の顔を眺めたまま立ち止まる。そんな私に首を傾げながら母が優しく微笑んで手を引く。クローゼットの前まで向かうと、そこを開きごそごそと絵本を探し出した。


身を乗り出してクローゼットに頭を突っ込む母をぼんやりと見つめる。ワンピースやドレスが所狭しと並んでいるので、母の姿がすっぽりと上半身まで消えてしまう。


そんな姿を娘の前で晒してまで絵本を探してくれる母に眉を下げながら歩み寄る。手伝おう、ここまでしてくれているのだから。



「お母様、手伝います」


「あらありがと」


「クローゼットに入っているんですか?」


「ええ、まだ捨てていなければの話だけど」


「でもどうしてクローゼットなんですか?屋根裏にありそうなものですが」


「どうしてって、ジェニファーのものなら何でもこの中に入っているわよ。懐かしいから最近は玩具もこっちに入れたの。この前見せたでしょ?」


「そうですが・・・・」



このクローゼットは、物置ではなく母の洋服や貴重品を入れるためのものだろう。子爵の夫人ということもあり、そのクローゼットはとても大きいが、私の私物を入れておけば邪魔にもなるはず。余分なものを取り除けば、もっと洋服だって入れることができるのではないのか。


そう思う私に、母がきょとんと首を傾げる。そして全く親心を理解していないのだと気づいたらしく、母は目を細めて微笑むと私の頭を抱きしめた。薔薇の香り以上に、母の優しい香りが鼻に届いた。



「捨てられないのよ、それに手元に置いておきたいの。いつだってジェニファーが私の傍にいるって思えるから」


「・・・・・・」


「ジェニファーがウィリアム様に嫁いだら、毎日顔を見る機会も減るでしょう?そうなったら、私はジェニファーが残していったものを見るの。触れて、ジェニファーを想うのよ」


「・・・・お母様」



ウィリアム様に嫁ぐかどうかは別として、まるで今生の別れでもするのかという話にため息をつく。いつまでも父や母の脛をかじるつもりはないけど、今後も私としてはできるだけ父や母の傍にいたいと思っている。


過保護な親を持つと、親離れできない娘が出来上がるのだな、となんとなく他所で思った。


そんな私の頬に手を添えて、母が眉を顰めながら綺麗に微笑む。その微笑みは、女であり、妻であり、母の表情だった。



「それが可愛い娘を持つ母というものよ。いつかは可愛い娘を素敵な男性に取られちゃうの。だからそれまで大事に大事に育てて、可愛がって、愛して、そしていつ会えなくなってもいいように準備をするのよ」


「・・・・・・」


「ジェニファーだっていつか私の気持ちが分かるようになるわ。可愛い可愛い我が子をウィリアム様のような素敵な男性に奪われると分かった時の辛さが」


「私は・・・・ウィリアム様など・・・・」



そこまで言って、どうしてかウィリアム様と私の間に生まれる我が子の姿を想像してしまう。その顔はまだ真っ白で輪郭しかなかったけれど、その我が子の小さな体を抱きしめる私とウィリアム様がいた。



「(私は、ウィリアム様と婚約も結婚もするつもりは・・・・)」



母の胎の中に大事なものを忘れてきてしまったのだ。今更取り戻すことなんてできない。どうして忘れてきたのだろうか、ちゃんと忘れず持ってきていればこんなに悩むことなどなかったのだろうか。普通のお嬢様のように、恋愛を楽しむことができたのだろうか。


母を見る。娘の困り果てた表情に、母が同じように眉を下げて抱きしめる。最近ウィリアム様と結ばれるように画策していたため、娘を困惑させたことに対して母は罪悪感と、どうしようもない愛を抱いた。



「お母様・・・・・」


「うん?」


「どうして・・・・・」


「・・・・・・」


「どうして私は、普通のお嬢様ではないのでしょうか」


「・・・・ジェニファー・・・・」


「どうして他の女性のように、振る舞えないのでしょうか」


「・・・・・・」



おかしな質問をしていることは分かっている。だけど自分ではどうしても答えが出ないのだ。


ウィリアム様の愛情を受けても、どうしてもそれを真正面から受け止められない。そういうものを受け止めるのは普通のお嬢様なのだと思ってしまう。だから苦しい。だから辛い。


泣くつもりなど全くなかったのに、母の優しい表情を見ていると目頭が熱くなってくる。それが嫌で母の腕を掴んだまま俯く。ぽたぽたと絨毯に染みがいくつもつく。使用人の仕事を増やしてしまうと思い、服の袖で目を拭えばそれをやんわりと母が止める。そしてもう一度優しく抱きしめる。



「ジェニファーは普通の女の子よ。素敵な男性に愛を囁かれても、ちゃんと受け止められるだけの心を持っているわ」


「・・・そうでしょうか、私はウィリアム様に好きだとか愛してると言われても何も返事はできませんでした」


「(愛してるって言ったのねウィリアム様・・・やるわね)」


「ウィリアム様を見ても普通のお嬢様のようにときめいたり、もっとお傍にいたいと思わないんです」


「・・・・・」


「それでも私はウィリアム様を婚約者として認められるのでしょうか」


「ジェニファー・・・・・」


「私には自信がありません・・・・私では、私ではウィリアム様の婚約者なんて相応しくない」


「あら、やめてよ。私のジェニファーが相応しくないなんて、本人からも言わせないわよ」


「・・・・お母様」



ぎゅう、と両頬を押し潰される。その強さに驚いて顔を上げれば、母が片眉を下げたまま笑っていた。困ったやつだと言うような表情に、ぽろとまた涙が零れた。



「いいこと?ジェニファー。私の娘はウィリアム様じゃなくっても、たとえこの国の王子だろうが誰だろうが素敵な妻になれるだけの知性と品格と心の強さを持っているわ」


「・・・・・・」


「あなたは普通の女の子よ、普通のお嬢様なの。乙女心も男性を想う気持ちだってちゃんと持ってる。その気持ちが芽生えるのが遅かったというだけで、なかったわけじゃない」


「・・・・・」


「でもね、だからこそウィリアム様がジェニファーの夫であればいいと強く願っているわ」


「・・・・・なぜですか」


「だって、ウィリアム様はあなたの悪いところも、弱いところも分かってくれる。あなたの可愛い顔に群がってくるような貴族では気づかない表情や仕草も、そして弱い心も理解してくれる。面倒くさがらずしっかりとあなたの目を見て足りない部分を補ってくれる人はそうそういないわ」


「・・・・・」


「私にとっては旦那様がそうなの。あの人を心から愛してる。そして旦那様も私の良いところも悪いところも全て愛してくれる。だから結婚してくれた。・・・・毎日幸せよ、だからあなたにも幸せになってほしい」


「・・・・・・」


「ウィリアム様と一緒になれば、ジェニファーが毎日幸せよ。ジェニファーもそう思わない?」


「・・・・・」



そう言われて考える。幸せという言葉はあまりにも抽象的で実態がないから不明瞭だけれど、ウィリアム様の傍にいると私の世界が鮮やかになっていく。今までのように研究室に籠もっていれば見つからなかったようなものを見せてくれる。そしてたくさんの『仲間』と出会える機会を与えてくれる。


それは幸せと呼べるのではないだろうか。


これからもウィリアム様の傍にいれば、私の世界はもっと鮮やかになる。そして『仲間』も増えていく。それは素晴らしいことだ。



「ジェニファー」


「・・・・・」


「ジェニファーは幸せになりたい?その幸せをずっと感じていたい?」


「・・・・・はい」


「それなら、ウィリアム様を選びなさい。ウィリアム様は待ってくださっているわ。その気持ちに応えて差し上げなさい」


「・・・・・・」


「あの方なら、必ずジェニファーを幸せにしてくださる。お母様がそう言うんだから本当よ。嘘じゃない」


「・・・・・」


「それからね、あなたもウィリアム様を幸せにしてあげなさい。私が旦那様を愛しているように、ウィリアム様も愛してあげるの」


「・・・・・それは」


「ゆっくりでいいわ、急にできるようになるわけないもの。少しずつ、ウィリアム様からいただいた愛を返していけばいいの」


「・・・・・・」


「大丈夫。ジェニファーならできる」



そう言われると、そう母に言われると本当にできるのではないかと思う。ぼろぼろと溢れる涙を母が指で拭ってくれる。まだ不安定で、母の言葉を半分も理解できていないような私の感情がそれでもウィリアム様に向かっているのを私ではなく母が感じる。


昨日まで悩んでいた部分がクリアになる。『あいつ』や本能が理性と鬩ぎ合い、顔を青ざめるほど悩んだというのに、一人では解決できないような感情が母の手によって綺麗に解かれていく気がする。やはり、母はとても強い。そして優しいと思った。


まだウィリアム様を見ても、好きとか愛しい人とは思えない。それでも、今すぐそう思えるような乙女になれと母は言わなかった。だから安心した。それでいいのだと思えた。



「(だけど、ウィリアム様はずっとは待ってくれない・・・・)」



中途半端なまま、ウィリアム様の気持ちに応えていいのだろうか。とりあえず応えて、それから気持ちに気づけばいいのだろうか。それをウィリアム様は許してくれるだろうか。


不安になって母を見上げる。先ほどから眉を下げてばかりの私に母がくすくすと笑い、そして両手を掴んでクローゼットへと促した。



「ほら、絵本を探すんでしょう?一緒に探しましょう」


「・・・・・はい」


「いくらでも言ってくれたら相談に乗るし、今日みたいにお手伝いだってしてあげるから。きっとウィリアム様に関係しているんでしょう?これも」


「・・・・・」



ウィリアム様というか、ティミッドさんに関係しているが、司令部には私だけでなくウィリアム様も行くので少なからず関与しているといえるだろうか。なのでこくんと頷く。すると母が嬉しそうに私の腕を引いてクローゼットに身を乗り出した。



「やっぱり!急に絵本を探すなんておかしいと思ったのよ。ウィリアム様のためなら私も全力で手伝うわ!」


「・・・・・」


「昨日ジェニファーが王都に行く前に死にそうな顔をしていたから、しばらくはそっとしておこうかとみんなで話し合ったんだけど、必要なさそうね!未来の旦那様のためにお母様も人肌脱いであげる!」


「い、いや・・・そういうわけでは・・・」



どうして結局そうなってしまうのだろうか。母を一瞬でも尊敬した私が恥ずかしい。


母が嬉しそうに顔を綻ばせながらクローゼットの奥へと手を伸ばす。私もとりあえず近くの木箱を開けて絵本を探す。そんな私の横顔を見て、母は『もうすぐ本当にいなくなっちゃうわね』と思っていたなど私は知らない。



「あ、これかしら!」


「ありましたか?」


「そうそうこれこれ!一回しか開いていないから新品同然じゃないの!」


「本当ですね・・・・見せていただけますか?」


「まだあるから全部出しちゃいましょう!」


「はい、手伝います」



それから二人でテーブルまで木箱を運び、何冊かの絵本を開く。その中にモディリーさんが言っていた御伽噺を見つけ、私はいそいそと椅子に座るとそれをじっと読む。


その様子に、母は目を細めて私の頭を撫でる。そして、優しい声で言った。



「ほらね、ジェニファーは普通のお嬢様よ」


「・・・・・・」


「絵本から愛を学ぶなんて可愛いじゃないのっ」


「ち、違います!」


「オホホホ!ウィリアム様にお手紙書かなくっちゃ!」


「お母様!」


「あーん!早く娘のウェディングドレス姿が見たいわぁ!」


「さっきまで嫁に出したくないようなことを言っていたではないですか」


「それとこれは別よ。ああっウィリアム様の純白スーツが目に浮かぶわぁ!」


「・・・・・・」


「オホホホ!」



デスクに座って猛烈にペンを走らせ始めた母にうんざりし、私は絵本を持って自室へと戻る。だけど、昨日までの重たい足が少し軽くなったような気がして、やはり母に感謝しなくてはいけないなと思った。


時間は、あまり残っていないと思う。


ウィリアム様の気持ちに応えるというのは私にとって簡単ではない。だけど、それでもウィリアム様が愛想を尽かさないでいてくれるなら、そして母が言ったようにゆっくりでもいいと思ってくれるのなら、私はいつの日か応えることができるのかもしれない。



「・・・・・好き、・・・・か」



胸に手を当てる。ウィリアム様を思い浮かべても、その感情は湧かなかった。だけどその代わりに『あいつ』が現れる。


そして『嘘つき』と言う。それを理性が止める。



「・・・・・・・」



まだ分からない。それでも、いつまでも立ち止まっていてはいけないとも思う。


私は自室に戻ると、ベッドに寝そべって絵本をぱらぱらと捲って読む。そのページは、モディリーさんの『告白シーン』が綴られているページでも、その物語の冒頭でもなく、絵本の一ページ目。


私自身のことなのに、なぜ一ページから読もうなどと思ったのか理解できないまま興味もない物語を読んでいく。


だけど、気づいたら一冊だけでなく母の自室から持ってきた絵本を全て読み切っていた。


健気で儚く、切ない愛が綴られた絵本から何かを吸い上げるように。



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