お嬢様のお出かけ
「ジェニファー、ハンカチは持った?」
「お嬢様、髪を最後に整えますね」
「ジェニファーお嬢様、知らない人に声をかけられてもついて行ってはいけませんよ」
「(子どもの遠足じゃないんだから・・・・・・)」
屋敷の外、ウィリアム様の馬車が来るのを待つ。昼下がり、太陽の光を受け紅葉を始めた木々をぼんやりと眺め哀愁に浸るなんて程遠い状況。
いそいそと私のヘアセットに余念のない専属使用人のケイト、手になぜか飴玉を持たせる執事長のジョージさん、そして何より奇妙なのがいつもより綺麗に着飾りニコニコ笑顔が止まらない母が隣にいる。
昨日、ウィリアム様と街に出かけることを伝えたが、どうしてそこまでお祭り騒ぎができるのだろうか。
最後の一手間と言わんばかりに私の頭に帽子を被せ、ケイトは手を合わせうっとりと笑みを浮かべる。そんな笑顔を向けられては『むしゃくしゃすると頭をかきむしる癖があるのでできれば帽子を外したい』とは言えない。
「おお、お見えのようですな」
そうこうしている間に屋敷の正門が開き、次いで馬車が入ってくる。それにいち早く気づいたジョージさんは燕尾服に埃がついていないか確認したあと、ゆっくり階段を数段下り、道に立ちその頭を下げた。
お客様を迎える執事の最大級の歓迎方法だ。歳をとって曲がった背中を、それでもビシッと伸ばし会釈をする姿はとても綺麗だと思う。
そんなジョージさんの手前で止まった馬車。馭者がこちらに向けて帽子をあげる。ジョージさんも軽く笑顔を向けると、ゆっくり馬車の横に移動し、その馬車とは思えない煌びやかなドアを開ける。
「まぁ・・・・・・」
「お美しい・・・・・・」
「・・・・・・・」
本日のウィリアム様は、そのさらりとした黒髪に似合うような黒のスーツを着込んでいた。高級そうなスーツは太陽の光を受けるとキラキラと光る。もしかしたらウィリアム様が発している魔術かと思ってしまうほどだ。
こつん、と靴を鳴らし、私にそのまま歩み寄るウィリアム様。眠たげな瞼の下に宝石のような深緑の瞳が浮かぶ。うっすらと笑みを浮かべる姿は貴公子そのもので、言葉を失う他なかった。
「待たせたかな、お人形さん」
こてん、と首を傾げたところで母がケイトにもたれかかったのが横目に見えた。それを無視して私は服の裾を掴むとお嬢様らしく膝を折り曲げてお辞儀をする。
「いいえ、ウィリアム様。本日は馬車を用意していただきありがとうございます」
「ああ。楽しみにしていた」
「私もです」
「今日も綺麗だよ」
にこりと目を細めて笑うウィリアム様からお褒めの言葉をいただき、私は口元をもごもごさせながらお礼を言おうとするのだけど思うように言葉にならず、ただ頭を下げることしかできなかった。
たまにケイトが私を「綺麗」だと言うけれど、同じ言葉なのに同じものとは思えない。それはきっと、屋敷の人間以外の方から言われたからだろう。
お世辞とは言え、すらっと相手を褒めることができるウィリアム様に感心する。しかしそれを真に受ける人がこの屋敷には多いようで、見つめ合う私たちを囲むようにジョージさんとケイト、母がほわほわした表情で見つめている。
「あ、あのウィリアム様」
「ん?」
「そろそろ行きませんか?」
もう耐えられない。このぬるま湯のような温かさで見守る人たちの近くにいたら背中が痒くて死にそうだ。
私はちらちら、と母たちを見ながらウィリアム様から視線をずらす。すると、その様子を見ていたウィリアム様は優しく笑みを零すとなぜか母を見る。
深緑の瞳に見つめられた母は胸の前で手を合わせ頬を赤く染める。年頃の乙女じゃないのだから本当にやめてもらえないだろうか。
しかし、何を思ったかウィリアム様は乙女の母に近づき、そっと自分の胸の前に右手を寄せると頭を下げる。
「ご挨拶が遅れました、ロゼッタ様」
「ま、まぁそんなこと!ごごごございませんわ、ウィリアム様」
「本日は大切なジェニファーお嬢様との外出をお許しいただき、ありがとうございます」
「は、はい・・・・・・・」
母よ、お願いですから気をしっかり持ってください。
にっこりと愛想の良い笑顔を振りまくウィリアム様のキラキラとした姿に母は眩しいのか手を顔に翳している。一応、相手が公爵家のご子息なのだが、そのことを母は忘れているのだろうか。今していることは、相手に失礼な態度なのだけれど。
そんな母を前にしても笑顔を絶やさないウィリアム様の精神力に感心する。
「夕暮れまでには戻りますので」
「ええ、娘をよろしくお願いします。末永く」
「え?」
「あ、あらやだ私ったら。なんでもないのよ、おほほ・・・・・」
「(お母様っ、余計なことを・・・・・・っ!)」
ぎりぎり、と歯を鳴らしながら母を睨む。隣でケイトが私を宥めようとするが、止めてくれるな。
そのうち突拍子もないことを言い出しそうな母に、私はコホンと咳払いをすると眉を釣り上げながらウィリアム様へと歩み寄る。
「ウィリアム様、行きましょう。お母様、行ってまいります」
「あら、もう行ってしまうの?」
「そもそも外出が目的です」
「どうせならお茶でも飲んでいかれたらいいのに」
「・・・・・・・・」
浮かれすぎて自分が何を言っているのかよくわかっていないらしい母に思わずため息をつく。するとその様子を見ていたウィリアム様がくすりと笑う。ウィリアム様もウィリアム様だ。子爵の奥様であり、年上の母だとしても公爵家のご子息には地位では及ばない。少し強く言ってくれてもいいのに。
思わずムッとした表情のまま母を見つめる。その様子に、ウィリアム様が美しい深緑の瞳を細める。そして長い腕を伸ばした。
「お人形さん」
「はい?・・・・む・・・・」
頬につんと何かが突き刺さった。突然のことに声を漏らせば、悪戯っ子のような表情を浮かべたウィリアム様と目があった。
なんとも古風な悪戯に見事引っかかってしまったらしい私は悔しさから黙り込む。すると、ウィリアム様が吹き出す。しまいにはケラケラと笑い出して、頬に突き刺していた指をそっと離し、ぽんと頭を撫でる。
「からかい甲斐のある子だな、はは」
「ウィリアム様・・・・・・」
「君は眉を顰めるよりも、笑っている方が似合うよ」
「・・・・・・・・」
「ね?」
首を傾げて私の目を覗き込む眠たげな深緑の瞳。ああ、だめだそんなお顔をされたら母が誤解する。期待する。そうわかっているのに、この宝石のような目に見つめられると不思議と言葉が出てこなくなるのだ。
ぞわり、と背中に走るもの。それから腑の中をぐにゅりと何かが這う。気持ちの悪い感覚に私はウィリアム様の目から逃げるようにケイトを見る。まるで救いの手を求めるかのような自分の行いが情けない。
そんな私の仕草を一つも見逃さず、うっそりとウィリアム様が目を細めているとも知らず。
「奥様、そろそろお見送りなさいませんと帰りが遅くなるかと」
「え、ええジョージそうね。ジェニファー、気をつけなさいね」
「はい、お母様」
この屋敷で一番まともなジョージさんが最適解を告げる。そのことにより、母とケイトの意識がはっきりとしたらしい。やっとのことで母親らしい言葉を言った乙女の母に会釈をし、私は階段を降りて馬車へと向かった。
それに合わせてウィリアム様も私のあとを追う。ゆっくりと私の腰に手を添えるとエスコートをするように馬車のドアを開いた。
そういうことをすると喜ぶのがケイトや母だ。若いお嬢様のようにきゃっきゃと黄色い声をあげている。私は逃げるように馬車に乗り込もうとするのだけど、腰に添えられた長く美しい手がそれを引き止める。
不思議に思いウィリアム様を見れば、ウィリアム様は後ろを振り返っていた。視線に釣られてそちらを見る。そこにはいまだ喧しい母とケイト。それから歓喜にぷるぷる震えるジョージさん。
「(・・・ウィリアム様・・・・・?)」
なんとなく、悪戯を思いついたような表情を浮かべているような、いないような。まだお話をするようになってから間もないということと、もともとご自身の感情や考えをお美しい微笑みで隠してしまうウィリアム様を読み取ることは難しい。
何をお考えなのだろうか、と天使のようなお方を見上げる。腰に添えられた手に再び力が込められる。
「・・・・・・」
母とケイトがぴくりと動く。腰にある手がそれに合わせて肩に移動する。またぴくりと動く。今度は頭に。ぴくり、ぴくりといちいち反応する母とケイト。
「・・・・・ウィリアム様?」
「ふっ、はは・・・・・君の周りはとても愉快な方が多いね、お人形さん」
どうやら母やケイトの反応を楽しんでいたらしい。それに知らぬ間に付き合わされていたらしい私にウィリアム様は眉を下げ詫びの言葉を告げるけれど、あまり悪いと思っていない様子だ。
「それだけ愛されているということでもあるね」
「・・・・・・・」
「素敵だよ。ジェニファーも、そのご家族も。羨ましいと感じるほど」
「・・・・・・・・・」
最後の「羨ましい」と呟いたウィリアム様の顔は見えなかった。けれどどこか寂しそうに見えた。
生まれる前から公爵家のご子息になることが決まっており、幼い頃から聡明な子どもと言われ、魔術の質も良く何でも手に入れることができる方が、どことなく空っぽな硝子瓶に見える。
その硝子瓶は透明で太陽の光を受けキラキラと輝くけれど、中は空っぽ。
お立場がお立場なので、いろいろ抱えているのだろうか。もしかしてそれは、先日魔術を使うことを頑なに拒んだことも関係しているのだろうか。
出会ったばかりで不明瞭な顔が多いウィリアム様。けれどそれを隠すように目を細めて笑みを浮かべる。その笑みに埋もれて、周りの方々は気づかない。見ようともしない。
「(考えすぎか・・・・・・)」
深い意味を探したくなる悪い癖が出て、ウィリアム様のお心を間接的に傷つけかねないことをしたと反省する。父も言っていたが、きっとこの方は他人との間に溝を作りたがる。そこに橋をかけて無闇に歩み寄れば、容赦無く奈落の底へ突き落とされるだろう。
「行こうか、お人形さん」
「はい、ウィリアム様」
煌びやかなドアの取っ手を掴んで、素敵な壁紙が貼られた馬車の中に入る。カーテンが太陽の光を遮り、少しだけ暗く感じながら次に乗り込んできたウィリアム様と向かい合う。
その表情はいつもと変わらず、天使のような笑顔で。
だけど今は、どこかその天使の顔に黒い染みがついているように感じた。ただ単に窓から差し込む木漏れ日が瑞々しい肌に当たってそうしているだけのことだけど、どこか、その染みがどろりと溶けたように見えた。
「お嬢様、ジェニファーお嬢様っ」
「ケイト」
ぼんやりとウィリアム様を見ていると、窓越しにケイトが声をかける。胸の前で手を握っているケイトは表情を綻ばせながら何かを差し出す。
よく見れば私が愛用しているペンだった。
「お忘れかと思いまして」
「・・・・・・・・」
そう言われ、カバンを開くと今日のために用意した研究用ノートにいつも挟んでいるペンがなかった。ああ、これがなかったらメモが取れないじゃないか。
気の利いた働きをしてくれるケイトを見る。するとケイトが使用人として最大級の見送りをするように深々と会釈をした。
「気をつけていってらっしゃいませ、お嬢様」
「・・・・・・はい。何かお土産を買って帰りますね」
ケイトのおかげで、私も大事なことを思い出す。そうだ今日はブライトさんの職場を見学して何かヒントを得るんだった。だというのに私は今の今までそれを忘れていた。
一番浮かれていたのは私だったか。
馬の蹄の音が聞こえ、ゆっくりと馬車が動き出す。窓から母を中心にケイトとジョージさんへ手を振る。母はにっこりと微笑んで私を見送る。ケイトとジョージさんは深々と頭を下げているため、気づいていないようだ。
「街までは三十分もあれば到着するよ。街に着いたらそこからは歩いてブライトの店まで向かうけど、土産を買うなら先に行こう」
「ありがとうございます。これから向かうのはコールマン公爵の領地にある街ですか?」
「そうだよ。フォリーティマという街だけど、聞いたことがあるかい」
「はい。王都行きの船が停泊する港にも近いので貿易船の船員や商人が立ち寄る街ですよね」
「詳しいね」
「地理は好きなので」
「そうか、・・・ぜひ次は街を案内させてほしいな。行きつけの本屋があるんだ、きっと喜ぶと思う」
「本屋・・・・・」
「うん。魔術の古本も多いから」
「(・・・・・危ない、涎が出そうになった・・・・・)」
「はは、本屋の店主を紹介するよ。お人形さんが頼めば仕入れてくれるかもしれない」
「ぜひ、ぜひご案内いただきたく」
「決まりだ」
いつの間にか次のお出かけが決まっていたことにも気づかず、私はウィリアム様のご厚意に胸を打たれる。
もっと男性と二人きりの馬車の中は緊張するのかと思ったけれど、特にお茶会や舞踏会にも参加しない会話術皆無の私がうまいこと話を弾ませている。それもこれもウィリアム様が会話を気を遣ってくれているからで。
なぜこうもウィリアム様はできないことがないんだろうか。
一度そのお美しい頭を開いて中身をのぞいてみたい、なんて口に出したら命の保証がないようなことを考える。
「土産は何を買いたい?」
「そうですね、食べ物・・・・特にお菓子でおすすめがあれば教えていただきたいです」
「それならブライトの店の向かいに洋菓子屋があるから、そこに行こうか」
「はい」
洋菓子ならケイトも喜ぶだろう。お小遣いは多めに持ってきたから、良いものを買って帰ることができると思う。だけどケイトのことだから、土産よりも土産話が欲しいなんて言いそうだ。
母はあんな感じだったし、父はもしかしたら職場でそわそわしているかもしれない。そう思うとなんとなくげっそりしてしまう。
『素敵だよ、ジェニファーも、そのご家族も。羨ましいと感じるほど』
「・・・・・・・・」
素敵かどうかはわからない。でも、良い家族や使用人たちだとは思う。そこはウィリアム様と同意見だ。
私が魔術好きだとわかっていても、それを無理に遠ざけようとせず好きなことをさせてくれた。厳しく育てることもできたはずなのに。
私はカバンの中にある財布を開く。そしてお小遣いの小銭を数えなおしてから、父や母、それから屋敷にいる使用人たちの人数を指折り数える。
たまには、孝行娘でも演じてみるか。
「・・・・・・・」
窓の外を眺めながら何か物思いに耽る私をウィリアム様がじっと見つめ、その柳眉を下げた。
とても、とてもお優しい顔で。
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