お嬢様の初夏
初夏の香りがする。それは人によって捉え方も感じ方も違うことだろう。
私の場合、薬草を植えている庭の土がふわりと香ばしく薫るようになるとそう思う。さらりと頬を撫でる風も機嫌が良さそうにひらひらと庭に干した洗濯物を揺らしている。私の得意属性は風属性なので、特に心地よく感じる。
もうすぐ夏か。
「・・・・・・」
スプリングフェスタに参加した頃が懐かしい。すでに二ヶ月も前のことになるのかと、ふと、視線を薬草の隣に小さく咲いた花の蕾へと下げる。その花の種を譲ってくれた花屋の店主の優しい顔を思い出すと、自然と笑みが溢れる。
『輝く海底』という店で出会ったトレゾールさん。最愛の妻を亡くし、声が出なくなる病にかかってしまった。それは、妻が亡くなる前日に大喧嘩をしてしまったことが原因だった。きっかけは夜中に宝石箱を愛おしそうに見ている妻に何が入っているのかを聞いたところはぐらかされ、トレゾールさんが珍しく癇癪を起こし大喧嘩に発展したらしい。
翌日、冷たくなっている妻の姿を見て、トレゾールさんは絶望した。そして、なぜ思ってもないことを言ってしまったのかと後悔した。そうして、声を失った。
その病を治す方法は、妻の宝石箱の鍵を開けること。
「・・・・・・・」
宝石箱の裏に備え付けられた魔鉱石に魔力を注ぐことで、その裏に書かれた『Admirer』の文字が『Married』に変わり鍵が開くと気づいた時は思わず震えた。
宝石箱は、本来なら宝石を入れるものだ。しかしその宝石箱には煌びやかなものなど一つもなく、花の種が入っている布袋と、トレゾールさんにプロポーズをした際に手にしていたナズナの花、そしてトレゾールさんのために用意する予定の編みかけの手袋が入っていた。
その事実を知った時、涙が溢れた。なんて優しい奥様なのだろうかと。それほどまでにトレゾールさんとの思い出を大切に思う奥様がもうこの世にいないと考えれば考えるほど、悲しくなった。
「・・・・・・」
さく、と土にスコップを差し込む。そして蕾をつけた花に一番太陽が当たるように、植え替える。カンパニュラと呼ばれる青い蕾をつけたその花は、この季節に花を咲かせるのだとトレゾールさんは教えてくれた。
わざわざ手紙とともに、花の種を送ってくれた時は嬉しすぎてにやけたものだ。
カンパニュラの花言葉は、『感謝』
「(私も、トレゾールさんには感謝しています・・・・)」
何気ない一言が相手を傷つけ、身勝手な意地がお詫びをするタイミングを遅らせる。そして踏ん切りがついたころで声をかけようとしても、もうその人がこの世にいないとなったら私だってトレゾールさんのように絶望するだろう。
よく、どうしても悪態をつきがちな専属使用人の顔を思い出して、これからは気をつけようと頭の隅で思う。
「お嬢様っ、お手紙が届いたようですよ」
ちょうどそこに顔を思い浮かべていたケイトが現れる。るんるんとスキップをしながら現れる姿は、まるで使用人には思えない。
特に会釈をすることもなく、スキップの最後でぴょんとジャンプすると私の肩に手を乗せる。そして顔を寄せて手紙を差し出す。ケイトは私を妹とか何かと勘違いしているのだろうか。それとも自分も貴族だと思っているのだろうか。
一応、私も子爵のお嬢様なんだけどな。と思いつつも、ケイトが嬉しそうだと私も嬉しいので無表情のままケイトから手紙を受け取る。
よくもまぁ顔も見たこともないお嬢様にお茶会のお誘いなんて寄越すものだ。以前、晩餐会で手品を見せたことで噂が流れたようで、それからちょくちょくお茶会や晩餐会へのお誘いが来ているが、全てお断りしている。私は手品師ではないから。
何枚か中身を見ないままケイトに手紙をぽいぽい返していると、残りの三通の差出人に目が行く。その『仲間』の名前にうっとりと目を細めた。
「フォーさんから届いたみたいですね!お元気ですかね」
「見てみましょうか」
「はいっ」
ケイトと一緒に便箋を開いて文字を読む。
以前、フォーさんに頼まれて旦那さんのジャンティーさんを『獣にする香水』を作ってほしいと頼まれた件について、お礼の言葉が綴られていた。その生々しい内容に私は言葉を失い、ケイトは口元を手で覆ってぷるぷる震える。どうやら、成功したらしい。
『赤ちゃんができたら、また報告するわね』
その言葉に、私とケイトは顔を見合わせて微笑む。きっとフォーさんとジャンティーさんのお子さんなら、可愛くて、元気な子だろうと想像する。
それから次にブライトさんのお店『ブランシュ・ネージュ』の看板印が押されている手紙を開く。助手のオルトゥー君からだった。最近顔を見せないから寂しいと大きな文字で書かれている。
そういえばスプリングフェスタが終わったあたりから顔を見せる頻度が減っていたように思う。そろそろ会いに行かないとブライトさんに迷惑がかかりそうだ。
「(お菓子でも持って行こうかな・・・・)」
「ささっ、お嬢様最後のお手紙を読んでください!未来の旦那様からのお手紙ですよっ」
「・・・・・・」
ぼんやりとオルトゥー君に何を買って会いに行こうか考えていると、ケイトが興奮したように私から手紙を奪い、その差出人の名前を目の前へずずいと見せてくる。
公爵家のご子息のウィリアム様。そのお姿は天使のようだが、それはお姿だけでなく文字もなのだと舌を巻く。流れるような文字にケイトがうっとりと目を細める。そして私が開いていいと伝えたわけでもないのに、勝手に封を開くと、その便箋を私に手渡した。
「早く早くっ」
「・・・・・・・」
胸の前で拳を握りながら、再びケイトが体を寄せてくる。その様子にうんざりしながら便箋を開く。伝統を重んじる貴族の挨拶が少しだけ綴られたあと、元気にしているか、早く会いたいとウィリアム様の思いが伝えられる。
ケイトはその文字に私の肩をバシバシ叩いて震えていた。
「んもうっ、ウィリアム様ったらお嬢様にべた惚れなんだから!ケイトを震え殺すおつもりですか!」
「・・・・・・」
横で騒がしいケイトを無視して続きを読む。そしてその文字に驚く。
『コンフィアンス殿から、招待状が届いた。日程の調整をしたいから直接話したい』
「おぉ・・・・・」
「ん?コンフィアンス様・・・・?」
コンフィアンス殿、という文字にケイトが首を傾げる。私は一度お会いしているので誰か分かっているが、ついに、ついに!お会いすることができるのか!
私は胸の前で手を合わせて天気の良い空を見上げる。
その様子に、ケイトが『殿』という文字に反応してじとっとした目を向ける。きらきらとした目で空を見上げる私の両肩を掴むと、目を吊り上げてこちらを睨んだ。
「お嬢様、そのコンフィアンス様とはどなたですか?お嬢様がそんな可愛らしいお顔になるほど恋焦がれるような方なのですかっ!ウィリアム様という旦那様がいらっしゃるというのに!」
「・・・・・・・」
「どなたなのです!場合によっては、このケイト・・・夜影に隠れ・・・・」
「物騒なことを言わないでください・・・・」
どこから作り出したのか、水属性のナイフをきらりと光らせケイトがにやりと笑う。その様子に頭を抱えると、説明した方が無難だと私はケイトへと顔を向ける。
「コンフィアンス様は、王都軍直属の魔術師様です。以前、スプリングフェスタの際にお会いしたことがきっかけで、施設をご案内いただけることになっています」
「まぁっ、それはお嬢様にとっては大変楽しい機会ですね!」
「そうなんです。きっと魔術についての知識も大幅に増えることでしょう・・・・!」
楽しみすぎる。楽しみすぎて心が躍る。私はその場で手を合わせると隠しきれない喜びを吐息と共に吐き出す。
すると、その様子を見ていたケイトが顎に手をおいて考え込み始める。気づいた私がケイトを見れば、なぜかケイトは両頬に手を添えて顔を真っ青にした。
「ケイト・・・・・?」
「お嬢様からしたら魔術師様なんて憧れの存在だわ・・・もしその殿方がお嬢様に好意を抱いてみなさいよ、絶対にお嬢様ころっと行っちゃうわ・・・・こ、これは・・・・・」
「・・・・・・」
「これは一大事よ!お、奥様に報告しなくちゃ!あ、あとウィリアム様にもそのことを・・・でもウィリアム様のことだからもうお気づきよね・・・これは対策を練らないと」
「・・・・あの、ケイト・・・・」
「ウィリアム様は他に何とおっしゃってます!?」
「わ、」
バッと私から手紙を奪い、じっと手紙を見つめるケイトの肩からは魔力が溢れている。相当気が立っているようなので話しかけない。できれば今すぐ逃げ出したい。あまり良い未来が想像できないから。
ケイトがきっ!と目を吊り上げてこちらへと顔を向ける。思わずびくっと反応すれば、ケイトが両手の爪を立てながらこちらへと歩み寄る。
「お嬢様・・・・本日お昼過ぎにウィリアム様がいらっしゃるそうです・・・・」
「そ、そうですか」
「さぁ・・・・・」
「・・・・・・」
「お風呂に入りますよ!そんな泥だらけで未来の旦那様にお会いできません!」
ケイトが手をぱんぱん、と叩くとどこかから複数の使用人が現れる。そして私を荷物のように運ぶとそのまま湯船に放り込まれた。今日も扱いは雑である。
「私は奥様にこのことを報告してまいります!体を拭き終わった頃に戻りますので、ばっちり綺麗に仕上げますわ!」
「・・・・は、はい・・・・」
「やだもう何か大波乱の予感じゃない!?乗り越えたらもうそこってバージンロードなんじゃないかしらっ!オホホホ!」
怒っているのか喜んでいるのかよく分からない顔でケイトが部屋から出ていく。
その様子を湯船の縁に手を着きながら見送る。なんだか私も嫌な予感がする。面倒ごとは嫌いだ。研究室でゆっくり実験をしている方が楽しい。
「ぶっ・・・・・!」
顔を掴まれ、そのまま使用人に湯船へ顔を漬け込まれる。そして全身くまなく綺麗に洗われると、風属性の魔力で髪を乾かされる。
それからケイトに流行色の水色のワンピースと、日差し避けのつばの広い帽子を手渡される。ワンピースには茶色の細いベルトがついていて、ケイトがそれをきゅ、とつける。いや、きゅ、ではない。ぎゅ、だ。
「苦しい・・・・・」
「ほら、そろそろウィリアム様が到着されますから行きますよ!」
「ゔぅ・・・・・」
エントランスまでばたばたと走らされる。執事長のジョージさんがドアを開き、外へと案内する。
そして、すでに到着していた馬車から天使が現れる。神がこの世の美をかき集め、精巧に丁寧に丹念につくりあげた天使が長い足を伸ばしてこちらへと歩み寄る。
「お人形さん」
「ごきげんよう、ウィリアム様」
ワンピースの裾をつかみ、ゆっくりと膝を曲げて会釈をする。ウィリアム様も右手を胸に当て、丁寧にお辞儀をしてくれる。
初夏の日差しを受け、きらきらと輝くエントランスにケイトとジョージさんが胸の前で手を合わせてほわほわと表情を綻ばせた。
ウィリアム様が一歩歩み寄り、両手を広げてそのまま抱きしめる。
「会いたかったよ」
「・・・・・」
「お人形さんは会いたくなかった?」
「・・・・・・・」
「うん?」
「・・・『仲間』に会えるのは、とても嬉しいです」
「・・・はは、そうか」
頭にキスが落とされる。そうされるとぐにゅりと『あいつ』が這いずり回るから嫌だ。
思わず眉を顰めれば、その眉にキスをされる。そして首元に顔を埋められる。ウィリアム様の柔らかい香りがふわりと鼻に届いて、居た堪れずに俯く。
その様子にウィリアム様がうっとりと深緑の瞳を細める。そしてもう一度ぎゅう、と抱きしめられた。
「ブライトとオルに会いに行こう。待ってるから」
「は、はい」
ウィリアム様に背中を押され、馬車に乗り込む。ケイトが忘れ物だと白い帽子を馬車の窓から手渡す。
ケイトとジョージさんが手を振ってくれる。それに手を振り返して、姿が見えなくなったところで馬車の中へと視線を戻す。
にこにことご機嫌が良さそうなウィリアム様と目が合う。なので私は膝の上で拳を握りしめる。その姿にウィリアム様が余計に機嫌を良くするとも気づかず。
「・・・・・・」
「ふふ・・・・・・」
「・・・・・・」
初夏の風が馬車へと入ってくる。その心地よい風に、どうせなら『あいつ』もそのまま吹き飛ばしてほしいと心から願った。
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