お嬢様と花屋
最愛の妻を亡くした。
その事実が私をどこまでも続く谷底へと追いやる。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。思ってもない言葉を妻に吐いてしまった。妻は眉を顰めながら、それでも私の怒りに何も言わなかった。そして宝石箱を大事そうに抱いていた。
謝りたくても、もう話せない。土の中で静かに私が死ぬのを待っている妻は、もう二度と私の名前を呼ばない。いっそこのまま声も出せず、絶望を感じながら死ぬのもいいのかもしれない。
『そしてあなたに贈らせてください。花言葉とともに』
突然現れた可愛らしいお嬢さんが私にそう言いながらマネッチアを差し出す。花言葉について詳しいのか、その意味を含ませながらお嬢さんが柔らかい表情で私を見下ろす。
ブライトさんの知り合いのようだが、どうして私のためにそこまでするのか最初は不思議で仕方なかった。しかしあの優しいブライトさんの知り合いだ、お嬢さんもまた同類なのだろう。
若い頃の妻に、その表情は似ていた。
だからかもしれない。放っておいてくれと思っていた心が、いつの間にかお嬢さんに寄ってしまう。意味もなく宝石箱なんて取り出して、解決してくれなんて思ってもないことを伝えてしまう。
お嬢さんはそれでも、宝石箱をじっと見つめて何やら考えを巡らせる。きっと賢い子なんだろう。それをブライトさんも、付き添いのウィリアムさんという方も分かっていて、そして信頼しているのが分かる。
懸命に魔鉱石だという石ころにウィリアムさんと魔力を注ぐお嬢さんに、宝石箱が開かなくたって別に構わないと何度も伝えようと思った。だけどその横顔を見ていると、どうしても言えない。
どうしても期待してしまう。
「トレゾールさん、ごきげんよう」
「・・・・・・」
スプリングフェスタも二日目、今日は最終日ともあり、店の外はさらに騒がしい。
ドアを閉めていればその喧騒も少しは和らぐが、急にそのドアが開かれ、騒がしい人の声とともに誰かが入ってくる。
「・・・・・・」
倒れたばかりだというのにお嬢さんが店に現れる。なぜか男物の服を着ている。そのことが気になるが、他の面々は気にしていないようなので追求はしない。
優雅に会釈をするお嬢さんに、家で休んでいたほうがいいのではないかと視線を向ける。声が出たって人付き合いの悪い私では愛想よく返事ができるわけでもないので、手を上げて招き入れる。
お嬢さんはウィリアムさんに背中を押され、私の前まで歩み寄る。このお二人を見ていると、若い頃を思い出す。そう、妻と出会ったばかりの頃を。
「今日は、宝石箱を開きにまいりました」
「(ついに開き方が分かったのか・・・あれだけ苦しんでいたのに、その間も考えくれたのか・・・)」
「奥様の思い出が詰まった宝石箱の中身を、一緒に確認しましょう」
「・・・・・・・」
お嬢さんの強い若紫の瞳に射抜かれる。意思の強い瞳だ。その瞳に力を与えるのは、おそらくお嬢さんが持ち得ている知識だけでなく、後ろに控えてこちらへ優しい顔を向けるウィリアムさんなのだろう。
なんとなくそんなことを考えながら、一度店の奥へと向かう。お嬢さんが来るようになってから、部屋でも一番目立つところに置いていた宝石箱をそっと撫でる。お前はこの中に何を隠していたんだ。その中身を私が見たら、全て分かるんだろうか。妻の想いも、思い出も。
小さなテーブルと一緒に店の中で待っていたお嬢さんにそれを手渡す。にこり、と可愛らしく微笑んでお嬢さんがテーブルと宝石箱を受け取る。そのテーブルをウィリアムさんが手にとって、運んでいく。
「ウィリアム様、よろしくお願いします」
そう言って、お嬢さんがテーブルの上に掌を乗せる。以前までは右腕をテーブルに乗せていたが、今日は左腕を使うようだ。昨日の出来事に何か関係があるのだろうか。無理はしないでほしい、もう少し体を休めてからでもいい。そう思い、近くにあった紙袋の上にペンを走らせようとする。
しかし、向かいに座ったウィリアムさんが、その手に自らの手を重ねる。今まで、お嬢さんは手を重ねるだけでも緊張をしているようだった。ウィリアムさんの容姿を思えば、そうなることもなんとなく分かる。
だけど、今日は違うようで。
お互いに手首を掴んで、決して離れないように握る。倒れた後、何か二人の間にあったのだろうか。とても微笑ましい光景に、最近歳のせいで重くなった瞼を下げる。
お嬢さんとウィリアムさんならやってくれる。そう思わずにはいられなかった。
それは私一人が思うことではないようで、一緒に店にやってきた医者やブライトさん、それから少年もぐっと身を乗り出してその様子を見守っている。とても良い友達がいるようだ。若いとはいいものだ、と他所で思う。
お嬢さんが宝石箱に手を乗せて、一度ウィリアムさんを見上げる。まるで愛しいものを見るような優しい瞳でウィリアムさんも見つめる。
「ウィリアム様、おそらくこの文字、魔力を注げば大きく動きます」
「うん」
「・・・・この窪み、ずっと気になっていたんです。これだけ精巧に作られた宝石箱に、わざとこのような窪みを残して販売するとは思えなかった・・・」
「・・・・・・・」
「最初、この文字と同じようにアルファベットが書かれた木の板を探し出し、はめ込むのかと推測しました。ですがこの文字と・・・・ブライトさんが教えてくれたお話に、一つの仮説を立てました」
そこでお嬢さんがこちらへと視線を向ける。その表情はやはりどうしても若い頃の妻に似ているようで、お嬢さんの話ならいくらでも聞いてやりたいと思う。
「トレゾールさん」
「・・・・・・」
「奥様と結婚された時、プロポーズはトレゾールさんからではなく、奥様から申し出たということですが、事実でよろしいですか?」
「・・・・・」
こくん、と頷く。今から三十年も四十年も前。橋の上で妻に求婚された。当時、親から継いだ花屋などやりたくないと思っていた私に、『一緒に良いお店にしましょうね』と妻が言った。その時、妻の可愛らしい笑顔にこの人となら本当に良い店にできると確信した。
その確信は、間違っていなかったと今なら分かる。
「・・・・この宝石箱は、奥様とトレゾールさんの思い出が詰まっています。『Admirer』は求婚という意味を持っていますが、当時、この宝石箱を購入しようと奥様が店を訪ねた際、きっとその文字を見て思ったはずです。『まるで女性でありながら求婚した私のようだ』と。・・・そして店主に宝石箱の『合鍵』について聞き、ますます気に入って購入したはずです」
「(合鍵について聞いた・・・・気に入った?)」
「トレゾールさん、『アナグラム』という言葉をご存知ですか?」
お嬢さんがにっこり、と微笑みながらそう言う。アナグラム、それは確か元ある言葉を入れ替えると別の言葉になるという意味があったはず。
だけどそれがどうしたのだろうか。一応知っていたので頷きながらお嬢さんに続きを求める。それは私だけでなく少年もそう感じたのか、お嬢さんへと歩み寄ると、首を傾げて声をかけた。
「お姉さん、アナグラムって?」
「はい、アナグラムとは言葉の多様性を巧みに利用し、既存する言葉を変化させ・・・・・」
「待って待って待って、もっと簡単に」
「・・・例えば、オルトゥー君に私がそれぞれCとAとTが書かれたカードを渡したら、何と読みますか?」
難しい言葉をお嬢さんが使うと、少年がわたわたと手を振り回す。その様子にお嬢さんとウィリアムさんが可愛らしいものを見るようにふわりと微笑む。なんだか雰囲気が似ているな。
お嬢さんが分かりやすく、例えを出して少年に問題を出す。少年も楽しいのか、顎に手を当てながらお嬢さんに明るい表情を向けた。
「んー、そのまま猫?」
「はい、そうです。CATですね。ではそのカードを並べ替えてください。他に何か言葉が思いつきませんか?」
「並べ替える・・・・・?」
「はい、例えばAから始まる言葉はありませんか」
「Aから・・・・あ、ACTとか?」
「正解です。ACTは『行動』と言う意味があります。オルトゥー君にぴったりな言葉です」
「へへんっ!俺ってば行動力ある男だからね!」
「ふふ・・・・オルトゥー君、そうやって元々ある言葉を入れ替え別の言葉をつくることを、アナグラムと言います」
「なるほど!」
「一度で覚えてしまうとは賢いですね」
「まぁねっ、だてにジェニファーお姉さんと長年付き合ってないから」
「オル君、出会ったのは私やウィリアム様の方が先だよ」
腕を組んで鼻を高くする少年にお嬢さんだけでなく部屋にいる全員が微笑む。
お嬢さんが表情を綻ばせたままこちらへと顔を向ける。そして私の名前を呼ぶ。妻がそう呼んでくれたように、優しい声で。
「トレゾールさん」
「・・・・・・」
「おそらくこの窪みは、『Admirer』の文字をアナグラムのように変換させるため用意されたものです」
「・・・・・」
「奥様はトレゾールさんに求婚し、求婚者から既婚者となった。・・・つまり『Admirer』は『Married』になったんです」
「・・・・・・・」
そこまで言って、説明は終了したらしいお嬢さんがウィリアムさんへと視線を向ける。
どうして分かってしまうのだろうか。このお嬢さんの賢さには舌を巻く。賢さだけではなく、事実に向けて頭の中で仮説を立てることに長けているのだろう。
この店にも貴族のぼんぼんやお嬢様が花を買いにやってくる。皆愛する人のためとか言って、花言葉もよく知らないまま好きな花を買って行く。その後愛する人とどうなったのかは知らないが、あまり良い未来は想像できなかった。
花言葉を知り、そして言葉の意味を知り、仮説から事実を導き出すお嬢さんはそんな奴らとは違うとなんとなく思う。だからこそウィリアムさんがこれだけ入れ込む理由が分かる。
「・・・・ウィリアム様」
「ああ」
お嬢さんが声をかけてから魔力を放出する。その魔力を受け、ウィリアムさんもふわりと前髪を揺らしながらお嬢さんの魔力に合わせる。お二人の息はぴったりだ。やはり、昨日倒れてから何かあったのだろう。ひとまわり成長して帰ってきた二人は、見ているだけでこちらが幸せになる。
かた、と宝石箱が動く。その動きは止まることなく、かたかたと次第に音を大きくしていった。
少年がテーブルに手をついて文字が少しずつ位置を変えていく様子をじっと見つめる。私も気になってテーブルの横に並ぶ。
Aが窪みへと移動する。そしてm、r、と文字が入れ替わっていく。かたかた、と店内にその音だけが響く。皆食い入るように宝石箱を見つめる。
そして、最後にかたん、と揺れた後、どこからか鍵が開くような音が聞こえた。
「・・・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・・・」
沈黙が続く。
お嬢さんが宝石箱を優しく持ち上げ、私に手渡す。宝石箱の取っ手に触れる。妻と出会った時よりも随分と皺くちゃな手でそっと取っ手を上へと持ち上げる。すると、今まで何をしても開かなかった宝石箱が、簡単に中身を見せてくれた。
その宝石箱の中に入っていたものを見て、私はその場に蹲る。口元に手を当て、声も出ないまま震える。
「・・・・っ・・・・」
宝石箱には、小さな布袋と、枯れた花、そして編み掛けの手袋が入っていた。
妻が『今年の冬は冷えますね』と言って、夜中何かをしているのは知っていた。まさか、私に手袋を編んでくれていたのか。まだ完成していないその赤い手袋を手に取る。そして妻を抱きしめるように握りしめる。
どうしてお前はそうやって大事なことを言ってくれないんだ。花屋は朝が早い、冷え込む早朝から開店の準備をするお前だって同じなのに。
布袋を開けると、そこには花の種が入っている。妻は花屋だからというだけでなく、昔から花が好きだった。生活スペースには、妻が育てていた花がいくつもある。種の形からして、きっとこれはイベリスの花の種。
その花言葉は『初恋の思い出』
皺くちゃな顔に涙が落ちる。お嬢さんが私の肩に触れる。その手に皺くちゃな手を乗せて、ぐっと嗚咽を堪える。
なぜか、その時声が出るようになったと感じた。
「つ、・・・妻は・・・・ルソンは・・・・」
私の声にお嬢さんが驚いた表情で覗き込んでくる。その表情に私は涙を流しながら微笑む。それからお嬢さんの両手を握り締めて、嗚咽混じりな声を出す。
「・・・っルソンとは、小さい頃からよく遊んでいた。妹のように可愛がっていたんだ。だけどそのうちルソンも大きくなって、もう妹には見られなくなった。それはルソンも同じ気持ちだったみたいで、私の後ろをついてくるだけだったのに、いつの間にかその手を私の腕に絡めるようになった・・・・」
「・・・・・・」
「ルソンは私のファンなのだとよく言っていた。・・・きっと、『Admirer』には求婚だけじゃなくて、ファンという意味も込めていたんだと思う・・・・」
「・・・・・」
「・・・この枯れた花は、橋の上で私にプロポーズしたルソンが手にしていたものだ・・・ナズナと言って、野原に咲くような面白みもない花だが・・・・その花言葉に、私は心を打たれたんだよ・・・」
「・・・・・トレゾールさん」
ナズナの花言葉は、『あなたに私の全てを捧げます』
ルソンらしい言葉だと思う。決して自己主張の強いことは言わず、控えめに私の腕を抱きしめるルソンなら考えそうなことだ。
私は布袋と、枯れた花と、そして編み掛けの手袋を抱きしめる。肩に触れるお嬢さんの手が震えている。気づいてお嬢さんを見れば、私と同じように泣いていた。ああ、君は無表情でよくいるけれど、感受性の強い子なんだね。
私は宝石箱をテーブルの上に置くと、そっとお嬢さんに両手を広げる。
「お嬢さん・・・・ありがとう・・・・抱きしめてもいいかい」
「・・・・トレゾールさん・・・」
「もう妻を抱きしめることはできないから・・・せめて・・・・」
「・・・・・・」
お嬢さんが私へと身を寄せる。そして背中に腕を回してくれる。そのか細い体を力いっぱい抱きしめる。我慢ができなくて涙がぼろぼろと溢れる。
どうして、あんな思ってもないことを言ってしまったんだろう。どうして妻の行動を見守ってやれなかったんだろう。謝りたくてももう君に会えない。会いたいよ。抱きしめたい。愛してると伝えたい。だけどできない。伝えたいことがたくさんあるのに。
「どうして私を置いて先に逝ってしまったんだ・・・・っ・・・・」
「・・・・・・・」
「お前がいないと・・・・私は生きていけないよ・・・・ルソン・・・」
「・・・・トレゾールさん」
「会いたい・・・・話したい・・・・ルソン・・・・愛してるよ・・・・っ」
ぎゅう、とお嬢さんが私を抱きしめる。近くで少年が泣き出したようで、ブライトさんにあやされていた。
誰のものか分からない嗚咽が店内に響く。綺麗好きな妻が毎日掃除をしてくれる店内を涙でぼやけながら見回す。どこもかしこも妻との思い出が刻まれている。
ルソン、私がそちらに行くまで、もう少し待っていてくれ。
きっと素敵な店にするよ。今までだって素敵だとお前は言ったけれど、もっと良い店にしてみせる。
「ルソン・・・・愛してるよ・・・」
もう君には会えない。君の可愛い笑顔を見ることはできない。
でも、この店に君がまだいるから。その思い出とともに、私は生きていくよ。
「・・・・・お嬢さん・・・・」
感謝してもしきれない。泣きすぎて瞼を腫らしてしまっているお嬢さんの瞼に親指を当てる。そうすると余計に悲しくなったのか眉を顰めてまた抱きついてきた。可愛らしいお嬢さんだ。
私はずっとこちらを優しい瞳で見守っていたウィリアムさんへと視線を向ける。そしてこの可愛らしいお嬢さんを引き取ってくれと目で伝える。
伝わったのか、ウィリアムさんが屈み込んでお嬢さんへと両手を広げる。
「ジェニファー」
「・・・・っ・・・・」
「おいで」
「・・・・・・」
おずおずと俯いたまま、嗚咽を隠すようにお嬢さんが身を寄せる。その体を優しくウィリアムさんが抱きしめる。
その様子に、私は小さく笑みを零すと足に力を入れて立ち上がる。さぁ、店の前で騒がしい彼らに花を売り付けてやらないと。
「・・・・・・・」
まだまだ死んでやらない。もう君の後を追うことなんて考えない。
君が残したイベリスを綺麗に咲かせてみせるよ。だからどうか、そこで見守っていてほしい。
「愛してるよ、ルソン」
そう呟くと、どこかから『私もよ』とルソンの声が聞こえた気がした。
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シリーズ化1話目の「ご子息とお嬢様の一日」を投稿しております。お時間ありましたら、どうぞご覧ください。
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