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お嬢様と末永く




「そ、そうですか・・・・もっもうお帰りに・・・・・」



翌朝。身支度を簡単に済ませ、客室を出る。すでに起きていた執事にグロート卿を呼んでほしいと伝え、エントランスでウィリアム様と待つ。


そうしているとフードを被ってこちらを見ないようにしながらこちらへと歩み寄るグロート卿が現れる。今はグロート卿の洋服を借りているので男性に見えると思うが、どうしても膨らみは隠せないもので。い、いやフォーさんのようにあんなに大きくはないが。


グロート卿が寂しそうに言う。その様子に苦笑いを浮かべながら一歩グロート卿へと歩み寄る。私は男物の洋服を着ているが、足下はヒールのままだ。それが目に映ったからか、グロート卿が悲鳴を上げながら顔を手で覆う。


慌ててヒールを脱ぐと、裸足のままグロート卿へと歩み寄る。すると、目に女に関連するものが映らなくなったからかやっとのことでグロート卿が少しだけ顔をあげる。



「ヘルマン殿、このご恩は一生忘れません。ありがとうございます」


「い、い、いいえ。まっま、また来てください」


「はい。訪ねる際は必ずお手紙を書きますね」


「ま、ま待ってます」



またいつも通りに戻ってしまった。昨日一瞬だけ吃音症の症状が出なくなったが、すぐに治るものでもないのだろう。それを悲しく思いながらも、最近は外にも出るようになったというグロート卿に今度こそ握手をしようと手を差し出す。



「ヘルマン殿、友として握手をさせてください」


「・・・・・・・」


「私が女であろうと男であろうと、私はずっとヘルマン殿の友人です」


「・・・・オルトゥー殿・・・・・」


「ありがとうございます」


「・・・こっこ、こちらこそ・・・」



きゅ、と握り返される。


それだけで、本当に友として認めてもらえたような気がした。魔術具に関する数少ない友人を得られたことを嬉しく思う。そして、呪いについて自ら調べてくれるという心意気に深く敬意を表したい。


ヘルマン殿は私の友人。そして、『仲間』だ。


そう思うと心が温かくなった。私はウィリアム様へと振り返る。ウィリアム様が私へ長い腕を伸ばす。まだ少しぎこちなくではあるが、その手を握るとそっと引き寄せられた。



「帰ろう」


「はい」


「グロート卿、突然押しかけ申し訳ありませんでした。無礼に無礼を重ねあなたに無理強いをさせてしまったこと、深くお詫びします」


「い、いいえ・・・・あっあなたがあれだけ慌てる姿を見るのは初めてです・・・・きっきっきっ!きっと、たったった、大切なお・・・・・お、・・・・・・・お、お、お嬢、ささ様なんでしょう」



とても苦しそうに『お嬢様』と呟くグロート卿にもう無理はしないでと伝えようかと思い、グロート卿に向かおうとする。だけどそれよりも前にウィリアム様が私の手を引くと、腰に手を添えてにっこりと微笑みながらグロート卿を見つめる。とてもとてもお優しい瞳だった。



「はい、そうですよ。かけがえのない存在です」


「(し、心臓が・・・・・)」


「そっそ、そ、そうですか・・・・と、とても素晴らしいことですね・・・・」


「はい、私の一番の自慢です」


「(もうやめてぇぇ・・・・・)」



母やケイトがこの場にいたら全力で手を上げて喜ぶ言葉をグロート卿に伝えるウィリアム様を見ていられない。私は顔を手で覆うとぷるぷると震えながらウィリアム様から離れる。しかし腰を掴まれてぐっと引き寄せられる。も、もうやめてくれ!


耳を赤くして俯く私にウィリアム様が柔らかく微笑む。


私が隠し事をしていたことにちょっとした仕返しをしようと、私が困るような言葉をわざとかけたなんてことは誰も知らない。もし知っていたなら、とことん私が何をされると狼狽るのか熟知されていては困ると伝えていただろう。多分。


それから、屋敷の前に一頭の馬が用意される。街まで降りれば馬車もあるので、ゆっくり屋敷に戻っても昼前には到着できるだろう。



「それでは、ヘルマン殿」


「は、はい・・・オルトゥー殿、ウィリアム殿も」


「ええ。・・・・行こう、ジェニファー」


「はい・・・・・」



ウィリアム様が先に馬に乗る。こちらに伸ばされた手に勢いをつけて登ろうとするが、乗馬なんて父と幼い頃にやったきりだ。以前、初めてグロート卿の屋敷を訪ねる時も馬を利用したが、その時もこうやって苦戦した記憶がある。


グロート卿の執事が踏み台を用意してくれる。それにお礼を言ってから手を伸ばす。器用に手綱を掴みながらウィリアム様が両手をこちらに差し出す。腕を掴んでもらえると思っていたが、両脇に手を差し込まれて子どものようにひょいと持ち上げられてしまった。そしてそのまま横向きになってウィリアム様の前に座る。


ぶるる、と馬が小馬鹿にしたように笑った気がした。


思わず馬をじとっとした目で見つめれば、その様子を見ていたのか執事がくすくすと青白い顔で笑う。そして私からウィリアム様へと視線を向け、口元を手で押さえながらわざとらしくにやりと笑った。



「・・・・随分と扱いに慣れていらっしゃるようで・・・・まるで()()()()()()()ようですな」


「(ふ、含みが生々しい・・・・・!!)」



どうしてもそういう方面に持っていきたいらしい執事に私はきぃっ!と目を吊り上げながら睨む。


しかしウィリアム様はケラケラと笑うと、私が馬から落ちないように腕を回してにこりと微笑んだ。その笑みがなぜか私には悪魔に見えた。



「そうですね、まだ乗りこなせる気がしないので、()()()()()()()()いないと落としてしまいそうです」


「・・・・!」


「・・・・ははは、どこから落とすのやら。・・・・果たして馬の上か、それともベッドのーーー」


「・・・・っお、おやめください・・・!」


「・・・・おやおや、それだけ大きな声が出るなら・・・・ああ、そういえば昨日も声を張り上げていらっしゃいましたね・・・・うんうん・・・きっと激しーーーー」


「は、早く行きましょう・・・っ〜、・・・ウィリアム様!!」


「ふっ、ははは!・・・ごめんごめん」


「・・・申し訳ありません、お嬢様・・・ふふふふ・・・・・」


「(こんの破廉恥どもめ・・・・・!)」



男性同士の会話なんてそんなものだ。他所でやってくれ他所で。


そう思いながら歩き出した馬の動きに合わせてぐらぐらと揺れる。最後にもう一度屋敷を振り返り、フードを被ったままのグロート卿へと手を振る。青白い手が振り返してくれた。今はグロート卿だけが味方だとなんとなく思う。


それから街まで戻り、用意されていた馬車に乗り換える。通常よりも少し早い速度で馬車が動き出す。ウィリアム様が馭者にそう言ってくれたのだろう。


窓から街並みを眺める。すぐに街の外れまで来て、草原の向こうに次の街並みが広がっていた。あの街を過ぎれば、その先には私の屋敷がある。おそらく、二時間もしないで到着するだろう。



「お人形さん」


「はい・・・・・?」


「こっちにおいで」


「・・・・・・」


「ほら」



ぼんやりとしていた私にウィリアム様が声をかけながら手を差し出す。先ほどのこともあるし、さ、昨日のこともあるしあまり近づきたくない。できれば無視をしたい。


わたわたとする私にウィリアム様が幸せそうに目を細める。そして私があまりにも動かないのでウィリアム様が長い腕をさらに伸ばして、私の腰をふわっと浮かせてしまう。


ぽすん、とウィリアム様の膝の上に乗る。あ、ああ近すぎる。


頬に手を添えながらうっとりと天使のような慈悲深い笑みを浮かべる。今すぐに逃げ出したい衝動に駆られてウィリアム様の胸元を押す。その手をウィリアム様が掴む。とくん、と鼓動が掌に伝わった。



「そのまま触れていて構わないよ」


「いっ、いいえ・・・だ、だめです!」


「うん?触れたいんじゃないの?」


「そっそんなこと私は申し上げておりません・・・!」


「エリザベッタさんが触るのは嫌なんだろう?」


「・・・・・それとこれとは・・・・別です・・・・・」


「・・・・そうか」


「うっ」



ぽすん、と抱きしめられる。触れるというか密着している状態に声が出ない。こ、こんな状況ケイトに見られてみろ、確実に歓喜の叫びを屋敷に響かすことだろう。


耳元にウィリアム様の口が寄せられる。吐息と共に柔らかい声が響いて体が固まる。ああ、もうやめてくれ昨日のことを思い出してしまうから。



「ジェニファー」


「・・・・は、・・・はい・・・」


「痣のことだけど」


「・・・・・・」



痣、という言葉がウィリアム様の口から出ただけで怖くなる。思わずバッとウィリアム様を見上げれば、困ったように眉を下げながら微笑み、私の前髪にキスを落とす。


そしていまだウィリアム様の胸元に添えられていた私の手を握った。



「ジェニファーのことを考えれば、より詳しく調べる必要があると思う。グロート卿も調べてくれるということだったけれど、私も調べたい。・・・・君と一緒になら私も調べていいかい?」


「・・・・それでしたら・・・・」



それならいい。見えないところで調べられるよりましだ。どこにアントリューの魔の手があるか分からない以上、無闇に調べられるよりは、一緒に調べた方がいい。その方が私も安心する。


ウィリアム様の言葉にホッと胸を撫で下ろす。するとその表情を見ていたウィリアム様が眠たげな瞼の下に転がる宝石のような深緑の瞳を細め、もう一度ぎゅうと抱きしめる。



「うん、調べよう。もう君が倒れる姿なんて見たくない」


「・・・・・・」


「・・・・心臓が止まるかと思ったよ・・・目の前が真っ暗になった」


「・・・・・・」


「私の前からいなくなるなんて考えると・・・いっそのこと、屋敷に閉じ込めようかと思った」


「・・・・ウィリアム様」



たまに見せる仄暗い表情に言葉が出ない。ウィリアム様の中で、私はどういう立ち位置にいるのだろうか。それが分からなくてじっとウィリアム様を見上げる。


『あの日』に捕われたウィリアム様が変わりたいと言った。その感情に少なからず私が関与している。私もウィリアム様がお母様のことでずっと悩まなくて済むなら傍にいたいと思う。


そうやって私を唯一の存在だと思ってくれることは『仲間』として嬉しい。しかし、このまま仲間のウィリアム様の傍にいると、私は元に戻りたいと思った時に二度と離れられなくなる気がした。


それは、一種の『依存』だと思うから。


ウィリアム様はそれでもいいのだろうか。光のような方に、影が差すような気がする。



「・・・・・・」


「ジェニファー・・・?」



じっとウィリアム様を見上げる。片眉を上げ、もう片眉を下げるという器用な表情をする私にクスリと笑う。そしてそっと顔を近づけると、前髪にキスを落とした。



「どうした?」


「・・・あ、い・・・いえ・・・」


「そうか・・・・・」



一度抱え直される。私を膝の上に乗せたままウィリアム様は窓枠に肘を乗せて外を眺める。も、もしやこのまま屋敷まで向かうつもりなのだろうか。それだけはやめてくれ。心臓がもたない。


しかし、ウィリアム様は何度か私を抱え直すだけで、馬車の椅子に座らせることはなくそのままだった。逃げようにも腰に回された手が離してくれない。


ようやく屋敷に着いた頃には、もう私は爆発寸前だった。脳細胞のいくつが死滅しただろうか。



「ジェニファー・・・・!」


「ああジェニー・・・・!」


「ウィリアム様!」



屋敷に到着すると、ずっとエントランスで待っていたのか父や母だけでなく、ケイトやジョージさん、そしてブライトさん、オルトゥー君、フィーリウスさんの面々が私たちを出迎えた。


ウィリアム様が私を先に馬車から下ろす。するとすぐにケイトが飛びついてきた。目からぼろぼろと涙を溢しながら必死に私に抱きつくケイトに私は一拍遅れて腕を回す。



「お嬢様・・・・っお嬢様〜・・・・っ!」


「ケイト・・・・・」


「ブライトさんから聞きました・・・ずびっ、・・・あ、あの性悪女がお嬢様に呪いをかけたと」


「・・・・・・」



話していたのか。できればウィリアム様以外にはこれ以上知られたくなかった。しかし、子爵のお嬢様が何も告げずに屋敷に戻ってこないとなれば大騒ぎになる。


この様子だと、父や母も知っているのだろうか。そうなると大ごとになる気がする。私は一日中泣いていたのか、瞼を腫らしたケイトの両頬に手を添える。そしてできるだけ父や母に聞こえないように呟く。



「お父様とお母様はどこまで知っているんですか?」


「そこはお任せください・・・・ずびっ、ブライトさんから最初にお嬢様の容態を聞いたのは私です。お奥様には旅が終わるごとにお話をしていたので、呪い以外はご存知ですが、うまく旦那様と奥様にはお伝えしております」


「・・・・さすがは私の使用人です」



どうやらケイトがうまいこと父と母には呪いのことを告げずに説明してくれたらしい。ウィリアム様へと一度視線を向けると、眉を下げながらケイトに微笑む。そうだろう、私の使用人はよくできる使用人なのだ。


ケイトが私の右腕を掴む。そして腕輪がついていることに気づくと、そっとそれに触れた。


私は見やすいようにケイトの前へ腕を上げる。ちょうどそこにブライトさんとオルトゥー君もやってくる。そして私の元気な様子と、腕輪を見てホッとしたような、困惑するような複雑な表情を浮かべた。



「お嬢様、これは・・・・?」


「グロート卿にいただきました」


「グロート卿・・・・?」


「ああ、ケイトは知らないですよね。以前、ウィリアム様のお屋敷で開かれた晩餐会に参加したことがありましたが、その折に知り合いになりました」


「まぁ・・・・・」



驚いたようにケイトが口元に手を添える。その様子に眉を下げながら微笑む。こんなことになるのなら、ケイトにも今までの依頼について全て話しておいた方がいいかもしれない。


そんなことを考えながらケイトを見ていると、ブライトさんがこちらへと一歩歩み寄る。ブライトさんも、今回の件ではお世話になった。もしブライトさんがケイトに告げず、そのまま父や母に言っていたならば今頃屋敷は大騒ぎだっただろう。


お礼を伝えないと、とケイトから離れてブライトさんに略式で膝だけ曲げて会釈をする。



「ブライトさん、この度はケイトと相談して父や母にうまいことお話を合わせていただいたようでありがとうございます」


「いいえ、お礼を言われるようなことではありません。・・・・もうお加減はよろしいのですか?」


「はい。この腕輪の力で呪いの力も封じられています」


「そうですか・・・・それはよかった・・・・」



これ以上皆に心配をかけたくない。封じられているとは言ったが、根本的に呪いを解除しなければそのうちあの黒いどろどろとしたものが再び動き出すだろう。


それについてはウィリアム様と調べる。ウィリアム様へと視線を向ければ、私の伝え方に気づくことがあったようで、微笑みながらコクンと頷いてくれた。


それからオルトゥー君へと視線を向ける。オルトゥー君も泣いたのか、少しだけ瞼が腫れていた。私が両手を差し出すと、すぐにバッと飛び込んでくる。その小さな体を抱きしめると、胸元でオルトゥー君が嗚咽をしているのが分かった。



「お、お姉さっ・・・・・」


「オルトゥー君、心配させてしまいごめんなさい」


「・・・・お姉さん死んじゃうかと思った・・・」


「死にませんよ、まだたくさんオルトゥー君と遊びたいですから」


「・・・っそうだよ、俺だってお姉さんと遊びたい。結婚だってしたい」


「・・・・・・」


「俺すぐ大きくなるから。お姉さんの背もすぐに越すから、だから結婚してください」


「(どうしてそうなる・・・・)」



なんだか感極まって訳がわからなくなっているようだ。オルトゥー君に困っていれば、ブライトさんが代わりに引き取ってくれた。オルトゥー君はまだ私に手を伸ばしている。


そんなオルトゥー君に苦笑いを浮かべながら、私は一つ息をついてエントランスへと向かう。


父と母が互いを抱き寄せながら私をじっと見つめている。その表情は怒っているような、だけど私やウィリアム様たちの様子を眺めていたからか、少しだけ幸せそうにも見える。



「・・・・お父様、お母様・・・・・」



私は怒られても仕方ないことをしたので、いつ怒鳴られてもいいように拳を握り締めながら父と母の前に立つ。そうすると母が一歩私に歩み寄った。そして、右手を大きく振りかざした。


頬を叩かれる。そう思い食いしばる。しかしその手はいつまでたっても頬に当たらない。きょとんとしたまま母を見る。すると、母は今にも泣き出しそうな表情で私に腕を伸ばした。



「もうっ・・・心配するじゃないのっ・・・どうして何も言わないで帰らないのよっ・・・・」


「・・・・お母様」


「・・・もうっ・・・・もうっ・・・・」



ぽん、ぽんと頬の代わりに背中を優しく叩かれる。叩かれるというより、あやすだろうか。幼い頃、母にそうやって寝かしつけられた記憶が蘇る。


どこまでも優しい人だ。私は母の背中に手を添える。そして首に顔を埋める。


父が母と私を抱きしめる。ぎゅう、と力強く。ありったけの力で抱きしめられる。そうだ、父と母は本当に私を愛してくれる素敵な家族だったな、と頬を叩かれるなどと考えた自分を恥ずかしく思う。



「知らない間に・・・・あんなにジェニファーにはお友達ができていたんだなぁ」


「・・・・・・」


「父さんはすごく嬉しいよ・・・・・」


「お父様・・・・・」


「もう、私だけの可愛い娘ではないんだなぁ・・・・」


「・・・・・・」



よしよし、と頭を撫でられる。それから頬を抓られる。黙って帰って来なかったことに対しての躾らしい。その優しすぎる躾に私は思わず笑う。そうすると母もクスクスと笑って父に身を寄せた。


ああ、私は幸せ者だ。


父や母にも、そしてケイトやジョージさんにもこれ以上心配事を増やしたくない。アントリューは私を欲している。そのために私の苗字を聞いた。あの時は告げることはなかったけれど、あのアントリューなら諦めずに私を探すかもしれない。


そうなったら、父や母だって危ない。ケイトなんて顔を見られている。



「(絶対に守る・・・・絶対にアントリューの好きにさせない・・・・)」



そのためにウィリアム様とまずは呪いについて調べる。


ぎゅう、と父と母の背中に腕を回す。それは覚悟を決めたという誓いでもあった。しかしそんな思いを私が抱いているとは知らない父と母も私をぎゅう、と抱きしめる。


そうやって久しぶりの家族団欒を過ごしていると、ふと父が顔を上げる。そして後ろへ手を差し出した。私も気になって振り返る。するとそこには眉を下げるウィリアム様がいた。



「ウィリアム殿・・・・」


「この度はお嬢様の異変に気づくことが遅くなり、このような事態になってしまったこと、深くお詫びします」


「いえ・・・ケイトから聞きましたが、以前旅でジェニファーが精霊に刺されたことが原因で、それが今更ぶりかえし倒れたと聞いています。ウィリアム殿のせいではないでしょう」


「・・・・え、ええ・・・・」



ウィリアム様が父の言葉に一瞬詰まる。


なるほど、うまく誤魔化したとはそういうことだったのか。精霊に刺されたということだから、おそらく『花の守人(チュテレール)』の話を引用しているのだと思われる。ケイトなら考えそうな話だ。


父が私と母から離れ、ウィリアム様の前に立つ。そしてそっと手を差し出す。その手にウィリアム様も手を重ね、ぐっと握りしめる。



「ありがとう。娘のために力を尽くしてくれて・・・・心から感謝しています」


「・・・・・・・」


「ウィリアム殿がいれば、もう娘は心配ない。これからもよろしくお願いします」


「・・・・・はい、もちろんです」


「末永く、よろしくお願いします」



母が父の言葉に付け加える。バッと私が母を睨むが、母は今にも口笛を吹き出すような表情でそっぽを向いた。


そんな母にウィリアム様がクスリと微笑む。父と母はその天使の表情にうっとりと目を細めた。本当に二人はウィリアム様が好きだな。



「はい、末永く」


「・・・・き、聞きました!?旦那様!こ、これは言質よっ!言質として契約魔術を使いましょう!」


「そうだな!よかったなぁジェニファー・・・・!」


「(ああ・・・これでは父と母の画策通りだ・・・・)



思わず頭を抱える。するとその様子を見ていたウィリアム様がご機嫌な表情で私へと歩み寄る。そして腕を引くとそのまま父と母の前で抱きしめた。後ろから抱きしめられ、体の前に腕を回すウィリアム様に父と母が真っ赤な顔をしてお互いの肩をばしばし叩く。


まさか、見せつけるおつもりか。


なんとなくウィリアム様の魂胆が分かって俯く。その私の頭にキスを落とす。父や母だけでなく、ケイトとジョージさんまで胸の前に手を掲げてぐっと握っている。ああ、もうだめだ、取り返しがつかない気がする。



「こ、今夜は宴よ!ケイト!今すぐ準備をして!」


「はい!」


「こういう時、東洋では赤飯を食べるそうだ!さっそく取り寄せるぞ!ジョージ」


「承知しました。使用人、執事総動員で用意いたします」



もうやめてくれ!


やったーやったーと喜びながら屋敷へと入っていく父と母に呆れる。ケイトが屋敷に入る前に「あとは任せてください」と言ってくれたので、これ以上父と母が私に心配することはないだろうが、別の意味で怖くなった。何を言うつもりだろうか。フォーさんの家でウィリアム様が見せたあの婀娜やかな姿を言った日には専属使用人の任を解く覚悟だぞこっちは。



「ジェニファー様」


「・・・・・フィーリウス様」



そこに今までずっと黙ったままだったフィーリウスさんがこちらへと歩み寄る。まだ抱きしめられたままの私ににやにやと微笑むと、丸々とした顎に手をおいて、ちらとウィリアム様を見上げた。



「はいはい、これはまた何か一波乱あってお帰りですな?」


「分かりますか」


「ええ、ええ、私は誤魔化せませんよ」


「ははは」



なんだか仲が良いらしい二人にうんざりする。そろそろ逃げ出そうと思い、ウィリアム様の腕を掴んだところでフィーリウスさんがトレゾールさんの名前を出す。


その名前に私はピタリと動きを止める。後ろでオルトゥー君と話しをしていたブライトさんにも聞こえたのか、二人がこちらへと歩み寄る。



「あれからトレゾールさんの様子はいかがですか?ブライトさんのお店に行ったらお嬢様が危険だと聞きましてね、私も医者ですから何か力になれないかと思ってこちらに来てしまったので、結局様子が分からないままなんですよ」


「・・・・まだ声は出るようになっていません」


「そうですか・・・・・」


「ですが、宝石箱が開けばきっと・・・声が出るようになると思うんです」



そう、宝石箱さえ開けば。


だけど、まだあの宝石箱の謎が解けていない。きっとあの裏側に描かれた文字に意味があるはずだ。『求婚者』の意味を持つその文字に、きっと何か意味がある。それさえ解ければ、あとはウィリアム様とうまく魔力を合わせて魔鉱石に触れればいいだけだ。


だけどそこがどうしても分からない。何を見落としているのだろうか。


私は一人で悩んでいても仕方ないと思い、ウィリアム様を見上げる。私の表情に、回していた腕を外し、こてんと首を傾げる。


頼るなら、ウィリアム様だ。支え合うって決めたのだから。



「ウィリアム様、『Admirer』の意味をご存知ですか?」


「Admirer・・・・?広くは求婚者という意味だったと思うけど、それ以外は称賛だったかな」


「はいはい、確かにそうですね、あとは何だったかな・・・・ファン、って意味もあったかな」


「ファン・・・・・」



求婚者、称賛、ファン。それはどれも、誰かに対して抱く感情だ。あの宝石箱はトレゾールさんの奥様のもの。あの宝石箱を購入する時、きっと奥様も裏側の文字に気づいたはずだ。その言葉の意味を知って、それも含めてほしいと思ったから購入したと考えられる。


つまり、求婚者とは奥様自身を表す?


私は一度ブライトさんへと視線を向ける。私の解決の糸口を探すような表情に、ブライトさんだけでなくオルトゥー君やウィリアム様もうきうきとした顔を向ける。フィーリウスさんも以前、バーバラさんとエリザベッタさんの別荘で夕食の準備をする時に私が突然謎を解いた瞬間を見ている。


皆、私を期待している。


その期待に応えたい。ブライトさんに一歩近づき、確信を事実にするために声をかける。



「ブライトさん」


「はい、お嬢様。何なりと」


「トレゾールさんとその奥様ですが、お二人の馴れ初めをご存知ですか?」


「馴れ初めですか・・・トレゾールさんが無口なのでお二人がどのように知り合い、結婚をしたのかについては聞いたことはありませんが・・・・」


「・・・・・」


「ああ・・・・でも以前奥様とお話しした時・・・・・」



ブライトさんが一度言葉を止める。早く続きを聞きたい私がぐいと身を乗り出す。私の真剣な表情にブライトさんがほんのりと頬を赤らめる。するとそれを見たウィリアム様がそれ以上近づくなと私の肩を掴んで引き下がらせる。


それでも私はぐいぐいとブライトさんに近づく。



「なんと、なんと奥様はおっしゃったんですか?」


「当時、トレゾールさんの店の向かいにある洋服店の店主が結婚したんです。なので今度一緒に何か贈ろうと話して・・・・その時、奥様が結婚について話して・・・・」


「・・・・・・」


「・・・・・『結婚は私から申し込んだ』と」


「やはり・・・・・!」


「なになに!?お姉さん何か分かったの!?」


「・・・・・・」



オルトゥー君が隣で何か言っているが、それにも気づかず私は顎に手をおいて思考の海に浸かる。『求婚者』は奥様自身のことだった。おそらくそれに間違いはない。だけどそれが分かっても、宝石箱を開く『合鍵』にはならない。


あの文字そのものに意味があるはずだ。求婚者である奥様は、トレゾールさんを旦那様にしたいと思って結婚を申し込んだ。そして結果本当に夫婦になっている。つまり、求婚者は既婚者になったということだ。


あの宝石箱は求婚者のまま。それでは開かない。何だ、何が足りないんだ。考えろ。



「お姉さん?・・・お姉さんってば!」


「・・・・・・」



オルトゥー君がせがむように私を見る。その姿は、母やジョージさんに魔術書の続きを読んでほしいと腕を掴む幼少時の私に似ている。私はぼんやりとしながらオルトゥー君の頭を撫でる。そうするとオルトゥー君が急に頭を撫でてきた私に驚いて固まる。


ぽんぽん、と撫でる。そう、ジョージさんのように。そういえばジョージさんが先日母の自室で私が幼い頃使っていた玩具を見せてくれた。その中に積み木があった。三角と長方形の積み木と、アルファベットが書かれた積み木が。


その積み木に久しぶりに触れた。ジョージさんが私にAとCとTを手渡した。だから私はそこから言葉を作ってCATの順に返した。


そう、まるで与えられた文字から言葉をつくるように。



「・・・・っそれだぁ!!」



バッと顔をあげて叫んだ私にオルトゥー君だけでなくその場にいた全員がびくっとする。


それでも私はオルトゥー君の頭をかき混ぜるように撫でる。そうするとオルトゥー君がきゃっきゃと喜んだ。それから胸の前で手を合わせてキラキラと空を見上げる。ああ、そうだ。なんで分からなかったんだろう。



「ああっ、やはり私にはジョージさんが必要です・・・・・!」



やはり今回もジョージさんの神のようなお力で解決に至ることができそうだ。どうしてジョージさんはいつも私にヒントを与えてくれるのだろうか。もう、神を通り越してこの世の理だ。全てだ。ジョージさんなくして私は生きていけない。



「ジェニファー・・・そのジョージとは・・・・」


「ウィリアム様、あとでどなたなのかお伝えします」


「ブライトが知っている人物なのか」


「はい、すぐに分かると思いますよ」



そんな会話がされているとも気づかず、私はすぐさまウィリアム様へと歩み寄る。そしてその手を取ると馬車までぐいぐい引っ張っていく。


後ろからブライトさんたちも続く。私の様子に謎が解けたのだと分かっているから。



「ジェニファー、そんな急に走らなくても」


「早くトレゾールさんにお会いしたいんですっ」



私が珍しく先導するように歩くため、後ろでウィリアム様が驚きながらついてくる。そんなウィリアム様へ振り返ると、馬車に乗ろうと視線を向けた。



「ウィリアム様がいなければ解決できません。早く行きましょう」



魔鉱石に魔力を込めるためにはウィリアム様が必要だ。なのでさも当たり前のようにそう私が言う。


しかし、ウィリアム様には別の意味合いでも考えられる言葉だったようで、一瞬長い睫毛をぱちりと動かすと、ついで柔らかく微笑み私の背中を押して馬車へと入った。


遅れてブライトさんとオルトゥー君、そしてフィーリウスさんが馬車に乗り込む。


ーーーー行こう、『輝く海底(ソットマリーノ)』に



そして、トレゾールさんに奥様の思いを代わりに伝えよう。


少しだけ早く走る馬車に揺られながら、私はぐっと拳を握った。




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