お嬢様の言い訳
どれくらい時間が経ったのか。すでに窓の外は暗くなっていた。
今頃、ブライトさんやオルトゥー君は何をしているのだろうか。せっかく魔術師様のショーがあったというのに、フェスティバルも途中で抜け出してしまった。二人には悪いことをした。トレゾールさんだって、結局宝石箱を開くことができなかったし。
「・・・・・・・」
あともう少しなはずだ。もう少しで、宝石箱を開くことができると思う。でも何かが足りない。根本的に私は何か気づいていない。あの宝石箱の裏側に書かれたアルファベットが示す意味とは。あれだけ精巧に作られたものだ、きっと意味のない文字など綴らないはず。
求婚者、それはもしかしてトレゾールさんのことを表しているのか。いや、あの宝石箱を使っていたのは奥様だ。つまり、求婚者とは奥様なのか。そういえば裏側に書かれた言葉の意味を辞書で調べるのを忘れていた。後手に回っている状況に私は顔を顰める。
その時、客室のドアがノックされる。そのドアが開くと、クロード卿の執事と、ウィリアム様が入ってきた。ウィリアム様にどのような顔を向ければいいのか分からないので、執事へと視線を向ければ、銀盤のトレーを持っていた。
「・・・・こちら、旦那様からです・・・・」
「・・・・・これは」
「・・・・・三百年前につくられた魔術具です。呪術を封じ込める力があるとされています」
「・・・・・・」
トレーに乗っていたのは、腕輪だった。銀の輪にはオリーブの葉だと思われる模様が刻まれている。そしてその輪には水晶だと思われる白い飾りが三つついていた。
その腕輪を執事が手渡す。見た目よりもとても軽い。まるで羽のようだ。
「・・・・銀は邪なものを遠ざけると言います。水晶もまた同じ・・・古の魔術師がこの腕輪に光属性の魔術を施したとされているそうです・・・・旦那様も直接お届けしたかったようですが・・・・こればかりはどうしようもないようで・・・・」
「・・・・ありがとうございます」
きっと、葛藤をなさったはずだ。私が性別を偽って会いに来ていたと、しかも名前まで偽りだったと知ったのだから。それでも腕輪を見せてくれた。それは、とても喜ぶべきことだと思う。
私はそっとその腕輪を右腕に通す。すると、じわじわと黒いどろどろとした塊が首から離れていくのを感じた。じゅう、と煙を立てながら黒いどろどろとしたものが消える。腕はまだ黒い痣を残しているものの、それ以上何も起きなかった。
すごい。これが古の魔術具の力。
もし、ウィリアム様がクロード卿をご存知でなかったら、そしてオルトゥー君に出会っていなかったら決してこの結果は生まれなかったことだろう。やはりこの世は必然によりつくられているのだろうか。そう思わずにはいられなかった。
そして、ここまで連れてきたウィリアム様には感謝の言葉しか浮かばない。クロード卿にも、この執事にも。
私はベッドの上から執事に視線を向け、頭を下げる。右腕に触れると確かに魔力を感じる。それだけ魔術師の力が強かったということだ。三百年経っても、その力が魔術具に残されていることに驚いてしまう。
執事とウィリアム様が私の様子にホッと胸を撫で下ろす。そして、執事がこちらへと一歩歩み寄る。
「・・・・・旦那様は、その腕輪をあなたに贈られるそうです・・・・」
「え・・・・・」
「・・・・友へ贈りたいと、・・・おっしゃっていました・・・」
「・・・・・・」
「私からも、ぜひお受け取りいただきたいと思っております。・・・・友の証しとして」
クロード卿の心意気に胸が痛む。あとでお礼を伝えにいきたい。きっと高価なものだ。それを贈ってくれるというクロード卿に感謝の言葉を伝えたい。そう思うが、執事が困ったように眉を下げると、顔色の悪いまま微笑む。
「・・・・旦那様へ、何かお伝えすることはございますか」
「・・・感謝の言葉を。・・・・友として、あなたの贈り物をいただけたこと、とても嬉しいと」
「・・・・・はい、確かに伝えます」
「ありがとうございます」
執事が一礼をして部屋を出ていく。きっと、私の言葉を伝えに行くのだろう。できれば一緒についていきたいが、今は執事を頼るしかない。
しん、と部屋が静かになる。ウィリアム様がこちらを眺める。だけど決してこちらに歩み寄ることはない。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・」
長い沈黙が続く。そうしていると、ウィリアム様が部屋を出ていこうと後ろを向く。
いいのか、このまま何も伝えないで。感謝も、お詫びもできないままでいいのか。それが分かっているのに言葉が出ない。ひゅ、と喉が鳴る。指先が冷たい。
何も解決していない。何が依頼解決だ。他の人の依頼は解決できても、自分のことは何一つ自分で解決できないじゃないか。
それでは今までの私と同じだ。研究室に籠り、他人を嫌って屋敷の人間としか会話をしない私と同じだ。
ウィリアム様が私を変えた。外へ連れ出してくれた。それからブライトさんやオルトゥー君と知り合って、ケイトと一緒に海を渡った。
フィーリウスさんのお茶目なところが好きだ。フォーさんとジャンティーさんの愛し合う様子は心が温まる。マークさんの娘を思う気持ちを感じると胸が痛くなる。トレゾールさんの奥様を思い、それでも一人花屋を営む姿に、私は胸を打たれた。
もう、以前の私でいたくない。その全てが、ウィリアム様から始まっているならーーーー
「っ・・・・お待ちください!」
「・・・・・・」
ベッドから立ち上がり、ウィリアム様の腕を掴む。後ろ姿しか見せないウィリアム様の腕をぎゅうと握る。それでもウィリアム様は振り返らない。前へ回り込もうとするけれど、鋭い深緑の瞳を思い出すと怖くて顔が見られないから動けない。
代わりにぎゅう、と握りしめる。目を瞑る。すると、握りしめる私の手にそっとウィリアム様が手を重ねた。
「・・・・そんなに強く握ると痛いよ」
「も、申し訳ありません・・・・」
「・・・・・・・」
ウィリアム様の言葉にバッと手を離す。
小さな沈黙をつくったのち、ウィリアム様が再び歩き出そうとする。行ってしまう。私は両手を前に出す。腰に手を回すのは躊躇われるから、きゅ、とそのシャツを握りしめる。
「・・・・ジェニファー」
「話しを、・・・・お話しをさせてください」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・私が何について怒っているのか分かるかい?」
ウィリアム様が振り返る。その顔を見ないまま、私は俯いて考える。
私が、幸いウィリアム様の存在を知られていないと言ったことに対し、強い口調で反論された。それ以前に、私がアントリューのことを話さなかったことに対しても、ウィリアム様は怒っていた。
なのでそのことについてウィリアム様に伝える。ウィリアム様はただ黙って私の言葉を待っていた。怒っているのなら、謝るのが筋だ。だけど、その謝る内容に不備があればウィリアム様は呆れて部屋を出て行ってしまう。
なんという難しい問題だ。今までにここまでの難題に出会ったことがない。本や文献には載っていない、目に見えない感情について出題されると、回答に困ってしまう。
それでも伝えないと。
私は眉を下げたままウィリアム様を見上げる。そして、不安定な回答を頭に浮かべながら口を開く。
「・・・・仲間なら、仲間を危険に晒すことはしてはいけないと・・・今もその気持ちは変わりません。アントリューは力を求めます。あなたほどの魔力を目にすれば、アントリューは必ずあなたを手に入れたいと思うはずです。・・・・アントリューは危険です、わざわざあなたの存在を教える必要はない」
「・・・・君の存在を知られているのに?」
「・・・・・・・」
「・・・君は何も分かっていないよ」
「・・・っ・・・・」
「分からないなら、今は話すのはよそう。意味がない」
そう言って、ウィリアム様が再び後ろを向いてドアへと向かってしまう。
分かっていないとウィリアム様は言う。しかし何を分かっていないというのか。仲間を大切に思うことが、なぜ間違っていると言うのか。私に仲間の意味を教えてくれたのはウィリアム様だ。それを否定するようなことをなぜウィリアム様が言うのか。
感情のことになるとまるで答えが出ない自分に腹が立つ。そして、自らアントリューに自分の存在を教えろというような表現をするウィリアム様が分からない。
ぐるぐると意味の分からない感情が脳だけでなく胸や腑で渦巻く。いつもならその感情に落ち着けと声をかけるが、溢れてくるものを見て見ぬ振りすることができない。こみ上げる。増幅する。吐き出したい。
止められない。
「・・・っあなたが死ぬかもしれないのに、どうして私がわざわざアントリューにあなたのことを教える必要があるんですか・・・・!!!」
「・・・・・・っ」
あまりにも大きな声に、ウィリアム様が足を止める。もういい、これだけ大きな声なら部屋だけでなく廊下にも屋敷にも聞こえるだろう。ウィリアム様がこの部屋から出て行ったって聞こえる。だったらもういい、押さえている必要もない。もう嫌だ、もうこれ以上このままでいたくない。この状況が終わるなら、いくらでも叫んでやる。
「あなたが死ぬなんて考えたら怖くてそんなことできません!仲間を大事に思うことの何がいけないのですか!?あなたが教えてくれたんでしょう・・・・!!」
「・・・・・ジェニファー」
「私に外へ出てたくさんの人に会うよう機会を作ったのはあなたです!世界は広く、私の知らないことも多いのだと教えたのはあなたです!そんなあなたがいなくなったらと、そんなことを考えるなどしたくありません!」
「・・・・・・・」
「これ以上混乱したくないっ・・・・目に見えないものに振り回されるのは嫌ですっ・・・・」
「・・・ジェニファー」
「どうしたらいいんですか・・・・!どうしたらいいのか私では分かりません・・・・っ」
感情が溢れ出すと、どうしてか涙が出た。別に泣きたいなど思っていない。それでも堰を切ったように涙が溢れる。それが邪魔でごしごしと目を擦れば、ワンピースにケイトが丁寧に飾ってくれた化粧がついた。
こんな姿をケイトが見たらきっと叱られるだろう。それでも、私はわなわなと両手を腰の横で握り締めながらウィリアム様を睨む。ああ、なんで睨んでいるんだ。謝るんじゃなかったのか。
「ごめんなさいっ・・・・、・・・ごめんなさい・・・・・!」
「・・・・・・」
「私では分かりません・・・・っ!」
「ジェニファー、」
「浅はかな私ではっ・・・・教えてくださらないと・・・・っ」
「・・・・・・」
「・・・・嫌いに・・・・ならないでください・・・・!」
そこまで言って、ああ私はただウィリアム様に嫌われたくなかったのだと気づく。
なんと単純な感情か。怒るウィリアム様が、自分の元から去っていくのが嫌だと、そのことしか私は考えていなかった。浅はかだ。なんて浅はかな感情だろうか。これでは恋する乙女のお嬢様たちと何ら変わらないではないか。
それが嫌で、馬鹿らしくて悔しくて涙が出る。ウィリアム様は私の大事な仲間だ。しかしこんな叱られて嫌われたくないという浅はかな感情を持っていれば、仲間として認めてもらえない。ただのお荷物だ。
謝ることよりも、嫌われたくないという感情に比重が向く。最適解を出すことよりも、ウィリアム様がまた優しく微笑んでくれることを先に考える。
「・・・・っ・・・・ぅ・・・・」
口を閉ざしても嗚咽が漏れる。ここまで泣き噦るのはいつぶりだろうか。幼い頃から人形のように生きてきたから、ここまで感情がこみ上げるなんてことはなかった。
馬鹿らしくてワンピースの裾をぎゅう、と握りしめる。目をごしごしと拭って、袖に化粧と涙が滲むのを眺めて俯く。ああ、それでも涙が止まらない。
だから、そんな私にウィリアム様が眉を下げ優しく微笑んでいることにも気づけなかった。
「ジェニファー」
「・・・・っ・・・・」
ウィリアム様が歩み寄り、そっとこちらへ腕を伸ばす。その手が私の腕を掴むより前に、私からぎゅうとシャツを握りしめる。そうするともう片方の手が私の腕に添えられた。
「ジェニファー」
「・・・っ・・・・」
「私に嫌われたくないかい」
「・・・・・・・」
こくこく、と頷く。そうすると、ウィリアム様がふっと吐息を零して私の腕を引く。そのままベッドに座らせると、ウィリアム様も隣に座った。
「どうして私が君を嫌うと思う?」
「・・・・私が、ウィリアム様のっ・・・、・・・望む言葉が分からないからです・・・」
「・・・・そうだね、君は何も分かっていないよ」
「・・・・・・・」
「私が死ぬことを君が恐れるように、私だって君が死ぬなんて考えたくもないよ」
「・・・・・・」
「なのに君は私のことばかり庇う。君でも持て余してしまうような状況を私に隠して、一人で解決しようとする。・・・・もし君が私の立場ならどう感じる?何を思う?」
「・・・・・・」
もし私ではなく、ウィリアム様がアントリューに呪いをかけられ、自分で解決するためその事実を隠していたなら。
私なら力になれる。ウィリアム様よりも魔術に詳しいと思うから、力になりたいと思う。言えない状況だったとして、その仲間の異変になぜ気づけなかったのかと悔やむ。
そして私の知識を生かさないウィリアム様に、結局私はそれまでの存在なのだと悲しむだろう。
そこまで推測して、自分がしてきたことに後悔する。もしこの推測が正しいのなら、ウィリアム様もそう思っただろうから。ウィリアム様の身の安全ばかり考えて、ウィリアム様の感情を無視した。
仲間、仲間とそればかりに捕われて、その仲間の感情を見なかった。
私とウィリアム様の言う仲間の意味にどれだけの差があるのかと先ほど考えたが、大きな差があったのだと気づく。やはりウィリアム様には敵わない。
思わず顔を手で覆って、腰を曲げて嗚咽を隠す。それでも指の間から涙がぼろぼろと溢れる。
その様子を見ていたウィリアム様が長い腕を伸ばし、私を抱き寄せる。
「ジェニファー、どう思う?」
「・・・・悲しく、お、思います」
「・・・・・・うん」
「も、申し訳ありまっ・・・・せ・・・・」
「・・・・ともに支え合おうと言っただろう?」
「・・・・・っ・・・・」
「君が私に寄りかかってくれなかったら、支えることはできないよ」
「・・・・・」
「いつだって寄りかかればいい。支えるから。抱きしめてあげるから」
そう言って、ウィリアム様が私の肩に顔を埋める。まだ顔を手で隠している私の耳にキスを落とすと、ぎゅうと強く抱きしめた。
それから大きくため息をついて、私に体重をかける。
「もう仲直りしよう」
「・・・・・・」
「したくない?」
「・・・したいです」
「うん、私もしたい」
「・・・・・ありがとうございます」
「もう隠し事はなしだよ、分かった?」
「はい・・・・・」
コクコクと頷く私にウィリアム様がクスクスと笑う。きっと今はもう優しく微笑んでいるのだろう。その顔を見ようかと顔から手を離すと、その手を掴まれる。そして手の甲にキスをされる。
そのまま私の手を上へと伸ばしたかと思えば、ウィリアム様が後ろに倒れ込んだ。そんなことをされれば、私は一緒に倒れ込んでしまう。
ぽすん、とベッドの上に倒れ込む。まさかベッドの上でウィリアム様を見上げる日が来るとは思わなかった私はあわあわと手を動かして離れようとするが、倒れ込んだ時に前髪が乱れたのか、額を露わにするウィリアム様が真下でクスクスと笑う。
「ウィ、ウィリアム様・・・・・」
「ふふ・・・・化粧が崩れたね」
「・・・・・・・」
「瞼もこんなに腫らして・・・・誰にも見せられないね」
「・・・・・・ウィリアム様しかまだ見ていません」
「うん、私が見ればそれでもういいよ」
「うっ」
腰に手を回されて、そのままウィリアム様の上に上半身が乗る。あまりにも近いウィリアム様の顔にぐにゅりと『あいつ』が現れる。目が回る。脳が混乱する。
だめだ、もう何かだめになる。そう思ってベッドに手をつくと、ちょうどその手をついたところがウィリアム様の両脇で、なんだかもっとだめになった。
思わず真っ赤な顔で固まっていると、頬に手を伸ばされる。そして極上の笑みを向けられる。その笑顔に脳のどこかで細胞の何個か破裂したような音が聞こえた。
「・・・・・ジェニー」
「・・・・・・」
「私も・・・君に隠し事があったんだ」
「え、・・・・・?」
天使なのか悪魔なのか分からないウィリアム様から離れようと腕に力を込めていると、ウィリアム様がぼそりと呟いた。
まさかウィリアム様が隠し事をしていたとは思わなかった。私はその言葉にぴたりと動きを止める。
私の様子にウィリアム様が眉を下げる。そして頬に伸ばしていた手を下ろし、腕を掴んだ。
「私が魔力を使わない理由」
「・・・・・・・」
「言っていなかったよね」
「・・・・ですが、それは何かご事情が・・・・」
「聞かない?」
「・・・・・・いいえ、聞きたいです」
支え合うとウィリアム様が言ったのだ。聞いたほうがいいに決まっている。そうすることが正しいはずだ。
私がコクンと頷く、するとウィリアム様がどこか遠くを見つめながら一度目を閉じ、それから口を開く。きっと言いたくないはずだ。それでも、私に隠し事はなしと言った手前、伝える覚悟をしてくれたのだと気づく。
もし言いたくないのなら、言わなくてもいい。今すぐ言ってもらう必要はない。
それでもウィリアム様はまっすぐに私を見上げた。
「・・・・幼い頃、母と庭で遊んでいたんだ。当時私は人より自分の魔力が多いことを誇らしく思っていた。母と庭で本を読んでいた時、その本に珍しい火属性の魔術が載っていたから母に見せたいと思って、特に魔術の効果を確認することもなく、母を喜ばせたいと大量の魔力を使った」
「・・・・・・」
「結果、母の顔の・・・・右半分を焼いてしまったんだ」
「・・・・・・・」
きっと、これだけお美しいウィリアム様のお母様だ、その姿はとても美しかったのだろう。子どもにとって母は最愛の人。その母の顔を誤って焼いてしまったのなら、当時の幼いウィリアム様は絶望を味わったに違いない。
当時のことを思い出しているのか、ウィリアム様が眉を顰める。そして私の腕を引き抱きしめる。
「母はそれ以降、笑うことがなくなった。私の前に顔を見せることもなくなり、いつしか心を病んで実家に戻ってしまった」
「・・・・・・」
「父や兄はそのことを悲しんだ。私も悔やんだ。どうしてあんなことをしてしまったのだろうと。・・・父が会いに来ることはいいようで、そのうち妹たちが生まれた。でも、妹も母の顔を見たことがないんだ。すぐに父に引き取られた」
「・・・・・・」
「だから魔術について学び、母の顔を元に戻す方法を調べた」
「(・・・・だからウィリアム様は魔術に詳しいのか・・・・)」
「それでも答えが出なくて・・・・だから、答えが見つかるまではもう誰の前でも魔力は使わないと決めたんだ」
「・・・・・」
「そうすれば、もう誰も傷つけることはない。私も、『あの日』を思い出すこともない」
以前、フォーさんの家で門番の意識を取り戻すために雷属性の魔術をウィリアム様が施した。その時、ウィリアム様はどこか覚悟を決めたように『あの日のままではいられない』と言った。
あの日とは、お母様との出来事を指していたのか。
これだけお優しい方だ。私と出会い、私を『例外』として認める時も、きっとたくさんの葛藤をされたことだろう。それでもお優しいウィリアム様は私のお願いにいつも応えてくれた。
魔力を使うたびに、お母様のお顔を思い出しながら。
「ウィリアム様・・・・・」
「でも、もう私には君がいるから。私も君に出会って変わったんだ。変わりたいと思った」
「・・・・・今後は、無理に使わないでください。私も無理なお願いはしないので」
「いいんだよ、君は『例外』なんだから」
「・・・・ですが・・・・」
「君がいれば何も問題ない。だから決して離れるんじゃないよ」
「・・・・・・」
ぎゅう、とウィリアム様が抱きしめる。その腕の強さに、私は何も言うことができない。
もし私がウィリアム様から離れるようなことがあれば、またウィリアム様は『あの日』に捕われてしまうのだろうか。変わりたいとおっしゃるウィリアム様を、『あの日』が連れ戻そうとするのだろうか。
私にできないことがあればウィリアム様が補う、その逆にウィリアム様ができないなら、私が補う。
そうやって、支え合うことでウィリアム様が『あの日』から解放されるならーーーーー
「はい・・・・分かりました」
「・・・・・・いいの?」
「え・・・・・?」
「だって、君は・・・・・」
君は婚約したくないんじゃないの。と続けようとしたのだろうか。
そう言われると、私は言葉に詰まる。婚約をしたくないのではなく、私には恋愛感情がないのだから婚約をしてもウィリアム様が望むような未来は描けないだけだ。政略結婚でもされたら、それでもいいけど父や母もウィリアム様もそれはなんとなく望んでいないと思う。
それには応えられないと思う。少なくともウィリアム様を『仲間』だと思っているうちは。
「(思っているうちは・・・・・?)」
待て待て待て、なんだ今の心の声は。どういうことだ。思っているうちということは、そう思わなくなったら私は恋する乙女に変わるのか。
いやいや、ないない。それはない。
ははは、と心の中だけで乾いた笑いを浮かべる。急に遠い目を浮かべた私に、何か思うところがあるらしいウィリアム様が腕に力を入れてそのまま私を横に並べる。
「わっ」
ぽすん、とベッドに寝そべる。そうすると、ウィリアム様がこちらへと体を向ける。な、なんだこの状況は。どうしてウィリアム様と一緒にベッドに寝そべっているのだろうか。
あわあわと立ち上がろうとするが、その前にウィリアム様がクスクスと笑いながら私の頬に手を伸ばす。そしてもう片方の手を、私の頭の下に入れた。こ、これは腕枕か。
「まだ言っていないことがあるよ」
「(まだあったのか・・・・)」
「君を喜ばせたくて、今年のスプリングフェスタには魔術を使うイベントを増やした」
「・・・・・・」
「魔術師も私が呼んだんだ。見せられなかったのが悔しいけど、まだ滞在しているはずだから特別に会いに行こう」
「・・・・・あ、・・・」
「うん?」
「・・・・ありがとうございます・・・・」
オルトゥー君の言う通りだった。思わず顔を手で隠してぷるぷると震える。そうするとウィリアム様がケラケラと笑いながらベッドの上で動いて私に近づく。ああ、ベッドの上で抱きしめられているところなどケイトに見られようものなら確実に屋敷中に報告される。絶対に、絶対に知られたくない。
「ジェニファーは何か言ってないこと、まだないかい」
「・・・・・・・・」
「・・・・あるの?」
急に黙り込んだウィリアム様がじとっとした目を向ける。まだないのかと聞かれたから何かあるかと探しただけなのに、「まだあるんだ」と睨まれる。どうしてだ。
おろおろと手をばたつかせて考える。その時袖が捲れて右腕の黒い痣が見える。
それに気付き、私はぴたりと動きを止めると、こちらを睨むウィリアム様を恐々と見た。
「・・・・・あります」
「・・・・あるのか」
「・・・・はい」
「・・・・何、言って」
「・・・・この痣ですが・・・・」
「は・・・・まだ何か隠してたの・・・・・」
「ゔ・・・・こ、これは呪いではないので・・・言う必要はないかと・・・・」
「・・・・・言って」
ふに、と頬を抓られる。私はどぎまぎしながら、そしてできるだけ視線を逸らしながらぼそっと呟く。その様子にウィリアム様が仄暗い瞳をこちらに向けた。うう、その目が怖い。
「・・・・エギーユちゃんの件で、バーバラさんとエリザベッタさんに会いましたよね」
「うん」
「船で別荘へと向かう途中・・・・その、」
「・・・・ジェニファー」
「・・・・ウィリアム様から離れろと、エリザベッタさんに言われまして・・・・」
「・・・・・・」
「その時、腕を強く掴まれたんです。あと、豚足を使って魔力の集め方を伝えたあとも・・・・」
「・・・・・・・・」
「この黒い痣は、その時できたものです。その後アントリューがこの痣に気付き、呪いを加えたんです」
「・・・・どうしてあの場で言わなかったんだ」
「自分で解決できるかなと・・・・・それに、」
そこまで言って、言いたくないと口を閉ざす。
なんとなく、伝えないほうがいいと思うのだ。まるで、その言葉はケイトたちが大好物とするようなものに感じるから。だけどウィリアム様は口を閉ざす私の頬をさらに抓ると、ぐいっと顔を寄せた。
「それに?」
「・・・・・・・」
「ジェニファー」
「・・・・まるで、虐められたことを報告するような気がしたので嫌だったんです。エリザベッタさんはウィリアム様をお好きなようでしたし、報告したことを知れば、また虐められるかなと。あと、あれ以上ウィリアム様が・・・・エリザベッタさんに近づくのも嫌でしたし・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・ケイトの言葉を借りれば、べたべたと触れていましたし、私だってウィリアム様と、その、お喋りをしたかったので。ウィリアム様は魔術に詳しいので・・・楽しいから・・・それに『花の守人』を探しに行きたかったし、痣の話はまたあとでいいかなと・・・・」
「ジェニファー・・・・」
「つ、つまり、そういうことです。これ以上隠し事はありません」
なんだか照れ臭くなってバッと起き上がり、ベッドから出ようとする。しかしその手をウィリアム様が掴み、そのままベッドに連れ戻される。真上にウィリアム様の顔が見える。顔の両脇に腕が伸びている。あれ、なぜこのような状況に。
ウィリアム様の美しいお顔に影が落ちる。掴まれていた手が、そのままウィリアム様の胸元へと寄せられる。秒針が動くものよりも少し早い鼓動が掌に伝わる。
ウィリアム様の眠たげな瞼の下に転がる宝石のような深緑の瞳が、ねっとりと私を見下ろす。その熱を帯びた瞳に動けなくなる。
「触れたらいい。君ならいくらでも触れていいよ」
「・・・・・・・」
「話しもする。どこにでも連れて行ってあげる。いくらでも案内するよ」
「・・・・ウィ、ウィリアム様・・・・」
「・・・もう私のものにならないかい?いい加減」
「・・・・・・・」
「これ以上お預けを食らうのは、・・・・待ちきれないよ」
そう言って、ウィリアム様が私の首に顔を埋める。小さな痛みがしたような気がして片目を瞑れば、その瞼にキスが落ちる。両手を頭の横で押さえられ、いつの間にか若紫色になった瞳が寄せられる。その神聖な儀式のようなものに声が出ない。瞼に再び落とされたキスに魔力が込められる。
薄く唇を開いたウィリアム様がその片方の口角をあげる。まさに今ウィリアム様の本気を目にしているような気がする。垣間見るのではない、本領を発揮していると思われる。
あまりにも美しく、婀娜やかな表情にもしケイトがこの場にいたら卒倒していると他所で思う。人形のような私でさえ、顔を真っ赤にしたまま固まるほどだ。
そんな艶やかな瞳を向けるウィリアム様が、吐息を零しながら私の耳に唇を寄せる。柔らかい声と共に吐息がかかってくすぐったい。ずくん、と下腹部が重くなった気がした。
「・・・・ああ、まだ隠し事があった。あの時ちゃんと言ってなかったね」
「(ま、待って待って待って・・・・・)」
「君は謎解きが好きだから、目の色を変えた意味に気づくと思ったんだけど・・・・・」
「・・・・・・・」
「あれ、どういう意味かちゃんと気づいた?」
「・・・・・・」
「・・・・ジェニー、言って?」
この状況で言えと言うのか。な、なんて殺生な。真っ赤な顔でウィリアム様を見上げる。その表情にウィリアム様がうっとりと生温かい瞳を向ける。ああ、だめだ『あいつ』がとんでもなく暴れている。
何も言わない私にウィリアム様がクスリと笑って再び耳に唇を寄せる。だめだ、耳が死ぬ。
「ほら、」
「・・・・・たっ、対等だと、言ってくれたのかと思って、ま、ました」
「・・・・ふふ、それもあるけど・・・・」
「・・・・・・・」
「本当は、・・・・君は私のもの、私も君のものって意味だよ」
「なっ・・・・・」
そこまで言って、ウィリアム様が私の唇に指を這わす。そしてぐっと指を唇の間に入れると私の舌に触れる。その行為に私は目を見張る。ニヒルに微笑むウィリアム様の顔が寄せられる。あんぐりと開いた私の唇に唇が触れる。ぬるり、と熱いものが入り込む。口そのものを食らうように左右に動くウィリアム様の唇がまるで別の生き物のようだ。
今まで体験したことのない行為に目を閉じることもなくウィリアム様を凝視してしまう。ウィリアム様もこちらを見ていて、お互いに交換した深緑と若紫の瞳がかち合う。
水音が耳に届く。それが恥ずかしくて足をもぞもぞ動かすと、私の両足を跨いでウィリアム様が馬乗りになる。腰に手が添えられる。ワンピースにつけられたリボンが解される。
だめだ、息ができなくて窒息死する。何も考えられなくなって、だけどぐにゅりと『あいつ』が嬉しそうに私の腑の中をぐるぐる這いずり回る。
ぼんやりと意識がぼやけてくる。私の舌がひゅ、と吸われたところで、ぴく、と体が身動ぐ。膝にウィリアム様の手が触れる。その手がするすると上へと伸びていく。
ーーーーも、もうだめ。
そう、死を覚悟した時だ。
コンコン、と客室のドアがノックされる。その音にウィリアム様が一瞬だけ反応し、しかし私を見下ろすと再び顔を寄せようとする。
コンコン、ともう一度ノックされる。二度目のノックに、ウィリアム様が眉を顰めながら顔を上げる。そしてベッドから立ち上がると、乱れた髪を整えながらドアを薄く開いた。
「・・・・・ウィリアム様、お部屋に入っても?」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・どうぞ」
「・・・・ありがとうございます・・・・・」
大きくドアが開かれ、執事が入ってくる。僥倖。私にとっては僥倖だ。
執事がベッドに真っ赤な顔で寝そべる私へと視線を向ける。そして何か気づいたのか、一度ウィリアム様へと振り返ると一礼をした。
「・・・これはこれは・・・・お楽しみ中でしたか・・・・」
「(ちょ、直球すぎる・・・・・!)」
「・・・・・旦那様が、その腕輪についてお伝えしたいことがあると・・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・ご案内差し上げたいのですが・・・・あとの方がよろしいですか・・・」
「いいいいいえ!今、今で構いません!」
「・・・・そうですか・・・・・では、ご案内いたします」
バッとベッドから立ち上がり、執事のあとに続く。ウィリアム様は何か言いたげに執事を見ていたけれど、小さくため息をつくと私の背に手を添えた。
正直今はウィリアム様に近づくどころか目にも入れられない状況なので逃げ出したいが、何やら後ろで手を動かしている。なんだろうか、と振り返って、そして振り返ったことを後悔した。
「お人形さん、リボン解けてる」
「(ひぃぃぃぃ・・・・・・!)」
「はい。どう?」
「だ、だ、大丈夫です」
「・・・・ふふ、また解けないようにしないとね」
「・・・っ・・・・」
「ははは」
ケラケラと笑いながらウィリアム様が執事と一緒に廊下を歩く。
私はぷるぷると震えながら、綺麗に結ばれたリボンに触れる。や、やっぱりウィリアム様は天使なんかじゃない。悪魔だ。天使の皮を被った悪魔だ。
思わずその場で佇んでいれば、それに気づいたウィリアム様が振り返る。
「ほら、お人形さん」
長い腕がこちらへと伸ばされ、おいでと言われる。
どうしようか、なんだかその手が怖い。
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