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お嬢様の脳裏




馬車の揺れで目を覚ます。とても急いでいるようで、小石に乗り上げるたびに馬車ががた、がたと揺れる。


それでも私の体は床に落ちることはない。ウィリアム様が私の肩を抱き、膝の上に乗せて楽な姿勢を取らせてくれている。


そのお顔を真横からぼんやりと眺める。怒らせてしまった。その事実から声を出す気にもなれなかった。



「・・・・・・」



とても怒っていた。眉を顰め、鋭い視線を向けながら強い口調で言い放った言葉。あの眠たげな瞼がゆっくりと下げられ、柔らかく微笑まれる姿がどうしようもなく安心させてくれる。何をしても問題ないと、何かあってもどうにかなると言ってくれる。


その表情を、壊してしまった。


どうしてこんなに胸が空くのだろうか。冷たい風が心臓にずっと吹きつけているような感覚だ。指先にまで血液が回らず、擦っても擦っても温まらない真冬のような。



「(何か・・・・間違っていたのだろうか)」



ウィリアム様は『仲間』だから。仲間は仲間を思いやり、たとえ危険な状況に陥っても見捨てることはない。だからウィリアム様を危険に晒したくないと思った。私が危険な状況になんてさせない。これ以上アントリューの思い通りにはさせない。


なのにそれを、ウィリアム様は望んでいないようだ。


何が違うのだろうか、ウィリアム様と私の中で、仲間に対し抱えている感情にどのような差があるのだろうか。目に見えない、数値化もできない『仲間』の解釈が、私とウィリアム様ではどう違うのか。


分からない。分からないからウィリアム様に何を伝えればいいのかも分からない。謝ってもウィリアム様はそれを望まない。きっと最適解ではないのだ。でも答えはあるのか。本当に、ウィリアム様の望む言葉を私は伝えることができるのか。



「・・・・・・」


「ジェニファー・・・・っ」



ぼんやりとウィリアム様を見ていると、こちらへと視線を向け私が目を覚ましたことに気づいた途端眉を下げて頬に手を添えた。そのまま額にキスをされる。怒っているのに、どうしてウィリアム様はそのようなことをするのだろうか。嫌われたのではないのか、愛想を尽かされたのではないのか。


ウィリアム様が「もういいよ」と言ってトレゾールさんのお店を出ていった時、どうしようもなく不安になった。


もう戻って来ないのだと思った。腕を掴んでも、振り払われて話も聞いてくれないのだと思った。そう考えたら、爪を立てようが気にも止めず、強く握り締めた。失うのが怖くなった。私を屋敷の外へ、広い世界へ手を差し出してくれたウィリアム様がどこか遠くに行ってしまうと思うと怖くて仕方なかった。


もう、以前の私に戻れるとは思えないから。


我が儘だと思うだろう。身勝手だと思うだろう。だけど、仲間を得た私はそれを捨てたいとは思わない。父や母、ケイトやジョージさんへの感情も今までとは違うのだ。私の身の回りにある全てを、その色彩を鮮やかにしてくれる存在を失いたくない。



「・・・・ウィリアム様」


「・・・・・・」


「私は・・・・・」



そこまで伝えて、まだ何も解決していないことに気づく。ウィリアム様に詫びたところで、それは最適解ではないのだ。まだ答えは出ていない。だったら、無闇に言い訳をするのも違う。


私は話を誤魔化すように窓の外へと視線を向ける。どこだろうか、遠くに連なる山が見える。だけどこの景色を私は知っている。


ウィリアム様へと視線を戻す。頬に手を添えたまま、じっと私を見つめる深緑の瞳はいつもより輝きを失っている。痛む胸を押さえながら俯く。罪悪感しか生まれない。



「・・・・今、どちらに向かって・・・・」


「グロート卿の屋敷だよ」


「・・・・グロート卿」


「ああ。呪いを解除するなら呪術師だろうけど、アントリューに施されたのならおそらく解除は難しいだろう。多分やおそらくなど曖昧なものではなく、確実に解除できるものをグロート卿は持っているはず。・・・以前、私の屋敷にグロート卿の魔術具が届けられただろう。覚えてるかい?」


「・・・・・晩餐会の・・・・」



オルトゥー君のお母様であるロレーヌ様との血縁関係を調べるため、『魔力の底しらべ』という魔術具を借りる際、グロート卿に嘘をついてお借りした時のことだろう。


私がぼそりと呟くと、ウィリアム様が眉を下げながら頷く。冷たい私の指先にキスを落とすと、肩を抱く手にぐっと力を入れて引き寄せた。



「ああ。その品々の中に、呪術に関する道具があった。きっとグロート卿なら協力をしてくれる」


「・・・・ですが、グロート卿は女性恐怖症では・・・・」



グロート卿は極度の女性恐怖症だ。その原因はお母様による厳しい躾で、女性恐怖症だけでなく吃音も患っている。そんなグロート卿に、ワンピースなど着込んで会いに行けば門前払いをされてしまいそうなものだ。


それでもウィリアム様はじっと私を見つめ、前髪を掻き上げながら額を寄せる。



「魔術具とその使用方法さえ教えてもらえればいい。あとは私がやる」


「・・・・・・」


「必ず助ける。絶対に」


「・・・・・・」


「私がついてる」



路地裏で見せたウィリアム様の別の顔。一人称を崩してまで取り乱していた姿は、今はもうない。いつものように優しい瞳を向けてくれることに、どうしたらいいのか分からない。



「一度馬に乗り換えるよ」


「・・・・・」



馬車が止まり、馭者が焦ったようにドアを開く。私を横抱きにしてウィリアム様が降りると、すぐにグロート卿の屋敷がある山の手前の街へと向かう。


男に金を払い、一頭の馬を借りるとそのまま走り抜ける。そうするとすぐにグロート卿の屋敷が見えてくる。急な坂を上る馬が大きく息を履きながら全速力で駆け上がっていく。


屋敷の前にある大きな門を許可も取らず抜けると、そのエントランスまで馬を走らせる。蹄の音に気づいたのか、慌てた様子で顔色の悪い執事がドアから顔を出した。



「こ、これはウィリアム様・・・・・!」


「無礼を承知で申し上げる。グロート卿にお会いしたい、今すぐだ」


「な、何が・・・・、そのお嬢様は?」


「グロート卿を呼んでくれ、頼む」


「・・・・・少々お待ちください」



ウィリアム様の言葉に何かを感じた執事がすぐにバタバタと足音を立てながら屋敷に消える。ウィリアム様は鍵が開いているドアを肩で開くと、そのままエントランスのソファに私を横たわらせた。


頭を撫でる手はとても優しい。私はその手つきに、何も返せずただ目を閉じた。



「ウィ、ウィリアム様・・・きゅ、きゅ急にどうして・・・・」



そこに執事に背中を押されながらグロート卿が現れる。今日も白衣を着込んだグロート卿は、顔色の悪い顔でウィリアム様へと近づく。そしてソファに私が横たわっているのを確認すると、分かりやすく肩を上げ執事の後ろに隠れた。


そんなグロート卿にウィリアム様がつかつかと歩み寄る。そして男性にしては細すぎる腕を掴み、ぐっと身を乗り出した。



「彼女はジェニファー。ある者に呪いをかけられた。あなたの魔術具に、呪いを解除するものがあったと私は記憶しています。どうかその道具を私に貸していただきたい」


「ま、ままま待ってください、どっどうして女性がここに、あああああの方はどなたなんです」


「私の大事なお嬢様です」


「・・・・・・」



そう、さも当然と言うようにウィリアム様が言う。いつもなら、横たわっていようが何をしていようが驚いて慌て出すが、今日に限っては眉を顰める。あれだけ怒ったウィリアム様なのに、どうしてそのようなことを言うのか分からない。


グロート卿がウィリアム様の言葉に絶句する。嫌だ嫌だと首を横に振って執事の後ろに隠れる。


女性恐怖症は、トレゾールさんのように心の病が原因だ。無理にそれを克服させるようなことは、決してしてはいけない。むしろ悪化させる。それを分かった上でウィリアム様はお願いをしているのだ。でも、グロート卿からしたら、悪夢でしかない。



「(・・・ウィリアム様が言うように、グロート卿の魔術具なら解除できるかもしれない)」



アントリューが簡単な呪いをかけるとは思えない。現に、アントリューの呪いには治癒魔術が効かなかった。呪術師だって万能ではない。特に呪いというものは、魔術に分類されてはいるものの、人の感情との関連性が強い。


生まれた時から感情を持つ人間に深く関係するものを、そう簡単に解除はできない。


しかし、昔から呪いを研究する者も多くいた。その研究の過程で生まれたものが魔術具だ。解除はできないにしても、和らげる道具がこの世にあってもおかしくはない。



「・・・・・・・」



私は首元に巻かれたヒソップの花をしっかりと押さえながら起き上がる。そして、ケイトが綺麗にセットしてくれた髪からピンやヘアゴムを全て外すと、その髪を片手でぐっと握る。


ふらつく足でソファから立ち上がり、グロート卿へと向かう。だけどこのまま顔を合わせればグロート卿は逃げ出してしまうだろう。


私は一度、グロート卿ではなく、太陽の光を遮るように広げられたカーテンへと足を向け直す。そしてそのカーテンで体を包むと、すっぽりと頭以外隠してしまう。



「・・・・グロート卿・・・・いえ、ヘルマン殿」


「え・・・・・・」


「ヘルマン殿、私を覚えていらっしゃいますか」



一種の賭けだ。


私は片手で握った髪をしっかりと掴んだまま、にこりと微笑む。あの時はウィリアム様とブライトさんの血によって顔も多少変わっていたが、声までは変わらない。きっと、こうすればグロート卿なら気づいてくれるはず。


私の様子にウィリアム様が眉を顰める。きっと、時間が惜しいと思っているのだろう。それでもグロート卿のことを思えば、こうする方がいい。こちらが無理に屋敷へとやってきたのだ。ちゃんと説明した方がいい。



「オ、オルトゥー殿・・・・・」


「はい、オルトゥーです。覚えていてくださったんですね」


「もっ、も、もちろんです。ああああなたのことを忘れるわけなど」


「ありがとうございます、ヘルマン殿」



カーテンに隠れたまま、少し遠くからクロード卿に微笑みかける。クロード卿が嬉しそうに顔色の悪い顔で少しだけ笑ってくれる。だけど、すでに私がお嬢様であることを知っているクロード卿は、すぐに眉を下げると唇を震わせながら私をじっと見つめる。



「オ、オルトゥー殿・・・・これは、」


「ヘルマン殿、・・・・私は、実は女だったんです」


「え・・・・・・」


「騙すような真似をしてしまい、申し訳ありません」


「・・・・・・」


「・・・・・」



ショックを受けたように、クロード卿がその場に崩れる。執事の足にしがみつきながら、今にも泣きそうな顔で私を見る。


その姿を見て、やはりこのまま嘘をついてもいい人ではないと思った。


クロード卿はとてもお優しい方だ。そして、数少ない魔術具仲間である私を、大事に思ってくれていた。そんな人を、ずっと騙していいわけがない。


一度ウィリアム様へと視線を向ける。ウィリアム様も私が何をしたいのか気づいてくれたのか、コクンと頷いた。



「・・・・ヘルマン殿」


「・・・・・・」


「私は女です。ですが、あなたと同じく魔術具を愛していることには変わりはありません。・・・・あの魔術具、以前はなかったはずです。また新しく仕入れたんですか?」


「あ、ああああれは・・・・」


「初めて見るものです。あれは何という魔術具なのですか?」



ちょうどクロード卿の後ろに置かれていたドレッサーのようなものを指差す。焦げ茶色の木で作れられているのか、壁に備え付けられたそれは、じんわりとここまで魔力の揺れを届けた。


にこり、と微笑んだままクロード卿を見る。すると、クロード卿はわなわなと唇を震わせながら、それでもそのドレッサーのようなものを見ながらか細い声で呟いた。



「・・・・・さ、『三面鏡』と呼ばれる、とと東洋の鏡です」


「三面鏡・・・・東洋のものですか」


「は、はい。ああああれの前に座って鏡を覗くと、もももう一人の自分が未来を教えてくれるとされています」


「それは、とても素晴らしい魔術具ですね。いつの年代のものなのですか?」


「い、いい今から百年前くらいのものだと聞いています」


「なるほど。やはり、あなたは古いものの素晴らしさを知る数少ない方だ」


「・・・・・・オ、オルトゥー殿」


「私が女でも、男でも、あなたほどの魔術具仲間が傍にいることはとても素敵な縁だと思います」


「・・・・・・」


「どうか、・・・・どう、か・・・・私を拒絶しな、い・・・・」


「ジェニファー!」



首に食い込む黒いどろどろとしたものが、急に強さを増す。首元を見てみれば、ヒソップの花が取れかかっていた。慌てて髪を掴む手を外し、その場に座り込んでゆっくりと息を吸う。


ウィリアム様が駆け寄り、私の体を抱きしめる。そしてグレーの上着を脱ぐと、それを私に被せた。それから横抱きにすると、怯えるクロード卿へと歩み寄る。上着で多少ワンピースが隠れているものの、やはり裾のひらひらとしたフリルは見えてしまう。


ぐっと口元を押さえながら、クロード卿が今にも倒れそうなほど顔を青白くさせて私へと視線を向ける。私は苦し紛れではあるが、にこりと笑う。そうすると、クロード卿が口元に添えていた手をぐっと握ったのが見えた。



「こ、ここここちらに・・・・へっへ、部屋で休ませてあげてください。ししし執事が部屋まで案内します。ウィ、ウィリアム様は私と一緒に」


「分かりました」


「ウィリアム様、・・・お嬢様を」


「ああ」



ウィリアム様が顔色の悪い執事へと私を渡す。執事に横抱きをされると、久しぶりに屋敷へ女性がいるということが不思議なのか、なんともいえない表情を向けられた。


クロード卿とともに、ウィリアム様が廊下の先へと姿を消す。それを見てから、執事はゆっくりと歩き始めると、すぐに客室だと思われる部屋に入る。その部屋の奥には、ずっと使われていなかったのか、白いシーツが被せられたベッドがあった。


一度私を椅子に座らせると、執事がシーツを取り、締め切ったままのカーテンを開く。そして新鮮な空気を入れると再び私を抱き抱え、ベッドに寝かせた。



「・・・・・お嬢様、この花はヒソップでよろしいですか・・・・」


「はい・・・・・」


「・・・・私もあの主人の執事です。ある程度魔術や道具には詳しいです。・・・・屋敷にヒソップの花がないか確認してまいりますので、・・・・一度席を離れますがよろしいですか」


「はい。・・・・ありがとうございます」


「いいえ・・・・ウィリアム様を思えば・・・・あなたを死なせるわけにはいきません・・・・」


「・・・・・・」



執事が私に一礼をして、部屋を出ていく。突然誰もいない部屋に一人残され、不安が押し寄せる。今も首元では黒いどろどろとしたものが動いている。今はヒソップの花と、ウィリアム様の魔力によって呪いの効果が薄れてはいるものの、少し花を外すとすぐに襲いかかってくる。


やはりあの女、アントリューは、正気ではない。


私が引き起こした出来事を、私以外の人が対応しようとしている。きっとこの状況をアントリューはほくそ笑みながら喜んでいることだろう。そう仕向けたのだ。私の『後ろ盾』を暴露させるために。



「・・・・・・」



申し訳ない。不甲斐ない自分が嫌になる。これでは悲劇のヒロインだ。だから自分でなんとかしたいのに、何もできない。


私は、浅はかだ。


ウィリアム様の望む言葉も伝えられず、こうしてベッドに横たわることしかできない。クロード卿だって、きっとショックを受けただろうし。どうしてこうも私は誰かに迷惑をかけてしまうのか。



「もっと私が・・・・強かったら・・・・」



強くなりたい。ウィリアム様のように誰かを支えられるだけの力がほしい。


そう思って、ケイトに言われた『まるで小さいウィリアム様のようだ』という言葉を思い出す。


それでもいい、強くなれるなら。私は眉を顰めながら目を閉じる。その瞼の裏には鋭い深緑の瞳をこちらに向けるウィリアム様が映って、目を瞑るのではなかったなと後悔した。



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