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お嬢様と宝石箱




オレンジ色の夕陽が商店街の家々へと降り注ぐ。その様子を、ぼんやりとブライトさんのお店『ブランシュ・ネージュ』の工房近くに置かれたテーブルで頬杖をついて眺める。こんな姿をケイトが見たら「はしたない」と言いそうなものだが、特にやることもないので仕方ない。


そろそろ医者のフィーリウスさんがやって来る頃だろうか。これから花屋を営むトレゾールさんに会いに向かうが、それまでは皆自由時間ということで、ブライトさんとオルトゥー君は工房で作業をし、ウィリアム様は隣で専用の椅子に腰掛け本を読んでいる。



「・・・・・・・」



何をしても様になる人だ。ただ本を読んでいるだけだというのに、その横顔はまるで有名画家がじっくり時間をかけて描いた芸術品のようである。眠たげな瞼の下に伸びる長い睫毛がその頬に影を落とす。ページを捲る長い指も、誰かに手入れでもされているのか皺一つない。


ただ、やることがないだけだ。だから眺めているだけだ。特に、そこに他意はない。


ウィリアム様の組んだ足先がゆったりと揺れる。その揺れは、掛け時計の秒針よりはゆっくりと、しかし規則正しく続く。機嫌がいいのだろうか、なんとなくそう思った。


公爵家のご子息が、工房の横に申し訳程度に設けられた休憩スペースでくつろいでいる。本来なら、大きなお屋敷の自室か談話室で見せる美しいお姿だと思うが、この方はそれを嫌っているのか、それともただおもしろみを感じないのか、こうやって領民の店でくつろぐ。



「・・・・・・」


「・・・・ん・・・・?」



あまりこうやって、じっくりとウィリアム様を眺めることもなかったように思う。いつもウィリアム様にからかわれて、いつの間にか研究室や屋敷から手を引かれて飛び出してしまうから。


ぼんやりと頬杖をついていると、あまりにもじっと見つめていたからウィリアム様が横顔だけで微笑みながら視線を向ける。本をぱたん、と閉じ私へと長い腕を伸ばす。それから私の頬に手を添えて、親指の腹で瞼の上を撫でた。



「どうした?」


「・・・・い、いえ・・・」



本当に特に理由もなく眺めていたので、何と返事をすればいいのか分からない。片目を閉じ、ウィリアム様の手に触れるとそっと外そうと試みる。だけどウィリアム様はその仕草を止めるつもりはないのか、一頻り瞼に触れたあと、するりとその手を下へとずらし、人差し指と親指の間に顎をおさめる、ゆっくりと持ち上げた。


優しい深緑の瞳がこちらをじっと見る。それだけでぐにゅりと『あいつ』が現れるから、理由もなく見つめるんじゃなかったなと後悔する。



「待ちくたびれたのかな」


「・・・・・」


「はは、何も言わないからそうなんだろうね、・・・・待っていて」



そう言いながら、ウィリアム様が身を乗り出す。そのまま立ち上がると、私の頭をぽんぽんと二度撫でてからブライトさんへと声をかけた。


これではまるで新しい玩具がほしくて駄駄を捏ねる子どものようだ。それとも待てができない犬だろうか。


ウィリアム様は私より二つ年上だ。たった二年、されど二年とでもいうのか。立ち振る舞いも言葉も大人なウィリアム様と幼稚な私とでは、その差は大きいものだとなんとなく思う。


これから声を失ったトレゾールさんに会いに行くのに、なんとのんきなものか。私は自分を戒めるとブライトさんに「先に店に行っている」と告げているウィリアム様へと歩み寄る。大丈夫だ、私は待てができる犬だ。いや、そういうことではないか。


ともかく、フィーリウスさんが来てからでも問題ないからと伝えようとするが、すでにウィリアム様とブライトさんの間で話は済んだらしく、ウィリアム様が私の手を引いて店を出た。



「ウィリアム様、すみません待てもできない犬で」


「犬?」


「あ、いえ、こちらの話です」


「はは、犬じゃなくて兎の間違いだろう?」



私の頭の上にあるグレー色の耳のようなヘアセットに触れながら、ウィリアム様が優しく微笑む。それから自分の腕に私の手を絡めると、そのままゆっくりと商店街を右へ進む。


少し先にトレゾールさんのお店『輝く海底(ソットマリーノ)』が見えてくる。すると、その店先に店じまいをするためか花が入れられた木桶を運ぶトレゾールさんの姿が見えた。


私とウィリアム様がトレゾールさんへと歩み寄る。すると皺くちゃな瞼から小さな目をこちらへ向ける。ワンピースの裾を掴み、膝を曲げて会釈をする。そうするとトレゾールさんが手をフイ、と振った。ぶっきらぼうなトレゾールさんにしては、少し反応を見せてくれたことに嬉しく思う。



「ごきげんよう、トレゾールさん。少しこれからお話ししてもよろしいでしょうか?」



こくん、とトレゾールさんが頷く。しかしまだ仕事が残っているようで、今すぐ話しをするつもりはないようだ。花屋の店先には、まだ花の入った木桶はいくつかある。私はそれを見ると、カバンを店の前へ置かせてもらい、同じように桶を掴む。


非常にこちらの身勝手な思いではあるが、できればすぐにでもトレゾールさんに私の意見を伝えたい。もちろんフィーリウスさんが来てから趣旨は伝えようと思っているものの、今もこうやって一人で仕事をしているトレゾールさんを見ていると、何かしたいという気持ちが溢れてくる。


なんだろう、トレゾールさんを見ているとどうしても執事長のジョージさんが重なるのだ。


よいしょ、と声をかけてから桶を手に持つ。そしてお店へと失礼し、他の桶の横にそれを並べる。ウィリアム様も手伝ってくれるのか、両手に桶を持って店内へと入っていく。その様子をぼんやりとトレゾールさんは見た後、何も言わずに作業に戻った。


そうしているとすぐに作業は終わる。あとからブライトさんたちが来るということを伝え、店の鍵は閉めないままトレゾールさんが鰻の寝床のような店の奥へと姿を消す。それから、手にお茶の入ったティーカップをトレーに乗せて持ってきてくれた。やはりとてもお優しい方だ。



「こちらから押かけたのに、お茶までいただいてしまい申し訳ありません」


「・・・・・・」


「もうすぐ、お医者様も一緒にいらっしゃいますので、それまでお話でもしませんか?」


「・・・・・」



声が出ない人に、話でもしようと言うのは意地悪かもしれない。今日はそのために屋敷からメモ帳とペンを持ってきていたので、それをトレゾールさんに手渡す。皺くちゃな手でそれを受け取ると、トレゾールさんはテーブルにメモ帳を置いてさらさらとペンを走らせた。



『医者が来ても金は払えんよ』



そう、書かれていた。まさかトレゾールさんから治療費をいただくつもりなど全くない。私はぶんぶんと首を振ると、トレゾールさんが不安にならないように笑いかけた。



「いいえ、お医者様は仕事が終わった後にこちらへいらっしゃるので、トレゾールさんの診療をするわけではありません。なので、お金をいただくつもりはありません。そのお医者様はフィーリウス様という方なのですが、とてもお優しい方です。あなたからお金を取るような方ではありませんので、ご安心を」


「・・・・・・」


「もし払えなどと話になったら、その時は私が払います。フィーリウス様を呼んだのは私ですから」


「・・・・・」



そこまで言うと、安心してくれたようでトレゾールさんがペンをテーブルに置いた。そしてティーカップを持ち上げ、紅茶を口に含んだ。



「いやぁお待たせしてしまいました」



と、そこにフィーリウスさんの声が店内に響く。噂をすれば、といった具合か。後ろを振り返ると、フィーリウスさんが額に汗を滲ませながらこちらへと歩み寄る。その後ろにはブライトさんと、ハンチング帽を被ったオルトゥー君の姿があった。


私はひとまず挨拶をしようとフィーリウスさんへ会釈をする。それに対し、丁寧にお辞儀をして返事をしてくれたフィーリウスさんは、ハンカチで汗を拭うと奥に座るトレゾールさんへと視線を向けた。



「はいはい、あなたがトレゾールさんですね」


「・・・・・・」


「私はそこの『聖魔女総合病院』で勤めているフィーリウスというものです。一応、医者です」



一応、は必要だっただろうか。よく分からないが、にこにことトレゾールさんへと微笑み手を差し出す。その手を握って握手をするトレゾールさんは、やはりぶっきらぼうに笑顔一つ見せなかった。


そんなトレゾールさんの表情をまるで気にしていない様子をフィーリウスさんは、近くにあった丸椅子をずるずると引っ張ると、その大きな体を鎮める。丸椅子に対し、フィーリウスさんのお尻が大きいこともあってオルトゥー君が後ろで吹き出していた。そんなオルトゥー君を、ブライトさんがぽんと優しく頭を叩く。



「ジェニファー様からお話しはうかがいました。私も医者の端くれですからね、ぜひともトレゾールさんの全快復を応援したいと思っております」


「・・・・・」


「もちろん、トレゾールさんがそれを望まないということでしたら、私はただ花屋が気になって店が終わっているのに押しかけた、というだけですからお気になさらず。また花は買いに来ますがね」



ケラケラ、と笑うフィーリウスさんだが、その言葉のかけ方に感心してしまう。やはり毎日患者と向き合うからだろうか、決して『病気を治す』とは言わず、ましてや希望しない行為はしないのだと告げている。


その言葉に、ぶっきらぼうなトレゾールさんも悪い人ではないとすぐに分かったらしい。そして頼れる人でもあるのだと思ったようで、私が渡したメモ帳にペンを走らせると、その内容をフィーリウスさんへと見せた。



『声が出ないと仕事ができない。今日も売り上げはいつもの半分以下だった。できれば治してほしい』



その文章に、私はふむ、と呟きながらフィーリウスさんを見る。たった二言三言、フィーリウスさんは話しただけだ。突然やってきた医者に、ぶっきらぼうなトレゾールさんがこう願うのだから、やはりできる人なんだなぁ、とその見かけで判断してはいけないと改めて思った。



「はいはい、もちろんですとも。でもね、トレゾールさん。私やジェニファー様の見立てでは、それは薬では治らない病だと思うのですよ」


「・・・・・・」


「時が癒すこともあるでしょう。ですが肝心なのは、あなたの気持ち次第で治りが早いか遅いか、変わってくるということです・・・・無礼を承知でうかがいますが、最近奥様を亡くされたということですね」



先ほどまでの遠回しな言葉の次に、ぐっと身を乗り出すような言葉をトレゾールさんにかける。巧みな話術だ。私にはないそのスキルに、心の中で「おぉ」と呟く。この数分でフィーリウスさんの株が一気に私の中で上がったような気がする。いや、もともと株が低かったというわけではないが。


フィーリウスさんの言葉に、トレゾールさんが顔を曇らせる。あまり触れてほしくないと目を伏せる。フィーリウスさんはそれ以上トレゾールさんに詰め寄るようなことはしない。あくまでもトレゾールさんが自分から話してくれるまで待つようだ。



「・・・・・・」


「・・・・・」


「・・・・・・」



沈黙が続く。後ろでブライトさんが心配げな表情を浮かべた。それは私も同じで、もしここでトレゾールさんが心を開いてくれなければ、この依頼は解決せず終了となる。しかしトレゾールさんの気持ちを差し置いてとやかく言えるわけでもない。


思わず、じっとトレゾールさんを見つめる。


すると、トレゾールさんが大きなため息をついた。やはりだめなのだろうか。そう思っていれば、徐に重たそうな腕を持ち上げると、メモ帳にさらさらとペンを走らせる。そのペンは今までのように僅かな時間動かされるものではなく、とてもゆっくりと、そして多くの言葉を綴った。



「・・・・・・・・」



手渡されたフィーリウスさんがそれを読む。メモ帳に指を乗せ、その指を目と同じように右へ右へと進めていく。そして何度か頷き、フィーリウスさんは私へと振り返るとメモ帳を見せてくれた。


その内容に、思わず口を手で覆った。



『きっと妻を亡くしたことが原因なんだろう。それは分かっている。妻が亡くなる前日、珍しく大喧嘩をした。思ってもないことを言ってしまった。そのまま不貞寝をして、朝になって気持ちも落ち着いたから謝ろうとベッドに眠る妻の手を握ったら、冷たくなっていた。さよならも、悪かったとも言えなかった』



さよならも、悪かったとも言えなかったという一文が、胸に突き刺さる。私だって父や母と喧嘩をすることもある。その父や母が、次の日冷たくなっていたら途方に暮れることだろう。どうしてあんなことを言ってしまったのだろうと、なぜその日のうちに仲直りをしなかったのだろうと悔やむだろう。


カルム村で出会ったフォーさんやジャンティーさんのような、美しい夫婦愛を理解することは私にはできない。それでも家族愛なら分かる。きっと、トレゾールさんは酷く心を傷めたはずだ。いや、はずではない、傷めたのだ。


私の横に並んでいたウィリアム様も、ぐっと腰を曲げてそのメモを見る。そしてお美しい顔を苦痛に歪めながら、トレゾールさんへ慈愛のある瞳を向ける。


トレゾールさんが再び深いため息をつく。それから、メモを寄越せと手を伸ばす。フィーリウスさんからそれを受け取り再びペンを持つ。そして書き終えると再びフィーリウスさんへと渡した。


すると、そのメモを読んだフィーリウスさんがぽい、とそれを放り出してトレゾールさんへと詰め寄る。突然のことでトレゾールさんだけでなく私たちもおろおろと意味もなく両手を泳がせた。



「それは違いますぞ、トレゾールさん。私にも妻がいますが、私は妻を心から愛しています。妻も私を愛している、それをとても感じる。あなただってそうでしょう、そうでなければ妻を亡くし、声を失うほど心に傷を負うことなんてない。恨むなんてことがあってたまりますか」



ぐぐぐ、とトレゾールさんに詰め寄って鼻息荒くフィーリウスさんが言う。私はすぐに床に落ちたメモを拾うと、ウィリアム様にも見えるように持ちながら覗き込む。



『きっと、妻に言葉をかけられなかったから声が出なくなった。分かってる。申し訳ない気持ちでいっぱいなんだ。妻が私を恨んでいて、だから声が出ないのかもしれない。それなら、治すべきではないと思う』



確かにフィーリウスさんの言う通りだと思う。ここまで自分の病の原因を分かっていながら、それを自分のせいにするだけの事実がトレゾールさんにはないはず。この店を、そしてトレゾールさんのぶっきらぼうだけど優しい性格を考えれば、トレゾールさんが奥様に対してどれだけ愛情を注いでいたか分かる。


同意見だ。私はメモをぐっと握りしめると、フィーリウスさんの隣に並ぶ。そして床に膝をつけると、トレゾールさんを見上げた。



「トレゾールさん」


「・・・・・・」


「正直・・・・私がとやかく言える立場ではないのですが、もし私がトレゾールさんの妻だったなら、大喧嘩をしたくらいで嫌いになることはありません。ええ、あり得ませんとも」


「あらあら、ジェニファー様、なんでそこでトレゾールさんの妻目線になるんですかね」


「ゔ・・・・と、とにかく、・・・・私は目に見えないものについて考えを巡らせることが苦手です。心なんて脳の神経伝達の一つでしかないと思っています。ある一定の数値まで到達したら喜び、怒り、泣くことができれば、それを目視できれば人付き合いも楽になると思うほどです」


「(ああ、ジェニファー様の悪いところが出ているなぁ)」



それはフィーリウスさんだけでなく、ウィリアム様やブライトさんも思うところだったのか、オルトゥー君でさえ乾いた笑いを私へ浮かべていたらしい。


しかし、それでもトレゾールさんの皺くちゃな手をきゅ、と握りまっすぐな瞳を向ける私に誰も止めようとは思わないようで、じっと話を聞いている。



「ですが、だからこそ・・・・えぇと、目に見えないものに対してしっかりと向き合い、奥様を愛してらしたとトレゾールさんを見ているとあのメモには事実が書かれていないと思うのです。私では余らせてしまうような『感情』を操り、時には失敗をしても互いに手を取り合う姿が、目に浮かぶんです」


「・・・・・・」


「ジェニファー様・・・・」


「声は、人間だけでなく動物も同じく声帯を持っていれば発することができます。ですが言葉を操るのは人間だけです。その言葉を失っては、あなたは生きる人形となってしまいます。そのような姿を、奥様は望んでいたと本気で思うのですか」



そうトレゾールさんに伝える私を、フィーリウスさんが顎に手をおいてしみじみと見つめる。


出会った時こそ人形のようだった私が、バーバラさんとエリザベッタさんの別荘で『感情などいらない』と言った件について、私の前にウィリアム様が跪き、『感情』について説いた姿をフィーリウスさんも間近で見ていた。それはもうにやにやしながらと。


人には感情が必要。その感情があるからこそ、人は人として生きていける。


そう言いたげな私に、少し会わない間に成長をしたらしいと思ったフィーリウスさんがウィリアム様を振り返る。そしてにっこりと笑う。



「ウィリアム様の教えがいいんでしょうなぁ」


「ははは・・・・」


「これは自覚したら化けますよ」


「・・・・そうであると嬉しい限りです」



そんな会話が後ろでされているとも知らず、私もフィーリウスさんのようにぐぐぐ、と身を乗り出すとトレゾールさんの皺くちゃな手をぎゅう、と握った。


すると、そんな私をぼんやりと眺めていたトレゾールさんが大きくため息をつく。その仕草に思わず私はショックを受ける。や、やはり気持ちは届かなかっただろうか。私の伝え方が悪かったのだろうか。と眉を下げる。



「・・・・・・・」


「・・・・、・・・」



眉を下げる私の頭に、ぽんとトレゾールさんの手が乗る。そしてゆるゆると撫でられた。まるでジョージさんに慰められている時のようだ。こうやって、幼い頃母に叱られた私をジョージさんがあやしてくれたことを急に思い出す。なぜか泣きそうになった。


それから、トレゾールさんが再びペンを持つ。私が持っていたメモを受け取ると、今度は僅かな時間でそれを返してくれた。



『負けたよ』



たったそれだけ、書かれていた。


だけど気持ちは届いたようだ。私はそれが嬉しくて眉を下げたまま口元をゆるゆると動かす。その表情にトレゾールさんが皺くちゃ顔をゆっくりと柔らかくした。初めて見た笑顔だった。



「トレゾールさん・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・・・っ、よ、よろしければ何か、何か奥様との思い出の品をお持ちでないでしょうか!」



優しい顔つきのトレゾールさんに不覚にもときめいた私は、頬をほんのりと赤らめながら立ち上がる。そして捲し立てるようにそう呟くと、トレゾールさんが重たい腰をあげ、店の奥へと向かって行った。


その様子に、フィーリウスさんがにっこりと笑う。私もフィーリウスさんへと視線を向ければ、「やりましたね」と握手をしてくれた。コクコクと何度も頷くことしかできなかった。


そんな私にウィリアム様の長い腕が伸びる。床に膝をつけたままだった私を立ち上がらせると、横に並び前髪にキスを落とす。



「さすがはお人形さんだ」


「・・・・や、やめてください。私は何もしていません。フィーリウス様のお言葉にトレゾールさんが心を寄せてくださったんです」


「それでも、君を褒めてやりたい」


「・・・・・・」


「ふふ・・・・・」



そう、天使が吐息を零しながらこつん、と私の頭にその側頭部を寄せる。それから肩を抱き寄せながらにこにこと微笑んだ。私はその仕草にピシッと固まる。


私とウィリアム様の姿にフィーリウスさんがにやにやと笑う。逃げ出したい私だが、肩を抱かれては動けない。おろおろとする私にウィリアム様とブライトさんがそれはそれは美しく微笑まれる。オルトゥー君だけはその場で地団駄を踏んでいた。



「・・・・・」


それから、トレゾールさんが手に何かを持ちながら奥から再び現れる。それはちょうど本を横にしたくらいの大きさの、おそらく偽物だろうがキラキラと光る宝石で装飾された宝石箱のようだった。


奥様の形見だろうか。トレゾールさんは私へとそれを差し出すと、会計カウンター横の椅子に腰掛けた。



「(何か入っているんだろうか・・・・、布?宝石や指輪ではないみたいだ・・・・)」



少し揺すってみても、ころころと音はしない。その変わりに、揺らすと中で何かが左右にゆっくりと動いているのを感じた。開こうと宝石箱の蓋に触れるがびくともしない。鍵でもついているのだろうかと側面を見るが、特に鍵穴のようなものはなかった。


開かない?でも、きっとこれは宝石箱だ。


どういうつくりなのだろうか、とトレゾールさんを見る。すると、トレゾールさんが空中で宝石箱を持つように手を上げ、それをひっくり返すような動きをする。私もそれを見て、中のものを壊してはいけないと宝石箱を回すことはせず、上に持ち上げて覗き込む。



「・・・・・ふむ」



その裏側には、七文字のアルファベットが描かれていた。いや、描かれているというよりは、貼り付けられているようだ。親指の爪ほどの小さく薄い木の板に、アルファベットが一文字ずつ描かれており、その周りは僅かな窪みがある。


『Admirer』


そう、描かれている。その意味は様々あるが、多くは『求婚者』という意味があったと思う。その文字をじっと見ていると、ちょうど四隅にも偽物だと思われる宝石がつけられていた。テーブルと同じで、その宝石が足となり、僅かに宝石箱を持ち上げるのだと思う。



「ん・・・・・・?」


「ジェニファーお姉さん?どうかした?」


「あ、いえ・・・・・」


「ねぇ俺にも見せてっ」


「はい、どうぞ」



私から宝石箱を受け取ったオルトゥー君が目をキラキラとさせながら宝石箱を掴む。小さな手が宝石箱を持つと、少しそれが大きく見えるような気がして思わず笑みを零す。


いつ見ても可愛らしい姿にこちらまで気持ちが明るくなる思いだ。いつまでも見ていられるような気がしてオルトゥー君を眺めていると、ふいにトレゾールさんがこちらへと歩み寄る。その手にはメモがあった。


そのメモには一文書かれている。



『その宝石箱は鍵がない。でも確かに妻が何かを入れているのを見た。何が入っているのか気になったので聞いたら教えてくれなかった。それがきっかけで大喧嘩になったんだ』


「(なるほど・・・・)」



トレゾールさんからしたら、この宝石箱は奥様との最後の思い出。悲しい思い出となってしまっているものだが、わざわざ持ち出してくれたということは、きっとトレゾールさんもこの宝石箱を開き、中に何が入っているのか分かれば声も出るようになるのではないかと思っているのかもしれない。


これは、必ず開いて見せる。


決して壊さず、思い出も壊さずに。オルトゥー君の手に乗る宝石箱を見つめる。その宝石箱に取り付けられた足の部分にある宝石を、じっと、じっと見つめる。


そして、顔を上げるとウィリアム様を見上げた。



「・・・・ウィリアム様」


「うん?」


「・・・・少し調べたいことができました。屋敷に戻りたいのですが」


「・・・・ああ、分かった。送るよ」


「ありがとうございます」



私の様子に、ウィリアム様が眉を上げながら頷く。何か解決への糸口を見出したと思ったのだろう。それはウィリアム様だけでなく、気心の知れた面々も思ったようで、オルトゥー君やブライトさんがにこりと私に笑いかける。フィーリウスさんも、ぱちぱちと拍手をした。


トレゾールさんにまた会いに来る、と伝え店を出る。そしてブライトさんやオルトゥー君、そして手伝ってくれたフィーリウスさんに挨拶をして馬車に乗り込む。



「・・・・・・」



行きよりもやや足早に馬が走る。きっとウィリアム様が馭者にそう言ってくれたのだろう。そのことに感謝をしながら、窓から外を眺める。そして宝石箱に取り付けられた足の部分を脳裏に映す。


きっと、あれは魔鉱石だ。


何の魔鉱石かは分からない。だからこそ屋敷に戻って文献を漁るつもりなのだが、それが何なのか分かれば、もしかしたらあの宝石箱を開くことができるかもしれない。



「ジェニファー」


「はい」


「何かあれば手伝うから」


「・・・ありがとうございます」



そう言ってくれるウィリアム様に感謝の言葉を伝える。何を言ったわけでもないのに、私が何かをしようとしていることに気づいてくれる。やはりフィーリウスさん同様、ウィリアム様も人の感情や表情に鋭いのだと思った。


私も、そうなれたらウィリアム様に日頃の感謝をしやすいのかな。


無理な考えを思い浮かべる。もともとのスペックが違うので、それは難しい。それでも、ウィリアム様が憂えることがあれば『仲間』なので手を差し伸べたいと思う。



「(・・・・目に見えないものって難しいな・・・・)」



そんなことを思いながら、屋敷に戻る。


ウィリアム様と母が何やら会話をしている中、私はすぐに研究室へと向かう。そして魔鉱石について書かれている本をあらかた手に持つと、テーブルにばさっと落とした。


見つける。絶対に。


トレゾールさんの皺くちゃな笑顔が、もっと見れるなら。そう思うと、無性に力が湧いた。



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