お嬢様の思い出
「あらお嬢様、お早いお帰りでしたね。・・・・あら、その包みは?」
フィーリウスさんからカルテを見せてもらったあと、私たちはトレゾールさんのお店へは足を向けず、フィーリウスさんにお礼をするためにお菓子を買い、そのまま帰宅することとなった。
『おそらく、お医者様の見立て通りストレスによるものだと思います』
そう、ブライトさんやウィリアム様に私の見解を伝えた。カルテには人の体が描かれていて、そのイラストには喉の部分に斜線が引かれている以外、特に気になる点はなかった。フィーリウスさんもそのカルテを見る限りだと、外傷性ではなく心因性による突発的な症状なのではとおっしゃっていたので、ほぼ間違いなくそうなのだと思う。
今回ばかりは、魔術でどうこうできるものではないだろう。
なので、私は一度屋敷に戻り今後のことを考えることにした。オルトゥー君はまだ遊びたいと言っていたが、私の浮かばない表情にウィリアム様が気を利かせて馬車を用意してくれた。
屋敷に戻ると、ケイトがいつもより早い私の帰宅に眉を上げて駆け寄ってくる。そして、私の手に乗った包み紙を目にする。私も、このまま持っていても落として中身をだめにしてしまう気がしたので、そっとそれを手渡す。
「以前お世話になったフィーリウス様を覚えていますか?」
「ああ、はい。お医者様のフィーリウス様ですね」
「はい。今日久しぶりにお会いしたんです」
「え・・・・お嬢様、どこか具合が悪いのですか?」
「いいえ、ちょっとお話を聞きに行ったんです」
医者に会いに行った、というだけで心配げな表情を浮かべるケイトに思わず笑う。それだけ大事に思われているということだが、ケイトの過保護な対応で私はここ最近風邪を引いたことがないというのに。ああ、知恵熱はよく出すが。
私から包みを受け取ったケイトが、その包みを外そうとする。いやいや待て待て、どうして開けようとするのか。すぐにケイトからそれを引ったくると大事に胸の前で抱えながら、じとっとした目を向ける。
ケイトはきょとんとした。さも当然もらえるものだというような表情には呆れて物が言えない。
「あれ?私へのお土産ではないんですか?」
「・・・・違います。フィーリウスさんへのお礼の品です。以前お世話になっていますからね」
「なぁーんだ」
「・・・・・・・・食べてはいけませんよ」
「はぁい」
「(なんだその間延びした返事は・・・・)」
まるで使用人とは思えない態度にため息をつく。しかしケイトは気にしていないのか、私の背中を押すと自室へと促した。ケイト、あなたは仕事中ではなかったのか。
どうやらこのまま一緒に自室へと行くつもりらしい。ケイトとともに階段を上がり、廊下を進む。すると少し先に女性使用人たちが集まっていた。誰かの部屋の中を皆で見ているらしい。
なんだろうか、と思いケイトと共にそちらへと向かう。すると、その使用人たちが集まっていたのは、母の自室だった。
「お母様・・・・・?」
「ああ、ジェニファー。早かったわね」
「はい、ただいま戻りました」
「おいでおいで」
「・・・・・・・?」
ドアの前に立っている使用人たちが私に会釈をする。それに手を上げて応えればケイトが後ろで「お嬢様がする仕草ではないです」と言っていたが、気にせず母の自室へと入る。
おいで、と手招きをする母の顔は嬉しそうだ。その横には木箱を抱えているジョージさんがいる。一体二人で何をしているのだろうか。
母は絨毯の上に広げた玩具のようなものを目にして、昔を懐かしむように微笑んでいる。ジョージさんも皺くちゃな顔にさらに皺を寄せて微笑む。
気になって母の横に向かう。母が私へと手を差し出し、隣に座るように言った。
「お母様、これは?」
「ジェニファーが小さい頃に遊んでいた玩具よ、覚えていない?」
「・・・・おぉ・・・・」
母が手にしたユニコーンのぬいぐるみを見た瞬間、幼い頃の記憶が蘇る。どうやらどこからか私が遊んでいた玩具を持ってきたようで、母はそれを見て昔を懐かしんでいたらしい。
ユニコーンを手にする。ああ、この触り心地、覚えている。
よくユニコーンの角を舐めていたような、そうでないような。あまりにも小さい頃の記憶なので曖昧だ。それでもこのユニコーンが一番のお気に入りだった気がする。
それは母も覚えているのか、私がユニコーンを手にすると嬉しそうににこにこ微笑みながら胸の前で手を合わせた。
「懐かしいわねぇ、あなたよくこの角をしゃぶっていたのよ」
「(・・・・やっぱり・・・・)」
「他にもお人形やくまのぬいぐるみがあるのに、どうしてもこれがいいってきかなくて」
「・・・・その頃から、魔獣に興味があったのかもしれませんね」
「そうよ、あなたったら童話よりも精霊について話さないと寝なかったもの」
「・・・・・・」
私の魔術好きは今に始まったことではないとよくよく分かった。しかし、そのおかげで今の私がある。もし私が普通のお嬢様だったら、ウィリアム様と出会ってもブライトさんの目について気づくこともなく、ただただウィリアム様に目を奪われていたことだろう。
決して、間違った道は進んでいないと思う。
それだけの事実がある。普通のお嬢様では得られなかった思い出や、『仲間』を手にすることができたのだから。
私はユニコーンをぎゅう、と抱きしめてみる。そうすると、体の中に音のなるものが入っているのか甲高い音を立ててユニコーンが鳴いた。それに驚いて手を離す。母が隣でクスクスと笑った。ジョージさんも、嬉しそうにその様子を眺めていた。
「(ふむ・・・・私は愛されていたんだな・・・)」
よくもまぁ、こんな普通ではないお嬢様を過保護に育ててくれたものだ。一時、修道院に預けられそうになったが、それでも面倒を見続けてくれたことに感謝するべきだと思う。
最近は屋敷の外に出かけてばかりで、母と長く会話をすることもなかったし、いい機会なのかもしれない。
私はゆっくりと母へと体を向けると、手にしているユニコーンを差し出す。それをうっとりと目を細めながら母が受け取る。私と同じその若紫の瞳は、とても優しいものだった。
「・・・・お母様」
「うん?なに?」
「これまで、愛情深く私を育ててくださり、ありがとうございます」
「・・・・・どうしたの?」
「いえ、・・・・なんとなく」
急に感謝の言葉を伝えた私に母がきょとんとする。その視線が痛くて私はすぐに俯く。やはりあまりしないことをすると居心地が悪いというものだ。
しかし、母は娘の成長をどこかで感じたのか、再び優しく若紫の目を細めると、私の体をきゅっと抱きしめた。
「当たり前じゃないの、私の大事な娘なんだから」
「・・・・・・」
「これからも、もっと迷惑をかけてくれて構わないのよ」
「・・・・もう私も大人です、そう言われてもしっかりしないといけません」
「ふふ・・・・そうね、もうジェニーは大人だものね。少し悲しいわ」
「・・・・・・」
「あ、もしかして未来の旦那様との婚約を決意したの!?」
「(なぜそうなる・・・・・!)」
ころっと雰囲気を変えた母が私の肩を押さえて顔を明るくする。その分、私は暗い表情になる。
母の頭の中はウィリアム様で埋め尽くされているのだろうか。そう思わずにはいられない。遠い目をしながら母を見ていれば、それはもう今にもウェディングドレスを発注しそうな勢いでケイトへと視線を向ける。だめだ、ケイトを見ないでくれ母よ。
「ケイトっ!さっきのジェニファーの言葉、どう思う?」
「まるでこれから嫁ぐ娘の別れの挨拶のようでした!」
「ああジェニファー!やっと決意を固めてくれたのね!」
「違いますっ・・・・・・!」
ばしん、と自分の膝を叩いて立ち上がる。だめだ、母とケイトが話し始めるとどうしてもお花畑が広がってしまう。もうこれ以上はこの場にいる必要もないだろうと思い、ドアへと向かう。
しかしその横目に、母とケイトの会話に参加したそうなジョージさんが見えた。ああ、あなたもですかジョージさん。
「ん・・・・・・?」
しかし、そのジョージさんが持っている木箱に目が行く。母が絨毯の上に広げていたものは、おそらく私の物心がつくかつかないかくらいの年齢の時に使っていた玩具ばかりだった。
ジョージさんが持つ木箱には、それより私が大きくなった時に使っていた玩具が入っている。絵本だけでなく、積木やパズルがそこにはあった。
少し気になり、ジョージさんへと歩み寄る。すると、私に気づいたのかジョージさんがその木箱をテーブルに置いて中を見せてくれた。
「・・・・よくこんなに残っていましたね」
「捨てられませんよ、お嬢様の思い出が詰まっているのですから」
「・・・・・・・」
「この玩具を見ていると、お嬢様の小さい頃を思い出します。両手に絵本を何冊も抱えて私の後ろをついて回っていたんですよ。それはそれは可愛らしいお姫様でした」
「ふむ・・・・・」
「この積木も、文字を覚えるために使っていたのですが覚えていらっしゃいますか?」
「・・・・あまり・・・・・」
アルファベットが六面に書かれた木製の四角い積木を手渡される。AとCとTだった。こうやって、ジョージさんから当時も積木を渡されて、その文字から猫を思い浮かべて答えていたのだろうか。
ジョージさんにC、A、Tの順に積木を返すと、とても嬉しそうに受け取られる。その優しい表情を見ているだけで、母とケイトのせいでささくれた心が穏やかになる気がした。
それからジョージさんは昔が懐かしくなってきたのか、また別のアルファベットが書かれていない積木を箱から取り出す。三角形と四角形のそれを縦に並べると、小さな塔が完成した。
「こうやって、よくお嬢様もお城を作っていましたよ」
「(あ、塔じゃなくてお城か・・・・・)」
「ですがそのうち、お城ではなく何の本で知ったのか火属性の精霊を召喚するための陣形をつくろうとしたのか、絨毯の上に積木を並べ出したんです。・・・・ジョージは目の前が真っ暗になりました」
「ははは・・・・・・」
「ですが、今の立派なお嬢様のお姿を見ていると、ジョージはあの時よく積木を奪わなかったと、自分を褒めてやりたいです」
「ジョージさん・・・・・」
「大きくなったお嬢様は、それはそれは聡明で、お優しい魔術好きなお嬢様に成長されました。だからこそ、ウィリアム様も気になって仕方がないのでしょうなぁ」
「ゔ・・・・・・」
「ジョージも奥様とケイトの話に参加してまいります」
「・・・・・部屋に戻ります」
結局ジョージさんも母やケイトの味方なのだ。それが分かって悲しくなる。
自室へと戻り、椅子に深く座り込む。そして装飾のされた天井を見上げる。母もケイトもジョージさんもあんなことを言うが、私の成長を微笑ましく思い、そして公爵家のご子息と婚約でもすれば私の人生も安泰だと考えているのだろう。良家に嫁ぐことは人生で最大の幸せだと私は思わないが、それでも娘の身を案じてくれているからこその行動だと、少しは、少しくらいは思う。
そこでふと、トレゾールさんを思い出す。
暮れに奥様を亡くされたトレゾールさんは、今でこそ心に深い傷を負い声を失ってしまったが、もともとは奥様と幸せに暮らしていたのだろう。心が荒んでいる人が、あんな美しいお店を開けるはずがない。
「(奥様との思い出が詰まったお店なんだろうな・・・・・)」
トレゾールさんと奥様が一緒にお店で働く姿を想像する。奥様がお客さんの相手をし、店の奥でトレゾールさんがその用意をする。仕事が終われば二階でゆったりとくつろぎ、楽しい会話をしながら食事をする。
「・・・・・ふむ」
私は医者ではない。ましては目に見えない『心』に関する知識は少ない。それでも、トレゾールさんの気持ちを少しでも明るいものにできるなら、いくらでも力を尽くしたいと思う。
そのきっかけが、奥様との思い出を振り返るものだったとしたら。
嫌な思いもさせてしまうかもしれないが、その思い出の品に触れれば、先ほどの母やジョージさんのように、優しい笑顔を浮かべるのではないだろうか。
もし、この私の考えが間違っていれば、トレゾールさんにはそれこそ一生癒えない傷を心に刻んでしまうかもしれない。やはり、私一人ではどうにもできないのでフィーリウスさんが傍にいる状態でお話を聞いたほうがいいだろうか。
「お礼の品もあるし・・・・その時に声をかけようかな・・・・」
せっかくお礼をするのに、手伝ってほしいと伝えることになりそうだ。しかしフィーリウスさんなら、快く手伝ってくれそうな気がする。なんとなくだが、あの人は好奇心旺盛な人だと思うから。
そういえばエギーユちゃんのその後はどうなっているのだろうか。それについても話をしたいな。
早速、ウィリアム様に手紙を書いて明日にでも病院に行きたいと伝えよう。私は立ち上がると、花瓶や綺麗に装飾をされた皿が置かれている棚へと向かい、引き出しを開けて便箋を取り出す。
「・・・・うまくいけばいいけど・・・」
テーブルへと戻り、ペンを持って便箋にその先を落とす。
しかし、どうにも手が動かしづらいと思い一度便箋から離す。なんだろうか、と腕を振ってみるとどうしても肘から下の部分が重く感じた。
「・・・・・・」
嫌な予感がして、服の袖を捲る。そして眉を顰める。
手首から肘の間に広がる、黒ずんだ痣。エリザベッタさんの『憎悪』が広げたその痣に、アントリューが何かをした。まるで焼かれるような痛みがあったが、今はただその痣があるだけで少しも痛くない。
ーーーーこのままにしておくこともできないか。
何かをしたのは確かだ。あのアントリューを思うと、放置しておいてもいいものではないと思う。しかし、ただ皮膚の上に黒ずみがあるだけで、それ以外は何ともないのだ。
フォーさんがいるカルム村から屋敷へ戻ってきて、すぐに治癒魔術を自分で施してもどうにもならなかった。
「・・・・・・」
アントリューはこの痣を『呪い』と言った。その呪いがどのような効力を持つのかは分からない。けれど、きっとこのままにしておけば悪いことが起きる。それは分かる。
「(呪いなら何か別の方法を試すべきなのか・・・・)」
そうなると、やはり魔術具か。魔術具には呪いをかけるものと、呪いを払うものがあるとされている。少し魔術具について文献を漁ったほうがいいかもしれない。
トレゾールさんの件が落ち着いたら、調べてみよう。
私は再び便箋にペンを走らせると、ウィリアム様に手紙を書く。
やはりどうしても、腕は重かった。
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