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お嬢様の恐怖






「まだこの格好をしていなくてはいけませんか、お嬢様」


「・・・・・念のためです」


「・・・・・・・」



厚い雲に覆われ、月の光も届かないプレジへと向かう。


真夜中ということもあり、プレジに入るための門は固く閉ざされていた。今思えば、円状に塀で囲まれたこの街は、『何かを隠すにはもってこいの場所』である。近くにあるのはカルム村だけで、あとは大草原が広がっているだけのプレジは、確実に、犯人にとって格好の隠れ家であるはず。



「・・・・・・」



ウィリアム様やブライトさんだと声を出してしまえば男性とばれてしまうため、フォーさんと私が先頭を歩く。その後ろにブライトさん、そしてケイトを挟むようにウィリアム様が最後尾に立ち、後ろへの警戒を行ってくれている。


プレジにも顔馴染みがいるというフォーさんが、固く閉ざされた門、一枚岩を二つに割ったような大きな門に申し訳程度に作られた木製の小窓をノックする。その小窓は、本来であれば閉門をされた後に、領民が遅れて現れた時に声を掛けるためのものだ。


私たちは街の人間ではない。このような真夜中に、女性が五人も現れれば門番も不審に思うだろう。私はごくり、と唾を飲み込むと、その小窓が開かれるのを待つ。


そうしてしばらく待っていると、何度目かのノックをしたのち、ゆっくりと、無駄にゆっくりと開いた小窓から男がこちらを覗き込む。



「・・・・・・・」


「・・・・夜遅くに悪いわね、私はカルム村のフォー。親戚が来てるんだけど、カルムには宿がなくて泊められないのよ。ここには宿があるでしょ?宿には自分たちで行くから入れてくれないかしら」


「・・・・・・」


「・・・・・聞いてる?」


「・・・・・・」



おかしい。小窓からこちらを覗き込む男の目はどこか虚だ。ただこちらをじっと見つめるばかりで、一言も喋らない。その様子にフォーさんと私が目を合わせる。確実にこの街で何か起きているのだと、確信に近いものを感じる。


フォーさんに代わり、私が小窓を見上げる。フォーさんのように背が高くない私だと、その小窓は頭三つ分くらい上にある。いや、平均身長はあるのでちんちくりんではないが。


その小窓に手を伸ばし、枠を掴む。そうすると、男の視線に手が映ったのか、少しだけこちらを見た。しかしその目は、やはり虚だった。



「このままでは寒さで凍えてしまいます。どうぞこの手を掴んでみてください。とても冷たいですから」


「・・・・・・・」


「(手も動かさないか・・・・、やはりこの目、何か気になる・・・・)」


「お・・・・と、こ・・・・・・」


「・・・・ん?」


「お・・・・・と、こ・・・・おと、こ・・・・・」


「(男・・・・・?)」



確かにこの門番は、きっと無意識だろうが半開きの口から涎を垂らしながらそう呟いた。


やはり私の推測通り、この街に連れ去られた村の男性たちがいるのかもしれない。ぼんやりと何度も「男、男」と呟く門番の虚な目、そして口の端から零れた涎を見るに、どうやったかは分からないがこの門番は恐らく幻覚を見せられていると思われる。操られているのと同等である。


門番であれば街に魔獣や野盗が侵入しないように立ち向かう大事な役割を担っている。その門番がもともとこのように虚な目をしているとは考えにくい。おそらく私の考えに間違いはない。


幻覚を見せるのなら、月属性の魔術、あるいは薬草を使った幻覚剤が候補として上がる。今はその実態を調べることはできないが、軍に要請をかけるなら確実に何を理由にこのような状況になっているのか把握しておくべきだ。



「・・・・・門番さん」


「・・・・・・」


「あちらで、男を見ましたよ」


「・・・・・・!」



この男は使える。


私は後方の茂みを指差しながら門番に嘘の情報を与える。もちろん危険はあるが、門番の反応を確かめたかったからだ。すると、その門番は今までのような虚な目を急に見開く。そして小窓の枠を両手で掴み、身を乗り出して私を睨んだ。もちろん、小窓は人の顔が入るか入らないかの大きさなので、門番の顔がめり込むだけだ。


その様子に私も正直怖くなって後ろに下がる。フォーさんは片眉を上げ、にやりと笑うがやはりその笑みは引きつっていた。


がたがたと小窓を壊す勢いで男が興奮したように睨む。その目は血走っていた。


私は恐怖で足がすくみそうになるのをなんとか堪え、グッと拳を握ると門番へと近づく。そしてやんわりと微笑み、しかし確かに嫌な汗が額に垂れるのを感じながら呟いた。



「ここを開けば、その男を探しに行けますよ」


「・・・ゔぅ・・・・ゔぅゔ・・・!!」


「ほら、あそこです。私が案内して差し上げましょう」



そう言った瞬間、ガコンと門の裏側で何かが外される音が聞こえた。ぎぎぎ、と大きな音をたてて門がこちらへ向かって開く。


男が口から涎を垂らしながら勢いよくこちらへ向かってくる。その男を皆が避ける。私たちはその隙に門の中へと体を滑り込ませ、ウィリアム様が最後に門を閉めてしまう。重たい石でつくられた五メートルはあると思われる長細い石板のようなものを、専用の鋼の間に通す。


これでもう、あの男はこちらには戻って来られないはずだ。


私とフォーさんは顔を見合わせると、コクンと力強く頷き門から走り逃げる。今日通ってきた、街の中でも大きい道を使うのは危険だ。路地裏へと入り、できるだけ足音をたてないように走る。向かう先は、もちろんあの高くそびえた二つの塔。



「・・・・・・っ」



一度路地裏を抜けて、通りの反対へと走る。しかし、その路地裏から誰かがぬらりと現れた。まだこちらには気づいていないようだが、その誰かは自分の家のドアに向かって何度も体をぶつけている。手を使えば入れるだろうに、それでもドン、ドンとドアに体を当てる姿は異様すぎてぞっとした。


何が起きているんだ。この街は。


気づかれる前に道を変える。しかしその先にも両手をぶらぶらと揺らしている女性がいて通れない。仕方なく元来た道へ戻り、路地裏に身を隠す。



「(あの塔に近づけば近づくほど人が増える・・・・・)」


「ジェニファー、どうする?このままだと近づけないわ」


「・・・・・・・」


「お嬢様・・・・・・」



震えた声を漏らすケイトを振り返る。門番や街の人の姿を見たせいか、膝が笑っていた。


これ以上無理はできない。しかし戻るにも、街の人に気づかれずにそれができるだろうか。私は思わずウィリアム様へと視線を向ける。こういう時ばかり頼ってしまって申し訳ないと思いながらも、どうしようもない状況にウィリアム様の言葉を待つ。


すると、ウィリアム様は何かを考えるように一度視線を地面へと向けると、ご自身の髪に触れた。その髪は今はカツラを被っているのでとても長い。しかしそのカツラを徐に取り、ワンピースのボタンを外した。


まさかここで脱ぐのか、とこんな状況の中浅はかなことを考えていれば、ウィリアム様はそのワンピースの下にご自身の服を着ていたらしく、いつもの貴公子のような格好に戻った。


その姿を見て眉を顰める。嫌な予感がする。


思わずウィリアム様へと手を伸ばす。しかしその手をウィリアム様が掴むと、手の甲にキスを落とし真っ直ぐな深緑の瞳を向けた。



「私が囮になる。それが一番手っ取り早い」


「ウィリアム様・・・・・・」


「優男さん、単独行動はだめだよっ・・・・・!」


「ウィリアム様、危険です!」


「ブライト、ジェニファーたちを頼む」


「ですが・・・・・・!」


「すぐ戻る。街の見取り図は大体頭に入ってる。必要であれば魔術を使って逃げるから心配ない」



ウィリアム様が物陰から通りを見回す。


塔の近くはうろつく街の人が数人いる。思考能力が落ちているとはいえ、相手はただの一般人なので無闇に手出しはできない。しかしそうなってはただ捕まるだけだ。うまく逃げる方法をウィリアム様は本当に考えているのだろうか。


確かに、確かにウィリアム様は強い。この中でうまく立ち回れるのはウィリアム様だ。だけどウィリアム様を一人にしてもいいものだろうか。判断がつかない。頭がうまく回らない。ウィリアム様が街の人に捕まり、殺される想像ばかりをしてしまう。



「ウィリアム様・・・・・!」



その腕を掴む。それは無意識に近かった。


急に私が腕を掴んだからか、ウィリアム様が驚いたようにこちらを振り返った。そして柔らかく微笑み、私の頭にキスを落とす。



「大丈夫だよ、私はそんなに弱く見える?」


「・・・・・いいえ、そのようなことは」


「それなら、待っていて。すぐに戻るから」


「・・・・・・」


「君を残して死んだりしない」


「・・・・・・っ・・・!」



バッとウィリアム様が走り、通りへと姿を出す。そしてわざと手を叩くと、うろつく街の人の注意を引く。すると、ただぼんやりとゆらゆら歩くだけだった街の人が、ウィリアム様の姿を目にした瞬間震え出した。その震えは、おそらく歓喜によるものだっただろう。



「男・・・男だ・・・・・!」


「『あの方』に・・・・・お届けしろ・・・・!」


「捕ま・・・・えろ!」



わぁ、と大声を出しながらウィリアム様へと走り寄る。まるで獣のような姿に、私たちは路地裏で声を押し殺しながら見ていることしかできない。


走り寄る街の人を見て、ウィリアム様がダッと走り出す。その姿はすぐに別の路地裏へと消えていった。ケイトが恐怖からポロポロと涙を零す。ブライトさんも悪夢を見ているとでもいうように、額に手をあてうなだれた。



「・・・・・・」



フォーさんが私の両肩を掴んで揺さぶる。しかし私はウィリアム様が消えた路地裏を見つめたまま動かない。だめだ、やっぱり行かせてはいけなかった。どうして行かせてしまったのか。私はなぜその腕を掴んで引き寄せなかったのか。


ウィリアム様が死んでしまったら、私の首が飛ぶ。そんなこと、微塵も考えなかった。ただただ、ウィリアム様が殺されてしまう瞬間を想像をする。そうすると体が力が抜けて起き上がることもできない。


ーーーパシンッ


不意に顔が右に向く。それは私が自分でやったことではない。ついで、頬に強い痛みを感じる。意味が分からず頬に手を添えれば、次第に熱を帯びていった。



「ジェニファー!」


「・・・・・・」


「このままだと優男さんが本当に死ぬ!早く塔に行くのよ!」


「フォーさん・・・・・」


「あんたが頑張んなくてどうするんだ!まだ生きてる。まだあの優男さんは生きてる!」


「・・・・・っ・・・・」


「行くよっ・・・・・!」



無理やりフォーさんに立たされ、誰もいなくなった大きな通りを走る。ブライトさんがケイトの肩を抱きながら後ろを走る。すでに塔は目の前だ。


まだ今の出来事の衝撃でうまく頭が回らない。それでも走る。走らなければ嫌な想像しかできないから。フォーさんが言うように、まだウィリアム様が生きている。ウィリアム様が命をかけて囮を買って出てくれたのなら、私がその囮を使って動かなければならない。



「(死んだらただじゃおきません・・・・!)」



使命感のようなものが芽生える。私は塔の前まで来ると、その裏手へと回る。正面から行けばただ捕まりに行くようなものだ。


そろそろと足音をたてないように裏手へと回り込み、食糧などを運び込むためのこじんまりとしたドアの前まで行く。周りには誰もいないようだ。私はそっとドアを開くと、まずは中の様子を確認する。



「(誰もいない・・・でも明かりはついてる)」



明かりがあるなら、人もいるはずだ。一度ドアを閉じ、近くに落ちていた拳くらいの石を掴み、それを再び開いたドアの間から塔の中へと投げる。石は何度か転んでから、少し遠くで止まった。塔は石が積まれてできている。そういった場所は音が響きやすい。もし誰かいるならその物音に気づいて様子を見に来るかと思ったが、誰も現れることはなかった。


手薄なのか、それとも侵入者が入るなど誰も考えていないのか。


どちらにせよ、チャンスだ。私はグッと足に力を入れると、その塔の中へ向かおうとする。しかし、その肩をフォーさんに掴まれ、勢いよく後ろに引かれた。



「フォーさん・・・・・?」


「あんたじゃ無理よ、私が先に行く」


「・・・・・・」


「斧の振り方さえ知らないようなお嬢様より、私の方が強い。私が先頭だ」


「・・・・お願いします」


「あんたが死んだらあの優男に合わせる顔がないからね」



フォーさんが先に塔の中へ入っていく。それに私たちも続く。


塔の中は、明かりはついているもののがらんとしている。ワインを貯蔵しておくためだと思われる場所には何もなく、その先の見張り当番が泊まるためだと思われる休憩所のようなところにもベッドが一つ置かれているだけで最近使われた形跡はなかった。



「フォーさん、この塔がどのようなつくりかご存知ですか?」


「そこまで詳しくないわ・・・・でも、もともと城だったから、地下があるかも」


「地下・・・・・」



確かに有り得る話だ。今は太平の世が続いているが、この塔が機能していた800年前であれば戦争が絶えなかったはず。そういう時、街の人々、特に老人や女性、子どもは城に匿われていたと言われる。砲弾が飛んでくるような塔の上よりも、地下の方が耐え凌げる。フォーさんの考えは正しいと私も思う。


私は下へと続く階段がないか探す。すると、馬小屋として使われていたと思われる場所の先に、ぽっかりと壁のないところが見えた。



「あそこでしょうか・・・・!」


「行ってみよう!」


「はい!」



バタバタと通りを走り抜ける。すると確かに下へと続く階段がそこにはあった。


その階段には明かりがなく、底無し沼のようだった。もしかしたら下に誰かがいるかもしれないので、できるだけ最小限の炎を掌に出す。フォーさんが今にも走り出したい気持ちを押さえながら、ゆっくりと下へと降りていく。


螺旋上となっているその階段を何度もぐるぐると降りる。すると地下についたのか、急に広々とした場所に出る。そこはドアが一つ、そして四隅に備蓄の食糧や飲み物を保管するための場所か、アーチ状に煉瓦を積み重ねた穴のようなものがあった。何かに似ていると思ったら、屋敷にあるピザ窯のようだった。


その穴をぼんやり眺めていると、フォーさんがドアに耳を当てる。そして目を閉じて中の様子をうかがっているようだった。



「・・・・何か音が聞こえる・・・・金槌?」


「・・・・・そのようですね・・・・」



キン、カンと金槌のようなものが金属に当たるような音が耳を澄ますと聞こえる。何かを作っているのだろうか。こんな夜更けに。


怪しい。その思いでフォーさんを見る。私の視線を受けたフォーさんも怪しいと思ったのか、そっとそのドアを開き、わずか二センチほどの間からあたりを見回す。そして口元を手で覆った。



「フォーさん」


「・・・・村の男たちがいるわ・・・・それもたくさんっ・・・・ジャンティーはどこ?どこ!?」



その言葉に私やケイトが目を見開く。やはりここに集められていたのだ。そして生きていた。そのことに安堵する。しかしなぜここにいるのか、そして何をしているのかが重要だ。連れ出すにも、その作業を止める必要がある。作業を無理やり行わせる犯人に気づかれずに。



「あれは何・・・・?ジェニファー、私じゃ分からないから見て」


「はい」



フォーさんと入れ替わり、中の様子をうかがう。すると、フォーさんの言葉通り村の人たちだと思われる男性が地下の広い講堂のようなところで、無表情のまま金槌を振っていた。


その金槌は、金属を叩いている。金属は鋼や銅を使っているようで、ここからではその全貌が見えない。それだけ大きいということだ。村の人たちは梯子を使い、その金属の乗り物のようなものの上に乗る。


大の大人が五人乗ってもまだ余裕のあるその乗り物のようなものは、円筒形をしており、片方の先にはその大きな体を支えるように鋼でできた車輪のようなものが取り付けられていた。


そこまで確認すると、私はドアを閉じる。そして連想されるものに思わず言葉を失う。


フォーさんが私の様子に眉を顰めながら手を伸ばす。私も今は人肌を感じたい。その手を掴むと、ぎゅうと両手で握り締めた。



「ジェニファー、あんたあれが何か分かったの?」


「・・・・・・」


「言って、ねぇ村の男たちは何を作らされてるの?」


「・・・・たい、・・・・ほう・・・・」


「え?」


「大砲・・・・それも巨大な大砲を、造っているようです」


「なっ・・・・・!」



そこまで呟いて、口元を覆う。この太平の世には不必要なもの。そしてあれだけの大きさの大砲などこの世に存在してはいけない。


何に使うのか、その大砲の別名を聞けば誰でも分かる。



「(まさか国崩しでもするつもりなのか・・・・・)」



大砲は別名『国崩し』と呼ばれる。昔はその大砲を使って城壁や街に火の雨を降らした。今ではマニアの間でコレクションとして鑑賞物になるか、軍の博物館に置かれるようなものとなっており、本来の使い道など一般人では分からない。


しかし、それが造られている。それも巨大なものが。


カルム村から男性を拐い、大砲を造らせている犯人は何を考えているのだろうか。きっと犯人は正気ではない。そんな相手に、私たちは立ち向かおうとしているのか。



「(あまりにも危険すぎる・・・・・)」


「・・・・っジェニファー!」


「・・・っ・・・・・」



不意にフォーさんが私の腕を掴む。そしてブライトさんやケイトを連れて先ほどの食糧などを保管するための穴に身を隠した。


フォーさんに声をかけようとする。しかしその口をフォーさんが覆う。近くで足音が聞こえた。どうやら誰かが来たようだ。階段を降りていると思われる足音が、ゆっくりとこちらへと進んで来る。


もしフォーさんがその音に気づいていなければ、私たちは鉢合わせていたはずだ。私はフォーさんが覆ってくれている手に自分の手も重ね、できるだけ声が漏れないようにする。



「アントリュー様、なにもこんな夜更けにいらっしゃらなくとも着々と工程は進んでおりますよ」


「ふふ、待ちきれないのよ。ルナルドもそう思うから私にわざとらしく話をしたのよね?」


「おやおや、気づかれておりましたか」


「ふふふ・・・・・」



コツコツ、と高いヒールの靴音と、キーホルダーにいくつも鍵をつけているような音が聞こえる。その音の主は、一人は女性、そしてもう一人は男性のようだ。この穴の中からでは顔は見えず、赤いドレスと黒いスーツしか見えない。


女性はアントリュー、男性はルナルドと言うらしい。その二人は愉快げに話をしながら、講堂へと続くドアの前に立つ。まさに今そのドアの近くに私たちは身を潜めている。もしここで物音一つでもたてようものなら、確実に気づかれる。


全員が声を殺す。息を殺す。そうしていると、赤いドレスが目の前で後ろを振り返った。



「あら・・・・?今何か聞こえなかった?」


「どうせ街の人間がドアにぶつかっているんですよ。『(アンセクト)』は思考を奪いますから」


「傷一つつけてはだめよ?私の大事な()なんだから」


「はい、心得ております。全てはアントリュー様のお力のため」


「ふふふ・・・・・さぁ、ドアを開いて。私の作品を見せて」


「かしこまりました」



ルナルドという男性がドアを開き、アントリューという女性を中へと案内する。その姿が消え、ドアが閉じられたところで私たちがどっと息をつく。


危なかった。これは本当に危なかった。


これ以上ここにいるのは危険だ。私たちは一度顔を見合わせ、撤退を考える。フォーさんはすぐにジャンティーさんを探しに行きたいと目で言っているものの、また誰かが現れるとも限らない。


それが分かっているから、もどかしくて、悔しくてフォーさんは眉を顰める。



「・・・・戻ろう、優男さんを探して、一度村に・・・・」


「はい・・・・この街の状況を説明すれば軍も来てくれるはずです」


「きっとジャンティーは生きてる・・・・大丈夫・・・必ず助ける」


「・・・・・・・」



元来た道を戻る。もちろんまた誰かが現れることを考え、辺りを警戒しながら。


塔の裏手から外に出る。冷たい冬の風が顔に吹き付ける中、一気に塔から離れる。そして路地裏に飛び込むと、一気に門へと向かった。


しかしこのまま門に戻っては、ウィリアム様と合流できない。私はどうにかして自分たちの存在をウィリアム様に伝える術を考える。きょろきょろと走りながら辺りを見回す。するとゆらゆらと揺れる人影がどこかへと走っているのが路地裏から見えた。きっとウィリアム様を追いかけているのだろう。



「(今街の人はウィリアム様に向かってる。彼らを追いかければ、ウィリアム様が見つかる)」


「お嬢様!早くこちらへ!」


「(何か・・・街の人に気づかれずにウィリアム様に合図を送る方法は・・・・)」


「お嬢様!」



ケイトが私を呼ぶ。手を伸ばし私を引き寄せると、そのまま路地裏を進む。しかしこのまま路地裏にいてはウィリアム様から遠ざかるばかりだ。きっと今ウィリアム様はわざと見つかりやすいように大きな通りを進んでいるはず。


そこで、先ほどのルナルドと呼ばれる男性が話していた言葉を思い出す。その男性の話では、この街の人の異様な姿は『蟲』と呼ばれる魔術か何かが関係しているようだった。その魔術か何かによって、あのように思考を奪われ生きる屍となり徘徊している。


門番も、あのドアに体をぶつけている男性もまるで人の言葉を理解していないようだった。つまり、侵入者を理解するまでにある程度時間がかかるということだ。



「(一瞬の隙ができればいい・・・・少しでも時間が稼げればウィリアム様は逃げられる)」


「一度通りに出るよ!」


「・・・・フォーさん!そのままあの女性のあとを追いかけてください!」


「は、はぁ?追いかけて気づかれたらどうするんだよ!」


「ウィリアム様のもとまで案内してもらいます!」


「・・・・・どうなっても知らないよ!」



フォーさんと共にゆらゆらと体を揺らしながら走る女性の後ろついて行く。こちらも足音を押さえているが、それでも通常の聴覚を持っていれば気づくはずだ。しかし女性は後ろを振り返ることはない。やはり、思考が奪われているのだ。今はただ、ウィリアム様を捕らえることしか考えていない。


そのまま皆で女性の後ろを走っていると、門の近くに人だかりができているのが見えた。そしてその真ん中に四方を囲まれ身動きが取れないウィリアム様が見えた。ウィリアム様はこんな時でも、自身で魔力を使わないと決めているからか、無闇に手出しをしていないようだった。もしかしたら、ウィリアム様はわざと囲まれているのかもしれない。そうしていれば、私たちの時間を稼げるから。


そして、このような状況でも魔力を使わないウィリアム様が優しいだけではなく、きっと私では想像できないような理由があるのだと、他所で思う。


その姿を見たフォーさんが眉を吊り上げる。今にも殴り込みに行きそうだが、そんなフォーさんの肩を掴むと、自分の掌に魔力を込めた。



「優男さん・・・・・!」


「フォーさん、力を貸してください」


「な、何を・・・・・・」


「これだけ冷たい風が吹いています。氷属性の魔術も使いやすい」


「・・・・・」


「地面を凍らせます。あの街の人は今思考を奪われ、自分の体さえ十分に扱うことができません。きっと滑って転ぶはずです」


「わ、わかった・・・・」


「ケイト、ブライトさんも力を貸してください。私の魔力では量が足りません」


「はい!」


「わかりました!」


「行きます!」



全員で地面に手をつく。そして水と風属性の魔術を使い、氷を発生させる。ピキピキ、と嫌な音を立てながら地面がウィリアム様の方に向かって凍っていく。


私一人の力では、ここまでの氷は出せなかったと思う。ウィリアム様が言うように、『仲間』とはなんて心強いものなのだろうか。


凍った地面に、平衡感覚が鈍っている街の人が一人、また一人と音をたてながら転んでいく。そうしているとウィリアム様の姿がよく見えるようになった。私たちはその姿をしっかりと目に入れると、再びダッと走り出す。



「優男さん・・・・!」


「早くこちらへ!」



転ぶ街の人の間を通り、最後は風属性の魔力でも使ったのかふわりとその体が浮かぶ。そして私の前まで来たウィリアム様が、私の体を強く抱きしめる。


よかった、生きていた。それだけで何かが溢れてくるような気がした。


もしウィリアム様がいなければ、塔の中に入ることはできなかっただろう。そして、あれだけのものを作っているアントリューという女性やルナルドという男性を知ることもできなかった。


ウィリアム様には感謝しかない。ご自身の命を危険に晒してまで、私たちの時間稼ぎをしてくれたのだから。



「はぁ・・・・はぁっ・・・・・・!」



再び門を開き、すぐに飛び出す。大量に魔力を使ったことと、ずっと走りっぱなしだったことで息が上がる。しかしこのままでは立ち上がった街の人が外に出てしまう。どうにかして外から門を閉めなくてはいけない。


キョロキョロと辺りを見回し、何か使えないものはないかと探す。するとウィリアム様も同じ考えだったのか、門の傍に置かれていた鉄製の荷車を掴む。そして光属性の魔力だと思われるものを放出した。


ぶわり、とウィリアム様の前髪が魔力の揺れで靡く。瞬く間に鉄はどろりと溶け、ウィリアム様の頭上で一つの塊となった。冬の冷たい風を受け、その鉄からは水蒸気が上がっている。


その鉄の塊をウィリアム様が門の縁に流す。するとそこがみるみるうちに塞がっていく。これだけしっかり塞がれば、内から出ることはできないだろう。


ジュウ、と大きな音を立てて門から煙が出る。そしてその煙が消える頃、ウィリアム様が腕を下げた。



「・・・・・・・」


「・・・・・」


「・・・・・・・」



誰もが沈黙する。


なんて胆が冷える時間だっただろうか。手の震えが治らない。それは私だけでなくケイトもなのか、膝をがくがくと揺らしている。私はゆっくりとケイトへ歩み寄ると、その手をそっと握りしめる。そうするとケイトが私の体に腕を回した。



「お、お嬢様・・・・お嬢様・・・・」


「・・・・怖かったですね・・・・」


「はい・・・・・はいっ・・・・」



もう大丈夫、そう言いたいのに口が震えてうまく言葉にならない。緊張と不安と恐怖のせいでここまで言葉を失うなんてことがあるのかと、改めて自分の弱さを感じる。


しかし、街の外に出てしまえば誰も追いかけてこない。ウィリアム様もブライトさんの肩に手を置き、大きく息をついていた。フォーさんも、息苦しいのか首元まであるレースの服をぐいっと引っ張って風を送り込んでいた。


その様子を見て、安堵する。もう大丈夫だ。


しかし、そんな私たちに気味の悪い音が聞こえる。そういえば、街に入るために門番を外に放り出したのだった。すっかり忘れていただけに、心臓が口から出るのではないかと思ったほどだ。



「ジェニファー、そこにいて」


「ウィリアム様・・・・」


「ブライト」


「はい」



ウィリアム様とブライトさんが、音のしたほうへと向かう。いつの間にかブライトさんもカツラやワンピースを脱いでいた。先ほどまで女性の格好をしていたのに、と門を振り返ると、そこには消し炭にされたそれらがあった。そこまで着ていたくなかったのか。


いやいや、そんなことを考えている場合ではない。


極度の緊張から解放されたからか、頭がほわほわしているようだ。私はケイトの体を抱きしめながら、ウィリアム様を見る。ウィリアム様とブライトさんの姿が茂みに消える。がさがさ、という音が数秒続いたのち、その音が消える。何かあったのだろうか。



「・・・・ジェニファー!来てくれ!」



茂みの奥にいるウィリアム様から声がかかる。危険ではないと判断したのだろうか。


ケイトの手を引きながら茂みへと向かう。すると少し先にウィリアム様とブライトさんの姿があった。お二人へと近づくと、ウィリアム様が私へと手を伸ばす。そして引き寄せられる。



「気をつけて」


「・・・・・・・」



ウィリアム様がそう言いながら茂みのさらに奥を指し示す。すると、そこは緩やかな坂が続いていた。急な斜面というわけではないが、地面が隆起した関係で坂ができたのだと考えられる。


その坂の下へと視線を向ければ、なんと門番が倒れていた。意識がないのか、ぴくぴくと痙攣をしていた。思考を奪われた状態で坂を下り、そのまま滑って転んだと思われる。



「・・・・・・」



あの塔にいたルナルドという男性は、『蟲』と言っていた。それが何なのかはわからないが、人間の思考を奪えるだけの能力のある魔術か何かだと思われる。


坂の下で倒れている門番も、涎を垂らして虚な目をしていた。だとしたらこのままにしておくより、調べる方が役に立つはずだ。怪我をしているだろうし、抵抗をすることもないだろう。


私はゆっくりと隣に立つウィリアム様を見上げる。すると同じ意見なのか、力強く頷いてブライトさんへと声を掛ける。



「ブライト、あの門番を村まで運ぼう」


「は、はい」


「ジェニファーたちは先に村に向かって。すぐ私たちも追いつく」


「はい」



ウィリアム様とブライトさんが坂の下まで向かい、門番を担ぐ。やはり怪我をして気を失っているらしく、その体は全く動かなかった。


私たちはそれを確認すると、フォーさんを先頭に村へと戻る。その足取りはとても重いものだったが、それでも生きた心地がして自然と足早になった。


それからフォーさんの家まで戻った私たちを、マークさんとオルトゥー君が出迎える。あまりにもげっそりとした私たちの様子に、二人が心配げな表情を浮かべるので、申し訳程度に微笑んですぐ、近くの椅子に座り込む。


ウィリアム様とブライトさんがあとから家に入る。そしてぐったりとしている門番をひとまずテーブルの上に乗せる。



「ジ、ジェニファー様、これはいったい・・・・・」


「プレジの門番です・・・・今は気を失っていますが、確かめたいことがあるので連れてきました」


「確かめたい・・・・・?」


「はい」



そこまで言って、私は気を失っている門番へと視線を落とす。


この門番を調べれば、証拠が掴めるかもしれない。そうなれば、軍への要請にもより説得力が増す。もうあの街には立ち寄れない。あんなものを見てしまった以上、私たちがどうにかできるものではない。


ジャンティーさんを連れ戻すことはできなかったが、すぐに軍に証拠を持って向かえばまだ間に合うかもしれない。



「(そのためには、この門番から話を聞き出さないと・・・・・)」



しかし、どうやって。


私は辺りを見回す。皆一様に椅子へと深く座り込み、頭を垂れている。その様子に、今日はもう休んだ方がいいと判断する。私も、もう頭が回らない。


マークさんが気を遣ってホットミルクを出してくれた。それを受け取り、ぼんやりと暖炉の火を見ていると無事に帰って来たという感情が溢れた。



「・・・・・・・」



ぎゅう、とマグカップを握りしめる。


もう、あんな怖い思いはごめんだ。



ーーーーーーーーー

ーーーーーー

ーーー





「ふむ・・・・・誰か入ったんですかね」



プレジの街に一人、男が佇む。


その手には、女物の洋服が握り締められている。


夕方、『あの方』のために街の酒場でワインをくすねて来た時は、何もなかったと言うのに、その男の眼前はまるであの気高い山にいるとされている氷の精霊が現れたのかと思ってしまうような景色が広がっている。


その氷に手をつけると、すぐに溶けて地面に掌がついた。



「ふふ・・・・大きな鼠が山から降りてきたんですかねぇ」



うっとりと目を細め、男が気高い山を見上げる。しかしその山へ足を向けることはなく、再び我が主人がいる塔へと振り返る。



「もう少し、時間が欲しいところですが・・・・仕方ない」



そろそろ潮時ですね。


そう呟く男の表情は、今にもスキップでもしそうなほど愉快げに歪んでいた。




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