お嬢様の決意
夕食を終え、皆思い思いに過ごす時間。船長のマークさんのお屋敷には、海が一望できるテラスがあり、そこで涼む。そこからの景色は、月の光が海面に光り輝いておりとても美しかった。
正直、ワインをボトルで一気飲みした時点で、酔いも回っており食事はほとんど入らなかった。火照った体を涼めるためにも一人ぼんやりと海を眺めていると、隣にどすんと誰かが座る。フォーさんだった。
先ほどの出会い頭では、ワンピースがはだけ肩から谷間まで露わになっていたが、父のマークさんに叱られたのか今は首元までしっかりレースで覆われている。しかしそこにはまだ赤ワインの跡があった。
「さっきは悪かったわね」
そう言うが、あまり悪びれるつもりはないらしく、口元には笑みが溢れている。ちなみに、口元は先ほどのように怪物のようなよれた口紅の跡はない。
肉付きもよく、赤い口紅をしていることもありどこか色気が漂う。フォーさんは足を組むと、その膝に両手を置き、私と同様に海をぼんやりと眺めた。その姿は、どこか格好いいとさえ思ってしまうほどだった。
「あんた、意外と飲めるのね」
「・・・・・気合です」
「き、気合・・・・・?」
「酔い潰れる状態については、脳内にアルコールが回ったことによる一種の麻痺状態だと文献で読みました。今もそうなのですが・・・・ちょっと手先痺れますよね。確かに脳も体も麻痺状態ではありますが、難しい考え事をすれば少しは紛れますので。あと涼めば体も冷えますからね、血液の循環もそれだけ遅くなりますから、多分。なので、気合です」
ぺらぺらと小難しい話をフォーさんにする。私が喋るたびに口元が揺れていたので、必死に理解しようとしてくれたのだろう。しかし、最後の方はもう諦めてただポカンとしていた。
酔うと饒舌になるらしい。いや、いつもか。とりあえず新たな自分の発見をしていると、隣からくくく、とくぐもった笑い声が聞こえる。
隣のフォーさんへと視線を向ければ、眉を顰めながら耐え切れないとばかりに肩を揺らしている。そして爆発するように、大きく口を開いて笑った。
「あははっ、な、なにそれ、一つも分からなかったわよ。おもしろいじゃない!いいわ!気に入った!」
「・・・・・・・」
「なんだっけ、名前は?」
「ジェニファーです」
「ジェニファーね、貴族なんだっけ?敬語で話したほうがいい?」
「い、いえ。そのままで結構です」
「じゃああんたも敬語使わなくてもいいわよ」
「・・・・・こちらの方が自然なので」
「あっそう。別にいいけど、立場逆転って感じがしておかしいわね」
くくく、と愉快げに笑うフォーさんはやはりどこか格好いい。こう、女性特有のどろどろとしたものはなく、さっぱりとした雰囲気だ。悪い人ではないのだろう、それがすぐに分かった。バーバラさんやエリザベッタさんとは大違いだ。
そのフォーさんは徐に自分の膝を叩くと、スッと立ち上がった。
そして、月の光を受けながら振り返る。片眉を上げながらにやりと笑う姿は、とても美しかった。
「旦那の・・・・ああ、ジャンティーって言うんだけど」
「はい」
「ジャンティーがね、隣の奥さんが怪しいやつを見たって言うから家を飛び出したきり戻って来ないのよ」
「・・・・そのようですね」
「あの人、私がいないと何もできないの。・・・・優しすぎるのよ。狩りに出ても兎一匹仕留められないのよ?そんなことでどうするのよって言うとね、いつも笑って誤魔化すの」
「・・・・・・」
「なのに、村のためとか言って出て行っちゃって・・・次の日吹雪が止んでから外を見に行ったら、村の外れにジャンティーのランプが落ちてた。ほとんど雪で消えちゃってたけど、足跡と、あと轍があったからジャンティーの他にも誰かいたんだと思う」
「・・・・・・」
その時の様子を思い出しているのか、フォーさんの顔が悲痛なものに変わる。フォーさんはせっかく立ち上がったのに、再びテラスの長椅子にどすんと座ると、その美しい顔を手で覆った。
そして、その手の間から涙と思われるものがポタポタとテラスに落ちた。
「ねぇ、何があったんだと思う?どうして戻って来ないの?あの人、死んじゃったの?」
「・・・・・・」
「どうして私を置いていったのよ、私がいた方があの人のために戦えるわ。どんな時も、死ぬ時も一緒だって言ったのに・・・・あの人がいなくなったら、私生きていけないっ・・・・・!」
「・・・・フォーさん」
「あの人を愛してるの。あの人がいない世界なんて必要ない。あの人が・・・・ジャンティーがいないなら私なんて生きている価値もないの・・・・!」
「・・・・・・・」
どんな言葉をかければいいのだろうか。
ここまで人を愛する気持ちが強い人を初めて見た。これが自分の命よりも大事なものを持つ人の言葉なのだろうか。先ほどまでのさばさばした雰囲気は微塵も感じさせず、ただただジャンティーさんの身を案じている姿は、女性であり、妻としての一面を見たような気がした。
私にはないものだ。本当に、心の底からそう思った。
私にあるのは、せいぜい親しみのある人々がこの世から消えてしまったら悲しいという感情。自分の命よりも大切で、その人がいなくなったら自分自身の存在価値がなくなってしまうというまでの、フォーさんのような感情は持ち合わせていない。
もちろん、家族や使用人のケイト、執事長のジョージさんだけでなく、ウィリアム様やブライトさん、オルトゥー君が死ぬなんてことになったら悲しい。でも、私自身がなくなってしまうなんてこと、あるのだろうか。
分からない。分からないから言葉をかけられない。
そう顎に手を添えて考え込んでいると、いつの間にか泣き止んでいたフォーさんが私をじっと見つめていた。その目には、何か大きな炎が瞳の奥に宿っているようだった。
「ねぇ、ジェニファー」
「はい」
「あんた、きっと賢いのよね」
「・・・・・それは分かりません。知識が偏っています。魔術については、人より知識があると思いますが」
「じゃああのウィリアムとかいう優男は?」
「あの方は賢いです。機転が効きます」
「ふぅん?あんたがそう即答して言うなら、そうなんでしょうね。なに?彼氏?」
「いいえ」
「・・・・・多分その言葉、優男に言わないほうがいいわよ」
「・・・・・・・」
「かっわいそう・・・・・まぁいいわ。それで、手伝ってくれるのよね」
「・・・・・・・・」
手伝うかと聞かれたら、それはできない。と言いたい。
物騒な話だ。しかもあまりよろしくない状況である。街の自警団を頼ることもできず、軍を派遣してもらうこともできない。そのような状況下で、公爵家のご子息であるウィリアム様や他の皆を巻き込みたくない。もしかしたら死ぬかもしれない。
ここまで来たのも、フォーさんから話を聞いて何か助言ができればいいと思っていたからであって、ジャンティーさんや他の村の男性たちを助けに行くとまでは考えていない。
それでも、フォーさんは行くだろう。一人でも、絶対にジャンティーさんを助けにいく。瞳が、そう言っている。
もし、ジャンティーさんが生きていたとして。フォーさんが襲われ、死んでしまったらジャンティーさんはどうなってしまうのだろうか。五年も音信不通だったマークさんは、久しぶりに頼ってくれた娘が死んでしまったらどうなるのだろうか。
私は、それでも手を貸さないことができるのだろうか。
「・・・・・手伝うにしても、情報が少なすぎます」
「・・・・・・・」
「他の村や街では行方不明者が出ていると噂にもなっていない。カルム村でのみ男性が狙われているその理由は何なのか。カルム村の男性のみが保有している『何か』があるのか。もしその『何か』があったとして、連れ去った人物は何をしたいのか。全てが不明瞭です」
「・・・・・・」
「やはり、一度そのカルム村に行ってみなければ、何も始まりません」
「じゃあ、手伝ってくれるのね」
「・・・・・・」
「とっくに縁を切ったつもりだった私が言うのもなんだけど、父は人を見る目があるわ。じゃなければただの船乗りが貴族の船で船長なんてできないもの。・・・その父があんたと優男を頼った。つまりあんたと優男なら解決してくれるって思ったのよね」
「・・・・・」
「だったら私もあんたと優男に頼む。お願い、力を貸して」
「・・・・それは、私だけでは返答できません」
「・・・・・・じゃあ、あの優男に聞くわよ」
「え・・・・・?」
不意に立ち上がったフォーさんがずかずかとテラスを歩く。その様子に私も釣られて後ろを振り返る。
すると、そこには私とフォーさんの会話を遠くから聞いていたのか、ウィリアム様だけでなくブライトさん、ケイトの姿もあった。オルトゥー君はいないので、もう夜も遅いし寝ているのかもしれない。
フォーさんがウィリアム様の前に立つ。高いヒールの靴のおかげもあってか、ウィリアム様とフォーさんの顔はほぼ同じ高さになっている。もしかしたらフォーさんはもともと背が高いのかもしれない。
そのウィリアム様に、フォーさんが更に顔を近づける。にやり、と笑う姿はどこか妖艶だ。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「(おいおい・・・・・・)」
そして、何を思ったかフォーさんがウィリアム様の胸ぐらを掴んだ。驚きすぎて私は目を見張ったまま固まる。ブライトさんもケイトも同じような状況だ。
しかしウィリアム様は、胸ぐらを掴まれても平然とにこりと笑う。フォーさんがその表情に笑みを濃くする。よく分からないが今にも喧嘩が始まるのだろうか。おろおろと周りが意味もなく両手を二人に差し出していると、それを嘲笑うようにフォーさんがウィリアム様の目と鼻の先で口を開いた。
「・・・・・優男さん」
「はい」
「私はジャンティーを助けたい。でもあの子はあんたたちが死ぬんじゃないかって心配だから手伝いたくないんですって」
「・・・・・それは、私も同じです。彼女に何かあれば、私もあなたと同じようになるでしょうから」
「じゃああんたも手伝ってくれないわけ?」
「・・・・・私は、彼女の意思に従います」
「ですって、ジェニファー」
「(そこで話を振られるか・・・・・)」
にこり、と天使のような笑みを浮かべてウィリアム様が私を見る。その目には、どのような判断をしても問題ないというものが含まれているように感じた。
どう考えても危険だ。できれば助言だけして帰りたい。もしくは私だけカルム村に行って、原因を突き止めたい。
だけど、きっとウィリアム様は一緒に行くだろう。ウィリアム様が行くなら、ブライトさんも行く。ケイトだって私に着いてくると言うだろう。
「(見えないところで何かあるのは嫌だ・・・・・)」
そう内心で呟いたところで、ウィリアム様やブライトさんが言った言葉を思い出す。私が足を怪我した時、ウィリアム様は『目が届くところにいないと、気が気じゃない』と言った。ブライトさんも、私やウィリアム様が怪我をして帰って来た時に『目の届かないところでお二人が危険な目に遭っているのであれば、そこに立ち会いたい。そして助力をしたい』と言った。
そんなの、私だって同じだ。
フォーさんのように、愛してやまない人を想うようなものではないとしても、私だって皆が大事だ。それだけ私の中で彼らはそういうものになっている。
できれば回避したい。できれば、そうしたい。でも、もうこんなの決まったようなものじゃないか。
「身勝手ながら、申し上げさせていただきます。・・・・できるだけ最小限、最低限の活動を心がけ、危険だと私やウィリアム様が判断した時点で、即時助力中断するという条件を付けさせてください」
「・・・・・・・」
「あと、カルム村に行くというのであれば、問答無用で私の指示に従っていただきたいです。文句は誰にも言わせません」
「決まりね」
「決まりだ」
ほぼ同時にウィリアム様とフォーさんが呟く。その様子に、どこか二人は似たもの同士なのかもしれないとなんとなく思った。それはお二人もそうなのか、お互いに顔を見合わせると、クスクスと笑い出していた。
フォーさんはウィリアム様から離れると、座ったまま話を聞いていた私の目の高さまで屈む。そして、片眉をあげにやりと、格好良く微笑み、手を差し出した。それが握手を意味していると私も分かったので、その爪が整えられ、かさついた可愛らしい手を握る。
「よろしく、ジェニファー」
「・・・・よろしくお願いします」
「大丈夫よ、私狩りの腕前だけは村一番なの。獲物を仕留め損なったこともないのよ?」
「・・・・頼りにしています」
「ふふ・・・・そうとなったら今すぐにでもカルムに戻るわよ!」
躍起になっているフォーさんに、ケイトやブライトさんが拍手をして迎える。ウィリアム様もうきうきしているようだが、本当に危険だと分かっているのだろうか。
私は不安を胸に抱きながら、さっそく条件の中に入れてもらった内容を伝えるため、皆に近づく。
「カルムに行くということでしたら、明日にしていただきたいです」
「どうしてよ、夜のうちに向かったほうが目立たなくていいじゃない。最小限、最低限なんでしょう?それにカルムまではここから二日三日かかるのよ」
「・・・・カルムでは男性が行方不明になっています。そこに男性のウィリアム様とブライトさん、それにオルトゥー君を連れて行くことは危険です」
「・・・なによ、今更やっぱり手伝わないとか言わないでしょうね」
「いいえ、言いません」
にこり、とフォーさんに笑いかける。
その笑みに、何かを感じ取ったらしいウィリアム様が私へと歩み寄る。しかしウィリアム様が目の前に来るよりも先に、私はにっこりと微笑みながら皆に伝えた。
「明日、洋服を買いに行ってから、カルムに向かいます」
「お人形さん、待ってくれ・・・・それは」
「そこで女性用の洋服を三つ、用意します」
「・・・・・・」
「男性陣には、女装していただきます」
私の言葉に、ウィリアム様とブライトさんがげっそりと顔を青白くした。
フォーさんは私の奇想天外な言葉に、ケラケラと笑っている。ケイトにいたっては、美しい二人の女装姿を拝めるということで、なぜかキラキラと目を輝かせていた。あとでオルトゥー君にこの内容を伝えたら、どんな反応を示すだろうか。
「ジェニファー・・・・・」
「問答無用です。文句は言わせません」
「・・・・・・・」
「はははっ!ジェニファーあんた本当いいわ!気に入った!」
海が一望できるテラス。月の光を受けて、ある者はゲラゲラと笑い、ある者は頭を抱えるという不思議な光景が広がっていた。
ーーーそれから翌日。
早速店が開いたと同時に、ケイトとフォーさんによってウィリアム様とブライトさん、そしてオルトゥー君のお召し物が購入された。
受け取った男性陣は遠い目をしていたが、そんなこと知らない。
「・・・・・・・」
カルムへと走り出した馬車は、フォーさんとマークさんも加わり少し窮屈ではある。皆何か文句を言いたいような状況の中、私は一人窓からの景色を眺めながら力強く両手を握りしめた。
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