お嬢様のツボ
「そういうことなのでケイトを連れていきたいと思っています」
屋敷に戻ってきた私は、早速ことのあらましを伝えた。男性が行方不明になっている、という部分は物騒だったので伝えなかったが、ウィリアム様との旅行がまたあるという部分は素晴らしくきちんと伝わったらしい。
私の説明が終わるのを待っていた父と母、そして使用人のケイトと執事長のジョージさんが、私の口が閉じた瞬間、両手を天井へと向けてキラキラと顔を綻ばせた。
「まぁ!未来の旦那様との旅行がまたあるんですね!」
「ウィリアム殿も隅に置けないなぁ!娘と父が出かける時間さえつくってくれないようだ!」
「こうなったらケイト、新しいお洋服と香水を朝になったら買いに出かけるわよ!」
「はぁい奥様!」
「・・・・・・・・」
夕食の席が一気に明るくなる。ジョージさんにいたっては、もうこれ以上私を喜ばせんでくれと言わんばかりに手にしていたトレーを強く握り締めていた。
私はもうこの会話にも飽き飽きしているので、食事をすぐに終えるとナプキンで口元を拭ったあと、ジョージさんの横を通り過ぎようとする。しかし、その足をピタリと止める。
急に動きを止めた私にジョージさんが首を傾げる。
ジョージさんといえば、私の中で事件解決のヒントを与えてくれる神のような人だ。今回もジョージさんの年齢を考えると連れて行けないので、今のうちにそのヒントとなり得る話を聞きたいと歩み寄る。
「ジョージさん」
「はい、なんでしょうか」
「何か私に伝える言葉はないでしょうか」
「・・・・挙式はいつにしましょうか」
「(そうじゃないっ・・・・・!)」
思わず脳内だけでビシッとジョージさんの背中を叩く。そうじゃない、そうじゃない!私が聞きたいのはヒントであって、挙式の日取りについてではない。
私は痛む頭を押さえながらジョージさんへとさらに歩み寄る。こうなったらなんでもいいからジョージさんから聞き出してみせる。
その気持ちが伝わったのか、伝わっていないのか。皺くちゃな顔に手を当てると、ジョージさんは昔を思い出すように天井へ視線を向けた。
「ブリーズドゥメールと言えば、海鮮物で有名な街ですな」
「そのようですね」
「今は冬ともあって屋敷の料理にも魚介類が少なくなってきました」
「はい」
「久しぶりに、魚介類をふんだんに使用したお料理をお嬢様にも提供したいと考えております」
「それは・・・ありがとうございます・・・」
以上です。といわんばかりにジョージさんが微笑む。どうやらヒントというヒントはないらしい。もちろんヒントだと思っているのは私なのでジョージさんはただ会話をしているだけにすぎない。それで落ち込むのは、ジョージさんに失礼だ。
しかし、今回の依頼は私の中でも一番手応えのない状況だ。魔術が関係しているようにも思えないし、何より危険である。ウィリアム様は楽しみにしているようだけれど、また怪我をされるようなことがあれば本当に私の首は飛ぶと思う。
どうしようか、と頭痛が酷い頭をおさえる。すると、その様子を見ていたジョージさんが徐に私の腕を掴んだ。あまりジョージさんは屋敷の人間、父や母、私に触れることはない。その立場をわかっているからだ。
「・・・・・?」
私の両手を掴み、それを頭へと持っていく。なんだろう、私を万歳させたいのだろうか。よくわからないがされるがままに両手の力を抜く。すると、ジョージさんは私の手を掴んだまま、その手をこめかみへと持って行った。
「ジョージさん?」
「人間には『魔力のツボ』と呼ばれる部分があると、先代の旦那様からお話をうかがったことがございます。先代の旦那様は書物が多かったので、肩こりや頭痛に悩まされることがあったのですが、その時はこのように、こめかみに指を当てて揉んでおいででした」
「・・・・魔力のツボ」
「はい。体内の魔力が放出される目に見えない穴、とでも言いましょうか」
「なるほど・・・・・」
「よくケイトがお嬢様を叱る時に、肩からオーラを出すでしょう?あれは、魔力のツボから溢れているものなんですよ」
「ふむ・・・・それは大変興味深いですね」
ケイトが私を叱る場面を見ていたことに驚きだが、『魔力のツボ』と呼ばれるものがあるとはさらに驚きだ。あまり医術や人体の不思議については知らないことも多いので、大変勉強になった。
ぐりぐり、と親指の腹でこめかみを揉みながらジョージさんの言葉を記憶する。何か役に立つかはまだわからないが、覚えておくことに損はない。
ジョージさんがお辞儀をして私から離れる。そして相変わらず騒がしい父と母、そしてケイトの仲間に加わる。
その様子をぼんやりと眺めながら私は部屋に戻る。ふむ、『魔力のツボ』か。さすがはジョージさんだ、先代の旦那様、つまり私の祖父の執事をしていたということもあって、その知識はとても多い。
祖父は子爵としての仕事だけでなく、その趣味も多く、その中でも研究室での実験に熱中していたとのことだ。だからこそ、この屋敷の離れには研究室がある。それを孫の私が大事に使っている。
「(ツボについて何か書いてある文献とかありそうだな・・・・・)」
最近頭痛が頻発するので、旅にも持って行くのもいいかもしれない。屋敷に戻る途中、ウィリアム様と一緒に『聖魔女総合病院』に立ち寄り、フィーリウスさんに旅に加わってくれないかと伝えたが、エギーユちゃんの血清投与で忙しく難しいとのことだった。一緒に旅に行けないことを悔しがっていたので、もしまた何かあれば声をかけさせてもらおう。
医者がいれば心強かったのだが、今回は難しい。そういうことであれば、自分の体の調子は自分で整えないと。
「ん・・・・・・?」
ぼりぼり、と右腕を掻きながら廊下を歩く。しかしそれは無意識に行っていたようで、驚いた。
ちょうどその右腕には、服の袖で隠れているが包帯が巻いてある。エリザベッタさんの魔力を塗りたくられたところを隠すように。
私とウィリアム様に嫉妬したエリザベッタさんが、『憎悪』とも思えるような感情を溢れさせながら私の腕を強く掴んだ。その時に、感情と魔力が私の腕に塗られたのだ。
「(塗られたというより、注ぎ込まれたのほうが正しいか・・・・)」
痣にしては治りの遅いそれは、触れても痛むことはなく、ただ静かに私の腕に黒く残っている。それがまるでエリザベッタさんが『私を忘れるな』と言っているような気がして、少し寒気がした。
人の感情とは恐ろしいものだ。自分の感情だからといって、制御できるものでもない。むしろその感情によって、本来であればやらないようなこともしてしまう。
だからこそ、私は人には感情などいらないと思った。それをウィリアム様に伝えたこともある。しかしウィリアム様は私と意見が違うようで、必要だと言った。
慈しむ心や、相手を心配する心が不必要だとは思わない。それは確かに言えている。では、負の感情だけ取り除けばいいのか。しかしそれでは脳内お花畑の人間が量産される。
「難しいものだな・・・・・」
そこまで考えて、ピタリと足を止める。
ケイトが怪我をして部屋に担ぎ込まれ、それを追うようにウィリアム様に横抱きにされ椅子に座らせられた時のことを思い出してしまった。
君の笑った顔が好きだ。
そう、ウィリアム様はやけに真剣な顔で私に言った。あの時の表情が、目が、言葉がどうしても忘れられない。忘れようと頭を叩いても抜けていかないのだから不思議だ。
ぎゅう、と胸を押さえる。嫌なものが這い上がってくるような気がした。私ではウィリアム様の気持ちに応えることができないというのに、何かがそれをさせようとしている。まさか父や母が私に魔術でも施したのか、いや、そこまで馬鹿ではない。
では、やはりこの気味の悪いものは、私が産んだのだろうか。
「・・・・・・・」
部屋に入る。そしてベッドに倒れ込む。
まだ胸は痛むが、それでも目を閉じる。こんなものを産み出した自分が情けない。私ともあろう者が、数値化できず、また制御もできないようなものを産み出してしまったのだから。
出て行け、消えろ。そう思っても、『あいつ』は心臓に食らいついたまま離れない。
「・・・・・うぅ・・・寒い・・・・」
暖炉に火をつけていない部屋はとても寒い。
シーツを捲ってベッドの中に潜り込む。着替えてもいないのにこんなことをしたら後でケイトに怒られそうなものだが、今ケイトは母や父との宴会で忙しいだろう。
冷たいシーツに肌を寄せながら、私は今回の依頼が何事もなく解決することを願った。
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