お嬢様と二人の天使
「さぁさぁ、これだけあったかくすれば寒くないでしょう」
「あらケイト、そのケープいつ購ったの?」
「この前年末セールで安売りしていたんです。まぁ、貴族価格ですけどね」
「可愛いわよぉジェニファー。羊毛が裏地にあるからもっこもこじゃない」
「・・・・・・」
専属使用人のケイトの手によってワインレッドのケープに身を包まれる。母が言うように裏地にはこれでもかというくらいに羊毛が編み込まれており、とても温かい。温かいが、これは俗に言うずんぐりむっくりではないだろうか。
ワンピースも厚手のものを着ているので、とても重たい。というか暑い。
思わず全身鏡の前で表情を曇らせれば、母とケイトがにこにこと微笑んだ。その微笑みの理由がわかっているので、余計に顔を渋くする。
先ほど、公爵家のご子息であるウィリアム様から手紙が届いた。なんでも話したいことがあるから屋敷に来てほしいとのことだが、今すぐにでもという性急なものだったため、ケイトがバタバタと慌て出して今に至る。
すでに屋敷の前ではウィリアム様が手配した馬車が待っている。今日は研究室で雪を使った実験をしようと思っていたので、正直あまり行きたくない。しかしそれを母とケイトは許さない。執事長のジョージさんも、馬車の前で待機しているので味方ではないだろう。どうしてこうもウィリアム様に加担する者しかいないのだろうか。
「未来の旦那様から呼ばれては未来の妻はどこへでも馳せ参じるのが務めというものです」
「ケイト・・・・・」
「あーらぁ、私の言葉に間違いはないかと思いますがぁ?ねぇ奥様」
「そうよぉ?もう公然のことじゃなぁい。コールマン公爵もウィリアム様のご様子を知っているようで、とやかく言うつもりはないみたいだと旦那様も言っていたわよぉ?」
「これはもう、言い逃れはできませんわぁお嬢様」
「・・・・・・・・」
「オホホホ!ぐうの音も出ませんわね!オホホホ!」
「オホホホ!」
高笑いを浮かべる二人についていけない。というか傍にいたくない。
私は重たいケープを掴むと、カバンを手にして部屋から出る。後ろではまだ母とケイトが何やら会話をしていたが、耳を手で塞いで廊下を進む。
しかし、どうしてもぐにゅりと気味の悪いものが腑を這いずり回るから、その足取りは重かった。
バーバラさんとエリザベッタさんの妹であるエギーユちゃんが『花の守人』という精霊によって眠ったままになった事件。すでに『聖魔女総合病院』に勤める医者のフィーリウスさんによって、血清が作られ投与が進められているという。目を覚ますのも時間の問題だと、ウィリアム様が言っていた。
ただの報告であれば、わざわざこのスペンサーの屋敷を訪ねずとも手紙で教えてくれたらいいのに。ウィリアム様は足繁く、雪の降る中だろうが屋敷へと現れ、私に伝える。
その時のお優しいお顔といったら、もうそれは神が丹念につくりこんだ天使そのもので。私とウィリアム様の逢瀬、いや、その場には父や母、そしてケイトとジョージさんもいるので人目を忍ぶつもりはないようなので逢瀬とは言い難いが、私は断じて認めるつもりのないその逢瀬に、屋敷の者共はとてもとっても喜んでいた。
たかが皮膚と皮膚が、飲食物や空気を取り込む人体上の部分が触れ合っただけである。少し、少しだが食べられそうになったような気もするが、思い出すと胸がズキズキと痛むので伏せる。
とにかく、その一件以来、ケイトが目撃したということもあり、その情報は滞りなく屋敷中に広まり、今やウィリアム様が屋敷を訪れるとよく結婚式が行われる教会やウェディングドレスをハンドメイドする店のパンフレットなどを見せびらかしてくる。そして、その愉快な母や使用人たちと楽しそうに会話をしながらパンフレットをうっとりと眺めるウィリアム様がいることに困惑する。
「あ”ああぁぁぁぁ・・・・・・・」
「お嬢様、ささっ馬車にお乗りください」
「ジョージさん・・・・・」
エントランスへと向かうと、ジョージさんが少し曲がった背中を、それでもしゃんと伸ばして私にお辞儀をしてくれる。しかしその表情は明るい。皺くちゃな顔から覗く鋭い瞳は、今は優しい。
その理由がわかるからこそ、私は無言で馬車に乗る。馬車のドアを閉め、再び深くお辞儀をしたジョージさんは、最後に顔をあげると私をにこにこ微笑みながら見上げた。
「どうぞ、ごゆっくり」
「・・・・・・」
「ごゆっくり」
「・・・・・・はい」
ああ、ため息しか出ない。私の生涯独身計画は、泡となって消えてしまうのだろうか。
走り出した馬車から窓の外をぼんやりと眺める。母の胎の中に、お嬢様に大事な感情を忘れてきてしまった私としては、ウィリアム様のお屋敷へと向かう馬車に乗り込んでも、うきうきなんて一つもしなかった。
それでも時間が過ぎれば屋敷に到着してしまうというもので。
「ジェニファー様、お待ちしておりました」
「・・・・・・」
いつぞやのドアマンが丁寧にお辞儀をする。馬車から降りた私は、ケープの裾を掴んで膝を曲げ、会釈をする。しかしこのまま上着を着てお屋敷に上るのは無礼ということで、胸のあたりにあるボタンを外す。そうすると少し熱気も薄れた。
そのケープをドアマンへと渡す。どこかそのドアマンの表情がうきうきしているように見えるのは幻覚だろうか。
「ウィリアム様はただ今旦那様のお取引先様と商談中ですので、その間客室にてお待ちください」
「はい、わかりました」
「お嬢様がいらっしゃるのを楽しみにしているお二人が、客室にはいらっしゃいますので」
「・・・・・お二人?」
「はい」
「・・・・・・」
お二人とは、誰のことだろうか。ウィリアム様はコールマン公爵の取引先の方とお話中とのことだった。ということはウィリアム様とコールマン公爵ではないだろう。
コールマン公爵のお屋敷。そのだだっ広い装飾の施された廊下をドアマン、しかし今案内してくれているのでドアマンではなく執事なのだろう方と進む。
スペンサーの屋敷を二倍にしても余ってしまうほどの広いお屋敷だ。もし案内してくれる方がいなかったら、しばらく迷って外にも出られなさそうなものだ。
「こちらでお待ちください」
「はい」
執事が一つのドアの前で止まる。会釈をしたまま動かないので、私がドアを開くのを待っているのだろう。私はどなたが部屋の中にいるのかわからないので、一度身なりを整えるとそのドアノブに触れた。
そして、内心だけでああ、なるほど。と呟いた。
「お人形さん!」
「お人形さん!」
ドアを開け、部屋の中を覗き込んだ瞬間、執事が言っていた『お二人』がどなたなのか、すぐに判明した。今日も可愛らしい天使のような笑顔でこちらへ手を広げるウィリアム様の妹、アメリーちゃんとアニエスちゃんが、そこにはいた。
私の両手を一人ずつ掴んだ天使は、すぐに重厚な絨毯の上に広げたブランケットの上に私を座らせる。今日は色違いのリボンをウィリアム様につけてもらったのか、アメリーちゃんが緑、アニエスちゃんが黄色のそれを髪の上でひらひらと揺らしながら、きらきらと可愛らしい目をこちらに向ける。
兄と同じその深緑の瞳は、とても美しい。というか、何をしなくても可愛らしい。
「アメリー、お人形さんにあいたかったのよ」
「アニエスもよ。お兄様が、お人形さんがあそびにくるっておしえてくれたの」
「そうですか」
「いっしょにあそびましょうね!」
「はい、お姫様」
ウィリアム様がお二人をそう呼んでいたように、二人に応える。すると喜んでもらえたのか、可愛らしい顔をさらに可愛らしく、くしゃっとして微笑む。ああ、可愛い。可愛いすぎる。
相変わらず私を本物の人形、しかも心を宿した人形だと思っているのか、私の腕や足を掴んで自分たちの好きな格好にしていく。私もそれに合わせるようにカクカクと腕を動かせば、お二人は楽しそうにきゃっきゃと笑った。
「お人形さん?かみをととのえましょうねー」
「はい、お姫様」
「あっ、アニエスがやる!」
「アメリーがさき!じゅんばんよ!」
「お人形さんとわたしがあそぶの!」
「さっきだってあそんでたじゃない!」
「やだー!」
「はなして!」
「やだー!」
「・・・・・・・ふむ」
ケイトが整えてくれた私の髪をお二人が掴む。少し痛いが可愛らしい姉妹喧嘩が始まったので、黙って見つめる。すでに頭の上はぼさぼさになっているが、こういう時どうやって嗜めればいいのかわからない。それにお二人は年下といっても、公爵家のご令嬢だし。
どうしたものか、と思っていると不意に後ろのドアが開かれる。すると天使お二人の手もピタリと止まる。誰だろうか、ご挨拶をしなければ。私も髪をぼさぼさにしたまま振り返る。
すると、そこには呆れたように眉を下げて天使お二人に手を伸ばすウィリアム様と、以前船旅を先導してくれた船長のマークさんがいた。
「(マークさん?どうして・・・・・)」
「アメリー、アニエスだめじゃないか、お人形さんに優しくしないと」
「アメリーがお人形さんをとったの!」
「お兄様!アニエスがじゅんばんを守らないの!」
「アメリーは悪くないもん!」
「アニエスだって悪くないもん!」
ウィリアム様の両肩にしがみつきながら、今にも天使お二人が泣き出しそうな状況に私は髪をぼさぼさにしたまま戸惑う。おろおろと意味もなく天使お二人に伸ばしていると、それに気づいたのかウィリアム様が困ったように眉を下げながら私の手を掴んだ。
「お人形さんも二人が仲良くしないから困っているよ」
「・・・・・お人形は、困りましたわ」
「ほら、二人が仲良くしないからお人形さんも楽しくないって」
「・・・・楽しくありません。お二人が笑ってくれないと、お人形は悲しいです」
なんだかよくわからないが茶番が始まってしまった。ウィリアム様の言葉をオウム返しするように、お二人へと伝える。するとウィリアム様の両肩に頭を寄せ、口元を小さな拳で隠していた天使お二人がちら、とこちらを見る。その可愛らしい仕草に自然と微笑めば、私が許してくれると思ったのか、というか怒ってなどいないのだけど、天使お二人がこちらに手を広げて歩いてくる。ああ、抱きついてきた。役得である。
「お人形さん、いたかった?ごめんね」
「アニエス、ちからいっぱいかみの毛ひっぱっちゃった」
「いいえ、痛くありませんよ」
「ほんとう?」
「ええ、本当ですとも。お人形は人間より体が丈夫なんです」
「わぁ、かっこいい」
「こうやってお姫様を持ち上げることだってできます」
「わっ!」
よいしょ、と声をかけてから風属性の魔力を腕につけながらまずはアニエスちゃんを持ち上げる。すると喜んでもらえたのか、アニエスちゃんが私の頬にお顔を寄せながら笑顔を見せた。ああ、危ない。なんだかいけない気持ちになった。
それから、膨れっ面をしていたアメリーちゃんを抱き上げる。私の首に手を回してきゃっきゃと笑う姿は、もう誰が見ても天使だと言うだろう。役得である、役得すぎるのである。
思わず私から頬を寄せてにっこりと微笑む。その様子を見ていたウィリアム様が目の前に好きなものしかないとぷるぷる震えていたとは知らず、一頻りアニエスちゃんとアメリーちゃんと戯れる。
「お兄様!」
「おにいさまっ」
「ふふ、楽しかったかい」
「うん!」
「アメリー、お人形さんとずっと一緒にいたい」
「アニエスも!」
お二人も満足したのか、ウィリアム様へと歩み寄ると、再びその両肩に抱きついた。どうやらこの戯れも終わりのようだ。もう少し遊んでいたかった。
しかし、アメリーちゃんの『ずっと一緒にいたい』という言葉にギクッとする。人形よろしくギギギと音を立てながらウィリアム様へと視線を向ければ、ウィリアム様もこちらを見ていたのか、にんまりと笑われる。
「そうだね、兄さんもお人形さんと一緒にいたい」
「じゃあどうしたらいい?買えばいいの?」
「はは、あのお人形さんは買えないよ」
「じゃあどうしたらいいの?お父様におねがいすればいいの?」
「ああ・・・・そうだな、その手があったか」
「(まずいまずいまずい・・・・・!)」
コールマン公爵がこの大天使と天使にお願いをされたら、頷いてしまうのではないだろうか。そうなったら父と母の思う壺である。私は急いで立ち上がると、ウィリアム様へと歩み寄り、ウィリアム様ではなくアメリーちゃんとアニエスちゃんにニコニコと微笑んだ。
「お人形は、またお姫様と遊びにまいります。お願いをしなくともまた遊べますよ」
「ほんとうっ?」
「はい。もちろんです。でも、体の調子を見てもらう必要があるので、遊ぶのはまた先の話になります」
「え〜・・・・」
「お兄様になおしてもらったら?」
「いいえ、これは自分でしないといけないのです」
「やだー!」
「やっ、やだ?・・・・・こ、困ったな」
またぐずりだした天使お二人におろおろする。するとそれを間近で見ていたウィリアム様がそっと長い腕を伸ばして私を引き寄せる。両側にアメリーちゃんとアニエスちゃん、そして真上にウィリアム様の美しいお顔が並ぶ。なんだろう、ここは天国だろうか。
ぐにゅりと現れた『あいつ』に眉を顰める。すると、それが分かっているのかウィリアム様はうっとりと眠たげな瞼の下に転がる宝石のような深緑の瞳を細めると、その薄い唇を私のぼさぼさな髪に落とした。
まぁ、と天使お二人が口元に手をおいて目を見張る。や、やめろ!こんな小さい子の前で!
「ウィ、ウィリアム様・・・・・!」
「はは、じゃあまずは私が君のヘアセットをしてあげないとね」
「アメリーもいっしょにする!」
「アニエスも!」
「じゃあ二人は、お人形さんに似合うようなリボンを持ってきて」
「「 はーい! 」」
ぱたぱた、と足を動かし部屋を出て行った天使。しかしまだ大天使が残っている。
私の頭に触れる長い指が、リボンやピンを外していく。ふわり、とケイトに整えられた髪が肩まで落ちてきた。暴漢に襲われた際に切ってしまった髪も、今では鎖骨のあたりまで伸びた。ウィリアム様がその一房を手に取ると、そこにキスを落とす。そして後ろから覗き込むように、柔らかく笑みを溢し声をかけた。
「もともとどんなヘアセットだった?」
「え、ええと・・・・三つ編みで、全て上にまとめていました」
「分かった。・・・妹たちが悪かったね。せっかく綺麗にしていたのに」
「い、いいえ・・・・私も楽しかったので」
「ああ、妹たちも楽しそうだった。ありがとう」
「・・・・・い、いいえ」
頭の上でウィリアム様の美しい指が何度も動く。てきぱきと三つ編みを作り、それをピンで止める仕草は手慣れている。それに感心しながらも、ウィリアム様の体が私の背中に当たるので緊張してしまう。
ああ、早く終わってくれ。
そう思っていると、ほとんど終わったのかピタリとウィリアム様の手が止まる。しかし何を思ったのか、その手を私の腹部へと回すと後ろから抱きしめた。『あいつ』が叫ぶ。心臓が食い尽くされそうだ。
「ウィ、ウィリアム様・・・・・」
「会いたかったよ」
「・・・・・・・・」
「お人形さんは?」
「は、はい?」
「私に会いたかったかい?」
「・・・・・・」
「ん?」
「・・・・お会いできて、よかったです」
会いたかったか、と聞かれて会いたかったと即答できるような人間では私はない。なので『よかった』とだけ伝えると、欲しかった返答ではなかったのか腹部に回された腕に少し力を込められる。そうするとどうしても密着度が増すというもので。
何がなんだか混乱のしすぎで考えが及ばない。私は人形よろしくピシッと固まったままぼんやりと重厚な絨毯を見つめる。
「っ・・・・・」
しかし、うんともすんとも言わない私に痺れを切らしたのか、ウィリアム様が私の首元に顔を埋める。ぴたりと寄せられた唇が首を食んだ。だめだ、もう息ができない。こそばゆいその仕草に変な声が出そうになって慌てて口元を手で覆う。覗き込んだウィリアム様の深緑の瞳に生温かいものが流れる。
だめだ、もう息ができない。
そう思ったところで、遠くから咳払いのようなものが聞こえた。そういえば、この部屋にはなぜか船長のマークさんもいたのだった。
「失礼・・・あまりにも仲がよろしいところを見せられているもので」
「ああ、・・・・はは、失礼いたしました」
頬を赤らめそっぽを向くマークさんは居心地が悪そうに部屋の角でぽつんと佇んでいた。その様子にウィリアム様が私から離れ、にこにことご機嫌が良さそうに歩み寄った。
私はと言えば、このような状況をマークさんに見られ言葉を失う。ああ、なんだって目撃者が多いところでウィリアム様はあ、あのようなことをするのだろうか。
「ジェニファー、紹介するよ。以前の船旅でもお世話になったマークさんだ」
「マークです。ジェニファー様、お久しぶりでございます」
「(いやいや・・・・なんでそんな平然としているんですかお二人とも)」
こちらはまだ感情の処理が間に合っていないのですが。ふらふらと立ち上がり、無表情のままマークさんへと歩み寄ると、ワンピースの裾を掴み膝を曲げる。その表情にマークさんとウィリアム様が笑っていたが、処理がまだ終わらない私はただ無表情のまま首を傾げることしかできなかった。
それからしばらくして、リボンを手に持ったアメリーちゃんとアニエスちゃんが戻ってきた。仕上げとばかりにウィリアム様が私の頭に天使お二人と同じ、緑と黄色のリボンがつけたところで、マークさんのお話を聞くことになった。
「実は、私の娘の夫が、行方不明なのです」
その内容に、ぽわぽわした頭は一瞬で冷えることになった。
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