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お嬢様の魔術合戦




別荘の離れから、バーバラさんとエリザベッタさんがいる部屋へと向かう。


離れとは比べ物にならないほどの豪華な装飾が散りばめられた廊下は、それはそれは美しい。今までの離れがどれだけ貧相なものであったかがよくわかる。


ケイトとフィーリウスさんがうきうきした様子で私に着いてくる。私もひょこひょこと廊下を進む。そうしていると、使用人たちがドアの前で夕食をトレーに乗せたまま待っていた。


使用人へと近づく。すると使用人の一人が悲鳴を上げた。あの洗濯場での一件以来、怖がられてしまったらしい。しかしケイトへの仕打ちを思えば、むしろそれを利用するほうが気晴らしにもなる。私はにんまりと笑いかけると、わざとらしく手に魔力を込めた。



「ひぃっ・・・・・・!」


「お嬢様に近づくと、あなたたちを豚に変えてしまうかもしれませんよぉ」


「こら、ケイト」


「ふーんだ」


「はは・・・・・」




頭に包帯を巻いたケイトがぺろっと舌を出す。その姿に思わず笑えば、ケイトも顔を綻ばせた。本当にお調子者だ。しかしそれでこそ私の使用人。


私を避けるようにドアから退いた使用人たちへ再び笑いかけながら、そのドアノブに触れる。そして開く。すると、ウィリアム様を真ん中にテーブルを囲むバーバラさんとエリザベッタさんを見つけた。


まるでここは娼婦の館か何かか。部屋に入った途端香水だか何だかわからない匂いが鼻につく。両腕を掴まれ真ん中に座るウィリアム様はどこか遠い目をしていた。


しかし私たちが部屋に入ったことに気づくと、にこりと目を細める。眠たげな瞼の下に転がる深緑の瞳がゆっくりとこちらへと向けられ、思わず私は俯いた。ああ、部屋での出来事からあまりウィリアム様を直視できない。ぐにゅりと『あいつ』騒がしいし。


胸を押さえながら、それでも眉を顰めるバーバラさんとエリザベッタさんへと歩み寄る。そしてワンピースの裾を掴むと、ゆっくりと膝を曲げた。


ーーーさぁ、正念場だ。




「バーバラさん、エリザベッタさん、夕食の席にお邪魔してしまい申し訳ありません」


「足を怪我されたんですってね。お部屋で休まれていたほうがいいんでなくて?」


「そ、そうですよ・・・・夕飯はちゃんとお部屋に運んでいるのですから」


「はい。美味しくいただいております」



そう伝えると、バーバラさんが鼻で笑った。もちろん、バーバラさんたちも私たちに届けられている夕食がどれだけ貧相なものかわかっている。だからこそ笑ったのだ。私が『美味しい』など言ったから。


バーバラさんが赤い口紅をつけた美しい唇を歪める。そしてウィリアム様の腕にそっと頬を寄せた。



「なら別に来なくたっていいじゃない。今忙しいのよ」


「・・・・先ほどフィーリウス様からお伝えした通りご説明したいことがあるので。その説明が終わったら、すぐに部屋に戻ります」


「それならさっさとしてちょうだい」


「はい。・・・・ケイト、あれを」


「はい」




ケイトが豚足を乗せたトレーを私に手渡す。豚足を素手で持った私は、それをバーバラさんとエリザベッタさんに見せた。お嬢様が素手で豚足を持つところを初めて見たのだろうお二人が驚いたように口元に手を置いている。ウィリアム様は私が今から種明かしをするとわかっているからか、興味津々で見ていた。


豚足を手に持った私は、次にフィーリウスさんへと歩み寄る。そして拝借した注射器を再びお二人に見せる。



「注射器・・・・?何よ、豚に注射するところでも見せてくれるの?楽しいお遊戯ね」


「はい、今から花の守人(チュテレール)から魔力を手に入れる様子をお遊戯にしてお見せします」


「・・・・・・!」



にこり、と愛想よくバーバラさんに伝える。すると、魔力の抽出方法がわかったという部分で反応を示した。まさかこの短時間で、といった顔をしていた。


もちろん、その功労者は私ではなくジョージさんだと言える。ジョージさんがいれば、私はいつでも答えを導き出せると思う。長生きしてもらいたいものだ。


私はバーバラさんとエリザベッタさんに、見やすいように豚足を左手に、右手に注射器を持つ。さぁ、始めよう。



「これはお分かりの通り、豚足です。すでに血抜きがされていて、皮膚は固く、本来であれば煮込んだり焼いたりして食べるものですが、今回はこの豚足を人間の腕だと思ってください」


「まぁ・・・・豚を人だと言うなんて、お嬢様らしくないわねぇ。ねぇ?エリザベッタ」


「え、ええ・・・・・・」


「・・・・・・通常、豚にも生きていれば血液が流れ、その血管には魔力も含まれています。ですが今は血液と共に魔力も抜け出ている。では、次にこの注射器にワインを入れます」




そこまで説明して、ケイトが持っていたグラスに注射器の針を入れる。持ち手を引くと、注射器の中にワインがどんどん入っていく。赤ワインを選んだからか、注射器にそれを入れるとどこか血液に見えなくもない。


ワインの入った注射器をバーバラさんとエリザベッタさんに見せる。その様子に二人は眉を顰めた。ウィリアム様だけは早く続きを聞きたいとばかりに目を輝かせていた。




「この注射器は、今は花の守人だと思ってください。そして注射器の中のワインは、花の守人の魔力です。花や草木を眠らせ、その成長を遅らせることで長く生き続けられるように魔力が込められています。」


「・・・・それが何よ」


「本来、人や豚には血液の中に魔力が含まれていると説明をしました。生きている人間に花の守人の魔力が入ると、その魔力は血管に注がれ、全身に回ります。そして人間の魔力と同化し、魔力そのものは消えてしまう。しかし、その効力は残る。それがエギーユちゃんの現在の状態です」


「わかっているわよ、だからさっさと結論を話なさいよ!」



ドンッ、とテーブルを拳を握って叩くバーバラさん。その様子に隣にいたウィリアム様とエリザベッタさんが驚いてそちらを見る。


ウィリアム様にはしたないところを見られてしまったバーバラさんが俯く。その様子にウィリアム様は固い表情を変えないまま、声をかける。



「バーバラさん、私はもう少し彼女の話を聞いていたい。これはお遊戯なのでしょう?」


「・・・・ウィリアム様がそうおっしゃるなら・・・・・」


「ジェニファー、続けて」


「はい」



にこり、と深緑の瞳がこちらに向けられる。エリザベッタさんの魔力の揺れを思えば、あまり話をしない方がいいだろう。しかし、ウィリアム様のおかげで話を続けられる。私は軽く膝を曲げて会釈をすると、ウィリアム様は見ないまま、話を続けた。




「この注射器が花の守人だとして、それをこの血を抜いた豚足、ああ今は人間の腕です。その腕に刺すとどうなりますか?エリザベッタさん」


「そ、それは・・・・腕の中にワインが入るんでなくて?」


「はい。入ります、ですがこの豚足はすでに血抜きが終わっている。血管も収縮し、ワインは行き届きません。つまり、こうやって・・・・・」



注射器と豚足を片手で持ち、その手を傾ける。すると、私のもう片方の手にワインがぽたぽたと垂れた。


ケイトとフィーリウスさんがそれを見て小さく拍手をする。すでに二人には種明かしをしているので、楽しく見物しているつもりなのだろう。もう少し緊張感を持ってもらいたいものだ。


手を器の形にしてワインを受け止める。その最後の雫が落ちたところで、ケイトのワイングラスにそれを戻した。



「このように、ワインは皮膚の間で留まります。つまり、花の守人の魔力も体内に含まれません」


「・・・・・・・」


「ですが、生きている人間の血を抜くことはできません。なので、私はこの豚足以外にも豚の皮膚を集め、もう一度花の守人のもとを訪れようと思います。豚の皮膚を腕や首につけ、わざと花の守人の前に出る。攻撃をされると思った花の守人が私の腕や首に針を刺す。しかしそれは血抜きをされた豚の皮膚です。それを持ち帰り、注入された魔力を取り除き、血清を作れば・・・・・」


「妹は目を覚ますってこと・・・・・・?」


「はい。エギーユちゃんを助けられると思います」




そこまで伝えて、報告終了と言わんばかりに会釈をする。するとウィリアム様が感心したように拍手をする。それに釣られてケイトとフィーリウスさんも拍手をしてくれた。



「まるで学会発表のようですなぁ、お嬢様は学者が似合います」


「はは・・・・・・」


「ですがお嬢様、やはりケイトは危険だと思います。花の守人が攻撃をやめなかったらどうするおつもりですか」


「ああ・・・・それは、おそらく花の守人から一定距離離れれば問題ないと思います。あの精霊は花や草木を守っていますから、それらから離れれば追いかけてこないでしょう。もともと精霊は人の前に姿を表すのを嫌います。自ら人間に近づこうとはしません」


「でも・・・・お嬢様は足が・・・・・」


「それなら私が取りに行こう」



柔らかい声が部屋に響く。正直、今回ばかり、というかいつものことだけれどウィリアム様に手伝ってもらおうと思っていたので、私はゆっくりと深緑の瞳を見つめる。


長い足を動かし、立ち上がったウィリアム様がこちらへと歩み寄る。そして私の頭に手を置く。もう行くことはウィリアム様の中で決まっているらしい。


まだ先ほどの出来事がちらつくが、今は無視する。無視だ、無視。



「ケイトの言うように、危険であることは間違いないです。それでも手伝っていただけますか?」


「ああ、この中で一番それを完遂できる可能性があるのは私だからね」


「・・・・・フィーリウス様にも手伝っていただきましょう」


「ええっ、私ですか?怖いなぁ」


「私も行きますので」


「君はだめだよ、まだ怪我が治っていないんだから」


「・・・・・包帯を巻けば問題ないです。必要であればフィーリウス様に薬を処方してもらいます」


「・・・・・・・」


「・・・・・問題ないです」


「ふむ、では以前首にしたように、君の足に魔術を施さなければならないようだ」


「あっ・・・・・!」



そこまで言われて、私は驚いて目を見張る。暴漢に襲われた時、ナイフを首筋に突きつけられ怪我をした。その時、魔力を『例外』で私に使うと決めたウィリアム様がした行為を思い出す。


あの時、ウィリアム様は私の首に唇を寄せて、そこから治癒魔術を施した。


それを足にしようと言うのか。な、なんと公爵家のご子息が私の足に唇を寄せるというのか。そんなことさせられない!と私はぶんぶん首を横に振る。


その様子を間近で見つめていたウィリアム様の片方の口角が上る。いつもの悪戯を思いついたようなあどけないものだ。




「私は構わないよ、君のどこにでも、そうしたいからね」


「だ、っだめです!」


「どうして?花の守人に会いに行くんじゃないの?」


「い、いいい行きますが、魔術を施していただかなくても問題ありません!」


「それじゃあお人形さんを連れて行けないなぁ」


「・・・・ケイト!」


「これはもうウィリアム様に施していただくしかありませんね」


「(ケイトっ・・・・・・!)」



ケイトも屋敷でウィリアム様が私の首に何をしたのか知っている。だからこそ、ウィリアム様の肩を持つようでにやにやと口元に手を置きながら笑う。それでも私の使用人か!


フィーリウスさんに助けを求めるが、フィーリウスさんもウィリアム様派なのか、いいぞやれやれというような目をしていた。どうしてこうも私の周りはウィリアム様の味方しかいないのか。



ーーーードンッ!!!



どうしよう、とおろおろしていると、そこに魔力の揺れと同時にテーブルが大きく揺れる。その物音に、その場にいた全員が肩を震わせた。


驚いてテーブルを見る。すると、顔を俯かせ両手をテーブルに叩きつけたエリザベッタさんが、その体を震わせていた。いけない、魔力の揺れが大きくなっている。私はすかさずウィリアム様から離れる。そしてウィリアム様もエリザベッタさんの異変に気付き、そっとその肩に触れた。




「エリザベッタさん、いかがされましたか?可愛らしいお顔がそれではよく見えません」


「ウィリアム様・・・・・私、ちょっと気分が悪くて・・・・・早くジェニファーさんを外に連れ出していただけないかしら」


「・・・・・・・」


「花の守人から魔力を取り出す方法もわかったことですし、もうここにジェニファーさんがいる必要はないもの。また私たち三人で、ゆっくりお食事をしましょう?」




仄暗い笑みを浮かべながら、ウィリアム様を凝視するエリザベッタさん。その様子にウィリアム様だけでなく姉のバーバラさんまでもが顔を青ざめていた。


それでもエリザベッタさんが妖しく微笑む。私へと視線を向けたエリザベッタさんが、ゆったりとそのか細い体を持ち上げて席を立つ。そして手に夕食用のナイフを持ったまま、にぃったぁ、と微笑んだ。


ナイフを持ったまま、私の右腕を握りしめる。まだエリザベッタさんの爪の跡が消えていない腕に、再び爪を立てられる。雑巾を絞るように捻られ眉を顰めると、エリザベッタさんはそれを喜ぶように目を細めた。



「ジェニファーさん?私たち、忙しいの。どうぞお部屋に戻って?」


「・・・・・・」


「魔力の取り出し方について教えてくださってありがとう。もう、あなたはいらないからお部屋に戻ってくださいな」


「・・・・・・エリザベッタさん」


「聞こえないの?」


「・・・っ、・・・・・」



ギリギリと腕を握り締められる。それを悲痛な顔でケイトが止めようと体を動かす。そうすると、すんなりエリザベッタさんの手は離れていった。


腕を押さえてエリザベッタさんを見つめる。後ろに控えているウィリアム様が今にも怒りだしそうな表情でエリザベッタさんを睨んでいた。だめだ、ここは穏便に済ませなければ。



「・・・・それでは、失礼いたします」


「ええ、もう来なくていいですからね?」


「・・・・・失礼いたします」



ケイトとフィーリウスさんと共に部屋を出る。魔力の揺れは廊下にも届いていたのか、使用人たちがビクビク震えていた。私たちは気性の荒い主人を持つ使用人たちを哀れみの目で見つめながら、廊下を歩く。


やはりあのエリザベッタさんという方は危険だ。それだけは分かる。


爪を立てられた腕を見る。すると、魔力も同時に塗りたくられたのか、痣のように変色していた。これは『憎悪』だ。一種の呪いをかけられたようなものだ。


その腕をケイトが見て、顔を白くする。フィーリウスさんも、言葉を失っていた。



「・・・・・・」



離れへと続く外廊下を通り、石階段を登って部屋へと戻る。重々しい部屋に三人で佇む。


しかし、やるべきことはやらなくては。私は気持ちを入れ替えると、すでに用意をしていた夕食へと手をつけた。明日には花の守人に会いに行くことになる。今のうちに体力をつけておかなければ。あとでフィーリウスさんに鎮痛剤をもらおう。


むしゃむしゃとパンにかじりつき、ワインを飲み込む。そうしていると、ただ眺めるばかりだったケイトも私の横に座り、パンを口に含んだ。


遅れてフィーリウスさんも席に座る。皆無言で食事に手を付ける。



「・・・・・・・」



早く終わらせるんだ、こんな旅。誰も幸せになれない。今はエギーユちゃんの目を覚ますために、できることをする。それが終わったら、すぐに帰ってやる。



「・・・・・・・」



なんとも味気ない夕食を終え、私とケイトは寝る支度をする。


あまり会話は弾まなかったが、お互いの怪我の様子を見て、かさぶたができていることを確認してから枕に頭を落とす。こうやって使用人のケイトと同じベッドで眠ることも珍しいから、いろいろと話をしたかったが、今は早く朝日を拝みたい。朝になれば、花の守人に会いに行ける。



「・・・・・・ん・・・・?」



そう思いながら目を瞑る。しかし遠くで狼の遠吠えだと思われる声がした。


私とケイトはほぼ同時に飛び起きる。隣の部屋から何かが落ちる音がしたから、おそらくフィーリウスさんが驚いてベッドから落ちたのだと思う。その音はとても重々しかった。




「・・・・やだ、狼ですか・・・・?」


「・・・・見てきます」


「あ、危ないですよ!」


「廊下から外を見るだけです」



ベッドから起き上がり、ひょこひょこと足を引きずりながら廊下へと出る。すると手に花瓶を持ったフィーリウスさんも隣の部屋から出てきた。


フィーリウスさんへと歩み寄り、一緒に窓から外を眺める。暗くてよく見えないが、確かに狼が近くにいるのだろう、遠吠えがまた聞こえた。フィーリウスさんがその遠吠えに悲鳴を上げる。大丈夫だ、この中にいれば狼も入ってこない。


しかし、そこで信じられないものを目にする。




「あ、あれは・・・・・?もしかしてバーバラさんとエリザベッタさんですかね?」


「・・・・・・・」


「どうしてこんな夜更けに・・・外は狼がいるというのに」




バーバラさんとエリザベッタさんは、お互いに身を寄せ合いながら森へと続く道を進んでいる。狼の遠吠えは二人にも聞こえているのか、薄暗くてよく見えなかったが怯えているようにも思えた。


狼は夜行性だ。しかも群れで狩りをする。エリザベッタさんの魔力の量があれば一匹程度なら倒せるかもしれないが、その数が多ければ、そして箱入りのお嬢様ということも加味すれば、確実に危険だ。


おそらく、お二人は私とウィリアム様が明日森に出かけるより先に花の守人を見つけて魔力を取り出そうとでも考えたのだろう。お二人なら、いやバーバラさんなら考えそうなことだ。




「・・・・・・馬鹿なことを・・・・・!」


「あっ!ジェニファー様!」


「フィーリウス様はウィリアム様のところへ!私は見失う前に二人を追います!」


「ジェニファー様!危険です!」


「お嬢様・・・・・・!」




ひょこひょこと廊下を走り、石階段を降り、外に出る。狼の遠吠えが先ほどより近くで聞こえた気がする。私は手の上に火属性の炎を出す。狼は動物だ、動物は火を嫌う。こうしていれば周りもよく見えるし、狼も寄り付かない。


舗装のなっていない道をひたすら歩く。少し先でガサガサと草がかき分けられるような音がするから、その音のする方にバーバラさんとエリザベッタさんがいるはずだ。


足が痛いとか言っていられない状況に、私はダッと走る。すると、遠くに湖だと思われる場所が見える。あれがウィリアム様の言っていた湖か。



「いた・・・・・!」



草をかき分けて湖に出る。その畔を進むバーバラさんとエリザベッタさんを見つける。二人の腕が肥大していたので、おそらく豚の皮膚を取り付けているのだと思う。


足裏に風属性の魔力を込める。そしてふわりと浮くように走り抜ける。もうその頃には足の痛みなどどこかへと消えていた。


月見茸(つきみだけ)』の胞子が辺りを漂う。とても幻想的だと思うより先に、その中にずかずか入っていったバーバラさんに顔を青ざめる。花や草木を踏みつけたらだめだ。花の守人を無駄に怒らせかねない。



「・・・・っ・・・・・!」


「ジ、ジェニファーさん・・・・・!?」


「エリザベッタさんはそこにいてください。動かないでください」



急に現れた私にエリザベッタさんが声を荒げる。私は自分の口に人差し指を縦につける。黙ってくれ。


それからバーバラさんの様子を心配そうに見ていたエリザベッタさんの横を通り過ぎる。しかしその瞬間腕を掴まれてしまい、前に進めなくなる。なんだってこんな時に腕を掴むのだ。そう思い少々きつい顔でエリザベッタさんを見る。


すると、エリザベッタさんは困惑と怒りと不安を含めた表情を私に向けた。



「どうしてあなたがここに・・・・・」


「お二人の姿を見かけただけです。狼も近くにいるので危険だと判断しました」


「どうしてっ・・・・・!別にあなたからしたら私や姉が死んだって構わないでしょう!?」


「・・・・・あなたはどこまでも浅はかですね・・・・・」


「なっ・・・・・」



すぐにバーバラさんのもとに行きたいのを我慢しながら、エリザベッタさんを睨み付ける。その視線にエリザベッタさんが身動ぐ。それでも私はエリザベッタさんへと歩み寄る。そしてその腕を強く握ると、今までのお返しとばかりに爪を立てた。




「いいですか、私はあなたやお姉さんが花の守人の魔力を受けて眠ってしまおうが、狼に食い殺されようがどうでもいいです。正直に言ってどうでもいいです。ですが、そうなればあなたの妹さんが悲しむでしょう。目を覚ました時、お二人の葬式に出ることになったら・・・・あんな小さい子を残していいわけがないでしょう!!姉として、エギーユちゃんが目を覚ました時に抱きしめるべきです!」


「っ・・・・・・・・」


「いいから黙ってそこで見ていなさい!」



私はそうエリザベッタさんを叱りつけると、ダッと走り出す。そしてたった今花の守人に見つかり攻撃を受けそうになっているバーバラさんに向けて風属性の魔力を吹き付ける。体の小さい花の守人が風に煽られてバーバラさんから離れた。


すかさずバーバラさんへと近づき、その腕を掴む。突然現れた私にバーバラさんが目を見張って振り返る。



「なっ、ジェニファー・・・・!?」


「前を向いて!来ます!腕を出して!」


「・・・・・っ・・・・・」



花の守人が針をこちらに向ける。それに合わせるように、バーバラさんの腕についた豚の皮膚を差し出す。まさか豚の皮膚だと思っていない花の守人がその針を突き刺した。すぐに私はもう一度風属性の魔力を最大限放出して、逃げ出す。


花や草木をできるだけ踏まないように丘から離れる。そしてエリザベッタさんの腕も掴んで走る。


後ろでバーバラさんとエリザベッタさんが何か言い合いをしているようだが、そんなことどうでもいい。再び火属性の魔力で炎を灯すと、勢いよく湖の畔を走る。


後ろを振り返るが、花の守人は追いかけてきていないようだ。私は少し速度を落とすと、辺りを見回す。狼は炎に怯えているのか姿を現さない。このまま行けば問題なく別荘まで戻れる。


ーーーしかし、そこに嫌な音が響く。



「ひぃっ・・・・・!」


「お、狼・・・・・!?」


「・・・静かに。刺激しないでください。お二人も炎を出してください」


「わ、わかったわ・・・・・」



がさがさ、という草音と共に、唸り声のようなものが聞こえる。


唸り声の数からして、五頭は集まっていると思う。無闇に動き回れば夜目のきく狼の思う壺だ。私は一度湖の畔まで戻ると、炎を浮かべる手を水面へと近づける。こうすることで炎が反射してその明るさが増すからだ。


二人も私の真似をして水面に手を近づける。エリザベッタさんの魔力の量も相待って、あたりが一気に明るくなる。


少し遠くに、狼のものだろう目が見えた。そしてその目の色を確認して、私は顔を歪める。『魔狼(オルセルー)』の象徴である満月のような金色の瞳だったからだ。



「最悪だな・・・・・魔狼だ・・・・・」


「魔狼・・・・!?な、なによそれ!」


「火属性と土属性の魔力を保有する魔獣です。炎が効かないのもそのためです」


「ど、どうするの!?」


「火属性だけなら水属性の魔術を使えば打ち消せます。ですが水と土は相性がいい・・・・お二人の得意属性は何ですか?」


「わ、私は火よ・・・・・」


「私は・・・雷です・・・・・」


「(やはりエリザベッタさんは雷か・・・・・)」



今はどうでもいいことだが、やはり闇属性に近しい得意属性を持っていることがわかる。突然落ちてくる雷のように、エリザベッタさんの性格は不意に暗いものになるのはそのためだろう。


今は魔狼のほうが重要だ。私はエリザベッタさんの肩を掴む。



「エリザベッタさん、雷属性の魔術を広範囲に放ってください。バーバラさんの火属性だと魔狼の餌にしかなりません。バーバラさんはそのまま炎を灯してください。いいですね?」


「・・・・・・わかったわ!」


「はい!」



やけに物わかりのいい二人に思わず笑いそうになる。それでもキッと狼へと視線を向ける。私の風属性は火に弱い。むしろその炎を増幅させてしまう。空気のないところでは火がつかないのと同じだ。空気が、風があるからその火は炎に変わるのだ。


これは、攻撃はエリザベッタさんに任せて私もあたりを見やすいように明るくしたほうがいいだろう。すぐにバーバラさんへと近づき、一緒に炎を灯す。




「エリザベッタさん!お願いします!」


「はい!」




そう叫んで、エリザベッタさんが一度目を瞑る。そうしているとゆらゆら魔力の揺れを感じる。前髪がふわりと揺れ、魔力の増幅を感じた瞬間、エリザベッタさんがその雷属性の魔術を放った。とても美しかった。初めて見た。


その魔術が何匹かの魔狼に当たったようで、キャン、とどこかから聞こえた。しかしまだ残っている。しかもエリザベッタさんの攻撃に刺激されたのか、大きな唸り声をあげて草が揺れる。こちらに走ってきているのがわかった。



「・・・・・・・・!」



その一匹が湖の畔に現れる。群れのボスなのか、一際大きな体が私とバーバラさんの炎でゆらゆらと揺れる。その図体のでかさにバーバラさんとエリザベッタさんが怯んだ。


その隙を見逃さず、魔狼がこちらへと走ってくる。エリザベッタさんが再び魔術を使うが、気が散っているのかその威力は先ほどより弱い。


エリザベッタさんは危険だと察知したのか、魔狼がこちらへと走ってくる。バーバラさんが慌てて炎を消してしまう。逃げ惑うバーバラさん。手を伸ばそうにも、こんな時に足が痛んでうまく進めない。だめだ、このままだとバーバラさんが食われる!



「・・・・・・・!



もうだめだ、そう思い目をぎゅうと瞑る。


しかし、その瞼の裏からでも凄まじい光が入ってくるのがわかった。慌てて目を明ければ、私とバーバラさんの炎よりも一際大きな、湖を覆い尽くすほどの炎が上空に広がっていた。それは、下にいる私たちにも熱いと感じさせるほどだった。


こんな魔術を扱える人は、私は一人しか知らない。


バッと炎の出どころを探す。すると、そこに肩で息をするウィリアム様がいた。ああ、なんだってあなたはいつもタイミングが良いのだろうか!



「ジェニファー・・・・・・!」


「ウィリアム様・・・・・!」


「よかった、怪我はなーーーーー」


「・・・・っ危ない!」


「・・・・っ・・・・!」


「ウィリアム様!!」



こちらに駆け寄るウィリアム様に気づいた魔狼が向かう。そのあとに続くように、数匹の魔狼がウィリアム様、そしてバーバラさんへと走り寄る。今私の近くにいるのはバーバラさんだ、助けられるのはバーバラさんだけ。


ウィリアム様なら魔狼を一人で倒せるはず。今はウィリアム様を信じるしかない。



「・・・・っ・・・・・!」



バーバラさんの腕を掴み、狼を避ける。しかし、その牙が足に食い込んだのか、バーバラさんの顔が歪む。風属性の魔術を最大放出して魔狼を吹き飛ばす。もともと魔力の量が少ない私は、今まで何度も使ったことで体力を消耗している。もうこれ以上の魔術は使えない。


そこをエリザベッタさんがカバーする。魔狼へと雷属性の魔術を当てれば、魔狼たちは怯えて一歩、また一歩と下がっていく。


最後にウィリアム様が光属性だと思われる魔術を湖全体に放出する。もともと夜行性の魔狼には気に入らないものだったのか、遠吠えをしながら遠くへと去っていった。



「うぅっ・・・・・・・」


「バーバラさん!」



急いでバーバラさんの状態を確認する。魔狼の爪や牙には毒がある。すぐに取り除かないと、最悪足を切り落とすことになりかねない。苦痛で顔を歪めるバーバラさんに了承をとることもなく、患部に水属性の魔術を施す。もうあまり魔力が残っていないのか、あまり水が出てこない。くそう、こんな時に。



「い、痛い・・・・!私死ぬの?!死んじゃうの!?」


「暴れると毒の回りがよくなります。できるだけ深呼吸をして心拍数をおさえてください」


「・・・・・・」


「ジェニファー!」


「ウィリアム様・・・・、っ!?その怪我は!?」



バーバラさんの足を確認していると、ウィリアム様が駆け寄ってくる。しかしそのお姿に驚く。腕から血を流していたのだ。まさか魔狼にやられたのだろうか。


バーバラさんを放り出してウィリアム様の腕を見る。爪がかすったのか、三本の爪痕がくっきりと残っていた。しかし、噛まれたバーバラさんに比べたら傷は浅い。



「・・・・・・・・」



私はじっとウィリアム様を見る、その視線の意味に気づいたのかウィリアム様も力強く頷いた。それから私は再びバーバラさんへと戻る。


そうするとウィリアム様を愛してやまないバーバラさんとエリザベッタさんが驚いた表情で私を見る。それもそうだろう、公爵家のご子息を放り出してバーバラさんの看病を始めたのだから。



「ジェニファー!どうして私を看るのよ!ウィリアム様の治療が先でしょう!?」


「あなたの方が傷が深いんです。毒の巡りが早いのはあなたです。あなたから先に看ます」


「なっ・・・・あなた馬鹿なの!?ねぇ、ちょっと聞いてるの?!」


「・・・・・・・」


「あんたっ・・・・・ウィリアム様が死んでもいいの!?」


「いいわけないでしょう!ウィリアム様に何かあったらただじゃおきません!」


「っ・・・・・・」


「大体、こんなことになったのは誰のせいだと思っているんですか!あなたの見栄が招いた結果だということをお忘れですか!」



そう声を張り上げる。するとバーバラさんとエリザベッタさんが言葉を失った。


喧しいバーバラさんを睨み付ける。若干八つ当たりも入っているが、この際気にしないことにした。私は水属性の魔力を放出し続けながらバーバラさんに大きく口を開いて叫ぶように伝える。



「私が二人いれば、確実にウィリアム様も看ます!でも私は一人しかいない。優先順位を考えなければいけないんです!」


「だっ、だからって・・・相手は公爵家のご子息なのよ!?」


「だから何なんだ!さっきから喧しい!」


「っ・・・・・・!」


「ウィリアム様が公爵家のご子息だろうが国王だろうが王女だろうが関係ない!私があなたを優先的に看病すべきだと判断した!それに文句があるというのならいつまでもそうやってキャンキャン言っていなさい!」


「・・・・で、でも!もしウィリアム様が死んだら・・・・・!」


「もしウィリアム様が死んだなんてことになったら私が責任をとります。いくらでもコールマン公爵にお詫びしますっ。・・・・この首を、命を捧げたっていい!・・・っもちろんそんなことにはしませんが!」


「い、命・・・・・!?」


「いいから黙って私の言う通り深呼吸をしなさい!」


「・・・・・・・」


「・・・・必ず助けますっ・・・・!」


「・・・・・・・・・」



ああ喧しい。喧しすぎて頭痛がしてきた。ちょろちょろと水が流れるだけの私の魔術も腹立たしい。どうして私は魔力は少ないんだ。


それに苛々していると、急にどばっとバーバラさんの足に大量の水が落ちる。ウィリアム様だろうか、そう横にいる人を見れば、エリザベッタさんだった。


エリザベッタさんは恐怖なのか何なのかわからないがポロポロと涙を流しながらバーバラさんに魔術を施している。よくわからないが、手伝ってくれるならありがたい。二人でバーバラさんの足に水をかける。



「おーい・・・・・!」


「お嬢様ぁ!!」



すると、遠くからフィーリウスさんとケイトの声が聞こえた。ナイスタイミングだ!私はすぐに顔をあげると、二人に手を振ってこちらに来るように伝える。




「いやいやぁ!狼の声が聞こえなくなったので来てみましたが、こりゃ何があったんです!?」


「お嬢様・・・・!お怪我は!?」


「フィーリウス様、バーバラさんとウィリアム様が魔狼に襲われました。治療をしてほしいです」


「わ、わかりましたよ」


「ケイト、庭に植えていた『雪花草(せっかそう)』を覚えていますか。あの雪の結晶のような葉脈を持つ薬草です。この前一緒に植え替えをしたでしょう」


「あ、ああ!あれですね!」


「あの草はどこにでも生えています。エリザベッタさんと一緒に探しに向かってください」


「ええ、女狐とですか!?」


「め、女狐・・・・・?」



ビシッとエリザベッタさんを指差しながらケイトが言う。急に女狐と呼ばれたエリザベッタさんが驚いていたが、本当にこんな時でも場の空気を読まないケイトが逆に可愛らしく見えてくる。


しかし今は治療が先だ。私はキッとケイトを睨むと、大声で叫んだ。




「ケイト!今はどうでもいいので向かってください!主人命令です!」


「わ、わかりました・・・・行きますよ、女・・・・エリザベッタさん」


「は、はい・・・・・」




二人が雪花草を探しに向かう。


それを見送って、治療を始めたフィーリウスさんの横に並ぶ。必要な道具を揃えて持ってきてくれるとはやはりこの方は機転のきく人だ。ガーゼをトランクから取り出し、フィーリウスさんに手渡す。そうしていると、フィーリウスさんがバーバラさんの足を見つめながら、そして額に溢れんばかりの汗を浮かばせながら笑う。




「いやいや、ジェニファー様の処置が早かったもんで毒の回りも抑えられていますよ。お嬢様にしておくのはもったいないなぁこりゃ」


「・・・・・ウィリアム様の腕もあとでみて差し上げてください」


「ええ、ええもちろん。あなたの大事な方をみすみす殺したりしません。私も医者としてのプライドがありますからね、傷跡一つ残さず治療してみせます」


「・・・・頼りにしています」




大事な方、というところに少々引っかかるところがあったが、今は気づかないふりをしておこう。


私はちら、とウィリアム様を見る。バーバラさんの横に座り、腕を押さえているウィリアム様の指からは血がポタポタと垂れている。魔狼の毒には出血を促すものが含まれているようだ。顔を歪めるそのお姿は痛々しい。


その様子を見ていると、視線に気づいたのかウィリアム様と目が合う。深緑の瞳が細められ、柔らかく微笑まれる。そうされると、どうしてもぐにゅりと『あいつ』が現れる。



「・・・・・・・」



やはり、気づかないふりなどできない。


フィーリウスさんが言う『大事な方』という意味に恋慕や愛が含まれていることはわかっている。しかしその感情を私は持っていない。それでも大事な方だということは認めざるをえない。


それは、これまで築いてきたウィリアム様との関係が、私の中で『大事なもの』に位置しているから。


誰だって、仲良くしている人が危険な目に遭ったら不安になるだろう。それと同じだ。そこに愛してやまない人を哀れむ感情は入っていない。


私が意味のわからないことを言っても、優しく諭してくれる。魔術が好きで変わり者と言われても、それでも傍にいてくれる。魔狼に襲われるかもしれないのに、こうやって助けてくれる。


この方を、無下になどできるはずがない。




「お嬢様・・・・!ありました!」


「ケイト!」




それから、月花草を両手に抱えて持ってきたケイトとエリザベッタさんの力もあり、バーバラさんとウィリアム様の治療は素早く行われた。


別荘に戻った私たちは、離れではなくバーバラさんの部屋へと案内される。正直疲れているのですぐに休みたいが、言われた通りに部屋を訪ねれば、バーバラさんが腕を組んで立っていた。相変わらず高圧的である。そんなバーバラさんが、テーブルの上に置かれた豚の皮膚を見ろと促す。



「おぉ・・・・・」


「やったやったぁ!これで血清が作れますねぇ!」



そこには、確かに花の守人の魔力が入っていた。キラキラと輝く紫色のその魔力に、私やフィーリウスさんが顔を綻ばせる。


ーーーーこれで、血清が作れる。


今夜はもう遅いということで、皆各自部屋に戻って朝日が昇るのを待つ。誰もが疲れて言葉は少なかったが、それでも、今までで一番気持ちよくベッドに入れたことは、当然のことだった。





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