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お嬢様と蛇



船は冬の風をものともせず、まっすぐと海路を進む。


ケイトは甲板でお茶を飲みたいと言っていたが、私の忠告など聞かず一度客室のドアを開く。すると寒い風が入り込んだからかすぐに引っ込んできた。だから言ったのに。



「(それにしても、豪華だな・・・・)」



コールマン公爵の『誉れ海路を征く女神(セイントメールデール)』という名前の船。運搬船ではなく、公爵家が船旅をするために用意したのか、その豪華絢爛な内装に感嘆の声を漏らす。


一応、子爵のお嬢様ということで用意された一室は一等客室と呼ばれるところらしく、まるで海の上とは思えない。煌びやかな装飾が施された絵画や骨董品は、波の揺れなど感じないのか静かに鎮座していた。


客室にある窓から外を覗く。どこまでも、水平線が続いている。すでに大海原へと帆を広げた船は、その大きな体を青黒い床に浮かべ、ただただまっすぐ進む。


運動音痴ということもあり、船酔いでもするかと思ったが、揺れも少ないのでそうなることもない。もしかしたらこの船には揺れを最小限におさえる魔術でもかけられているのかもしれない。


ぜひとも、船長に話を聞いてみたいな。


そう思った私は、相変わらずそわそわと忙しいケイトに声をかけると、上着を持って客室を横断する。



「船長様に会いに行きませんか?せっかくの機会ですし」


「それはおもしろそうですね!」


「お仕事中ですから、粗相のないようにしましょうね」


「そうですね!もしお嬢様が暴走したら、しっかり受け止めます!」


「(あ、私が暴走するんだ・・・・ケイトのことを言ったんだけど)」



しかし、ケイトの言うように私が船長に話しかけたら、延々と質問をしそうだ。船の構造、航海のルール、船長の仕事内容、海に棲まう魔獣についてなどなど、聞きたいことはたくさんある。


ああ、考えるだけで胸が躍る。


私は意気揚々と客室を出る。船の中だというのに、廊下がずっと奥まで続いている。火属性の魔力が込められたランプによって廊下はとても明るい。その一つ一つをなんとなく眺めていると、少し先の客室のドアを開いた。



「(あ・・・・・・)」


「あら、ジェニファーさん。あなたもウィリアム様のところに行くおつもりかしら?」



顔を出したのは、バーバラさんとエリザベッタさんだった。流行り物のフリルがついた帽子をとり、使用人に着飾ってもらったのか煌びやか、というか編み込みすぎてよくわからないが流行に則った髪をふわりと揺らす。こちらを見るお二人の視線は鋭い。



「出たな悪女め・・・・・」


「ケイト、聞こえます」


「あら、これは失礼」



すぐに悪態をつくケイトを嗜めながら、会釈をする。すると癪に触ったのか、眉を顰めるとワンピースを揺らしながらこちらへと歩み寄る。ケイトが私を背中に隠すように立つ。別にそんなことしなくていいのに。矢が飛んでくるぞ。




「これからウィリアム様にシュヴァリエの街について説明をしてくるの。あなたがいると話の腰が折れるから、できれば後になさってくれない?」


「そうですか、承知しました」


「・・・・あら、何も言い返さないのね。私のウィリアム様を奪うな、とでも言うかと思ったけれど」


「船長様にご挨拶をする予定ですので。どうぞ、お構いなく」


「そうやって外堀を埋めるつもりね、あなたも策士だこと」


「(船長と話したからってなぜ外堀を埋めることになるんだ・・・・)」


「あなたも罪深い女よね、ウィリアム様がいるというのにブライトさんだったかしら、あのお美しい殿方に現を抜かすなんて」


「・・・・ブライトさんはウィリアム様のご友人です。ウィリアム様にご挨拶をしようといらっしゃったんだと思います」


「あら?とてもお似合いだったわよ、お二人で目を見つめ合っていたじゃない」


「・・・・・・・」



何を言っても悪く言われる状況に言葉を失う。ケイトが今にもバーバラさんに向かって文句を言いそうだし、ここは早く退散したほうがいいだろう。


そう思い、会釈をするとバーバラさんの横を通り過ぎようとする。しかし、それを見逃さなかったエリザベッタさんが、私の右腕をぎゅうと握り締めた。あらんかぎりの力を込められ、思わず顔を顰める。この人、気弱そうだけど力は強いよな。


眉を下げ、弱々しいお顔をこちらに向けるエリザベッタさんだが、その目は鋭い。



「あ、あの・・・・ジェニファーさん」


「・・・・なんでしょうか、エリザベッタさん」


「ウィリアム様とは、すでに婚約なさっているんですか?」


「・・・・いいえ、しておりまーーーー」


「そのご予定でございます」


「・・・・ケイト」


「失礼いたしました」



口を挟んだケイトを振り返る。ケイトはただ黙って使用人らしく頭を下げる。


余計なことを言うんじゃない。そう思うが、すでに言ってしまえば時を戻すことはできない。ケイトの言葉を聞いたエリザベッタさんが更に眉を下げる。そして、腕を握りしめる手を雑巾を絞るように捻る。その行為に思わず手を引こうとするが、力が強くて振り払えない。



「エリザベッタさん、お手を離してください」


「・・・・まだ、予定というだけで正式になさってはいないんですよね」


「・・・・・・」


「ジェニファーさん、どうか一生のお願いです」


「・・・・・・」


「ウィリアム様を私たちにください」



その目の奥に、仄暗い炎が見える。今まで出会ったことのない目に、思わず後ずさる。それでもエリザベッタさんは手を離さない。ぎゅう、ぎゅうと握るあまりに爪が食い込む。それに気づいていないのか、エリザベッタさんは眉を顰めながら、食い入るように私を見上げる。


恐ろしい。ただその感情が私に届いた。



「ジェニファーさんのご様子を見ておりましたが、ウィリアム様に対してその気があるとは思えませんでした。あのお美しいウィリアム様を無下になさるということは、婚約を快く思っていないということですよね」


「・・・・・・」


「でしたら、私にウィリアム様を譲ってください。あなたがいらないのなら、私は欲しい」


「・・・・・・・・」


「あなたはただ、ウィリアム様から距離をとってくださったらいいのです。何をする必要もありません。必ずものにしてみせます。ウィリアム様からあなたを取り除いて差し上げます。だって、それをあなたも望んでいるのでしょう?」


「私は・・・・・・」


「どうか、一生のお願いです。ウィリアム様をください」


「エリザベッタ様、お嬢様から手を離してくださいませ。腕が白くなっています」


「あ、あらやだ・・・・私ったら・・・・」



ケイトの言葉にパッと腕を離すエリザベッタさん。ケイトが私の腕を見て顔を青ざめる。そんなケイトにエリザベッタさんはにこりと花が咲くような笑顔を向ける。その表情に、わかった上での行為だと私とケイトは理解する。


バーバラさんより、エリザベッタさんのほうが歪んでる。


バーバラさんは快活で、物怖じせず私にも挑発をしてくるのでわかりやすい。しかしエリザベッタさんは蛇のようにねっとりと挑発をしてくる。しかも執拗に、仄暗く。


ケイトが私の背中を押して、その場から離す。エリザベッタさんの横を通り過ぎる時、小さく呟かれた言葉に私は底知れぬ恐怖を感じた。


『必ず、奪ってみせます』


ブライトさんやオルトゥー君が言うように、これはちとまずいことになっているのではないかと思う。大丈夫だなんて威勢のいいことを言ったけれど、これは、本当にまずい。




「お嬢様、腕を見せてください」


「・・・・・・」


「血が・・・・爪をたてられたんですね・・・・ひどい・・・・」




甲板に出た私とケイトの髪を潮風がさらっていく。その間、ケイトは悲痛な顔で私の腕に浮き出た血をハンカチで拭う。その間、私はぼんやりとそれを眺めることしかできない。


女の怖さを見せつけられた気がする。


右腕の手首と肘の間に、ハンカチが巻かれる。長袖でそれを隠せばなんともないが、しかし見えない『感情』が確かにそこにあった。




「お嬢様、あのエリザベッタという方は危険です。近づいてはいけません」


「・・・・そうですね」


「・・・・・お部屋に戻りますか?」


「いいえ、船長様にご挨拶しましょう」


「ですが・・・・・・」


「大丈夫。なんともありませんから」



そう言ってケイトに笑いかける。ケイトは心配そうに眉を下げるが、これで客室に戻ってしまっては当初の目的を果たせない。お二人には近づかなければいいだけだ。ただそれだけだ。


ケイトの手を引き、甲板を抜けて船首へと向かう。船長や航海士がいるはずのドアを開けば、そこは前方が一面ガラス張りの、広い部屋が広がっていた。


仕事中ということもあり、こちらから声はかけずに様子を伺う。するとドアから冷たい風でも入ったのか、船長と思われる初老の男性がこちらを振り返った。


航海士たちが紺色の服を着ているのに対し、その船長の服は白を基調としている。腕の部分には三本の線画入っており、それで階級を表しているのだろうことがわかった。



「お嬢様、いかがされましたか」


「船長様でよろしいですか?」


「はい、そうですが」


「せっかくの機会なので、ご挨拶をさせていただきたく。お邪魔でしたでしょうか」


「いえいえ、とんでもございません。わざわざありがとうございます。船長のマークと申します」


「ジェニファー・スペンサーと申します。こちらは私の使用人のキャサリンです」


「キャサリンです。どうぞケイトとお呼びください」


「ジェニファーさんにケイトさんですね。この度はウィリアム様の航海のお供をさせていただき、私としても鼻が高いです。数日ではありますが、この航海がお二人にとって楽しい船旅となるよう、精一杯務めさせていただきます」


「まるで海の上だと感じません。揺れもほとんどなく、大変くつろがせていただいております」


「ああ、それは水属性の魔術のおかげでしょうなぁ。この船には魔術師による魔術がふんだんに使われておりますから」


「やはり。その魔術はどこに施されているんです?船底ですか?それとも船全体ですか?他の属性の魔術も使っているんですか?」


「いやはや、とても勉強熱心なお嬢様ですな」


「あ・・・・申し訳ありません」



思わず、と言った具合に船長を質問責めにしてしまった。ケラケラと笑う船長と、話を聞いていたらしい航海士たちが私を見て微笑む。ケイトも口に手を添えて笑っていたが、まだ腕の様子が気になるのかあまり表情を明るくしない。


私は気を取り直すと、船長へと視線を向ける。そしてその船長の前にある船の舵を見る。円盤状の舵には、いくつもの突起がついており、その突起を握って操作をするようだ。しかしこれにも魔術が施されているようで、船長が触れずとも動いている。


私は目を輝かせると、その舵の前へと向かう。



「すごい・・・・これは何の属性の魔術ですか?」


「帆に風属性の魔術を施しているのですが、そこと連動をしています。方位については、磁力の強い魔鉱石をつけているので、それも作動していますよ」


「素晴らしい・・・・他は?他にはどのような魔術が施されているのでしょうか?」


「ははは、お嬢様に説明をしている間に港に着いてしまいそうだ」


「し、失礼しました・・・・」


「いえいえ、可愛らしいお嬢様だ」



再び船長と航海士が笑う。そろそろ恥ずかしくなってきた私は舵から離れると、ケイトの横に戻った。


そうしていると、ふわりと冷たい風が後ろから吹いてくる。誰かがドアを開いたのだろうか。ケイトとほぼ同時に後ろを振り返る。すると、そこにはバーバラさんとエリザベッタさんに腕を掴まれたウィリアム様がいらっしゃった。



「ああ、お人形さん」


「ウィリアム様・・・・・・」


「君のことだから船長に会いに行っていると思ったんだけど、やはりここだったか」



優しい目をこちらへと向ける。その笑みに航海士たちがほんのりと頬を赤く染めた。やはりこの方のお美しさは性別など関係ないと思わされる。神が丹精込めて作り上げた天使だ。それもそうだろう。


そんなウィリアム様に、船長が徐に歩み寄る。そして船長用の白い帽子をとると、深々と頭を下げた。



「ウィリアム様、この度は私を船長にご指名いただき誠にありがとうございます」


「あなたほどの航海士を船長に招くことができて私も嬉しいです。それで、今は何を?」


「ああ、今ジェニファー様とケイトさんに船の魔術について説明していたところです。とても興味津々という具合で、私としても大変有意義な時間を過ごしておりました」


「そうか・・・・どうだいお人形さん、いい話は聞けたかな」


「はい、とても。一日では足りないほどです」


「はは、それはよかった。魔術は船首だけでなくて、船尾のほうにもあるからあとで見に行くかい?」


「それは・・・・・・」



それはいいですね。そう続けようとしたところで、視線を感じる。エリザベッタさんのものだった。


バーバラさんと同じく、赤い口紅を塗った美しい唇がにんまりと上がる。ウィリアム様の腕にゆっくりと額を当てる姿は、どこか蛇を連想させた。


急に言葉を止めた私にウィリアム様が目を細める。それはお優しいお顔をする時のものではなく、何か怪訝に感じるようなものだった。


私はそれに気付き、すぐににこりと笑う。苦し紛れだったかもしれないが、今はこの場のしのげれば何でもいい。



「・・・・ジェニファー?」


「そうですね、行きたいのですが少し船酔いをしてしまったようです。部屋で休みます。ケイト、行きましょう」


「お、お嬢様・・・・・」



船長や航海士に膝を曲げて挨拶をし、そそくさとウィリアム様の横を通り過ぎる。その時薫ったエリザベッタさんの香水に吐き気がした。


私はすぐに部屋を出てしまったので知らなかったのだが、私の様子にウィリアム様がケイトへと視線を向ける。ケイトは何かを言いかけながらも、操船室を出る。



「はて、先ほどジェニファー様は船の揺れもなくくつろいでいるとおっしゃっていたのだが・・・・」


「・・・・・・」


「船酔いをしているようには見えませんでしたがな・・・おい、ジェニファー様に酔い止めの薬を持って行ってくれ」


「はっ」



私とケイトがいなくなった操船室で、船長が呟く。その様子をウィリアム様が眉を顰めながら見つめる。



エリザベッタさんだけが、ただただ微笑んでいた。




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