お嬢様の頬
ブライトさんのお店『ブランシュ・ネージュ』に到着すると、すぐにオルトゥー君が顔を見せた。
ブライトさんと同じく、白のエプロンを首からかけたオルトゥー君は、手に硝子を削った時に出る粉をつけており、今まで作業を行っていたようだ。
「お姉さん!久しぶり!」
「オルトゥー君、ごきげんよう」
「はーい、ごきげんよう」
「こらオル君、お嬢様に向かって失礼だよ」
私が膝を曲げて会釈をすると、オルトゥー君が手をあげて返事をする。その様子を見ていたブライトさんが困ったように眉を下げる。私に申し訳なさそうにする白雪の肌のブライトさんは、今日もお美しい。作業中ということもあり、眼鏡をしているがそのたった一つのアクセサリーでこうも変わるものだろうか。
今ここにケイトがいたなら、よからぬ妄想をしそうものだ。
私はブライトさんにも会釈をする。そうすると、ウィリアム様と同じように胸に手を当ててお辞儀をしてくれた。その様子を頭の後ろで腕を組んで見ていたオルトゥー君が「変なの」と言うので、笑ってしまう。伝統を重んじる貴族は、一つ一つ礼儀が大事なのだ。
「お姉さん、最近顔見せなさすぎ。寒いからってまた部屋に閉じこもってるんでしょ」
「それは・・・そうですが」
「オル君はお嬢様が顔を見せてくださらないので拗ねているんですよ」
「あー!言わないでよ!」
「先ほども、お嬢様のことを考えて硝子を一つだめにしましたからね」
「ふふ、すみませんオルトゥー君」
「謝るなら毎日顔見せてよね!」
「気をつけます」
今日もブランシュ・ネージュは明るい。今ではオルトゥー君も助手となったことで、その明るさは二倍にも三倍にも膨らんだと思う。それはウィリアム様も感じるのか、ウィリアム様専用の椅子に腰掛けながら優しい目を浮かべていた。
私は、当初の目的である『医者の話』を聞くためにオルトゥー君へと視線を向ける。今回は力になれそうにもない内容だが、オルトゥー君も医者から話を聞いてしまった以上、何か返事をしたいのだろう。
私はウィリアム様の横にある丸テーブルに、カバンの中から取り出したノートを乗せる。
それを見ていたウィリアム様やブライトさん、オルトゥー君も私が何かを始めるとわかったのか、興味津々といった表情でこちらを見た。
「オルトゥー君、お手紙でいただいた内容ですが」
「うん、お姉さんなら解決できると思うんだよね」
「解決は・・・・できるかはわかりませんが、一つ気になったことがあります」
「あれでしょ?森に原因があるんじゃないかってやつ」
「はい。それについてはお医者様にお話されていますか?」
「うん。でも、その女の子はただ森に入っただけで、変なものには何にも触れてないんだって」
「そうですか・・・・その三姉妹はなぜ森に行ったんでしょうか」
「別荘がシュヴァリエっていう街にあるんだって。そこで紅葉狩りしていたらしいんだけど、日も暮れたから帰ろうってなって、女の子をお姉さんが探したら倒れてたみたいだよ」
「その紅葉狩りとは、何の葉を拾っていたんでしょう」
「そこまではわからないよ」
「そうですよね・・・・・・」
紅葉狩りと言えば、主に銀杏や紅葉の葉だろう。そのシュヴァリエにどのような木々が植えられているのかはわからないが、そのどれも毒性があるものではないはず。人を昏睡状態にまでしてしまうほどの毒性を持つ木を私が知らないというだけかもしれないが。
顎に手をおいて考え込む。思考の海に浸かりながら、森をイメージする。そこを少女が歩く。きっとその少女には、銀杏や紅葉の葉が絨毯のように敷き詰められていると感じただろう。その一枚一枚を手にとって、美しさに顔を綻ばせる。
しかし何者かによって、その可愛らしい笑顔が消える。それは人なのか、また別のものなのか。
「人為的なものでしょうか」
「お人形さん、それなら外傷があるものじゃないかな。薬を盛られたという可能性もあるが、それなら医者でもわかるはずだよ」
「そうですね・・・・では、やはり人為的なものでないとすると・・・・・」
やはり毒を疑うべきだろうか。
どうしても考察するものが少なすぎて、憶測も出てこない。私は一つ息を吐くと、眉を下げながらオルトゥー君を見る。その表情に、解決できないかもしれないというものが含まれているとわかったのか、オルトゥー君も悲しそうに猫目を伏せた。
「お姉さんでもわかんないかぁ」
「・・・・・もう少しヒントがあれば違うのですが」
「じゃあその女の子に会ってみる?」
「・・・・できるのですか?」
「個室でずっと寝てるだけらしいから、いくらでも会えると思うよ」
「それは、お医者様の了承を得た上でという意味ですよね?」
「別に誰も何も言わないって」
「(そういう問題ではない・・・・)」
突然、子爵のお嬢様が現れたら驚くだろう。面会謝絶ということもありえるし、そうなった場合私がどのような非難を浴びるかオルトゥー君はわかっているのだろうか。
しかし、気になるといえばそうだ。
私は特に何も書き記すこともなかったノートをカバンにしまうと、ウィリアム様へと視線を向ける。まるですでに私が何を言うのかわかっているようなウィリアム様は、長い足を床におろすと、スッと立ち上がる。
「行こうか」
「よろしいですか?」
「ああ、オルの診察をしてくれた医者にも会いたい。その医者にきちんと説明をすれば、会わせてくれるかもしれないからね」
「ウィリアムさんが言えば誰だって許してくれるよ」
「オルトゥー君、ウィリアム様を足のように使ってはいけません」
「だって本当のことじゃん。ウィリアムさんがちょっと優しく笑ったらみんなころっといっちゃうよ」
「(それは確かに言えている・・・・)」
しかし、ウィリアム様は公爵家のご子息だ。その尊いお立場を、このようなことに利用するのはやはり私としても良いのか考えてしまう。
ウィリアム様は、私が黙り込んでしまったことがおかしいのかケラケラと笑いながら頭を撫でる。それから私の腰に手を添えると、作業中のブライトさんへと視線を向けた。
「ブライト、出てくる」
「はい、行ってらっしゃいませ。オル君も行くのかな?」
「もちろん!」
「あまり帰りが遅くならないようにね」
「はーい」
いつの間にか兄と弟のように仲が良くなっているブライトさんとオルトゥー君。その様子に私も思わず笑みをこぼしながら、ブライトさんのお店を出る。
オルトゥー君も、どこから持ってきたのか頭にハンチング帽をかぶると、私たちよりも先にだっと走り出した。
「お姉さん、病院の場所知らないよね?案内してあげる」
「ありがとうございます。でもそんなに急ぐと転びますよ」
「お姉さんじゃないんだから転ばないよ!」
「(どうして私が銀杏の葉で転びそうになったことを知っている・・・・)」
いや、そこまで知っているとは思わないが、運動神経が悪いということには気づいている様子に思わずムッとする。するとそれを見ていたウィリアム様が隣でクスクスと笑った。
それから、腰に添えられた手に少しだけ力を込める。
「支えているから、転ばないよ」
「む・・・そこまで運動音痴ではないです」
「そそっかしく見えるんだろうね」
「・・・・私はそんなに落ち着きがないでしょうか」
確かに、魔術のことになると居ても立っても居られない性分だ。魔術のためならたとえ大雨の中だろうが強風の中だろうが、どこへだって行ってやると決めている。しかしそれ以外のところでは不必要には出歩かないし、椅子から立ち上がらない日だってある。休日ならベッドの上でずっと本を読むことだってある。
そこまで落ち着きがないようには見えないと思うのだけど。
そう思いウィリアム様に聞いてみる。するとウィリアム様は何かを考えるように前を歩くオルトゥー君へと視線を向けると、ゆっくりとこちらに深緑の瞳を下ろした。
「気になるからね、君の行動は」
「・・・・・・」
「期待してるんだよ。何かするんじゃないかって」
「・・・私は道化師ではないです」
「はは、そういう意味ではないんだけどね。でも、どうしても目で追ってしまう」
「・・・・・」
「オルも、そうなんだよ。お人形さんが奇想天外な方法で解決をしてくれると思っているから、ああやって先を歩いているんだろうね」
「・・・・今回は、お役に立てるかわかりません」
「やけに自信がなさそうだね」
「正直、専門外なんです。すでに存在する毒や病名なら文献で調べればすぐにわかりますが、お医者様でもわからないことを私が解明できるかなんて、わからないです」
「・・・・・それなら、今度王宮の図書館に行ってみようか」
「え!?」
思わず、といった具合にウィリアム様をバッと見上げる。ああ、こういうところがそそっかしいと思われる原因だというのに。私は開いた口を手で覆い、俯く。そんな私にウィリアム様がケラケラと笑う。そして私の頭にキスを落として、その薄い唇を開いた。
「あそこなら、この世の本や文献が全て集まっているからね。君がまだ知らないことも、わかるかもしれない」
「で、ですが・・・王宮は認められた者しか入れないのでは」
「ああ、それは私の特権を使えばいくらでも」
さすがは公爵家のご子息。王族との血縁関係がある一族なら、出入りは簡単なのだろう。ウィリアム様と一緒であれば私も王宮に入れるということだ。私の父も兄も王宮で働いているが、子爵という立場上そんな簡単に親族を王宮に入れることはできない。
オルトゥー君にはああ言ったが、私もウィリアム様を足に使っているような気がする。
そう思うけれど、今回ばかりはぜひともそのお力をお借りしたい。
「ぜひ、お願いしたく」
「申請が必要だから少し時間がかかるけど、明後日くらいには行けると思う」
「ありがとうございます!」
もうそれはあらんかぎりの笑顔でウィリアム様を見上げる。どうしてこうもこの方は神に愛されているのだろうか、ウィリアム様は私を奇想天外と言うが、ウィリアム様だってその賢さは舌を巻くほどだ。
キラキラとした目でウィリアム様を見ていれば、意外にも眩しいと思ったらしく顔を背けている。私にそんな力があったとは思わなかった。
しかしウィリアム様はすぐにこちらへと向き直ると、やけに生温かい深緑の瞳で見つめた。そして、街の中だというのに、人だかりももちろんあるというのに私の頬に手を添えると、ゆっくりと顔を近づけた。
こつん、とウィリアム様の額が私の額に触れる。あまりにも近い深緑の瞳が私をじっと見つめる。そのお美しさに言葉が出ない。額が触れただけだというのに、そこが熱い。だめだ、私やっぱり医者に診てもらわないと心臓が痛くて仕方ない。
「あ”ーっ!遅いと思って帰ってくれば・・・・抜け駆け禁止!!」
そこに、ハンチング帽を頭から外してそれをぎゅうと握りしめるオルトゥー君が現れる。スッと離れたウィリアム様の顔にどっと息をつく。
ああ、よかった。なんとか今回も回避できた。
そう思いながら、胸を押さえる。こう何度もウィリアム様の本領を垣間見ていると、いつか心臓が本当に張り裂けてしまうのではないだろうか。
「(・・・・ああ、魔術で心臓を二つ体内に入れられないか調べよう・・・・)」
「・・・・・・」
「・・・・ウィリアム様?」
オルトゥー君にやいやい言われているウィリアム様。すでに体は離れているが、それでも私の隣でこちらを見下ろす。その深緑の瞳は何かを考えているように動かない。
しかし、次の瞬間ウィリアム様は片方の口角だけを器用に持ち上げると、私の腕をクイと引っ張った。拍子に私の体がぐらつく。それをすかさず捕まえて、ウィリアム様が少しだけ屈み込む。
不意に、頬に触れたものがあった。
驚いて目を見開く。悪戯を思いついたような表情のウィリアム様の顔が離れていく。遠くでオルトゥー君が悲痛な叫び声をあげる。近くでその様子を見ていた街の人が「熱いわねぇ」と言った。
「・・・・・・・」
「お預けは、もう嫌だからね」
「・・・・・・」
「ぎゃああ!お姉さん!お姉さんが穢れた!」
「・・・・・」
「お姉さんんん!!お願いだから戻ってきてー!!」
「はは、ほら行くよお人形さん」
「ウィリアムさんはお姉さんに近づかないで!」
「む・・・まるで私が病原菌みたいな物言いだな」
「病原菌でも悪魔でも何でもいいよ!」
オルトゥー君の手に引かれながら、病院へと向かう。その間私は雷撃に襲われたように動かず、ただ人形らしく足を動かすことしかできなかった。
未知の世界に足を踏み入れたような気がした。
その間にも足は病院へと向かっていた。見えてきた、煉瓦造りの病院。その看板には『聖魔女総合病院』と書かれていた。この世界で神のように崇められている、魔術の始祖とも呼ばれている聖魔女をこの病院は信仰しているようだが、それくらいの目に見える情報しか分析できなかった。
.




