お嬢様の病
オルトゥー君に手紙を書いてから数日。ウィリアム様が屋敷を訪れた。
そうなると騒がしいのが使用人のケイトと母で、私をとてつもない速さで着飾ると、客室で待機をしていたウィリアム様にうっとりとした瞳を向けた。
「ごきげんよう、ウィリアム様」
「ごきげんよう、お人形さん」
いつも通り、ワンピースの裾を掴み膝を曲げて会釈をする。それに応えるように胸に右手を当てお辞儀をしてくれる深緑の瞳。眠たげな瞼の下に転がる宝石のような瞳は、どの角度から見てもお美しい。
今日は冬ということもあり、少し厚手のロングジャケットをその腕にかけている。黒髪に似合う漆黒のジャケットは高価なものなのか、明かりを受けるとキラキラと輝いている。
さすがは公爵家のご子息。ウィリアム様のジャケットを見て、他の貴族の男性陣もそれを真似するのではないだろうか。ファッションリーダーもいいところだ。
「オルから話は聞いたよ。手紙を寄越すだけで顔を見せないから拗ねていた」
「ああ・・・・今回は私の専門分野ではなさそうでしたので・・・・」
先日オルトゥー君から届いた手紙にあった、『昏睡状態の少女の原因解明』
それは、確かに興味がそそられるものではあったが、私は医者ではない。医者が解明できないことを私ができるとは思えなかったので、その少女が眠ってしまった現場について確認をしたのか、ということだけを書いて手紙を送り返したのだが、オルトゥー君は満足しなかったらしい。
私を連れてくるというお使いをウィリアム様にさせるとは。
公爵家のご子息ともなれば、その業務はとても多いことだろう。ブライトさんの話では、ウィリアム様は領地での新規事業支援をメインで行っているそうだ。公爵家の領地ともなれば、その規模は私の父が領地として持つ土地のおよそ10倍はくだらないと思う。
そのお忙しいウィリアム様を足に使うとは。オルトゥー君もやりおる。
なかなか良い返事をしない私に、ウィリアム様は柔らかく笑いかけると、ケイトと母がいるというのに私へと歩み寄り、頬に手を添えた。後ろでケイトと母が口元を手で押さえ叫ぶのを我慢しているのが雰囲気でわかる。
ウィリアム様もそれをわかった上で、こういうことをするのだから意地悪な方だ。
私は最近現れる厄介な『あいつ』に胸を押さえる。それが何なのかはいまだにわかっていない。わかろうとも思わない。ただ、邪魔だから医者に診てもらおうかとは思う。早く取り除いて欲しい。
「ふむ・・・・・」
「どうした?」
「私もちょうど医者にかかりたいと思っていたので、ついでということでよければその医者にも話を聞いてみます」
「医者・・・・どこか悪いのかい」
「お嬢様、ご気分が悪いんですか?」
「やだジェニファー、どうして言わないの」
「・・・・・いえ、言うほどでもないといいますか・・・・」
ウィリアム様が近くにいると、腑を気味の悪いものが這いずり回るというだけだ。
私の発言により、後ろで控えていたケイトと母も私に歩み寄る。その心配そうな表情に、心配無用と伝えたいのだが、ウィリアム様が私の顔を覗き込むように近づけるものだから、ゔっと胸を押さえてしまう。
「ジェニファー?」
「・・・・あの、ウィリアム様・・・・近いです」
晩餐会の帰り。馬車の中でオルトゥー君に『本当のところ、ウィリアム様のことをどう思っているのか』と聞かれた。その数分前に、皮膚と皮膚、特に飲食物や空気を取り込む部分が触れ合いそうになったところをオルトゥー君に助けてもらったのだが、その様子を見ていたオルトゥー君が『そのまま触れ合っていたらどう思ったか』と気味の悪い質問をしてきたのだ。
その質問の答えを考えていたら、知恵熱を出したのが懐かしい。
しかしあの質問以降、乙女心という未知の世界について考えることがある。いや、それは自分もその乙女心を知りたいという意味ではなく、決して数値化できず乙女の心の数だけ結果が現れるという論理的ではない部分が気になるという意味だ。私もそうなりたいと思っているのではない。あくまでも学術的要素はあるのかと、興味が湧いただけである。
ともかく、あれ以降ウィリアム様の様子について、考えることが多くなった。
私は近いといっても顔を離そうとしないウィリアム様を直視できず、胸を押さえたまま横を向く。その様子を見ていたケイトと母が私の変化にいち早く気付き、お互いの手を組んで歓喜の表情を浮かべていたらしいが知る由もない。というか、知りたくない。
ウィリアム様も私の様子に気づいたのか、一瞬きょとんと深緑の瞳を落ち着かせたが、すぐにうっとりと細めたかと思えば、私の頬に添えた手をクイと持ち上げた。そうなると、私は自然とウィリアム様の美しいお顔しか見えなくなるもので。
「その『病気」とやらは、私が原因かい」
「いえ、そういうわけでは・・・・・・」
「だが、私が現れてから発症したんだろう?」
「・・・・・かもしれませんが・・・・・」
「ああ、奥様、これは私が原因としか思えません」
「ええ、ええそうですね、ウィリアム様のせいですね!」
「君もそう思うだろう」
「はい!ケイトもそう思います!これはもうウィリアム様のせいです!ケイトは怒っています!」
「やはり私はけじめをつけなければいけないようだ・・・大事な子爵のお嬢様に大変な思いをさせてしまったようだから」
「・・・・ウィ、ウィリアム様」
待て、待ってくれ。なんだかいつの日かを思い出すようなシチュエーションだ。私は内心だらだらと冷や汗を垂らしながらウィリアム様を見上げる。ウィリアム様も、まるで何かを確信し、その事実に笑みが止まらないとでもいうようにお顔を蕩けさせる。
腰に手を添えられる。グイと近づいたウィリアム様。私はズキズキと痛む得体の知れない激痛に眉を顰める。その姿を見せれば見せるほど、ウィリアム様の深緑の瞳が生温かくなる。
ダメだ。このままだとケイトと母の思惑通りになってしまう。乗り気なウィリアム様はケイトと母の味方である。今この状況を打破できるのは私しかいない。
本領を垣間見る状況に、体が石になったように固まるが、それでも私は口を大きく開くと目を吊り上げてウィリアム様に言う。
「いえ、問題ありません。きっと風邪です。風邪なので問題ありません!最近忙しかったので、過労かも知れませんし!」
「それなら尚更私は君の面倒を『生涯』見守る必要がーーーーー」
「そんなウィリアム様にご迷惑をおかけするような真似、致しませんのでご安心ください!」
「ジェニファー!いいからそのままウィリアム様の胸に飛び込みなさい!」
「頑張ってウィリアム様!!」
「(いけしゃあしゃあと・・・・・!!)」
私は渾身の力を振り絞ってウィリアム様の魔の手から逃れる。そうするとケイトと母が「くそう!」と舌打ちをしたが、知らない。はしたないことこの上ない。こんな母と使用人を持った覚えはない。
ウィリアム様はといえば、そんな私たちを見てクスクスと笑うと、艶やかな前髪をかきあげた。
「あと一息だったんだが」
「・・・・・・・」
「まぁ、でも嬉しいよ、お人形さん」
そう言って、私の頭にキスを落とす。その様子にケイトと母が小さい悲鳴をあげる。
もうやめてくれ。このままだとケイトと母はウィリアム様信者になってしまう。ああ、いやもうなっているのかもしれない。そのうちウィリアム様愛好会なんてものと作ってしまいそうで怖い。
私は胸を押さえたままウィリアム様から離れると、いまだにうっとりとウィリアム様を見つめるケイトへと近づく。そして眉を吊り上げたまま、そのか細い肩に手をドンと置いた。
「ケイト、今から出ますので支度をしてください」
「デートですね!」
「病院に行くんです!そのお話とやらを聞きに!」
「ジェニファー、お母様はその胸に宿る『病』も診てもらったらいいと思うわよ。ウィリアム様も博識な方だから、手取り足取り教えてくださると思うけど」
「病ではありません、もう私の話はいったん忘れてくださいお母様」
るんるんと鼻歌でも口ずさみそうなケイトと母が部屋から出ていく。もう戻ってこなくてもいい。
それでもデートだと煩いケイトは、再び客室へと戻ってくると冬用のコートと、財布などが入ったカバンを手渡してくれる。その際ぼそっと耳元で気味の悪いことを言われたが、気持ち悪すぎたので理解には至らなかった。
「それでは、行ってまいります」
「行ってらっしゃいませ!」
ウィリアム様の馬車に乗り込み、ブライトさんのお店『ブランシュ・ネージュ』へと向かう。まずはそこでオルトゥー君から手紙の内容と、手紙以外に何か聞いていないかを確認する。それから病院へと向かい、その医者に話を聞いてみることにした。
「・・・・・・」
どうやら随分と機嫌の良さそうなウィリアム様が馬車の窓から外の景色を眺めている。しかし私は出かける前から繰り広げられた茶番に疲れた。
私がじとっとした目を向けているのに気づいたのか、ウィリアム様が柔らかい笑みを浮かべながらこちらを向く。
そして長い腕を伸ばすと、向かい側に座っていた私を引いて隣に座らせた。ニコニコと微笑む姿はまるで天使のようだが、今は悪魔にしか見えない。
「ウィリアム様、何か楽しんでいらっしゃいませんか」
「楽しいよ、この上なく」
「・・・・・・・」
「また少し君に近づけた気がする」
「・・・・・近づく」
「君は不用意に近づくと、すぐに逃げ出してしまうからね。まるで警戒心の強い鳥のようだ」
「・・・・・・・」
そう言いながら、ウィリアム様が私の腰に手を添える。人が6人乗っても余裕がある馬車の室内で、ここまでくっつく必要があるのかと思う。しかしウィリアム様のご機嫌な横顔を見ていると、何も言い返す気にならなくなるから不思議だ。
「鳥籠になりたいよ」
「・・・・・人は鳥籠にはなれません」
「そうだね、でも必ず捕まえる」
「・・・・・・・」
「どんな手を使ってもね」
「・・・・・」
物騒なことを言い出したウィリアム様にギョッとして見上げる。
いつだったか、オルトゥー君が『あの人はしつこい、重たい』と言っていた気がするが、今その瞬間を垣間見たのだろうか。
その思いが実現した時、私はうまく回避できるのだろうか。母の胎の中に普通のお嬢様なら必要な感情を忘れてきてしまった私としては、応えることができないというのに。
だから画策するのか。ウィリアム様の頭の良さを考えると、『どんな手』の中身は計り知れない。
「見えてきたよ」
「・・・・・・・」
ブライトさんのお店がある街が木々の間から見える。その様子を、にこにこと天使のような笑みを浮かべながらウィリアム様が眺める。
私はその横顔に、ただただ気味の悪い感情の取り除き方を考えることしかできなかった。
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