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お嬢様の涙





皆からの視線が一気に集まる。


ここまで多くの注目を集めたことのない私は、急に不安を抱く。こういうことは、ウィリアム様のように肝っ玉が据わっていないとできない。あいにく私の心臓には毛が生えていないので、どうしても俯いてしまいそうになる。


それでもオルトゥー君のためだ。


そう思えば、なんとか気持ちも落ち着く。私は一つ息を吐くと、床に置かれている木箱へと歩み寄る。しかしその手を見てみれば、震えていた。いつもケイトに悪態をつくような私とは思えない。分かってはいたが、やはりこういう場所は緊張するものだ。


木箱に手を突っ込んだまま身動きが取れなくなる私。そうやっていると、手品を見せてくれると信じている貴族たちがひそひそと話を始めた。



「あのお嬢様、確かこの前社交パーティーを開いた方じゃなかったかしら」


「お嬢様なのに魔術好きなのか、きっと家庭は築けないだろうな」


「急に固まったけど、どうしたのかしら」


「緊張してるんじゃないか」




その内容に、顔をあげられない。わかってる、魔術好きなお嬢様なんて聞いたことがない。


だけど好きなのだ。何よりも、それこそ生涯をそれに費やしてもいいと思うくらいに。誰に認めてもらえなくても構わない。変だと思われても構わない。私には家族がいる、ケイトがいる、ジョージさんがいる。研究室さえあれば、誰に何を言われるわけでもない。


そうやって、籠の中にいれば私は大丈夫。




「・・・・変わるかい、お人形さん」


「・・・・・・・」



お優しいウィリアム様が、困ったように眉を下げながら微笑む。私は一度木箱から手を出すと、体を起こしてウィリアム様を見る。


この方なら、私の代役など簡単に務まるだろう。皆も、ウィリアム様を見たいだろうし、その方がいいか。


合理的に考えれば、そうだ。でも、それでいいのかと思う。こうやってウィリアム様を頼っていいのか。オルトゥー君は、誰かを頼って生きても罰は当たらないといった。それがこの状況なのだろうか。適材適所とも言うし、ウィリアム様に助けてもらえばいいのか。



「(いや、違う)」



ウィリアム様にはウィリアム様の役目がある。私にも、私にしかできない役目がある。そうやって今までウィリアム様やブライトさんと接してきた。皆が皆、自分にしかできない役目をこなしてきた。


これは、私がやるべきこと。私が世界を広げるきっかけの一つ。



「いいえ、問題ありません」



私は勢いよく木箱に手を突っ込むと、そこからブライトさんの作った『一輪の薔薇』を取り出す。そして、それを皆に見えやすいように胸の前に持った。



「こちらは、硝子で作られた薔薇です。透明ではありますが、その技術はとても素晴らしく、花弁一枚一枚がまるで本物のように美しい。いかがですか?本物の薔薇を透明にしたような美しさでしょう?」



そう言って、ロレーヌ様へと見せる。すると、やはりブライトさんの仕事が素晴らしいのか、ロレーヌ様は目を見張りながらコクコクと頷いた。


私はそれから木箱へと戻り、ケイトと街で購入した花瓶を取り出す。それはちょうど一輪の薔薇を入れると、花弁の下辺りまですっぽりと入るくらいの大きさだ。そこに硝子の薔薇を差し込む。


そしてそれを皆に見せる。



「薔薇を花瓶に入れました。まだ、ただそれだけです。では助手のアリー、木箱の中から赤い布を取ってください」


「え?」


「布ですよ。ああ、他にも『いろいろ』入っているので、『気をつけて持ってきてください』」



近くで待機をしていたオルトゥー君に呼びかける。伝える暇がなかったので、私の言葉に気づかなかったらこの手品は無意味になる。


どうか気づいてくれ。そう思いながらオルトゥー君を見る。オルトゥー君は戸惑いながらも、慣れないワンピース姿で木箱へと近づく。そしてその中を覗き込んだ。


そうだ、いろいろ入っているだろう。『魔術の底しらべ』とか。


もちろん、稀少な魔術具なので、木箱の中には藁を敷き詰めている。その中には、赤い布と魔力の底しらべと、ハンカチで包んだ赤い蝋燭の欠片が入っている。オルトゥー君もそれには気づいたのか、雫の形をしたものと赤い布を見比べ、一度こちらへと視線を向ける。


その視線に頷く。どちらも持ってきてくれ、そう心の中で強く願った。



「・・・・・・・」



オルトゥー君の機転の良さで、赤い布、蝋燭の欠片、そして魔力の底しらべを隠した状態で持ってきてくれる。私の横に並んだオルトゥー君。しかし、まだ私の手元には花瓶があるままだ。この手元の花瓶をうまく隠して、赤い布と魔力の底しらべを受け取らなくてはいけない。


しまった、そこを考えていなかった。


私の周りには、花瓶を隠す場所などどこにもない。あまりにも注目が集まっている中、誰にも気づかれずにオルトゥー君に手渡す方法を今すぐに考えなくては。


そうしていると、ふと遠くで何かが床に落ちる音が聞こえた。皆も驚いたのか、一気に視線を別の場所に向ける。なんという好機だろうか!



「オルトゥー君、今です」


「はい!」



その瞬間を見逃さなかった私とオルトゥー君は、持っていた花瓶をすかさず手渡す。そしてその花瓶をワンピースの中に隠す。私はその間にオルトゥー君から赤い布と、その布に隠された魔力の底しらべを受け取る。


まさかワンピースの中に隠すとは思っていなかったが、スカートの中ならば誰に気づかれることもないだろう。



「失礼、使用人がグラスを落としたようです。・・・・どうぞ続けて」



ウィリアム様が一瞬ざわついた貴族たちへ軽く手をあげて謝罪をする。そうすると、貴族たちも理解したのか再び私たちへ視線を向けた。


どうやらウィリアム様が何かをしてくれたようだ。さすがはウィリアム様。


そのことに感謝をしながら、再び注目が戻ってきたところで私は赤い布の上から一輪の薔薇を持ち、その布の下に魔力の底しらべを持つ。


こうすることで、周りには一輪の薔薇の花弁部分だけが見え、花瓶を布で隠したように見えるはずだ。実際、後ろは全てが丸見えなのだけれども、私とオルトゥー君しかそれは確認ができないので、問題ない。



「ロレーヌ様、赤い布で花瓶を隠した状態です。それ以外に変わりはないですね?」


「はい・・・・そうですね」


「では助手のアリー、この薔薇の上に、不思議な粉を振りかけてください」


「はい」



ハンカチから、蝋燭の欠片をひとつまみ取り出す。そしてその欠片を硝子の薔薇の花弁上にぱらぱらと振りまいた。


それを確認し、私は一つ息をつく。ここからが大事だ。今日の見せ場といってもいい。見せ場といっても、催し物を見にきた貴族たちではなく、オルトゥー君の依頼が解決するか否かという意味でだ。



「ロレーヌ様、お手をお借りしてもよろしいですか?」


「はい、どうぞ」


「掌を上にしたまま、この花瓶の底に触れてください」


「は、はい」



ロレーヌ様が花瓶の底だと思っていながら、魔力の底しらべに触れる。それを確認してから、私は一度だけオルトゥー君へと視線を向けた。オルトゥー君もこれから何が起きるのか分かっている。ごくりと唾を飲み込み、私に頷いた。


どんな結果でも、受け止めて欲しい。


私はそう強く願いながら、ロレーヌ様へと向き直る。



「この硝子の薔薇は透明です。そうですね?ロレーヌ様」


「ええ、そうね」


「色がつくところを見たいとは思いませんか?」


「・・・・ええ、見てみたいわ」


「では、この透明な薔薇が、赤い薔薇に変わると強く願いを込めながら、花瓶の底に魔力を込めてください」


「魔力?なんでもいいの?」


「ええ、特に属性などは気にせず、魔力を放出するだけでいいです。私の合図で放出してください。いいですね?」


「・・・・わかったわ」


「それではいきます」



貴族たちも固唾を呑んで、その様子を見守る。ロレーヌ様が魔力を放出するために集中を始めた。そしてその目をゆっくりと閉じる。



「それでは、お願いします・・・・・!」



ロレーヌ様が目を閉じたまま、魔力を放出した。ロレーヌ様も魔力の質が良いらしく、その前髪が一瞬ふわりと揺れた。それを確認した私は、蝋燭の欠片が乗った花弁へと、火属性の魔術を口から吐き出し吹きかける。できるだけ吹きかけていないと見せるために、頬を膨らませないように注意しながら行えば、高温の息が吹きかかったことにより、蝋燭が溶け始める。




「おおっ!」


「薔薇が紅色に!」


「すごい!どうやっているんだ?!」



観客がどよめく。みるみるうちに、透明な薔薇の花弁が赤く変色していく。


ーーーーこの案が浮かんだのは、ジョージさんのおかげだ。


先日、庭の様子を描いていたジョージさんが、白いテーブルの上に置かれた花とその花瓶を描き、色をつけていたことからインスピレーションを受けた。もしその光景を見ていなかったら、私はこの考えに至らなかっただろう。やはり私にはジョージさんが必要だ。



「まぁ、すごい」



目を開いたロレーヌ様もそれを確認すると、胸の前で手を合わせながらパァと明るい表情を浮かべた。そんなロレーヌ様に花瓶から薔薇を取り出したような仕草で、手渡す。



「あなたの願い通りに、薔薇が透明から紅色へと変化しました」


「皆様、ロレーヌ様とジェニファー様に拍手を!」



ウィリアム様の掛け声と共に、貴族たちがパチパチと拍手をする。広い会場に100人以上が集まっているということもあり、その拍手は割れんばかりのものとなった。


私はお嬢様らしく、片手でドレスの裾を掴むと、膝を曲げて会釈をした。それを見様見真似でオルトゥー君も行う。


私は赤い布で隠されたままの魔力の底しらべを、絶対に落とすまいとしっかりと抱き抱える。実験結果が今この胸にある。早く見たいところだが、まずは協力をしてくれたロレーヌ様に挨拶をすべきだろう。



「ロレーヌ様、突然の申し出をお受けいただきありがとうございます」


「いいえ、参加させていただけて嬉しいわ。ところで今の手品はどうやったの?」


「種明かしをしてしまっては、手品の面白さも半減してしまいます」


「まぁ、・・・・そうね。でも今度、他のものでもいいから教えてね」


「はい、ぜひ。・・・・・・・・よろしければ、今からでもお教えしますがいかがですか?」


「あら、いいの?」


「もちろんです。あちらのソファでくつろぎながらなど、いかがでしょう」


「いいわね」



ロレーヌ様を連れて、先ほどまでくつろいでいたソファが置かれた一角へと向かう。


早く結果を見たいのは山々だが、ロレーヌ様から話を聞くチャンスだ。オルトゥー君も話したいだろうし、私は急遽提案した。


ソファに座ると、まだ興奮が冷めないのかロレーヌ様が目を細めながら手を合わせる。それに笑いかけながら、私はオルトゥー君と同じソファに座る。先ほどから黙ったままのオルトゥー君だが、それでもロレーヌ様を食い入るように見つめている。


私はそっとオルトゥー君へと視線を向け、声をかける。



「アリー、助手はどうでしたか?」


「えっ・・・・あ、た、楽しかったわお姉様」


「ロレーヌ様、アリーも頑張ったと思いませんか?」


「ええ、とても上手に助手をしていたわ。何歳なの?」


「えっと・・・・13歳です」


「あら・・・・そうなの・・・・・」



オルトゥー君が年齢を伝えると、不意にロレーヌ様の顔が曇る。その様子を、オルトゥー君と顔を合わせて怪訝に思う。


これは、話を聞くチャンスだ。


おそらく、オルトゥー君は自分で話を持ちかけたいと思っていると思うが、オルトゥー君だと直球で物を言ってしまいそうだ。私だって、一番聞きたいことがあったら先走ってしまう。ここは探りを入れるためにも、私に聞かせてほしい。


私はグッと、魔力の底しらべを赤い布越しに握り締めながら、ロレーヌ様に声を掛ける。




「・・・・ロレーヌ様、先ほど手を上げた時に少し見えたのですが、それは痣ですか?」


「え?・・・あらやだ、見えないようにしていたのに」


「炎のようにも見えますが、珍しい痣ですね」


「ええ・・・・私の得意属性は火なんだけど、たまに得意属性が体に浮き出ることがあるみたいなのよね」


「聞いたことがあります。稀にそのような痣が発現することがあると。そういう痣は、血縁関係にも発言しやすいということですが、ロレーヌ様にはお子様はいらっしゃいますか?」


「・・・・・・・」


「・・・・・」


「・・・・いいえ、いないわ」



その言葉に衝撃を受ける。それはオルトゥー君も同じことだろう。いや、私以上に衝撃を受けたに違いない。隣で話を聞いているオルトゥー君の肩がぷるぷると震えている。


聞かせない方がいいだろうか。雲行きの怪しい状況に、私はオルトゥー君へ目配せをする。しかしその瞳を受けても、オルトゥー君は立ち上がろうとしない。なぜ子どもなどいないと言うのか、それを確かめたいという表情をしている。


どうなっても知らないぞ。


私はそう思いながら、ロレーヌ様へと向き直る。しかしそこでオルトゥー君と出会った日のことを思い出す。ロレーナ様を知る数人の大人に囲まれ、腹部を蹴られていたオルトゥー君。そのオルトゥー君に、大人たちは何と声をかけた?その会話を聞いて、私は何を不審に思った?


ロレーナ様の子どもなはずがないと、そうであっては困るといった声色だった。


だから不審に思ったのだ。そして、ロレーヌ様の言葉。その表情。これは何かあると思っても不思議ではない。もし、私の憶測が正しければ、それはつまりーーーー



「ロレーヌ様」


「はい」


「・・・・私の友人に、ロレーヌ様と同じような痣を持つ『少女』がいるんです」


「・・・・・!」


「お姉さん!?」



まさか言うのか、と言いたげなオルトゥー君の声が横から聞こえる。それでも私はロレーヌ様から目を離さない。


ロレーヌ様の表情も、何かを知っているような私の視線に身動きができない様子だ。それでも私は話を続ける。いや、続けないといけない。ロレーヌ様には暗い過去を思い出せてしまうかもしれないが、私の依頼人はロレーヌ様ではなくオルトゥー君だ。


このままでは、オルトゥー君は魔力の底しらべで結果が出て、母親がロレーヌ様だと分かってもその胸に飛び込むことができない。母が子などいないと言うのだ。その悲しみは数値化できない。



「その子はここではなく、『他の街』の孤児院で出会いました。今は新聞配達をしているそうです。とても元気な少女で、魔術好きな私に対しても、明るく接してくれます」


「・・・・・そう」


「幼い頃、孤児院に拾われたそうです。今も、父や母が誰なのか気にしている様子でしたが、どうやらその両親とはすでに『死別』しているらしく・・・・かける言葉がありません・・・・」


「そう、そうなの・・・・・」



そこまで言うと、ロレーヌ様は悲しげな表情の中に、どこか安堵を含ませた。それは私がロレーヌ様の真実を知らないという安堵に見える。勝手な解釈だが。



「私は、少し他の方と考え方が違うようで・・・・いい言葉のかけ方が思い浮かばないのです。ロレーヌ様、もしよろしければ教えていただけないでしょうか」


「私に・・・・・・・?」


「はい。ここで出会ったのも何かの縁です。よろしければ、ご意見をうかがいたく」


「・・・・・・・」


「・・・・・・・・・」


「そうね・・・・『もし』、私にそのような子がいたのなら、もし孤児院に我が子を預けないといけないとしたら、きっとそれは苦渋の決断だったと思うわ。・・・・ここだけの話、今の旦那様との間に、子供を身篭ったことがあったのよ。でも、その時の私は屋敷の使用人という立場だった。今の旦那様とは、主従関係にあったの・・・・その子は、『死産』したけど」


「・・・・・・・・」


「他の方には絶対に内緒よ。あなたは、何か・・・・・いえ、なんでもないわ」



その言葉は、あなたは何か知っているようだから。そう続けようとしたのだろうか。


このような話、絶対に屋敷の者にも話さないはずだ。ましてや、私とロレーヌ様は今日出会ったばかり。そんな私に話をするということは、そういうことだ。女の勘というやつだろう。



「身篭った頃、旦那様には奥様がいた。奥様は私と旦那様の関係に気づいた。そして、お腹に赤子を抱えた私には無理な仕事ばかりをさせた。屋敷や街の人間にもそのことを言いふらし、私はどんどん立場を失っていって・・・・子どもを守ることができなかった・・・っ・・・・・!」


「・・・・・・」


「・・・・だけどその奥様が流行病で亡くなってしまったの。そして私を正妻とした。私はあまり子どもを産むのに適していない体みたいで、一人目を『死産』して以降、子どもを身篭ることはなかった・・・いいえ、二人目を産む気にはならなかった」


「・・・・・・」


「だって、大事な我が子を・・・・失ったんだもの・・・・」



そこまで聞いて、私の憶測はほぼ当たっていたと気づく。


つまり、ロレーヌ様は話の中に嘘を織り交ぜてはいるものの、オルトゥー君を旦那様との間に身篭った。しかし、それに気づいた正妻が立場の弱いロレーヌ様を虐め、仕方なく我が子を別の場所に移すことを決断したのだ。


あの日、オルトゥー君の腹部を蹴った大人たちが、そうであっては困ると思ったのは、そのような背景があったからだと言える。正しくは、『そうであっては困る』ではなく、『そうなると、今の正妻であるロレーヌ様を蔑み、子どもを孤児院に預けさせた私たちの立場がなくなる』といった具合だろうか。身勝手なものだ。



「だからもし、私に子どもがいて、その子を孤児院に預けるなんてことになったら・・・・・」


「はい・・・・・」


「その子には顔を合わせられない。こんな身勝手な親、その子も嬉しくないはずよ」


「・・・・・・」


「でも・・・・・その子には、幸せな人生を歩んで欲しい。そう、我が儘にも思う」


「・・・・・・」


「もう親子ではいられないけれど、その『少女』のように、明るく、元気に生きていてほしいと願っているわ・・・・・」



願うはずよ、そう言わずにロレーヌ様は『願っている』と言った。それは感情の昂りから隠しきれなかったのかもしれない。もしくは、私が『全て気づいている』と分かっているからこそなのかもしれない。


それでも、ロレーヌ様はそう言った。


ちら、と横にいるオルトゥー君へと視線を向ける。本来であれば、ここで種明かしをしてオルトゥー君とロレーヌ様の再会を祝いたいと思っていたが、予想よりも重い話にそうすることはできない。


私はバッドエンドな状況に、何をどう伝えていいのかわからない。私にできることは、オルトゥー君の手を握るくらいだ。


オルトゥー君は、手を握られるとバッとこちらを見る。今にも泣きそうな表情に、私までもらい泣きしてしまいそうになる。それでもオルトゥー君は泣くのを堪え、私の手をぎゅうと握る。


そして、ロレーヌ様へと視線を向けた。その瞳は、私の知る強い意志を持った群青色だった。



「ロレーヌ様・・・・・」


「はい?」


「きっと、その『少女』も母には健やかに生きてほしいと願っているはずです」


「・・・・・」


「会うことはできない。話すこともできない。それでも、『あなたを誰よりも愛している』と思います」


「・・・・・・・・」


「・・・・『母さん』と、寝る前にベッドの上で呟いて、夢の中で母と話しをすると思います」


「そうね・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・・・あらいやだわ、こんなに長話をしてしまって。旦那様が退屈しているようだから、私はもう戻っても?」



オルトゥー君の言葉に、目に涙を浮かべながらそうロレーヌ様が言う。そして顔を赤くしながらもソファから立ち上がると、少し遠くでこちらを眺めていたクラーク男爵を見つめた。


一度赤い布と魔力の底しらべをソファに置くと、私とオルトゥー君も立ち上がる。そして、ロレーヌ様へと手を差し出した。



「はい。長話をしてしまい申し訳ありません。今聞いたお話は決して他言しませんのでご安心を」


「ええ、助かるわ」


「今日はありがとうございました。・・・・最後に握手をしても?」


「もちろんよ」



私の手にロレーヌ様の細い手が握られる。この細い手で、ロレーヌ様は正妻の虐めに堪えてきたのだろう。とても強い人だ、そして弱い。


私と握手を交わしたロレーヌ様は、徐にその手をオルトゥー君へと伸ばす。まさか握手を求められるとは思っていなかったのか、オルトゥー君が驚いた表情でロレーヌ様を見上げる。


ロレーヌ様は、まるで母のような表情をオルトゥー君に向けた。




「ほら、あなたも。助手お疲れ様」


「・・・・あ、ありがとう・・・・ございます・・・・」



母と息子の手が結ばれる。それは一瞬のことだったけれど、とても長い時間に感じられた。


ロレーヌ様がクラーク男爵のもとへと戻っていく。その様子をぼんやりと見つめていた私たちだったが、急に疲れがどっと現れて、座っていられなくなる。


はぁ、とため息を零して会場の高い天井を見上げる。


これでよかったのだろうか。オルトゥー君は最後まで、自分が息子なのだと言わなかった。言わないにしても、自分の痣を見せればロレーヌ様はまた別の言葉をかけたかもしれない。それでもオルトゥー君は何も言わなかった。



「お人形さん」



そこに、ロレーヌ様と入れ替わるようにウィリアム様が現れる。私は顔だけウィリアム様に向ける。するとその疲れた顔がおかしいのか、それでも眉を下げながら私の横に座った。



「・・・・あまり良い話はできなかったようだね」


「・・・・・・・」


「・・・・・・場所を移そうか」



ウィリアム様が私の手をそっと引く。それに合わせて浮かない表情のままソファから立ち上がる。すると、私のもう片方の手がグンと引かれた。そういえばオルトゥー君の手を握ったままだった。


俯いたままのオルトゥー君だが、ソファに置いておいた赤い布と魔力の底しらべをぎゅうを抱いている。そんなオルトゥー君を私とウィリアム様が見つめる。


ウィリアム様がその小さな背中を押し、立ち上がらせると会場の横に設けられている客人用の控室だろうか、そこに入れてくれた。


そこは蝋燭の明かりなどもなく、月明かりだけが入っていて薄暗い。私はいまだに繋いだままの手を引いて、オルトゥー君をその月明かりの下に連れていく。



「オルトゥー君」


「・・・・・・・・」


「・・・・・・」


「これ・・・・・・」



オルトゥー君が、手に持っていた赤い布を私に手渡す。そういえば、まだ魔力の底しらべの結果を確認していなかった。しかし、もう確認する必要もないと思う。


魔術など頼らなくても、人は言葉を使うことができる。それだけでも、真相を解明することは可能なのだ。



「・・・・・見せて」


「でも、オルトゥー君」


「いいから見せて」


「・・・・・・」



俯いたままのオルトゥー君が少し言葉を強くして言う。私は一度ウィリアム様を見上げる。ウィリアム様も思案するように眉を顰めているが、私の肩に手を乗せるとコクンと頷いた。


私はそれから、赤い布へと視線を戻す。そして、ゆっくりとそれを外す。


魔力を受けた魔力の底しらべは、500年経った今でもしっかりとその効果を発揮していた。雫の形をした水晶に、いくつかの液体が何層にも分かれて入っている。そのうちの一番下、三番目、四番目、そして六番目が、淡く光っている。その中でも、朱色に光った部分が一番濃い。ロレーヌ様が言うように、火属性の魔力が得意属性だと、これで証明されたわけだ。



「それ、俺も試したいんだけど、どうしたらいいの」


「・・・・・・」


「試したい。お願い教えてお姉さん」


「・・・・これを振ると、戻ります」


「・・・・・・・」



徐に私から雫を取ると、それをバシャバシャと揺らす。すると次第に色が戻って行った。


それを確認してから、オルトゥー君は一度目を閉じて、魔力を放出する。


魔力の揺れを感じながら、私はオルトゥー君の手に持つ魔力の底しらべを見つめる。数秒のことだったけれど、その間に再び色を変えたそれは、オルトゥー君が目を開ける頃にはしっかりとその結果を表示した。




「お姉さん・・・・・」


「・・・・・・はい」


「やっぱり俺、ロレーヌ様の子どもだよね」


「・・・・はい」


「そうだよね、そうなんだよね?」


「はい、ロレーヌ様の魔力と同じく、一番下、三番目、四番目、そして六番目が、淡く光っています」


「・・・・・・やっぱり」


「・・・・オルトゥー君」


「なんで・・・・・なんで・・・・・」



今にも魔力の底しらべを落としてしまいそうなオルトゥー君から、それを奪う。近くの棚の上に置き、再びオルトゥー君へと視線を向ければ、大きな猫目からボロボロと涙を零していた。


それでも歯を食い縛り、声が出るのを我慢している様子のオルトゥー君。その姿を見ていると、どうしても遣る瀬なさを感じる。もっといい方法があったのではないかと思う。


私は残酷だ。ロレーヌ様から暗い過去を引き出し、そしてオルトゥー君の前で真実を語らせたのだから。


なんて惨い行いだろうか。



「オルトゥー君、ごめんなさい」


「・・・・なんでおね、さっ、が・・・あっ、あ、謝っ・・・っく、・・・・んだよ」


「ごめんなさい」


「だからっ!」


「ごめんなさい」



そう言って、オルトゥー君を抱きしめる。それしかできることがなかった。


怒られるべきだ。どうしてあんな話を始めたのかと。なのにオルトゥー君は私の腕の中でただ泣くのを堪えている。怒ってくれたいいのに。どうしてそうしてくれないのか。


謝っても許されることではない。そう思う私だが、オルトゥー君はなぜか涙を流しながらこちらを見上げ、辛そうににこりと笑う。




「あっ、ありがっ、と、とう」


「・・・・オルトゥー君」


「俺、・・・・お姉っさ、んにっ・・・あ、会えてっ・・・かった」


「・・・・オルトゥー君・・・・・」


「母さっ、んの手って・・・・あ、あっ、ったかい、ん、ゔ、んだな・・・・・!」


「・・・・・そうですね・・・・っ・・・・」



私の目から涙が溢れる。どうしてこの子はこんなにたくましいのだろう、そして優しいのだろう。怒っても、罵ってもいい状況だというのに、私に感謝を伝える。そして母の温もりに喜びを感じている。


思わずオルトゥー君をぎゅうと抱きしめる。オルトゥー君も私の背中にしがみつき、ぎゅうと握る。


その様子をウィリアム様が何も言わずに見守る。



「母さんと喋れた・・・っ、それだけで、俺はいい・・・・」



そう言って、オルトゥー君は私の腕の中で一頻り泣いた。



ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー




晩餐会も終わり、ぞろぞろと貴族たちが会場を後にする。


私たちもそろそろお暇をしたほうがいいのだろうか、かちゃかちゃと食器を下げる使用人たちをソファに座ったまま眺め続ける。


オルトゥー君は泣きはらした目が辛そうで、今もずびずびと鼻を鳴らしている。私も、まだ自分の体に涙という成分が残っていたようで、久しぶりに泣いたことによる反動で体が動かない。



「・・・・お人形さん」


「ウィリアム様・・・・」



そこに、蝶ネクタイを外し、上着を脱ぎながらウィリアム様が現れる。全ての客を楽しませるためにずっと動きっぱなしだったようで、ウィリアム様は髪をかきあげると大きなため息をついた。


今日の功績はウィリアム様に集中するだろう。


晩餐会にグロート卿の魔術具を用意し、私とオルトゥー君の手品をフォローする中、ウィリアム様と繋がりたい貴族の相手をしていたと思うと、本当に感謝の言葉しかない。


私はウィリアム様に向き直ると、深々と頭を下げた。



「ウィリアム様、この度は本当に様々なところで助力をしていただきありがとうございました」


「はは、私も楽しませてもらったよ。花瓶を隠す時は、肝が冷えたね」


「・・・・やはりウィリアム様が機転をきかせてくださったんですね」


「あれくらいのフォローはさせてほしい」


「いえ、本当に助かりました。グロート卿の品々まで・・・・・」


「ああ・・・・グロート卿も晩餐会に誘ったんだけどね、『あれ』だから。でも喜んでいたよ、結果オーライといったところかな」


「・・・・本当に、ありがとうございます。なんとお礼を伝えたらいいか」


「・・・・・そうだな、何かお礼は欲しいかな」



そう言って、顎に手をおくウィリアム様。


そして、何か思いついたのか、その深緑の瞳を細めると、ゆっくり私に顔を近づけた。もちろん驚いた私が体をのけぞるが、腰に手を添えられては身動きが取れない。くそう、ぬかったわ。



「いつも何かに邪魔されるからね」


「・・・・・・・」



そう言って、目を一度閉じると瞳の色が若紫に変わる。にやりと薄く開いた美しい唇が近づく。もう片方の手を後頭部に回されると、もう私は石のようにピシッと固まるしかできない。



「綺麗だよ、ジェニファー」


「(ま、待って待って待って、それ以上優しく囁かないで)」



目と鼻の先。もうその距離はほとんどない。


私はぎゅうと目を瞑る。大丈夫だ、ただ肌と肌が接触するだけだ。ぐにゅりとあいつが現れて心臓がズキズキと痛むが、医者に診せれば治るはず。そう、何事もない。何も気にする必要はない。


ゆっくりとウィリアム様の目が閉じられる。そして唇という人間だけでなく魔獣にも精霊にも存在する、飲食物や空気を体内に取り込む部分が近づく。


本当に、その間は指一本入るほどの隙間しかない。


そう、だから指が入った。誰のって、オルトゥー君のだ。



「はいだめー、抜け駆け厳禁だから」


「む・・・・・・」


「オル・・・・」



私の口をオルトゥー君の手が覆い隠す。そしてグイと後ろに引っ張られる。


いつの間にか元気になったらしいオルトゥー君が、ウィリアム様にベロを出しながらじとっとした目を向ける。私は正直ナイス!と心の中で叫んだ。



「なーにしようとしてくれてんの?お姉さんはウィリアムさんのものじゃないっつーの」


「私は何度お預けを喰らえばいいんだ」


「何度だって。ね?ジェニファーお姉様」


「・・・・・・・・」


「お姉様に手を出したらアリーが許さないんだからっ!」


「はぁ・・・・・」


「こんな天使の皮を被った狼の近くにいたらお姉様が穢れるわっ!帰りましょうお姉様!」


「あ、ちょ、オルトゥー君!」


「アリーざます!」



立ち上がったオルトゥー君に手をつかまれ、そのまま会場をスタスタと歩かされる。振り返ると、頭を抱えたウィリアム様がいた。このまま挨拶もせず帰ってもいいものだろうか、私はずるずる運ばれるまま、ウィリアム様に声をかける。



「ウィリアム様!今日はありがとうございました!」


「ああ、また屋敷まで会いに行くよ。ブライトに報告しよう」


「はい、わかりました!」




会場を抜け、エントランスへと戻ると、外に馬車が用意されていた。それにオルトゥー君と一緒に乗り込む。馭者もそれを確認した後、ゆっくりと進み始める。


全く、オルトゥー君も挨拶をせず帰ってしまうなんて失礼極まりない。たとえ天使が狼だったとしても、礼節を弁えなければ貴族の端くれにもなれないというのに。


そう思ってオルトゥー君を見れば、頭からバレッタを外している最中だった。



「お姉さん、後ろのボタンとって」


「あ、は、はい」


「ったくウィリアムさんってば隙があれば囲い込もうとするんだから」


「・・・・・・」


「お姉さんも、そうやってボーッとしてるから狙われるんだよ!」


「す、すみません」


「嫌なら嫌って言わないと、あの人多分しつこいよ。多分重たいよ」


「重いとは・・・・・線は細い方だと思いますが」


「はいはい、鈍いお姉さんにはわからないだろうね!」


「・・・・・・」



ぷんぷんとケイトのように怒るオルトゥー君のワンピースについているボタンを外してやる。するとガバッとワンピースを脱ごうとするではないか。


私は慌てて顔に手を当ててそれを見ないようにする。その間も、オルトゥー君は怒りがおさまらないのか何かとぶつぶつ言っていた。



「お姉さんさ、本当のところはどうなのよ」


「どう、とは」


「ウィリアムさんのことだよ。普通さ、嫌なら押し返すところだよ」


「・・・・あの人の前に立てば体が動かなくなるものかと思いますが」


「確かにあの人の本気を見る日が来たら俺は俺でいられなくなるかもしれないよ、あの人の美しさは人をダメにするやつだよ。やばいやつだよ」


「・・・・・・」


「でもさ?本当に嫌ならお姉さんなら突き放せると思うわけ。本当のところはどうなのよ、やっぱり好きなの?」


「・・・・・人としては、頼りになる方だと思います」


「あっそ。じゃあさ、今思い出して見てよウィリアムさんのこと。あのまま行ってたら、お姉さんどうなってた?」


「・・・・・・」



あの続きなど考えたくもない。しかしそう言われると先ほどの光景が、目を瞑っているということもありフラッシュバックする。若紫の瞳が私を見下ろす。薄く瑞々しい唇が開かれ、その唇が私の肌に触れる。その続きはよくわからないが、顔を離した時にきっとウィリアム様は、それはそれは美しいお顔をしていると思われる。


私は、ケイトや母のような乙女心を持っていないからわからないが、わからないからこそ想像もできない世界が広がっているように思う。


もし、私に乙女心があったのなら。どうなるのだろうか。


そう考えるとぐにゅりとあいつが再び私の腑を蠢きながら、心臓に食いついた牙をさらに深く差し込んでいく。



「・・・・・・・・・」


「・・・・・お姉さん?」


「・・・・・・・・」


「あ”ー!あ”ー!あ”ー!こりゃ最悪のシチュエーションを迎えそうですねぇ!!」




それから、私は屋敷に戻るまで呆然と馬車の中で顔を押さえていたらしい。


戻ってきた私に、ケイトが思わず「顔が赤いですがどうされました」と聞いたようだがどう返事をしたか覚えていない。


そのまま知恵熱を出し、3日寝込んだ私だったが、やっと立てるようになった頃、オルトゥー君から一通の手紙が届いた。


そこには晩餐会での出来事と、オルトゥー君の心情が書かれていた。その内容に私はまた泣きそうになったが、ふと封筒の裏側を見て、すぐに涙はおさまる。



『親愛なるジェニファーお姉さんへ 硝子細工工房『ブランシュ・ネージュ』()() オルトゥー・ドックス』



ーーーー笑っていたらいい、笑ってくれたら嬉しい。



そう言ってくれたオルトゥー君に、また会いに行こう。私はベッドの上で、その手紙を抱きしめ微笑んだ。






.

これにて第二章完結です。お付き合いいただき、ありがとうございました。

いつも閲覧、ブックマーク登録励みになります。少しずつ閲覧数が伸びていることを確認するたびに、やる気が満ち溢れます。『活動報告」にて、第二章の詳しい後書きを書きますので、お時間がありましたらご覧ください。


それでは、第三章でお会いしましょう。ありがとうございました。

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