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お嬢様とご子息




「は、はは・・・・何を言うかと思えば、どういうことなんだ?」



ケイトが割れたポットの破片を拾い集め終わる頃、やっと口を開いたのは美しい顔を少しだけ歪めるウィリアム様だった。ウィリアム様は乾いた笑い声を溢しながら私を見上げる。


漆黒の美しい瞳。きっと、普通のお嬢様なら特に何も気にせずそのお美しさに浸り一時の幸せを噛み締めたことだろう。だけど私は()()ではない。


執事長のジョージさんが話していた、本物のウィリアム様の容姿。お美しいことは今目の前にいる偽ウィリアム様と同様だろうが、目の色が違う。本物のウィリアム様の瞳は()()


森を覆うその木々の色、夜風を受けてそよぐ草の色が本物のはずだ。


もしかしたら、ジョージさんは偽ウィリアム様を出迎えた際にはすでに気づいていたのかもしれない。だからわざと私に情報を与えたのだろうか。その真相はわからないが、その情報もあって私は偽ウィリアム様に気づくことができた。


あとでお礼を伝えに行こうと考えながら、そろそろ何か返答をしないと偽ウィリアム様が怒り出しそうだと我に返る。私はささっと怒鳴られる前にカップに口をつけると少し冷えたお茶を一口含んでから、スッと偽ウィリアム様へと顔を向ける。




「無礼を承知で再度申し上げますが、あなたはウィリアム様ではありませんよね?」


「お嬢様!本当に無礼すぎます!何をおっしゃっているんです!頭でも打ったんですか?」


「ケイト・・・・」



さすがに、専属使用人がその主人であるお嬢様に対して『頭でも打ったのか』とは酷すぎやしないか。軽くショックを受け俯きそうになるものの、今はそうしていられない。私はケイトに怒られるのを承知でさらに続きを話す。




「私があなたを偽物だと感じたのは、その目の色です」


「目の色?」


「はい。ウィリアム様は、お父様のコールマン公爵と同じ深緑の瞳をお持ちだとうかがっております」


「・・・・・ああ、そういうことか。いや、これは出かける時の変装用なんだよ」


「ではわざと目の色を変えていると?」


「魔術でね。これくらいの魔術、貴族がお忍びで街に行く時は使うだろう?」



確かに、巷では家柄的に認められない貴族の男女が逢瀬をするためにそういうことをしていると聞いたことがある。それが今ではお忍びで出かける際にも使えると流行しているそうだ。


そう言われてしまえば、そう思えなくもない。ケイトが後ろで「ほれみろ」と小さく呟いた気がしなくもないが、私には偽ウィリアム様が嘘をついていると9割方わかっている。


それは目の色ではなく、目そのもの。



「なるほど、ではウィリアム様は目の色を変化させるだけでなく、視力までお忍びのために悪くするのですか?」


「・・・・・・・・」


「先ほどのマシューさんのお話、あれはマシューさんではなくあなたのお話でしょう。あれだけ精巧に作られたお話です、本当に靴職人のマシューさんがいらっしゃって、それを引用したと私は考えています」



マシューさんの話をする偽ウィリアム様は、本当にその時のことを思い浮かべて話しているようだった。恐らく靴職人ということと、生涯現役おじいちゃまということは真実のはず。


ここからは私の予想でしかないけれど、マシューさんの目は本当に悪い。でも、執事長のジョージさんと同様に老眼鏡をかければ問題ないレベルだと思う。


問題があるのは、この偽ウィリアム様だ。


偽ウィリアム様の年齢は不明だが、恐らく本物のウィリアム様とそこまで年齢は変わらないはず。でなければこれほど瑞々しい雪のような美しい肌をしているとは思えない。これも魔術だとしたら直ちに特許をとってがっぽり稼ぐべきだ。


とにかく、まだお若い偽ウィリアム様は目の前のカップに描かれている犬の絵もぼやけて見えていない。小さいと言っても、わざと思い出のために描いたものだ、誰もが目にできないほど小さかったら意味がない。薬指の爪ほどの小ささのパピヨンが見えない、探せない。それなら、手紙の文字も恐らく見えていないだろう。



「恐らく、あなたは本物のウィリアム様の知り合い、つまり領民なのでしょう。マシューさんは靴職人ということでしたから、あなたも貴族ではないはず。・・・・また、この話はウィリアム様が持ちかけたのでは?あの手紙のように、眼鏡を作ろうかと言われたけれど、そこまでしていただくのは気が引けるからと、お二人で考えられた作り話なのでは?」


「・・・・・・・」


「あなたの仕事は、よく目を使うものなのでしょう」


「そこまでわかりますか」



どうやら観念したらしい。まるで詰問のような真似をしてしまい、どことなく罪悪感を感じた。そしてケイトからの射殺さんばかりの熱意を背中に感じた。


偽ウィリアム様は大きなため息をつくと、上着の内ポケットから眼鏡を取り出す。それをかけると、どこか偽ウィリアム様の目が小さく見えた。それだけ度が強いのだろう。



「私はお嬢様のおっしゃる通り、よく目を使う硝子細工職人です。靴職人のマットおじさんは、私の叔父です」


「・・・・・・・」


「これをかけても、本や新聞も読みづらい。年を重ねるごとに視力は落ち、医者の見立てではそのうち見えなくなるそうです。といっても、私が老いぼれになる頃にはという話ですが」


「・・・・・・・・」


「叔父のように生涯現役を貫きたい。しかし、叔父の年齢の頃には目が見えない。だったら今のうちに貴族の皆様があっと驚くようなグラスを作りたい、皿をつくりたい。・・・・ウィリアム様に話を持ちかけたのは私です。ウィリアム様は魔術にも長けたお方だと聞いておりましたので、日頃から通ってくださるその足に縋り付いたのでございます」




身勝手な行いでした。と頭を下げる美しい偽ウィリアム様。しかし、頭を下げる必要などどこにあるのかと私は思う。私だって子爵ではあるが貴族の一端。領地に住う領民のために何かできないかと考える日もある。しかしそこで性別が邪魔をする、家督が邪魔をする。


だから、私にしかできない、女の私でもできることを探しているのだ。私は結婚願望や子を生み育てるという幸せに対する感情が薄い。性別を間違えて生まれてしまったと悩むこともあるくらいだ。


最近では実験や薬草づくりは趣味の一つになってしまったものの、その実験によって領民の支えになれるのなら、私はこのまま一生独身でもいいと思っている。父と母は泣き叫ぶだろう。


とにかく、偽ウィリアム様の言葉は身に染みた。未だ、魔術が進歩しても全ての病をこの世から排除することはできない。恐らく、偽ウィリアム様の目は医者の見立て通りいつの日か見えなくなってしまう。それを憂いてこの方がウィリアム様に相談したのなら、地位は違うが同じ貴族である私にできることはーーーー




「お優しいウィリアム様が特注で眼鏡を作ってくださると言われたのですが、特注となれば値も張ることでしょう。そんなことはしていただきたくないのです。私は話を聞いてくださるだけでーーー」


「少し・・・・お時間をいただけますか?」


「え・・・・・・?」


「できる、とは言いきりませんが、何か私もお役に立てるよう尽力します」




そう偽ウィリアム様に伝えると、偽ウィリアム様は言葉を失ったように黙り込んだ。そのお美しいお顔に皺をつくって、眉を顰め涙を目にためている。その表情に後ろのケイトが「はぅ」と感嘆の声を溢した。


そんな中、私はというと顎に手をおいて考え込む。偽ウィリアム様の目が良くなれば一番いいが、それは今の魔術の技術では難しいだろう。眼鏡の度を大金を送り込まずに強くする方法を考えなければいけない。




「(もしかしたら、あの物体を巨大化させる草が役に立つかな・・・・でもまだあれは十分に育っていないし、眼鏡を巨大化させても意味がない、つまり眼鏡の度を強くする必要がある。そんなこと、あの草にできるんだろうか・・・・・)」


「ジェニファー様」


「あ、はい?」



限りなく思考の海に浸かっているところへ、偽ウィリアム様が声をかける。慌ててそちらを見れば口元に手をおいてくすくすと笑っていた。何をしても絵になるお方だ。少しぽかんとしてしまう私を他所に、偽ウィリアム様は椅子から立ち上がるとそっと私の前で跪き、その雪のような白い手で私の指を握った。




「本当になんとお礼を申し上げればいいか、こちらの身勝手なお願いを快くお受けいただくなんて」


「快く、といっても結果が出せるかまだわかりません。決して期待はしないでください」


「はい。それでも・・・・ありがとうございます、お嬢様」


「う、」




間近でキラキラと目に涙を浮かべ微笑む偽ウィリアム様に言葉が詰まる。なんだろう、この破壊力は。後ろではケイトがだらしなく壁にもたれかかっていた。いや、誰でもそうなる。恋愛に興味のない私でさえ今くらっときた。


私は咳払いをすると、私の指を握る偽ウィリアム様の手をそっと外し、その上に重ねる。




「そんな真似をウィリアム様のお姿でしてはいけませんよ、公爵家のご子息様のふりをしているのでしょう?子爵の娘に向かって跪くなど、他では見せられない格好です」


「これは、失礼しました」


「・・・・・ですが、こうでもしないとあなたの美しい漆黒の瞳を間近で見ることは叶いませんでしたね」


「・・・・・お嬢様」


「目が悪くても、ちゃんと私の目を見てくださる。とてもお美しい色です。あなたの澄んだ心を写す夜の空のようです」



そこまで言って、私はどこぞの貴族のご子息かと内心ため息をつく。やはり私は性別を間違えて生まれたらしい、どうして女の私が男性を口説くような言葉を吐いているのだろうか。


それから私はケイトから言われた約束をことごとく破っていることに今更気づく。何が三秒以内だ。十秒でも足りないような内容だった。


これ以上ケイトに怒られることは避けたい、と私は手をぱんと小さく叩くと場の空気を変える。これから私はしばらく忙しくなる。趣味の範囲なので楽しみで仕方ないが、問題も山積みだ。久しぶりに研究所に籠もって本と睨み合いをすることになるだろう。


私の気持ちを汲んでくれたのか、偽ウィリアム様も立ち上がる。どうやらこのままお帰りになるみたいだ。私は後ろで控えていたケイトに一声かけるとお見送りの準備を始める。


しかし、そんな私をじっと見ていた偽ウィリアム様は何か言いたげな表情をする。偽物だとわかってから、どうにも偽ウィリアム様が可愛らしく思える。なんだろう、少し犬に似ているような。



「お嬢様、一つおうかがいしても?」


「はい、構いませんよ」


「いつから私がウィリアム様でないとお気づきに?」


「いつから・・・・そうですね、ケイトがお茶を持ってくる時には、すでに」


「それはそれは・・・・さすがはジェニファー様としか思えません」


「ああ、いえ別に・・・・・ああ、そうですね、それについても種明かししておきましょうか」


「種明かし?」


「はい、とても簡単な種明かしです」



私はにこ、と偽ウィリアム様に笑いかける。後ろではケイトが「これ以上何も言ってくれるな」という視線を送ってくるが、ここまできて種明かしをしないとなると私も消化に悪い。


あとでゆっくり怒られるから、と覚悟を決め偽ウィリアム様を見上げる。



「あなたの目は漆黒。それはコールマン公爵の瞳とは異なります。色については、特に魔術を使っていなかったということでよろしいですか?」


「はい。あの時は嘘をつき申し訳ありません」


「いえ、いいんですよ。・・・それで、種明かしですが」


「はい」


「私はウィリアム様と面識がないので憶測でしかありませんが、恐らく本物のウィリアム様はあなたがおっしゃるようにお優しく、また慈悲深いのでしょう。魔術にも精通しているということでしたので、何かを調べ、分析し結果を出すことにもご興味があるとお見受けします」



そういうところは、私に似ているなと思うけれど、子爵の娘が公爵のご子息と似ているなんて話をしようものならケイトだけでなく父や母も顔を真っ青にさせるだろう。他の貴族に聞かれようものなら、「子爵の分際で」と同類視した時点で罵られる。


だからその部分は伝えず、私は話を続ける。




「なので私は、()()()()()()()()()()()()()とウィリアム様はお考えかと思います」


「・・・・・・・」


「今回は特に、あなたのために動いていますし、できればあなたの傍で結果を見届けるはず」



つまり。そこまで言って、私は偽ウィリアム様の横を通り過ぎ、後ろに控えていた護衛の前に立つ。今まで挨拶以外では一言も発せず、じっと待機をしていた護衛のブライトさん。できるだけ気配を消し、ただただ偽ウィリアム様がうまいこと話をすることを願っていたブライトさん。


前髪で表情が見えないが、それでも品の良さは感じた。それは護衛が持ち得ているものではなくもっと別のもの、佇まいからでも感じられる貴族の品格。


「お嬢様」とケイトが近くで制止の声をかける。それでも私の手はブライトさんの前髪へと伸びる。絹のように柔らかい髪をかき分け、見えたその瞳の色に私はどこか感嘆の声を漏らす。それは決して恋慕の類ではなく、勝負に勝った時のような、清々しいものだった。




「あなたが、本物のウィリアム様ですね?」


「・・・・そうですよ、お嬢様」




深緑の目が私を射抜く。どこか眠たげにも見える二重瞼の下にある大きな瞳。決して口に出すつもりはないが、その瞳をくり抜いて宝石にしても、きっとこの色に敵うものはないと思う。


通った鼻筋、薄い唇、輪郭、どこをとっても美しい。まるで絵画から飛び出した天使のような方が、そこにはいた。神が全ての美を寄せ集め、どのものよりも丁寧に精巧に作り上げた最高傑作。偽ウィリアム様もお美しいが、その方が霞むほどに美しい。美しいという言葉では足りないほどに。


ふわり、と柔らかく微笑まれただけで心臓を鷲掴みにされたような感覚を持つ。体が宙に浮いているようだ。後ろでケイトが腰を抜かして倒れた音が聞こえた。


前髪を落とすだけでこれだけの色気を隠せるものだろうか、もしかしたら少し魔術で顔を歪ませていたのかもしれない。


とにかく、自分からしたことだが顔を見るために触れた前髪から手を離すことができない。なんだろう、人は恐ろしいものだけでなく、美しすぎるものを見ても固まってしまうものなのだろうか。


脳内ではパチパチと命令が下されているが、それが指先まで通ってこない。ピシッと固まったままの私を前に、ウィリアム様は薄い唇を少しだけ上にし、その笑みを濃くしていく。




「(わぁ待って待って待って、これ以上美しくならないで)」


「お噂に違わず、いえ、それ以上に賢いのですね。ジェニファー様は」


「・・・・・・・・・」


「ふふ・・・・賢いだけでなく、芯のある美しいお人形さんだね」


「・・・・・・っ」


「まさかここまでとは思わなかったよ」



にこり、と微笑んだ本物のウィリアム様にくらりとする。これはすごい衝撃だ。ケイトに悪戯を知られて雷を落とされた時よりも脳内に衝撃が起きる。


私は石のように固まったままウィリアム様を見上げることしかできない。きっと他のお嬢様なら、顔を真っ赤にしてとろとろに蕩けるのだろうけれど、私なのでむしろ石になる。固まる。


そんな私の様子がおかしいのか、それとも珍しいのかウィリアム様は眠たげな瞼を下げ目を細めると前髪に触れたままだった私の手に触れる。ようやくそこで動けるようになった私はこれ以上不躾な態度はできないと手を引っ込めようとする。


しかしそれよりも前にクイ、と私の手を握るウィリアム様の手に力が込められ再び引き寄せられる。向かう先は前髪ではなく、ウィリアム様の薄い唇。


そっと寄せられた唇が手の甲に当たる。


一瞬のことで恐らく私の見間違いだと思うのだけど、現実だと脳が知らせる。そして脳内が慌てふためき出す。むしろパニック状態で皆意味もなく暴れ回っているような、そんな感じだ。



「お、お嬢様・・・・もう私だめ・・・・・・」


「ケ、ケイト!」



その中、一部始終を見ていたケイトがバタンと倒れ込むことで私は我に返る。できるだけお淑やかにウィリアム様の手を外すと、真っ赤な顔で倒れているケイトに近づき、体をゆさゆさと揺らすが目が回っているようでこちらへ返答はない。



「ケイト、ケイト目を覚ましてくださいっ」


「う・・・・・・美しい・・・・」


「ケイト・・・・・」


「はは、そこまで揺らすと体に悪いよ。ブライト、彼女を運んでもらえるか」


「はい、ウィリアム様」



慌てる私を他所に、ウィリアム様と偽ウィリアム様、もといブライトさんがせかせかと動き出す。こんな状況ではあるものの偽ウィリアム様がブライトさんだったのだと知った。しかしあまり理解が及ばない、今私が一番にすべきことは何だ、ブライトさんではなく私がケイトを担いでこの部屋を出ていくことだろうか。



「給仕室でいいかい?」


「え?」


「彼女、どこへ連れていけばいいか教えてもらえるかな」


「あ、は、はい。そうですね、・・・・・」



そうか、それが私の仕事か。ぽかん、とブライトさんに横抱きにされたケイトを床に座り込んだまま見ていれば、ウィリアム様が私と同じ目線まで屈んで教えてくれる。


あまりに動揺している私に眠たげな深緑の瞳が向けられる。私の心中を察したのか、少しだけ眉を下げると長い腕を伸ばしぽんと頭を撫でられる。



「私と共に給仕室へ行こう、案内してくれるかい。ブライトもいつまで抱えていられるかわからないから」


「・・・・・・・はい」



そうだ、ケイトは線が細いから軽いだろうけれどブライトさんだって人間だからいずれは疲れるだろう。それにケイトが倒れている今、主人である私がいつまでも動揺していては主人失格である。


私は一つ息をつくと、ウィリアム様へと向き直る。それから少しだけ微笑んで、ふわふわする足に鞭打つように立ち上がった。その様子をウィリアム様が楽しそうに見ていたとも知らず。



「ご案内します。ブライトさん、こちらへ」


「はい」


「ウィリアム様には私の使用人が失礼なところをお見せし申し訳ありません」


「いいや、お構いなく。私たちも長居をしすぎたから、彼女を送り届けたらお暇するよ」


「かしこまりました」



ドアを開き、廊下へと出る。すると数人の女性使用人たちが驚いたようにこちらを見た。どうやら部屋の様子をうかがっていたらしい。公爵家のご子息が来ているからと、皆そわそわしていたのだろう。


本来なら叱りつけたほうがいいのかもしれないが、今は急を要する。ちょうどいいからと彼女たちに湯を沸かして欲しいと声をかけると、ケイトの様子に気づいたようで急いで向かってくれた。




「ブライトさん、お辛くはないですか?」


「これくらいなんともありませんよ、いつも硝子の材料を抱えて往来していますから」


「お辛くなったら仰ってください、代わりますので」




そう伝えると、ブライトさんがキョトンとする。もしかしてブライトさんは私をか弱いとお思いなのだろうか。舐めてもらっては困る、これでも土の手入れのために十キロの肥料を運ぶことだってあるんだ。


そう思うけれど、たとえケイトが軽いからといって十キロなわけがないと改める。恐らく私が代わりを務めても、ケイトを引きずって連れていくことになるだろう。


やはり性別を間違えた。と内心泣いた。




「はは、本当におもしろいお人形さんだね。賢いのに、どこか抜けている」




そんな私の言葉に笑うウィリアム様。私がブライトさんを先導する流れだったので、今ウィリアム様は一番後ろを歩いているけれど、後ろにいても品の良さをなんとなく感じる。この人は本当に人間だろうか、天使の間違いではないだろうか。


そうこうしている間に給仕室の前に到着した。私は急いでドアを開くとすでに執事長のジョージさんと女性使用人が湯を沸かしタオルを準備して待っていた。




「ベッドはどちらに?」


「こちらでございます、お嬢様」


「ブライトさん、お願いします」


「かしこまりました」


「ジョージさん、ご案内を」


「承知しました。・・・・お客様にこのようなことをさせてしまい申し訳ありません」


「いえ、いいんです」



ジョージさんが頭を下げながらブライトさんを連れていく。担ぐといっても俗に言うお姫様抱っこという状況をブライトさんは特に気にしていないようだけれど、お美しいそのお姿のせいで周りの女性使用人たちがうっとりとしていることを忘れてはいけない。


このままだとウィリアム様が微笑まれた途端ケイトの二の舞が大発生すること間違いなしだ。私は公爵家のご子息が給仕室にいるということも加味して、ウィリアム様へと向き直り別室で待機してもらおうと考える。




「ウィリアム様、ブライトさんがお戻りになるまで隣の部屋でお待ちください」


「いや、いいよここで」


「ですが・・・・・」


「お嬢様の態度からして、使用人にも気を配っていることがわかっているからね。君が大切にするものを見てみたいと思うんだ」


「・・・・・・・大切になど、」




大切になど、しているに決まっているではないか。生まれた頃から可愛がってくれた使用人や執事たちだ。育った場所が領地か子爵の家かというだけで、彼らは私と同じ人間。同じものを食べ、同じものを出す。同じように学び、覚えることができる人たちに対してどうして差別を行う必要があるか。




「・・・私は幼い頃から花や蝶よりも、魔術や薬草に興味がありました。そのため可憐なお嬢様たちに馴染めず、屋敷で一人過ごすことも多かった。でも寂しいと感じたことは一度もないんです。いつも誰かが傍にいてくれた。木登りをして落ちれば我が子のように心配してくれましたし、夜に雷が鳴って泣いていれば私が寝付くまで本を読み聞かせてくれるような方たちです」


「・・・・・・・」


「尊敬しています。私も彼らのように、誰かのために動けるような人になりたい」


「・・・・まるでお嬢様とは思えない言葉だね」


「あ、」



いけない。またお嬢様から逸脱した発言をしてしまった。ウィリアム様に言われて気付き、思わず俯く。こんなことだから父や母が嘆くのだ。


しかし今更心に棲みついたものを殺すことなど誰にもできない。私にもできない。自覚しているからだ、この感情は決して捨てていいようなものではないと、むしろ溢れるほどに増やしていくべきだと。


ウィリアム様に幻滅されたっていい。別にこの方は私の婚約者でも何でもない。一応父の上司の息子ではあるけれども、いいのだ幻滅されたって。ウィリアム様がそれを愚痴らなければ。




「だから気になるのかな」


「え?」


「あ、いや・・・・なんでもないよ」



にこり、と薄い唇を持ち上げてウィリアム様が微笑まれる。近くでグラスの割れる音が聞こえた。そこでこの場に女性使用人が残っていることを思い出す。このままではウィリアム様のお美しさに使用人たちが全員倒れる。


私はブライトさんが戻るのをまだかまだかと待つ。すると待ち焦がれたブライトさんが爽やかな笑顔でこちらに戻ってくる。使用人の一人が顔を真っ赤にして固まった。




「(なんだってこんなに美形ばかりなんだ・・・・・!)」


「ウィリアム様、お待たせしました」


「ああ。それじゃあ戻ろうか、店の前まで送るよ」


「ありがとうございます」


「それではお人形さん、私たちもお暇するね」


「あ、はい。お見送りいたします」




やっとのことで給仕室から美形二人が出る。後ろから悔しそうな声が聞こえたけれど、あなたたちまだ仕事中ではなかったか。


ともかく、嵐のような方々がお帰りになる。ロビーまでご案内すると、近くにいた執事が玄関のドアを開ける。すでに馬車を用意していたみたいで、目の前に二頭の馬がいた。




「ウィリアム様、ブライトさん、本日は楽しいお話を聞かせていただきありがとうございました」


「こちらこそ。また近いうちに会いに来たいと思うけど、いいかい」


「(え、また来るの?手紙とかでやりとりするんじゃいけないの?)」


「いいかい?」



念を押すように言うウィリアム様の笑顔が眩しくて、頭に浮かんだ言葉は消えてしまう。そしていつの間にかコクコクと頷いていた。まさかウィリアム様は魔術でも使ったんじゃないだろうか。もしくは天使の戯れだろうか。




「楽しみにしているよ」


「ジェニファー様、本当にありがとうございます。このご恩、決して忘れません。近いうちに私が作ったグラスをお届けいたします」


「いえそんな、お気持ちだけで」


「いいえ、僕が、あ、いえ私の気が治らないんです」


「(あ、ブライトさん、いつもは一人称『僕』なんだ)」


「お届けにうかがいますので、どうぞお受け取りください」


「・・・・・はい、それではお待ちしています」



そうブライトさんに伝えれば、ブライトさんは嬉しそうににっこりと笑う。ああ、ウィリアム様には劣るけれどそれでも美しい。キラキラする二人に眩しい私が手で顔を覆えば、二人は不思議そうにこちらを見たけれど、きっとこの二人はその意味を一生知らないでいるだろう。美形の特権というやつだ。




「また会いに来るよ、お人形さん」


「はい、ウィリアム様」




馬車に乗り込み、颯爽と走っていかれたウィリアム様に手をあげて見送る。馬車が正門から出て見えなくなるまでそうしていたが、見えなくなった途端腰が抜けてその場に崩れ落ちた。




「つ、疲れた・・・・・」



いつもは使わない表情筋、そしてお嬢様らしい仕草。どれもこれも自分には似合わないもので全身筋肉痛もいいところだ。


ぺたん、と地面に手をついて空を見上げる。すでに空は夕暮れ色に染まりつつあった。随分とお話をしていたことがわかる。




「(こんなに家族や使用人でもない人と喋ったのは初めてだな・・・・・)」




不思議な空間だった。だけど、とても楽しかった。お嬢様とのお茶会では味わえないようなスリルと謎解き。こんな経験、ただのお嬢様だったらできなかったはず。


この疲労感は、悪くない。




「さて、さっそく始めるか」



私は綺麗な空を目に焼き付け、それから立ち上がる。


ウィリアム様は近いうちにまた来ると仰った。それまでには少し実験でも結果を出しておきたい。私は屋敷には戻らず、ヒールのまま庭へと出て愛しの薬草庭へと向かう。


あの草がどれだけの効果を出すかは未知数だけど、未知数だからこそ胸が躍る。


ブライトさんのためにできることをしたい。今はただそれだけを考えよう。私はニッと笑うとワンピースのまま土の手入れにをする。



その後、目を覚ましたケイトが怒り狂って庭に来るまで私は今年で一番楽しい時間を過ごした。



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