お嬢様のお迎え
「・・・・おっそいなぁ」
一人、ブライトさんのお店『ブランシュ・ネージュ』で皆の帰りを待つ。
どうして連れて行ってくれなかったのか。公爵のご子息だとかいうウィリアムさんから聞いた話では、今日は『魔力のなんたら』という魔術具を持っているかもしれない偉いおじさんに会いに行くということだったのに。
絶対に楽しいに決まってる。
あの変人お嬢様がわざわざ出向くのだ。絶対におもしろいことになる。そこに参加させてくれないとは、ウィリアムさんは本当に意地悪だ。
これで何もブライトさんが土産も土産話も持って帰ってこなかったら、怒ってやる。
そう思いながら、工房の作業机に突っ伏す。そこには硝子の粉があるので、そういうことはするなとブライトさんが言うが、今は誰もいないし何でもいいだろう。
「はぁ〜あ、つまんないの」
これなら孤児院でちっこいやつらと遊んでいるほうがまだマシだ。最近はこの店に入り浸る毎日を送っているから、久しぶりに顔を出してみようか。
でも、本当の『家』はあそこではない。ロレーヌ様が母親だと証明できれば、男爵の息子になれる。男爵になればひもじい思いをすることもない。
物心つく頃には、父も母もいなかったので、『家族』というものがわからない。孤児院のちっこいやつらが家族だが、それでも家族ではない。『仲間』に近いだろうか。
「早く解決してくれよな・・・・ジェニファーお姉さん」
子爵のお嬢様のくせに、魔術とか薬草が好きなお嬢様。この店に来てもほとんど笑わないのに、実験をする時は花が咲くように笑うんだ。
その笑顔を見ていると、母がいたらこんな感じなんだろうかと思う。
だから意味もなくジェニファーお姉さんの顔を見てしまう。しかし、それは母というより姉の表情だった。あのお嬢様が姉になってくれるなら、それはそれで楽しい毎日を送れそうなものだが、今は何よりも『母』がほしい。
「・・・・・・ロレーヌ様・・・・・」
ぼんやりと、ヴェルテの街で見かけたロレーヌ様の横顔を思い出す。俺と同じ群青色の瞳のその人には、これまた同じ火の痣。
絶対に母さんだ、母さんに違いない。
なのに、それを誰も認めようとしない。ロレーヌ様にも会えない。八方塞がりな状況に、自分の立場の弱さを思い知らされる。
会いたい、会って話がしたい。そして、俺があなたの息子なのだと伝えたい。
その日が来るのをただ待つというのは、とても辛いものだ。
「・・・・・ん・・・・?」
少し遠くから、誰かの声が聞こえる。今日はブライトさんがいないので、店は開けていない。すでに夜になり店を閉める時間は過ぎているものの、一応いつブライトさんたちが帰ってきてもいいように鍵は開けてある。
声は次第に近づいてくる。その声の中に、ウィリアムさんだと思われる美しい声があることに気付き、バット立ち上がる。
「ジェニファーお姉さん!」
「ああ、オルトゥー君」
ドアを開け、外に出てみれば少し遠くにジェニファーお姉さんとウィリアムさん、そしてブライトさんの姿があった。急いで駆け寄る。すでに女性に戻っていたお姉さんに勢いよく抱きつくと、少し痛かったのか小さい声を漏らしながら背中に腕を回してくれた。
「おかえり!」
「はい、ただいま帰りました」
「どうだった?ねぇどうだったの?」
「はい、実はーーーー」
「それは中で話すよ、オル君。だから離れなさい」
「ちぇ」
ジェニファーお姉さんから引き剥がされてしまう。しかし、そうしたブライトさんの手に土産でも入っていそうな袋があったので、ここは引き下がってあげよう。
皆と一緒に店に入る。すぐにブライトさんがお茶を出そうと動き出したので、それについていこうかと思ったけど、今はジェニファーお姉さんから話を聞くことが大事だ。
「お姉さん、結果は?早く教えてよ!」
「はい。無事にお借りすることができました」
「え・・・・つまりそれって」
「『魔力の底しらべ』を、お借りすることができましたよ」
これでロレーヌ様の魔力を調べることができます。そう言いながらジェニファーお姉さんがにこりと優しく笑う。ウィリアムさんがよくお姉さんを『お人形さん』というほど、表情に動きがみられないお姉さんがここまで優しく笑うと、胸も高鳴るというものだ。
すぐにお姉さんに手を広げ抱きつこうとする。しかしそれを見ていたウィリアムさんがすかさずお姉さんを奪ってしまった。子ども相手に何ムキになってるんだか。
そう思いながらも、ジェニファーお姉さんへと向き直る。にこにこと嬉しそうに笑っているので、余程嬉しい様子だが、しかしその近くに魔力のなんたらはない。
「お姉さん、その魔力のなんたらはどこにあんの?」
「魔力の底調しらべです。大変稀少なものなので、今度お持ちいただくことになりました。用途については告げていないので安心してください」
「へー」
そうなのか、早く見たかったんだけどな。そんな気持ちで頭の後ろに腕を持っていき、ぼんやりとお姉さんを見ていれば、その様子にウィリアムさんが困ったように眉を下げる。
お姉さんの腰に手を添えていたウィリアムさんは、その手を肩に持っていくとゆっくり引き寄せる。お姉さんが驚いたようにウィリアムさんを見上げる。その目に、柔らかく笑いかけた。
ああ、甘ったるいったら仕方ない。
「そう一言で終わらせないでほしいな、オル」
「なんで?」
「お人形さんがいなかったら、私たちはただ客間に案内されて帰るだけだったんだよ」
「・・・・・・」
「君のために男の格好までして、慣れないことをした。それは一言で済ませられることかい」
「そりゃ・・・俺だって感謝してるよ。別にどうでもいいなんて思ってないし」
軽く叱られてしまい、なんとなく腹が立つ。そんな俺にウィリアムさんとジェニファーお姉さんが優しく笑いかけるもんだから余計に恥ずかしくなってそっぽを向いた。
するとそこに話を聞いていたらしいブライトさんが戻ってくる。その手にはカップを乗せたトレーがあり、そのカップをウィリアムさんとお姉さんに手渡す。
最後に俺のところに持ってきたブライトさんは、少し怒っているようにも見えた。
「ウィリアム様の言う通りだよ、お嬢様がいなかったらグロート卿があそこまで気前よく稀少な魔力の底しらべを見せてくれることはなかったんだから」
「だーかーらー!ありがとうって言ってるじゃん!」
「じゃあちゃんとお礼を伝えなさい」
「・・・・・・・」
二人して何なんだ。どうして叱られないといけないのか。
少々不服だが、もちろん感謝の気持ちはあるのでジェニファーお姉さんの前に立つ。お姉さんも戸惑っているようで、オロオロとこちらに両手を広げていた。多分それは無意識にやっているのだと思う。
なので甘ったらしのウィリアムさんとブライトさんへの仕返しとばかりにお姉さんに抱きつく。
「オ、オルトゥー君」
「ありがとう!すっごく感謝してます!」
「・・・・こ、こちらこそ?」
「あ”ーっ!好き好き好き!」
「こら!オル君!」
あまりにも勢いよく自分の顔をお姉さんの胸に埋めるからか、ブライトさんがすごい顔でべりっと俺を引き剥がした。黒いオーラを放っているウィリアムさんが後ろにいる気がするが、構うもんか。
どうだ、ブライトさんはどうだか知らないが、ウィリアムさんがお姉さんに言いたいのに言えない言葉を叫んでやったぞ。
鈍いお姉さんに苦戦しているらしいウィリアムさんにぺろっと舌を出して戯ける。ウィリアムさんは口元は柔らかく微笑んでいたが、目は確実に笑っていなかった。
「そんで?何をすればそんな大事なものをその偉いおじさんは貸してくれんの?」
「グロート卿です。・・・・・そこは、ウィリアム様のお力添えがありました」
「ウィリアムさんの?」
たった今からかってしまい、気まずくなる。後ろでいまだにニコニコと笑うウィリアムさんが怖い。
こちらも負けじ、とニコニコ笑ってやる。負けないぞ!
しかし、そんなもの鈍いお嬢様が気づくはずもなく、ブライトさんが用意した椅子に座ると、ティーカップを片手に話し始める。もう少し男心を知ったほうがいいと思うぞ。
「魔力の底しらべをメインとした小さな展覧会をウィリアム様のお屋敷で開くことになったと嘘をつきました。グロート卿には申し訳ないですが」
「あーなるほど」
「ウィリアム様のご提案でしたが、ご迷惑ではないですか?」
「ああ、問題ないよ」
何かいい案でも思い浮かんでいるのか、そう言ってお姉さんの頬に手を添えるウィリアムさん。すかさず間に入り邪魔をしてやろうとするが、その前にブライトさんに腕を掴まれてしまい叶わなかった。
くそ、と舌打ちをする俺にウィリアムさんが眉をあげる。今のところ1勝1敗だろうか。
そんなウィリアム様は俺から視線を逸らすとブライトさんを見る。切り替えが早い人だ。
「ブライト、魔術具を覆うケースをつくってもらいたいんだが、できるか。嘘とはいえコレクションをお預かりするから傷はつけないようにしないと」
「どれくらいの大きさですか?あと数はいくつ用意しましょうか」
「明日グロート卿からリストが届くから、それを確認したら伝える」
「承知しました。いつまでに作ればよろしいでしょうか」
「今週末までかな、その頃にはコレクションも届くと思う」
「今週末ですか・・・・明日中に寸法がわかれば、それまでにはつくれると思います」
「ああ。今週末は晩餐会があるから屋敷に出入りする者も多い。仕上がったら私が何人か連れていくから、彼らに渡してくれ」
「承知しました」
嘘とはいえ、その偉いおじさんは自分のコレクションが展覧会に並ぶのだと思っているのだろう。そのコレクションに傷でもついていようものなら、それはウィリアムさんの顔にも傷がつくというもの。
いろいろと大変そうだ。そんな中、魔力のなんたらを借りることができたのもお姉さんのおかげ、そして悔しいがウィリアムさんのおかげだ。きっとウィリアムさんが公爵家のご子息でなければ、その偉いおじさんも貸すなど言わなかっただろうから。
つまり、この二人だからこそできたことだと言える。なんだかんだ言っても、この二人はお似合いだということだ。腹立つが。
もう少し俺が早く生まれていれば、そして出会えていればお姉さんの隣にいたのは俺だったのだろうか。そう思うが、俺ではお姉さんに出会うことすらできなかったと思う。悔しいが。
「・・・・・・・」
お姉さんへと視線を向ける。するとお姉さんは、顔を真っ青にしながらウィリアムさんを見ていた。なんだ、何か恐ろしいものでもウィリアムさんの後ろに見えたか。それはおそらく独占欲の強い悪魔の微笑みだ。
「お姉さん?どうしたの?」
「ば、・・・・・」
「ば?」
「晩餐会・・・・すっかり忘れていました・・・・・」
わなわなと唇を震わせてお姉さんが眉を下げる。その様子はこの世の終わりだと言いたげだ。俺は行ったことなどないが、たかが晩餐会なのではないかと思う。
しかし、お姉さんはそうではないのかしきりに小声で「ダンスレッスン」と呟いている。ああ、ダンスレッスンが嫌なのか。
突然顔を青ざめたお姉さんに驚いていたウィリアムさんだが、その内容を知った途端クスクスと笑いながらお姉さんの頭を撫でる。
「残念だな、お誘いしたのに。もう招待状も届いていたと思うが」
「きっとケイトが隠したのでしょう・・・・私が逃げ出すとわかっていたから・・・・」
「はは、あの子ならしそうなことだな。で?もちろん参加してくれるんだよね?」
「・・・・・・」
「ね?」
「・・・・・ハイ」
否定を許さないウィリアムさんの笑顔が怖い。それを間近で受けたお姉さんは尚更だろう。
少々かわいそうに思いながらも、晩餐会など参加したことなどないので想像がつかない。自分には関係ないことなので興味も薄れた。
立ち上がると店内を回る。最近ではよく見るようになった硝子細工の作品、とりわけ最新作だと書かれているコーナーへと向かう。『一輪の薔薇』というひねりもない名前の作品は、特に店先からも見えやすいように飾り付けられている。
その硝子の薔薇をなんの気なしに手に取り、再びお姉さんのところまで戻ってくる。そして特に理由もなくそれを手渡す。子どものすることだ、そこに理由などないから無駄な詮索はしなくていい。
「・・・・・・」
しかし受け取ったお姉さんはそれをまじまじと見つめる。
なので、理由もなく渡したが何か理由をとってつけないといけない気がしてしまう。あれやこれやと考えて、やっと出たものは、やはり中身などない薄っぺらいものだった。
「透明もいいけどさ、薔薇って名前の作品なんだし色つけたらもっと売れそうなもんじゃない?」
「・・・・・色・・・・透明・・・・・」
「俺だったら真っ赤に染め上げるね。薔薇って確か情熱っていう花言葉だよね。ぴったりじゃない?」
「情熱・・・・・」
「・・・・お姉さん?」
ぶつぶつと呟きながら、その硝子の薔薇を見つめるお姉さん。
その様子を俺は不安げに見守る。そして、ウィリアムさんとブライトさんを見る。すると、二人はなぜか笑っていた。
その笑みは何かを待っていたといわんばかりの、期待を表していた。
突然、ガタンと椅子からお姉さんが立ち上がる。驚いて再びお姉さんを見れば、一輪の薔薇を手に持ったままぷるぷると震えていた。
「オルトゥー君・・・・・」
「はい」
「・・・・・天才です!」
「ええ!?」
何がどうしたらその言葉が出てくるのだろうか。よくわからないままお姉さんを見ていれば、ガシッと手を掴まれぶんぶんと振り回される。がくがく体が揺れるが、それでもお姉さんは止めてくれない。
怖くなってお姉さんの手を外す。しかしそれでもお姉さんは興奮が冷めないのか、両手で薔薇を握りしめると、どこか遠くを見つめてキラキラと目を輝かせた。
「やはりジョージさんは私にとって何よりも重要な人です・・・・・!」
「だ、誰!?お姉さんの口から知らない男の名前が出た!」
ねぇ誰なの!?とウィリアムさんを見るが、同じく聞きたい状況なのか困ったように眉を下げていた。なので真相を知っていないかと今度はブライトさんを見る。すると、ブライトさんはわかっているようで、ウィリアムさんを見ながらクスクスと笑っていた。
そんな俺たちなど目にも入らないとでもいうように、お姉さんはひとしきりキラキラとどこかを見つめて微笑んだかと思えば、急にこちらへと顔を向けた。
「オルトゥー君!今回はオルトゥー君のおかげでもあります。ありがとうございます!」
「お、おう・・・・・なんだかよくわかんないけど、何がどうしたの?」
「ごそっとまるごと、全て解決します」
「え・・・・それって、俺とロレーヌ様の親子関係も含まれてる?」
「はい!」
「えー!!!この間に何をひらめいたの!?」
すごーい!とお姉さんに抱きつく。そんな俺をぎゅう、と抱きしめるお姉さんは心底ご機嫌がいいらしい。まさか抱きしめ返してくれるとは思っていなかったので、願ったり叶ったりだ。
よくわからないが、俺の今までの行いに何かヒントを得たらしいお姉さんが嬉しそうに笑う。それだけでなんだか幸せに思えるのだから不思議だ。
ーーーついにロレーヌ様が母さんだってわかるんだ!
俺もきゃっきゃと喜ぶ。お姉さんも歯を見せて笑う。お嬢様なのに、無邪気だな。
そんな俺とお姉さんを、ウィリアムさんとブライトさんが優しい目で見つめていた。
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