お嬢様の趣味
ついにグロート卿のお屋敷を訪ねる日となった。なんとも長い道のりだったように思える。
オルトゥー君と出会ってから、暇な日など一日もなかった。久しぶりに徹夜なんてものをやったし、調べ物をする毎日を過ごした。しかし辛いと思っても止めたいと思わないのが魔術の不思議である。
「ささ、お嬢様目を閉じてくださいな。このあとは口紅を塗りますよ」
「今日は何色の口紅をつけるんですか?」
「秋にはやはり濃い色が似合いますから、ワインレッドなどどうでしょう?」
「服と同じ色ですね。わざと合わせるんですか?」
「あら、今日は随分とお化粧に興味がおありですね」
いそいそとウィリアム様とのデートだと思っているケイトが私を綺麗に着飾る。今日のワンピースはプリーツワンピースと言うらしい。隣国の貴族の間で流行っているそうだ。ワインレッド色のそのワンピースは少し体を動かすだけでふわりと揺れる。
先ほど着せられた際、私は動きづらそうと思ったが、ケイトは可愛らしいと思うようで何度も回ってくれとせがまれた。まぁケイトが喜ぶならくるくると回りましたが。
「どうして急に興味が湧いたんです?」
「・・・・きっと、ウィリアム様が褒めますからね」
「まぁ!まぁまぁ!ウィリアム様に褒められたかったんですね!」
「いえ、ケイトが綺麗に着せてくれたねと、ケイトの技術を褒めるんです」
「ついにお嬢様がウィリアム様を意識してくださったわ!」
「(聞いてない・・・・・・)」
目を潤め、両手を握りしめるケイトに私の声は届かない。その様子に一つ息をつくと、私は部屋の隅に寄せていた長方形の籠へと視線を向ける。
その長方形の籠は、本来はピクニックに出かける際に食器やワインを入れるためのピクニックバスケットだ。しかし中には食器など入っていない。先日作った薬や、それを吸い上げるスポイト、それからノートと何があってもいいように解毒薬について書かれた本などが入っている。
世話好きなケイトがそのバスケットについでと言って荷物を入れようとするため、私が慌ててケーキやクッキーを用意して気をそらすという大変な時間を今まで過ごした。見られようものならケイトの頭に魔牛の角が生えたことだろう。
「紅葉を見ながらピクニックなんて素敵ですよね」
「そうですね」
「ブランケットを広げて、その上でくつろぐウィリアム様と、ウィリアム様に膝枕をするお嬢様・・・ああ考えただけで胸が高鳴ります!」
「・・・・・・・」
「寝転んで一緒に本を読んでいるとページを捲る指が触れ合って・・・・恥じらうお嬢様にウィリアム様がクスリと笑いかけて、それから頬に手を添えながら呟くんです。「ああ、いっそ時の止まった世界で過ごそうか。そうすれば君とずっと一緒にいられる」と・・・・キャー!!」
「・・・・時空魔術を使えるとなったら国の研究所がウィリアム様を放っておきませんよ」
「お嬢様!」
「はい、すみません」
今日も脳内お花畑なケイトにやれやれとため息をつく。
しかし光属性の魔術を使えるウィリアム様なら、時空魔術もできてしまうかもしれない。光属性は火、水、風の上位属性だが、その他にも水と風と土の応用属性である雷や、マイナーではあるが確かに存在する月属性なども含めると十もの属性を扱えると言われている。
魔術は化学や科学では到底解明できない分野である。そして不可能を可能にする術である。
時空魔術は古い文献に載っているだけで、誰も使える人はいないという。もしほいほいと簡単に使用できてしまえば、過去に戻ったり未来に行ったりして人間が起きるはずの事象を捩じ曲げてしまう。だからその魔術を研究する学者もいるようだが、まだ成果は出ていない。それほど難しい魔術なのだ。
ふむ、少し興味はある。だけど私の知識を超えてしまっていて、見当もつかない。
「そろそろ到着されますかね、下で待ちましょうか」
「そうですね、そうします」
ケイトと一緒に自室を出る。もちろん、私の荷物を持とうとするので、すかさずバスケットを掴む。怪訝な顔をされたが、「楽しみなので持っていたいんです」と伝えると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「(ケイトが単純でよかった・・・・・)」
「はぁ、ケイトは嬉しいですよ。こんなにウィリアム様と仲良くされるんですもの」
「・・・・・話は合いますから」
「最近街で買い物をしたんですが、その時ウィリアム様の噂を聞いたんです」
「へぇ」
「それはそれはお美しいご子息様だと。微笑まれれば薔薇が咲き、その声はまるでセイレーンの歌声のように美しいと」
「はあ」
「もう!もうちょっと興味をもたれてください!」
「いや・・・薔薇が咲くとは、すごい例えだなと。その方は詩人ですか?」
「お嬢様・・・・・・?」
「いえ、すみません。どうぞ続けてください」
廊下を歩き、階段を降りたところになってもケイトの話は終わらない。うっとりと目を細めながら話をするケイトはウィリアム様でも思い浮かべているのか、頬を赤らめている。
しかし、ふとケイトがぴたりと顔を変える。その表情の変化に私は自然とケイトをじっと見つめる。
「ウィリアム様はとてもお美しい方ですが、とても遠い方だとか」
「・・・・・・」
「どなたにも囲まれるのに、お傍には誰もいないような印象を持つのだそうです」
「・・・・・・・」
それは、あれだけお美しい方だ、そして公爵家のご子息という立場がある。囲む相手はどこの伯爵か、商人か。その知名度を利用しようとする者も多いことだろう。それをわかっていて、ウィリアム様も一線を引いて相手をしていると考えられる。
そういうものが煩わしいのかもしれない。
私は不意に、以前馬車に乗ってブライトさんのお店『ブランシュ・ネージュ』へと行く途中に見せたウィリアム様の横顔を思い出す。
私と母やケイトの関係を見て、いいじゃないか、と言った時のブライトさんは、どこか寂しげだった。
もう少しその横顔について考察をしたいところだが、相変わらず明るいケイトは今にもスキップをしそうなほどるんるんと廊下を進む。
「そんな中、足繁くお嬢様に会いに来てくださるということは」
「・・・・・・・」
「お嬢様は特別だということですね!!」
「・・・・・・・・」
「ねっ!」
「物珍しいだけでしょう」
「もうっ!」
ぷんぷんと怒っているケイトを無視してロビーに置いてある椅子に腰掛ける。ケイトも使用人であるものの、その立場を弁えていないようで私の向かいの椅子に座るとそわそわした様子で玄関のドアがいつ開かれるのか楽しみにしているようだ。
その姿を執事長のジョージさんが見つけたら怒られそうなものだが、今日はジョージさんも忙しいのか先ほど済ませた朝食の席以降顔を見ていない。
「・・・・・・特別、ね」
『例外』そうウィリアム様は私のことを言う。それは特別とは違う。
何を思って、ウィリアム様が私を例外とし、その魔力を使うことを許したのかはわからない。だけど私の考えが正しければ、ウィリアム様は私を『対等』だと思ってくれている。そしてそれを私も嬉しいと思っている。
屋敷という狭い世界とは違う、広い世界で出会ったウィリアム様が味方にいるというのは頼もしいことだと思うから。そう、思えるようになったから。
「あっ、いらっしゃったみたいです!」
ケイトの声に釣られて玄関のドアを見る。到着を待っていたのか、ジョージさんではない執事がドアを開く。すると外から馬の蹄の音が聞こえた。
ケイトに手を引かれて立ち上がる。慌ててピクニックバスケットをひっ掴むと、されるがまま駆け足で玄関から外に出る。
そして最後の仕上げと言わんばかりにケイトが私の髪や服を整えて、お出迎えとなった。
「ごきげんよう、お人形さん」
「ごきげんよう、ウィリアム様」
馬車のドアを執事が開き、そこからウィリアム様が柔らかい笑みを浮かべながら降りてくる。幻だと思うが、その足元には赤いカーペットが敷かれているように見えてしまうから不思議だ。
薄茶のスーツを着込んだウィリアム様は今日もお美しい。眠たげな瞼の下に転がる深緑の瞳は昼前の太陽の光を受けてキラキラと輝いている。
ケイトが口元を手で覆いながらウィリアム様を凝視する。その視線に気づいたのか、顔見知りのケイトにウィリアム様がにこりと目を細めて口角を上げた。
「はぅっ!」
ただそれだけのこととはいえ、その破壊力は凄まじい。ケイトはドアにもたれかかるとその笑顔が眩しいのか目の前に手を翳す。大袈裟だ。しかし本気なのだろう。
ウィリアム様はそんなケイトにクスクスと笑うと、それからゆっくりとこちらを向いた。そして私の頬に手を添えると、うっとりとその薄い唇を開く。
「今日も綺麗だね」
「・・・・ありがとうございます」
「誰が綺麗にしてくれたのかな」
「あそこでウィリアム様に溶かされているケイトです」
「ああ、そう」
ケラケラとウィリアム様が笑う。それから私が手に持っていたピクニックバスケットをさっと奪い取る。中にはいろいろと道具が入っているので重たいのに、軽々と持ってしまう。
それからウィリアム様は私の腰に手を添える。そしていまだに頬を赤く染めているケイトに向き直る。
「君の大事なお嬢様を借りるが、いいかい」
「ええもちろんですとも!どうぞお好きなだけ!」
「(お好きなだけって・・・ケイトよ・・・・)」
「はは、それはありがたい。帰りが遅くなるかもしれないから、奥様にも伝えておいてくれると助かるよ」
「えっ・・・・!かっ、かしこまりました!」
「それじゃあ行こうか、お人形さん」
「はい。・・・・それではケイト、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ!お嬢様っ、頑張って!」
「(何を考えているのかなケイトは)」
何を頑張ってこいと言いたいのか。
私は馬車に乗り込むと、じとっとした目を浮かべながらケイトに手を振る。馬車が動き出すとすぐに顔を引っ込めたが、ケイトはまだ何か言っていた。知らない、聞こえない。お花畑になりすぎて頭の中から花が飛び出すぞそのうち。
これから向かうグロート卿の屋敷は、ここから片道3時間はかかるらしい。滞在時間がどれくらいのものになるかわからないが、帰りだって3時間はかかるのだ、そりゃ屋敷に着くのも遅くなるだろう。
決して、断じて、ケイトが想像するようなことはないので安心してもらいたい。
いや、むしろ残念がるのだろうか。とそこまで考えて頭を抱える。ウィリアム様も悪い方だ、あのようなことを言えばケイトが勘違いするというのに。
それがわかっていて言っているのだから本当に意地悪だ。今もこちらの様子を楽しそうに眺めている姿に、確信犯だとわかっているものの、それを追求すれば揚げ足を取られるのは私の方なのでやめておく。
「一度街に戻ってブライトを乗せるよ」
「オルトゥー君はいないのですか?」
「今回は私の仕事の一部でグロート卿を訪ねることにしているからね」
なんだ、オルトゥー君も来ると思っていたのに。彼のために無駄に本も持ってきてしまっていたので、少し残念に思う。そんな私を見てウィリアム様が長い腕を伸ばし頭を撫でる。別に拗ねていないから気にしないで欲しい。
「ブライトは私の護衛、お人形さんは年代物の魔術具を扱う魔術具店が顧客の、若いブローカーということでグロート卿には話を通している」
「なるほど、それなら怪しまれないですね」
「私からグロート卿を紹介され、興味を持ったブローカーがぜひ一度話をしてみたいので屋敷を訪ねるということになっているから大体のことは任せたよ」
「わかりました」
「ちなみに、『かなり』のコレクターだから。君がへまをしたら、すぐにバレるよ」
「(責任重大だな・・・・・・)」
魔術具については詳しい方だと思っているが、ウィリアム様が『かなり』と言葉を強調するくらいだから、私の上を行く人なのだろう。しかも今回私はブローカー、つまり商人としてグロート卿の前に立つことになる。魔術具の知識だけでなく、審美眼や商いに詳しいフリをしないといけない。
芸術に疎く、また商売をしたことのない私には、その点はちときつい。
「(できるかな・・・・・)」
もしそういう話になったらうまく誤魔化さないと。と少し緊張し始める私に、ウィリアム様は何を思ったか向かいに座るのを止め、隣にぽすんと腰を沈めた。
「ウィリアム様?」
「立場を偽るなら、偽名も使わないとね」
「そうか、ジェニファーでは女性だと気づかれてしまうかもしれません」
「どうしようか、何かいい案はあるかな」
「んー、・・・・特に何も思いつきません。あ、オルトゥー君の名前を借りましょうか」
「他には誰か思い浮かぶ人はいる?」
「ええと、・・・・特には。家族くらいでしょうか」
「そうか、ならオルトゥーが一番言いやすいだろうから、そうするといいよ」
「はい」
「どれくらいの規模で活動していたことにする?」
「そうですね、ウィリアム様と知り合いということであれば街ではなく国単位でしょうか」
「地理には強いかい」
「多少は。魔術具の生産地域については頭に入れています」
「それなら問題はないか。あとは何があるかな」
ううん、と顎に手をおいて考えるウィリアム様。その様子は楽しげだが、わざわざ設定を考えてくれるとはお優しい。いつの間にか私もうきうきしているし。
そこで気づく、もしかしたらウィリアム様は私が緊張していることに気づいて、わざとこうやって話しかけてくれているのだろうか。
お優しい方だ、そして人の表情や感情を読み取ることに長けているので、その私の考えは大体当たっていると思う。
この人は、本当に人間なのだろうか。もしかして神が美しい人の皮を被って私の前に現れているんじゃないだろうか。だからここまで慈悲をかけてくれるのではないか。そう思ってしまう。
「・・・・・ウィリアム様」
「ん?」
「その、・・・・いつも、ありがとうございます」
「・・・・どうした?改まって」
「いえ、なんでも・・・・・」
いつも優しさを受け取ってばかりで、感謝を伝えたことがなかったから、なんとなくお礼を言ってみただけだ。そこに他意はない。
私の『紐』にはウィリアム様に作ってもらった『こぶ』がいくつもある。しかしウィリアム様の紐にはどうだろうか、私のこぶはいくつあるだろうか。まだ近くにあるだけで固結びをしたこともないのだろうか。
ぼんやりとそんなこと考えていると、眠たげな瞼の下に転がる深緑の瞳が細められる。
ゆっくりと伸ばされた長い指が頬を撫でる。髪を耳にかけ、その耳に触れる。なんだかそれがこそばゆい。思わず眉を顰めると、うっとりとウィリアム様が微笑むものだから私の体はピシッと石のように固まる。
右手にウィリアム様の手が絡む。その手は馬車の壁に当てられる。身を乗り出したウィリアム様によって、ほとんど馬車の内装が目に入らない。
「ジェニファー」
「・・・・・あ、」
ウィリアム様が一度目を閉じる。そして開くとその目は若紫色に変わっていた。私の目にも手を翳したので、おそらく私の目は今深緑色になっている。
まるで、ウィリアム様の中に私がいるような状況。対等だと、伝えてくれているのだろうか。
「・・・・・・・」
あいつがやってくる。心臓に食らいついたあいつがズキズキと痛みを連れてくる。それを押さえようと動かした左手までもウィリアム様にゆっくりと奪われる。
私の左手がウィリアム様の頬に添えられる。初めて触れたウィリアム様の肌は瑞々しい。女性が羨むほどに。思わず親指の腹で瞼のあたりを摩ってしまうほどにきめが細かい。私が瞼のあたりに触れたことで、ウィアム様が片目を瞑る。そして小さく笑みを溢した。
その時は、ああ、ウィリアム様も温かいんだな。掌に感じる体温に、そうなんとなく思った。
左手を掴んでいた手が腰に添えられる。そして少し引き寄せられる。薄く開かれた唇がゆっくりと近づき、いよいよ息ができなくなるほど心臓が痛み出した時だった
ギッと馬車が音を立てて止まる。それに釣られてウィリアム様が窓の外へ若紫の瞳を向けた。
いつの間にかブライトさんのいる街まで到着していたらしい。ウィリアム様はとても不快そうに眉を顰めると、一度ため息をついて、それからグイと私を抱き寄せた。
「いつも邪魔が入るな」
「(た、助かった・・・・・・)」
離れたウィリアム様の目は、いつもの深緑の瞳に戻っている。
まるで魔術にでもかかっていたのかと思うくらい、長い時間だったように感じる。ウィリアム様が離れたところで私はやっと息をつく。それはもうどっと息をついた。
そうしていると、馬車のドアが開かれる。そこにブライトさんを見つけると、どこか安堵さえ覚えてしまうから私は今の状況に緊張していたと気づく。そりゃ緊張もするだろう。相手はえげつない凶器を持った麗しの天使だ。
「お嬢様、ごきげんよう」
「ごきげんよう、ブライトさん」
「お二人で隣同士に座るなんて、仲がよろしいですね」
「あははは・・・・・・」
もう笑うことしかできない私は箍が緩んだらしい。とにかく、このままだとブライトさんが中に入れないので私は向かいの席に置かれているピクニックバスケットを馬車の床に置く。それを見てからブライトさんが向かいの席に座った。
そして再び走り始めた馬車。ここからはしばらく道なりに街道を進むだろう。その間、麗しの天使の相手を私だけでしないで済むと思うと気が楽になった。私では太刀打ちできない。
そんな私に気づいているのかいないのか、ウィリアム様はブライトさんに声をかける。
「オルはどうしてる?」
「拗ねていましたよ。しばらく新聞配達の仕事は休みをもらったみたいなので、ついて行く気だったみたいですね」
「そうか、それは悪いことをしたな」
「何かお土産でも買って帰らないと文句を言われそうです」
「はは、まるで弟思いの兄のようだな。オルもあの店を随分気に入っているようだし、弟子にしたら?」
「そうですね、もともと器用な子なので遊び程度で堀り方を教えたら結構筋が良くて驚きました。オル君がよければ手伝ってもらおうかとも考えています」
「それはいい。新聞配達よりやりがいもあるだろう」
いつも通り、楽しげにお二人が会話を始める。その内容は全てオルトゥー君に関してだ。私も共通の知り合いということもあり、楽しく話を聞く。
そうか、オルトゥー君があのお店を手伝ってくれたら私も会いに行ける。
そう思うが、オルトゥー君はどう思っているのだろうか。ロレーヌ様の息子だと判明したら、やはり男爵の息子としてヴェリテに行ってしまうのだろうか。
「(それは寂しいな・・・・・)」
私にとっても、弟がいたらあんな感じなのだろうかと思うことがよくある。それくらいオルトゥー君のことは気に入っているし、今後も見守っていきたいと思っている。
男爵のご子息ともなれば、そうそう会いに行けることもないだろうし。
ぼんやりとオルトゥー君の顔を思い浮かべながら窓の外を眺めていれば、ふとそれに気づいたブライトさんが私の名前を呼ぶ。
「お嬢様、この中には何が入っているんですか?」
「ああ、実験で使った薬や実験道具と、あと服と本が入っています」
「さすがですね。食べ物も飲み物も入っていない」
「(今のは嫌味ととってもいいだろうか・・・・)」
「あ、えーと、ウィリアム様、あとどれくらいで到着するのでしょうか」
「そうだな、2時間はかかるよ」
「それは随分と時間がありますね・・・・・」
私がじとっとした目を向けたところでブライトさんがウィリアム様へと話しかける。それに気づいてウィリアム様が笑いながら応えると、ブライトさんがその白雪の肌に皺を寄せてため息をつく。
確かに、このまま2時間何もせず馬車に揺られていたらお尻が痛いだけである。
「ブライト、何か暇を潰す話があれば聞くよ」
「そんな藪から棒に・・・・・お嬢様、何かありませんか?」
「え、私ですか?」
まさかそこで話を振られるとは思っていなかったので、すっとんきょうな声が出る。世間を知らない私がお二人の期待に応えるような話ができると本当に思っているのだろうか。
私は必死に考える。しかし最近あった面白い話といえば、ケイトが花瓶に水を入れようとしたらしいのだが、手に持っていたのが先ほど私にお茶を入れたティーポットで、それに気づいたケイトが「疲れてるわ、末期だわ」と言っていたことくらいしかない。
こんな話をしたところで、身内話すぎて面白くも何ともないだろう。
私は腕を組んで考える。しかしいいものは出ない。というか、私にそもそも会話術がないので、そういうものは求めないで欲しい。私にできるのは魔術の話か、夫婦の痴話喧嘩くらいなのだ。
「あ、・・・・痴話喧嘩」
「・・・・・・お嬢様?」
「(あの話なら面白いかもしれない)」
「お嬢様、無理はなさらないでくださいね」
「そうですね・・・・無理をしない程度でよろしければ、一つ」
「それはどんなお話なのかな」
「はい、それは父の領地に住む、二人の男女のお話でして・・・・・」
それから私はぺらぺらと話を続ける。合間には謎解きのようなものも入っていたので、二人とも楽しそうにそれはこうでは、あれはああでは、と会話に参加してくれる。よかった、魔術の他に夫婦の痴話喧嘩、とりわけ探偵ごっこのような趣味を持っておいて。
気づけば、グロート卿のお屋敷がある街の近くまでやってきていたらしい。ここからお屋敷までは急勾配の坂を上ることになるようなので、馬車はここまでとなった。ここからは馬に乗り換えて向かうことになる。
そうなると、私もいよいよ女性のままではいられなくなる。
「馬車の中で着替えてもよろしいですか?」
「では私たちは外で見張りでもしておこう」
「ありがとうございます。もしかしたら薬を飲んだ私が暴れ回るかもしれないので、街の方に変な目で見られたらすみません」
先に降りたお二人にそう言って、馬車のカーテンを閉める。
ーーーーさあ、正念場だ。
私はピクニックバスケットから商人の息子のような服を取り出し、いそいそと着替える。そして、着替え終わると2つの小瓶に入れ替えた薬の一つを手に取り、コルクを抜く。そして勢いよくそれを口に含んだ。その量はおよそ5時間分。
その間に、『鶯箱』を見せていただき、あわよくば『魔力の底しらべ』の話を聞かなくては。
「ぐっ・・・・・・」
始まった激痛に、それでも私はにやりと笑みを零すのだった。
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